現れた男
遥か昔、とある2人の〝力人〟が命を賭して闘った。
その闘いは壮絶にして鮮烈…
そして結末は苛烈にして凄惨だったという…
ー・20XX年東京・ー
「お、親方っ!又っス!又1人ヤラれたっス!!」
けたたましい足音と共に現れた巨躯の男は、浴衣の乱れも気にせず息絶え絶えにそう叫んだ。
「ワシの部屋へ入る時はノックせぇと何べんも言うたやろが…」
親方と呼ばれた男は、老齢ながらも凄みのある顔で睨み付ける。
それに怯んだ巨躯の男…
「す、すいません…で、でも早くお報せしなきゃと思いまして…」
山の様な身体を窮屈そうに縮めながらそう答えた。
それを太い溜め息で見やった親方、煙草に火を点けながら問い掛ける。
「で、今度は何処の誰がヤラれたんや?」
「は、はいっ!今度は春風部屋の桜嵐関っス!前の連中と同じく、全身に打撲と骨折…全治2ヶ月らしいっス…」
「フ~…また大関かいな…小結から始まって関脇、大関、大関とこれで4人目や…そろそろ横綱が狙われてもおかしゅう無いのぅ…」
煙を鼻から機関車の如く吐き出した親方は、まだ長く残った煙草をガラス製のゴツい灰皿に押し付けた。
「で…今回もまた同じ手口かいな?」
「は、はい…夜に街中で1人になった所を…」
「アホゥが…1人で出歩くなと通達しとったのにっ!」
親方が絡んだ痰の様に吐き棄てる。
「や、やはり警察に言った方が…」
「それはならんっ!只でさえ度重なる不祥事で相撲の人気と信用は落ちて来とるんや…そんな中、上位番付の力士が街中で素人に負けたなんて報じられてみぃ?どないなるか解るやろっ!?
その為に病院関係者にも通報せん様にて、下げとうも無い頭を下げとるんやっ!!」
「……」
興奮してしまった自分にバツが悪くなったのか先程とはうって変わり、驚くほど静かな口調で親方が言う…
「今の角界には横綱は2人しかおらん…仮にそやつが次に横綱を狙うとしたら、神楽部屋の五車錦か、うち…白波部屋の金色丸って訳や。ええか?もっかい全部屋に通達して徹底させぇっ!間違うても力士に1人で外出させるな…とな。
何があっても横綱だけはこのワシがヤラせん…相撲協会理事長、白波親方の名に賭けて…な」
ー・2日後、銀座・ー
「今夜もごっつぁんでしたっ!!」「ごっつぁんでしたっ!!」
数人の力士が、見るからに金を持ってそうな紳士に頭を下げている。
「おぅおぅ…今夜も皆がぎょうさん食べるの見てたら、オイラァも気持ち良かったわいな♪
ほなコレ…タクシー代やさかい、皆んな気をつけて帰るんやでぇ!ほな又な♪」
タニマチとおぼしき男は力士達にそれぞれ1万円を渡すと、運転手付きの高級車に乗りこみ去って行った。
そして…路地裏の暗闇からその様子を、獣の様な目で見つめる1人の男が居た。
「フィ~呑んだ呑んだ♪食った食った♪おうっ!お前ら先に帰っとれやっ!!」
1番上の立場らしき力士が下の連中に言うが、他の力士達は顔色を変えながらそれを咎める。
「ちょ、ダ、ダメっスよ横綱っ!!協会からくれぐれも横綱だけは1人にするなってお達しがあるんスから…」
「そ、そうっスよっ!じ、自分達が怒られるっスから…それに万一、横綱に怪我でもあったら…」
若い力士はそこまで言うと、しまったとばかりに自らの手で口を塞いだ。
しかし時既に遅く、横綱は鬼の形相へと変貌していた。
「ア~ンッ!?テメェ…今なんつったよ…?」
「い、いや…ま、万一の話…でして…」
慌てて取り繕う若手力士。
しかし横綱はそれに詰め寄りながら…
「二大横綱の1人であるこの五車錦様が、万一にも素人に負けるってかっ!?舐めんなよっ茶坊主がっ!!!」
そう恫喝すると無造作に右手をブンッと振った。
鈍い音と共に、100kgはあろう若手力士が揉んどりうちながらフッ飛び、他の若手力士が心配そうに側へと駆け寄った。
それを見下ろしながら怖い笑顔を浮かべた五車錦…
「他にフッ飛びてぇ奴ぁ居るか?…あぁ?」
若手達が揃って首を横に振る。
「わかりゃあいいんだよ…俺ぁ酔い覚ましに少し歩くからよ、オメエ等ぁタクシーに乗ってとっとと帰んな」
若手達は1度頭を下げると、五車錦に言われるまま逃げる様にタクシー乗り場へと消えて行った。
それを見ていた例の男、路地裏の暗闇で口笛を鳴らす。
「ヒュ~♪流石は横綱…結構やるねぇ♪」
散々呑んだとは思えない程しっかりとした足取りでノシノシ歩く五車錦。
しかし5分程歩いた所で突然身を震わせ…
「おっと…いけねぇ小便小便…」
そう言うと辺りを見回す様に2~3度首を振り、少し先の細い路地へと入って行った。
「おほっ♪しかし出るねぇ~止まんねぇよオイ…」
ドボドボと蛇口を全開した様な音を響かせながら、独り言と共に尿を放つ。
「しかし…アレよなぁ…こんな薄暗い場所でションベンなんざぁしてたら、襲ってくれって言ってる様なもんだよな…なぁ?オメエもそう思うだろ兄ちゃんっ!?」
そう言って路地の入り口の方へ顔を向けた五車錦。
すると…電柱の陰から男がのっそりと姿を見せた。
身長は185cm、体重は100kgを超えているだろう。
力士にも見劣りせぬ体躯である。
「なんだ…気付いてたのかい?」
出て来るなり男はそう問い掛ける。
「応よっ!気付かいでかっ!それに…こうなる事を見越して1人になったんじゃからのぅ♪」
何やらご機嫌な様子で五車錦が答えた。
「へっ!悪いね…お膳立てして貰ってよ」
「まぁ気にすんなぃ」
小便を終えた五車錦が男の方へと身体を向ける。
「用件は…言うまでもねえって事…だよな?」
男の問い掛けを鼻で笑った五車錦が逆に問う。
「とりあえず…兄ちゃんは何者なんだい?心配しねぇでも警察に言ったりしねぇからよ、名前だけでも聞かせてくれや?」
すると男は、待ってましたとばかりの勢いでこう答えた…
「俺の名は…第五十代目 当麻 蹴速っ!
あんたら宿禰相撲の使い手なら知った名だろうよ?」