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あのこと・・・

作者: Nico


わたしは、ある大手の商事会社に勤めている。肩書は中間管理職。しかしいよいよわたしにも重要なポストが巡ってきそうな情勢になってきた。


ある日の退社後、わたしは久しぶりに繁華街のレストランで食事をしようと思い立った。

ここのところ厳しい取引が続き、いささかの気分転換が必要に思えたのだ。

レストランは満員だった。しかしちょうどわたしと入れ違いに一組の夫婦連れが出たところで、すぐに空いた席に案内された。


わたしは魚料理を注文した。

食事をしていると向かいの席の二人組の男性がチラチラとこちらを眺めてなにかひそひそ話を交わしているようだった。あまりいい気分ではないが無視してワインを飲んだ。

しばらくするとそのうちのひとりが「そうだ。あいつだ」と言った。もう一方の男も「確かにそうだ、あいつだ」と応じた。

やがて二人はわたしを指さし、「おまえだ。お前がやったんだ」と声を上げ始めた。

わたしは不愉快になりボーイを呼ぼうとしたがその声は凍り付いた。

みるとあちらのテーブルでも、反対側のテーブルでも、客がみなわたしの方を指さして「おまえがやった」「おまえのせいだ」という言葉を浴びせかけてくる。

わたしは慌てて「お、おい、誰か店の者はいないのか?」と手を上げた。しかしその手はそばに来ていたボーイにつかまれていた。ボーイは冷ややかな目でわたしを見下ろし「あなたがやったんです」


やがて店内の客たちは各々のテーブルを拳で叩きながら、わたしを凝視し「おまえだ」「おまえだ」と連呼し始めた。

わたしの頭の中にいろいろな思いが駆け巡った。わたしのせい。わたしがやった・・・あのことか?それともあれか?いや、あのくらいのことは誰だってやっている。ひょっとして・・・いやそんなまさか・・・さまざまな出来事が、目まぐるしく目の前に映し出された。

わたしは仙人でもなければ聖人君子でもない。第一どこに間違いを犯さない完ぺきな神の如き人間がいるというのだ。

しかしこころの中でそう反駁しながら、わたしはそれがなにかしら自分を欺いた言葉のように聞こえてならなかった。どうしようもなくそうしたのか。それ以外に採るべき方法はなかったのか。そしてそれはどうしても必要なことだったのか・・・何をばかな。わたしは企業の中で責任のある地位にいる。必要最低限のことだけをこなしていればいいというような気楽な立場ではない。確かに地位や金銭に野心を持つことは気高い行為とは言えないかもしれないし、立派とは言えないようなこともやってきた。しかし世の中綺麗ごとだけでは生きていけないのだ。


わたしはいたたまれずに店を飛び出した。ほっとする間もなく、わたしは通りを行き交う人たちが、何故か冷ややかな、軽侮の念を含んだ眼差しでこちらを見ているような気がして、身体じゅうに錐を揉みこまれたようなこころの疼きを感じた。


わたしはよろよろと路地裏に駆け込んだ。薄暗い中でゴミを漁っていた野良猫たちがバッと散っていった。

破れた袋から生ゴミのにおいが滲みだしてくる。

上を見ると、ビルとビルの隙間から三日月が青白く光っているのが見えた。


その月を眺めていると確かにそれはわたしのせいだったかもしれないという思いにとらわれた。




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