可愛いは正義と言うけれど
「……小屋があって助かったな」
「そうですね。裸じゃ寒かったですし」
少し薄暗い小屋の中。
カビ臭い香りが鼻を指すこの草臥れた場所も、右も左も分からない今にとっては聖地。
さらに着る物が何もなかった俺たちには、農作業用と見られる汗臭い上下の古着が救いだった。
男物のせいか、少女には少しサイズが大きくダボダボとした着こなしが妙に色っぽい。
――これからどうしたものか。
何が起こるか分からないこの世界。
速やかに、複数ある選択の中から選ばなければならないのだ。
とりあえず、ムードをさっさと作り上げて少女をいかせ、俺の世界に戻るか……。
しかし、これには絶対に俺の世界へ帰れるという保証がない。
今よりも危険な世界に転移してしまう可能性だってあるのだ。
それが無理ならこの世界にしばらく居座る。
そうとなれば、この小屋を拠点として開拓を進めていかなければならない。
世界的に有名なサンドボックスゲームにおいても、土地の開拓は生死を選ぶ。
後は食料の確保。
腹が減っては戦も何もできない。
「……食料でも探すか」
小屋の中を見渡せば、鉄製の鍬やスコップなど錆びてはいたが存在していた。
今着ている服や道具の造りからして、俺の知っている人間の文化の範囲。
時代や環境は違うかもしれないが、そう遠くない世界と見られた。
案外普通の世界かもしれない――。
そのことに気づいた俺は、肩の荷が急に落ちた気がした。
「……とりあえず、俺は川とかがないか探してくる。お前は――」
何か言いたそうな顔をしている少女。
俺は咄嗟に言葉を切る。
何か言い辛い事なのか、しばらく躊躇っていた。
「……と、トイレなら外で……」
そうは言ったものの、神様はトイレをするのだろうか。
まぁ、入れた時にアレも沢山出たから体の構造は人と大差はないのだと思う。
しかし、少女はその言葉に首を振る。
「……お、お腹が空いてもう、動けないんです……」
そして、ポツリと狭い小屋の中に小さな声が響いた。
「なるほど――」
いや、そればかりはどうしようもない。
この小屋には道具はあっても食べられそうな物はない。
だからと言って、草鞋を食えとか雑草をかじれなんて言えるか普通――。
それに、お腹を空かせた少女に働かせるのも男としてはあれだし、昨日の晩飯は何も食べなかったし……。
――生姜焼き弁当。
鬼の小森さんが折角くれたのに、帰る頃には腐ってるだろう。
もちろん、俺だって腹が空いてはいるが、動けないことはない。
1日や2日抜いても大丈夫なタイプなのだ。
「わかった、俺が食えそうな物を探してくるから此処で待ってろ」
「申し訳ないです……」
この世界に来てから、少女はずっと浮かない顔をしている。
この辺境の異世界に俺を連れてきてしまったこと、自身が役に立たないこと、その色々を責任として感じているのだろうか。
それなら余計――俺が頑張るしかない。
幸い、俺は働き者だ。
二週連続夜勤を交えたシフトを入れられても生きていた男。
それに、サバイバル自体の経験はないが、サバイバルを模したゲームなら腐るほどやった。
食べ物を探しにいく程度の依頼なら朝飯前だ。
――それに、女性には笑顔でいて欲しい……。
二次元の薄い画面にばかり張り付いていた俺だったが、目の前にその存在と等しき美少女がいるだけでテンションも上がる。
守ってあげたい――。
自然とそんな気持ちが湧いてくる状況だった。
「……そんなに思いつめるなよ。今はやることをやるしかないだろ?」
気づけば俺は、震える少女を抱いていた。
最初はとても冷たく――ただ、俺が寄り添ってから徐々に暖かく……。
心臓の音も次第に落ち着きを取り戻し、青くなっていた少女の顔も薄くピンク色に染まっていた。
本当に俺なんかで良いんだな――。
この時、俺の中で1つの確信が生まれていた。
「……ありがとうございます。……す、少し良いですか?」
「……ん――?」
――少女へ向けた俺の唇が素早く塞がれる。
初動なんて必要のない、甘くとろけるディープキスだ。
唾液の滑る音を立てながら、少女は念入りに俺の舌を自分の舌と絡める。
相変わらずテクニックは雑だが、息を荒げながら夢中に啜る少女の姿は俺の意識を無へと変えていく。
「……頼りにしてます。――い、今はこんな事ぐらいしかお礼はできませんが……元気が出たらもっとお礼させてください」
少女は笑顔で、口の裂け目から唾液を垂らしながらそう言うのだった――――。
「――何もない……」
張り切って食材探しに出歩いて、かれこれ一時間が経っただろうか。
草原を越えた先には荒地ばかり。
草木や川は枯れ、土と粘土の臭いだけで生命の香りは少しも漂わない。
これは戻って草原にいる虫でも採って食えということだろうか。
まぁ、案外食べれる虫は多い物。
ただ、それは食用に限り、野生の虫は慣れない人間が食えば腹を下す。
山へ登るか――。
少し遠いが、緑豊かな山には山菜や木の実が沢山あるはずだ。
「……ん?」
そう、俺が引き返そうとした時だ。
荒れた荒野の真ん中辺り。
元々、小さな穴が複数空いていたのだが、その穴から何かが顔を出している。
――ウサギに似た生き物――。
毛並みは真っ黒で、尖った長い耳。
クリリとした丸い目に剥き出しの長い出っ歯。
様子を伺っているのか、此方をずっと見ている。
「……肉だ」
俺の脳内辞書は瞬時に、そのウサギに似た生き物を「肉」と当てはめた。
許せ――。
可愛いは正義。
己もよくその言葉を書き込んでいたが、今は崇め奉る余裕などない。
自然界で重要で貴重なタンパク源を目の前にしているのだ。
しかし、野生の生き物を狩るのは初めてだ。
ただ、俺は勇者――。
握り締めた農作業用の鎌だけで仕留めれる筈だ。
俺はゆっくりとウサギに距離を詰める。
慎重に近づいていけば仕留められる機会を得れる筈。
距離を詰める俺に気づいたのか、ウサギは体を左右に捻りながら穴から全身を露わにした――。
「は――」
鳴り響いた轟音と、立ち込める土埃。
俺は空を見上げた。
別にウサギが空へ逃げたわけじゃない。
見上げた先にウサギの頭があるのだ。
「……なんだよコイツ……」
小さくポツリとあるウサギの頭に対し、八頭身を越えた人間の様な筋肉質の体つき。
ネットとかにある酷いコラ画像を見ている気分だ。
確かに、これだけタンパク源があれば……。
そんな冗談も数秒。
俺には1つの答えが出た。
――逃げるしかない。
この状況下はどう見ても俺がタンパク源になる立場だ。
ワイヤーを発射して空が飛べる機械があれば未だしも、俺は薄手の布切れに錆びた鎌一本。
あのチャーミングな顔が危険度レベルをさらに高くさせる。
俺は正しく、チョウチンアンコウの餌にひかかったのだ。
――俺は決して振り返らずに走る。
「グォオオ!!」
ウサギの鳴き声とは到底思えない咆哮と、一本一本俺に近づいてくる地響きが聞こえる。
「……やっぱり普通の世界じゃね!!」
俺はただ走り続けた。