女神フレイヤ ― 1
「ただいま――」
いつもならその声だけが響く、集合住宅の一室。
地味で暗く、照らす明かりは天井の蛍光灯だけ。
華のはの字すらない「The一人暮らし男の部屋」。
炊事洗濯は程々。
卓上には朝食べたカップ麺の空が無造作に置かれ、洗い損ねた衣類が部屋の隅に固まって――。
布団もベッドに敷いたままで、後はデスクトップPCがファンを回す音だけが鳴る。
採取放置している俺のMMOがひたすら作業を続けているのだ。
それは何も変わらない毎日――。
だが、それも今日で終わるのだ。
あの、孤独で平凡だった日々が――。
「お、お邪魔しまーす……」
恐る恐る、俺の後から少女が入って来る。
何故かは分からないが、とても警戒しているのだ。
別に、俺は何もしていない――。
キスはしたが……。
その少女の挙動に何か問題があるとすれば、アパートという建物に見慣れていないというぐらいだろうか。
――それとも、この狭くて薄暗い俺の部屋に危機感でも感じたのだろうか……。
どちらにしても、これから慣れていくことなので問題はないと感じた。
「――何もなくて狭いけど、適当に寛いでくれ」
まぁ、本当に何もない。
あるとすればキッチン、お風呂、トイレの最低限の物に――ベッド、ゲーム用パソコンとオコタ兼用テーブル。
本当に何もかも初めてなのか、少女はそんな有り触れた部屋を興味深そうに見渡している。
「……まぁ、座れよ」
床に転がっていた雑誌やマンガを退け、埋もれていたクッションを掘り返す。
ほとんど使ってないので、埃を被ってはいたが綺麗と言えば綺麗だ。
「ありがとうございます――」
少女は俺に笑顔でそう言うと、クッションの上に正座した――。
……なんでそこだけオリエンタル文化なんだお前は!
そんな俺の心の叫びは自然消滅。
「楽にして良いんだぞ」と言うと「あ、はい」と言いながら足を崩した。
というか、『正座』という文化は向こうの世界でも復旧しているのか。
それとも、この自称女神の設定の穴なのだろうか。
少女を見つめ、黙々とそんなことを考えていた。
そんな俺に少女はかなり顔を赤くして――。
「――もう、しちゃいますか?」
「いや、何をだよ……!」
事前に何かする予定で話していただろうか。
それとも、少女の身勝手な思い込みだろうか。
どちらにしても、この天然少女の言うことは分かりやすくて――また、理解できない。
「……そ、それを乙女に言わすのは――新しい攻めでしょうか?」
「いや、言わなくて良い。それに攻めでもない」
「――あ、私下手くそですけど――か、感度は良い方なので……」
「いや、だから勝手に話を進めないでくれ」
「あ……もしかして受けの方がお好きでしたか?」
「――さっきの台詞をもう一度言おうか!?」
威勢を放った俺の声に辺りが静まる。
少女はそんな俺に怖気づいたのか、下を向いて何も喋らない。
男としては、してくれるなら今からでもして欲しい。
だが、事はそんなに簡単ではない――。
この場には身元を互いに知らない男女が二人。
この少女が金や体で買った存在であれば別だが、そうでなければ普通は先急いでするべき事ではない。
もっと互いにを知り合ってからやるべきだ。
色んな問題が起こり得るし、それが取り返しの付かない可能性だってある。
それに、もしこの少女が女神であった場合、性行為をしても問題はないのだろうか。
一応神様だ――。
下等生物である人間なんかが交じあったら、バチでも当たる気がしてならない。
「……一応聞くが、お前は神様なんだろ?そんなに淫らに人間に接しても良いのか?」
その俺の質問に、少女は俯いていた顔を上げてキョトンとした目をこちらに向ける。
「――それが、どう悪いのですか?」
「……お前な……」
「それ美味しいんですか?」と言わないばかりの表情に俺はため息しかでない。
「――神ってのは俺たち人間にとって、祭られるべき存在なんだ。そんな奴が毎日、人間相手にイチャラブしてて神の偉い奴から追放とかされたりしないのかってことだよ」
そんな俺の訴えも虚しく。
少女は右に傾けていた首を左に傾けた。
駄目だ――。
こいつには人間としての常識どころか神としての振る舞いもないのか……。
もしかすると、性欲という意識だけでこいつは動いているんじゃないかと思うぐらいだ。
――てか、こいつが女神だった場合、どういう存在に値するのだろうか。
天然の神――。
いや、さすがに個性には直結しないだろうし、天然の神のご利益が意味不明。
もしや貧乏神か――。
こいつと出会ってから、俺の生活資金とレジェンドカードを既に失っているのだ。
ただ、そもそも貧乏なやつに貧乏神が付いてなんの意味があるというのだ。
さらに落とし込もうという性格の悪い神なのだろうか。
直接聞くのはさすがに不味いか――。
こいつにとっては一応、プライベートだ。
神や痴女と言っても女の子には違いない。
踏み入ったことはあまり聞きたくなかった。
そんな神のプライベートが堂々とネット書籍や出版化にされている、人間という文化も厄介な物だろう。
女神フレイヤ――。
今度調べてみる価値はありそうだ……。
「……そんなに、私とするのが嫌なんですか……?」
「――いや、だからなんでするしないの話なんだよ」
「いけませんか?」
「あぁ、いけない。そう言うことはもっと互いを理解してからするものだ」
「……じゃあ、私のことをもっと理解してくれませんか?」
「いいだろう。包み隠さず色々教えてくれ」
「――はい、では失礼します……」
「あ――」
黙々と返答をしていた俺に少女は立ち上がり、無造作に抱きつく。
避けようとしたが、咄嗟の行動で呆気なく捕まってしまった。
「べ、別に……体のことは教えてくれなくても――」
この少女は本当にやることしか考えていないのだろうか。
キツく説教をしてやろうと少女に目を合わした瞬間――。
目を細め――息を荒げて――何処か苦しそうで……。
細く繊細な体に対して、熱く力強い少女の鼓動。
そんな普通じゃない少女の姿を見て、俺の口が自然と蓋をした。
「おい――」
気分でも悪くしたのだろうか。
俺は咄嗟に少女の体を摩る――。
「はぁぅ……!」
その瞬間、大きな脈を打つ様に、少女は全身を震わせ口を大きく開け喘いだ。
「お、おい!大丈夫か!?」
少女に声をかけるが、息が荒くなる一方。
正直、少女の身に何が起こっているかは分からないが、今は触れてはいけない気がした。
「……よく分からないんです……思い出せないんです」
気が動転している少女。
俺は情けなくも、何もしてやれそうにない……。
「……ただ、貴方に触れてもうことを私が望んでいるです……」
とても苦しそうで――とても愛おしそうに――。
その狭間でどういった快感が少女に降り注いでいるかは分からないが、太ももに当てられた少女の股が湿っぽいのを俺は感じていた。
「――きっと、貴方に触れて貰えば……何かを思い出すはずです……」
思い出す――。
明らかに少女はそう言った。
俺に触れられて何を思い出すというのだ。
初めての体験か?
それとも、昔の彼氏に俺が似てるのか?
ただ、少女の様子からしてそんな程度ではないのを俺は既に感じ取り始めていた。
「……思い出すって――記憶が今は正常じゃないってことか?」
「――はい。こっちの世界に来た時の記憶が丁度、どこにもないんです……。どの手段を使って転移したのかすら――」
それが嘘には聞こえない――。
こんなにも状態を激変させた少女が懐にいるのだ。
演技というレベルを超えた生々しさがなによりも証拠。
少女の目が段々正気を無くし、口から涎を零し始め遠くを見つめていた。
――コンビニから帰宅していた時からか――。
あの時から丁度、少女の体に異変を感じていた。
少女の体が暖かくなるにつれ、心臓の鼓動が沸騰しているかのように沸き立っていたのだ。
きっと正座をしていたのも、オリエンタルかぶれなんかではなくて濡れていたからで……。
もしや、ただの緊張――。
そうだとしても異常だ。
童貞の俺でもそれは分かる。
風邪か――?
体は熱いが風邪を引いているのに、こんな発情した表情が出来るわけがない。
――このままでは辛そうだ……。
いや、こんな姿の少女を見ている俺が一番辛いのかもしれない。
結果はどちらとも言えない。
後はやるかやらないかが問題だ。
本当に、俺が手を貸すことで少女の謎が解けるのなら――、これで少女の事が知れるのであれば――、俺は手段を選ばない。
「……その、俺がやれば――お前は本当に何か思い出すのか?」
「せ、正確な保証はないですが……きっと――」
少女に向けられた、どんよりと重く生々しい視線。
既に我慢の限界の淵にいる――。
そう、俺に伝えているかの様だった。
もう、何かを思い出さなくても良い。
少女を救えたら――それで良い。
「……わかった。――初めてだけど、やってみる……」
「お、お願い……しま――」
そう言いながら、女神フレイヤは俺を押し倒す様に吸い尽くした――。