ウレン
雨は止み、虹かかる昼下がり。霧の深い森の奥、滝の裏側にある冷たい洞穴で、大きな蝶の羽が広がる。その羽は赤になったり、青になったり、黄色になったりした。やがて緑で色の変化が止まると、体を起こす者がいた。裾の広がるスカートと一続きになる服を着た、耳こそ尖ってはいるものの、外見はほぼ少女のような形をした、妖精ウレン。赤色だった服の色も、青や黄色、緑と色を変えていき、橙色でその変化が止まる。
「あたしはただうたうだけ」
口を開け、寝起きだというのに軽やかな高い声で歌い出す。最初は赤かった肌の色も、紫になった。そんな色の変化は瞳や髪にも及び、黄色だった瞳は青へ、青だった髪は黄色へと変化する。そこで、ウレンは洞穴を出て、水面を覗き込んだ。
「ララララルルル・ララルルラ」
歌いながら、腰の長さにある髪を両手で梳く。整い終えても、歌うのをやめず、そのまま森を踊り歩く。両手を広げ、森の外へと向かう。
「愚かな愚かな声が聞こえてやまず」
歌い返し、急に男性のような低い声を発する。曲調は軽やかから一転、唸るように激しくなった。踊りをやめ、普通に歩き出す。羽は畳まれ、背中の中に収められて姿を消した。
「多くの声がうるさくて」
そして森の外へ辿り着くと、ぴたりと歌を止めた。すぐ近く、町外れに露店が集まっていて、沢山の人の声で賑わっているのだ。こんな中歌っても、自分の耳に届かない。ウレンは黙って、露店道を歩いた。土の道を裸足で歩く、およそ人間の色をしていない少女の姿はすぐに人の目に留まり、話題の中心となる。
「そういえば虹が出てるわね」
露店でアクセサリーを見ていた細身の女性が、ウレンを見てはっとする。
「そんな虹の日にはこの腕輪がオススメ。ウレンの催眠歌を受け付けないよ」
「あらいいわね。けれど、最近寝不足なの」
ウレンにかこつけ、商魂逞しく腕も逞しい鉢巻の男性が、煙草を噛んで商売する。女性は男性の言葉を跳ね除け、その店から動かずに別のアクセサリーを探し出した。
「ママ!見て見て、妖精さん!」
「妖精?あぁ、うたう虹のことね」
特売で収穫物を売っている露店の前にいた母親と娘が、ウレンを見つける。小さな娘はらんらんと目を輝かせ、母親の服の裾を引っ張ってウレンを指差している。母親は振り返ってウレンの姿を確認すると、すぐに特売品へと視線を戻した。
「トーカちゃん、暫くだな。元気にしてたか」
全く人の近寄らない露店から、声が上がる。ウレンはその露店を横目にちらりと見て、言葉を交わさずに通り過ぎようとした。
「その様子だと、白と黒は見つかってないみたいだな」
しかし、露店から身を乗り出し、ウレンをトーカと呼ぶ浅黒い肌色の男性は、行く先に立ち憚る。ウレンの歩みは止まり、男性を避けてまた歩き出そうとした。すると男性も横に動き、先へ行かせようとしない。
「そう慌てるな。どこへ行くんだ?」
「……あたしは」
ウレンと男性のやりとりを見守っているからか、周囲の声が小さくなった。ウレンはすかさず、我慢していた声をあげて叫び歌う。
「あたしはただうたうだけ」
たった一文。叫ぶように歌われた声は周囲に響き渡り、耳に声が届いたものは次々と倒れた。一番近くにいた浅黒い男性も例外なく、突然ふっと意識を失ったように倒れてしまう。静まり返った露店道で、ウレンは口ずさんだ。
「愚かな愚かな声が聞こえず眠りに眠ってラ・ラ・ラ」
両手を広げ、森でやった時と同じように踊り歩いた。露店道の端まで辿り着くと、ウレンは空を見上げる。虹が消えかかっていたので、帰ろうと思った。
「あたしはただうたうだけ」
背中にしまった羽を広げ、虹と同じ色に変えた。地を蹴って、住処の洞穴へ飛んでいく。
「あたしはただうたうだけ」
滝を突っ切って着地する。虹が消えるのと同時に、ウレンも眠りについた。
「……きろ……おーい、おきろ!」
「んぁ?」
体を揺らされ、起き上がったのは先程の浅黒い男性。起こしたのは、腕の逞しい男性。浅黒い男性が寝起きの体を起こすために背伸びをしたところに、逞しい男性が質問を投げた。
「トーカちゃんって……あのウレンに名前つけたんかい?」
「おうよ!お前だって馬を馬って呼ばないだろ?」
「そりゃあそうだが……」
理解し難いと言う風に逞しい腕で首の後ろを掻く。浅黒い男性は、大らかに笑った。
「はっはっは!それより、頭は大丈夫か?」
「何とか。まあ、このへんの連中は倒れ慣れてるからなぁ」
「次はもうちょっと賑わんないとな!」
「次の虹がいつかっていうのもあるけど」
笑い合い、男性たちは商売へ戻る。森近くの露店道は、また賑わいだした。