二話 お迎えとお別れ
「猫川さん。好きだよ」
そんなのは知っている。だから、そんな寂しそうな目で見るな。
「猫川さん」
ダメだ。そんな何かを求めるような目で見ないでくれ。
「猫川さん」
やめろ。近い。近い。近い。犬川の顔がどんどん近づいてくる。
犬川の唇が私の唇に触れる直前で目が覚めた。
なんだ、夢か……。よかったと思う反面、何とも言えない残念感が胸の中に残っている。
「睦ー、ご飯よー」
お母さんが私の名前を呼んでいる。この名前を呼ぶのは私の家族だけ。他の人はみんな、苗字で呼ぶからだ。
私がご飯を食べ終えた頃、家のインターホンが鳴った。
「誰かしら……」
母が家のドアを開けたとたん、笑顔で手を振る男がいた。
「猫川さん、おはよー」
犬川だ。私は昨日のことを思い出し、顔が赤くなった。
どうしよう。そういや、私、パジャマのままだった。
「睦のお友達?」
「そ…ー」
「違いますよ、お義母さん。彼氏です」
私の声を遮って犬川が言った。私はため息をつくと、自分の部屋へと向かった。玄関ではお母さんが騒いでいるが、私は完全にシカトした。
全く犬川はどうやって私の家を知ったのだろうか。
私は一応、犬川を待たせるのも悪いと思い、急いで支度をした。
「ごめん。待たせて」
私が玄関に行くと、犬川とお母さんは既に仲良くなっていた。
私はため息をつくと、行ってきますも言わずに、外に出た。後ろから犬川が追いかけてくる。
「ねー猫山さん。歩くのなんか早いよー」
うるさい。うるさい。犬川はきっとストーカーだ。私が付き合うって言わなくても、付き合うって言うまでストーカーになりそうだ。いや、絶対になる。
「何でわざわざ家に来たの?」
「何でって会いたかったからに決まってんじゃん」
そんな屈託のない純粋な笑顔で笑うな。余計に顔を見れなくなる。私はいいのだろうか。きっと私と犬川は世間で言う『お似合いカップル』ではない。私は犬川みたいに明るくないし、犬川みたいに誰とでも仲良くできないし、これは絶対に本人に言いたくないが、犬川みたいに容姿がよくない。まあ、つまり、正直な話、犬川はカッコイイのだ……。世間で言うイケメンだ。
「ねえ、犬川ってどうして私のこと好きになったの?」
「……ねえ、猫川さんの一番、好きな食べ物って何?」
「蜜柑……かな?」
「どうして?」
「いや、なんとなく……。美味しいから?」
「それと一緒だよ。なんか遠くから見てて可愛いと思ったから。理屈なんてないよ」
「……別に私は蜜柑のこと可愛いとか思ってないし」
なんか真っ直ぐに理屈無しに人を好きになれる犬川がものすごく羨ましく思えた。私は人に心を開くのでさえ結構時間がかかる。友達だって多くない。というより、ものすごく少ない。だから、その友達が彼氏のところに行ったり、他の友達のところに行ったりすると、すぐに一人になる。
それが実は寂しいんだけど、それは自分の我侭かもしれないから、言わないで、教室の隅で静かにしている。
「ねえ、犬川?」
「ん?」
「やっぱり私、犬川とは付き合えないよ」
付き合って一週間しか経ってないが、これが私の結論。私と犬川じゃ釣り合わない。きっと犬川は私よりいい人が見つかる。だから、今別れるんだ。私が犬川を好きになる前に。
「なんで?」
「なんでも」
「別れないよ」
「さよなら……」
私は逃げるように学校まで走った。犬川は追いかけてこなかった。少し寂しかったが、ほっとしてもいた。きっと止められたら、別れられなかったから。でも、なんでだろう。すっきりしたはずなのに、自分で決めたはずなのに、私の目からは涙が流れていた。