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無職の悪魔  作者: 陽無陰
第三章 踏み出す一歩
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3-1 アカシックレコード

 折角の休日ではあるものの、透達は研究所の方へと出掛けた。

 赴く理由は、ラグナ達が今後の学園生活でのことで話をしたいとの事だった。

 あまり通わない研究所の硬質な床が六人分の足音を刻む。

 研究所は画一的ではあるものの、観賞植物を置いたり、専門の違うエリアを違う色で床を染め上げたりして、無機質にならないようにして、研究員達にストレスを与えないようにしている。

 呼び出された部屋にはラグナ、スルド、プリティ、ジークリンド、風音がいた。

 四人は透達が部屋に来た事に気付くと、談話を中断し、透達を歓迎した。


「休日に呼び出してしまってすまないね」


「いえ、用件はなんですか?」


「今後の学園生活に関係することだよ。風音、説明を願えるかな?」


 スルドは風音に説明するように促す。

 二人は研究の事以外でも、子供達の件もあり、度々会っている。以前より親密な関係になっていた。


「ええ。鈴音ちゃんの『転生』で大分データがとれてね。動作にも支障がないことから量産に踏み切る事にしたの」


「ママ、量産してどうするの?」


「アースフィアの生徒には配布、四界の生徒には機能をダウンロードして貰って、さらなるデータを集めようと思うの」


 透達は安全が確認されたので、さらなる技術の向上のために、学園の生徒達にサンプリングを取ってもらい、大量のデータを検証するのだと理解した。


「しかし、四界はともかく、アースフィアに配布するのは不味いのではないか?」


 フィンが指摘したのは、学園の生徒を被験体にする事ではなく、その点。

 学園の生徒は五界の交流のために、ここで学んでいる。その中には魔法技術も当然含まれる。被験体になる事を承知の上で、この学園の生徒は入学させている。

 故に、生徒を被験体にすることは、安全が確認されているのであれば、咎める理由などない。

 フィンが問題にしているのは、外交上の事だった。

 他の四界ならば問題はない。ここで、研究されているのは四界に等しく配布されても問題ない範囲で技術が提供されている。

 だから、四界の生徒に技術が流れるのは問題ない。

 しかし、アースフィアの生徒は問題だ。

 アースフィアは、未だ魔法技術及び通常人と超越者の関係が未発達な世界。

 そんなところに無闇に技術が提供される事を、フィン達は軍事的にも、外交的にも、文化的にも望んではいない。

 だからこそ、問題に挙げたのだ。


「大丈夫よ。アースフィアの生徒には、貸与という形で配布されるから。アカディア内で使用するのは了承するけど、アースフィアには持ち込ませないから」


 プリティ達もその点は考慮していたのだろう。対策は取っていた。

 各世界の出入りはラグナ達四界が目を見張らせているので、アースフィアの者が許可なくアースフィアに持ち帰ることはできない。

 また、各世界を出入りする技術が、アースフィアにないことが主導権を奪える理由になる。


「ならば、よいのだ」


 フィンとしても、それが考慮されているのであれば問題ないと判断した。


「それで、君達にもダウンロードしたいのだが、かまわないかね?」


 透達には否定の言葉は上がらず、各自話もしたいからと離れることとなった。




 ノルンは調整用の指輪を渡し、後は技術者に任せた。

 機能をダウンロードする事について彼女ができることはない。彼女が関われるのは、使用に関する事だけなのだ。


「ノルン、彼らとの生活はどうだい?」


 スルドは婚約者となってからの娘の生活を気にしていた。

 関係が確定してから態度が豹変するというのはよくあることだ。特に、恋人、夫婦関係においては特にそうだ。

 とはいえ、あまり心配もしていない。

 娘の生活についてはメリルに定期的に報告して貰っているし、何より今の娘の表情が何よりも雄弁に物語っている。


「はい。良くして貰っていますよ。先日とうとう可愛がってもらいましたし」


 ノルンは仮面を付ける必要はなくなっているが、ノルンの笑顔を見た者の多くは動転するか気を失ったりするので、外出する時はいつも通り仮面を付けるようにしている。ノルンも先程まで着けていたのだが、今は取り外し、ある意味顔面凶器なその美貌を露わにしている。その表情は、華やかな笑顔である。

 やむを得ぬ事情から無表情がデフォルトだった娘の表情が、幸せそうに笑みを浮かべている。

 それだけで、娘が今の生活に満足しているのだと分かる。


「それはよかった。接続はしたのかい?」


 今回気になっていたのが、それだ。

 カノンフィールでもイデアの共有は技術として確立されているが、透ほどの莫大な量のイデアを持っている者は存在しない。

 故に、何か悪影響が無いか心配しているのだ。


「はい。今もあの人のイデアとヒュレーが流れてきていて、互いにやり取りしています」


 まだ日は浅いので、流れる量はさほどではないが、それはこれから増やしていけばいいだけだ。

 それに何より、そんなことはノルンにとってどうでもよかった。

 透のイデアがこの身に流れてきており、血液の様に全身を駆け巡る。

 透に包まれているみたいで、ノルンは多幸感に酔いしれていた。

 フィンがこれを失くしてしまえば、発狂するといっていたが、理解できた。

 ノルンも同じ気持ちだった。これほどの幸福を手放せるものかと思った。


「違和感はないかい?」


「ありません。寧ろ、かつてないほど力に充ち溢れていますね」


 それは事実だった。

 元々のイデアに加え、透からのヒュレーも加わったのだ。今まで以上の力を行使できるのは当然の事だった。


「ノルンもフィン君と同じように莫大なヒュレーを扱えるようになれるのかい?」


 それはスルドだけではなく、誰もが気にしている事。

 もしも、無限のヒュレーに加え、それを扱える兵士を量産できるのであれば、これ以上の悪夢はない。


「今はわからないそうです。ストックで個人の器を常に満たせる事はできるみたいですが、フィン様の様に多量のヒュレーを扱う事ができるかわからないそうです。何でも、フィン様が扱えるのは、フィン様のエンテレケイアに依るものであると同時に、フィン様が透様のアゾートであるからだそうです。他の人間が同じ事ができるか、またはアゾートにする必要があるかは不明だそうです」


 今の話からすると、幻実師であることが条件なのか、それとも彼のアゾートになる事が条件なのか、はたまた両方を満たす事が必要なのか、いずれにせよ検証する必要性があると、スルドは考察した。


「とすると、検証例が必要だな……」


 ノルンは、言葉足らずのスルドが何を言おうとしているが理解できた。


「では、試してみましょうか?」


「ああ、頼む。ただ、無理はする必要はないよ。人間を直接変えようとするのは、色々弊害があるみたいだからね」


「わかりました」




「ルーナ、あれからどう?」


 プリティは真実を話したものの、あれから二人がどのような決断を下したかまでは読めないし、知らない。

 自分達にできることはしたのだ。後は任せてみようと思っているのだ。


「母様……あれから少しだけ前向きになったと思います」


「そう」


 ルーナはあれから少しずつ獣化の制御に前向きになった。

 少しずつ、少しずつ制御できるように力を解放している。

 その時には、常に透達を傍に侍らしている。

 もし、なにかあればすぐにあの選択肢を選べるように。


「母様、本当に、ボクはあの選択肢を選んでいいのですか?」


「……そう、決めたの?」


「いいえ、でも今では、それもいいかなって思っています。そう思ってからは楽に思えるようになって、少しずつ制御ができるようになってきているんです」


「……あれを選ぶとなると、ガイアノーグとは決別することになるわね」


 少しだけ、寂寥を瞳に宿らせて、プリティは呟く。


「……はい。でも不思議と後悔はないんです。そのことを思っても、心は凪の様に落ち着いています」


「あなたは、ガイアノーグの獣の因子を強く受け継いでいるのかもしれませんね」


 強きゆえに、ガイアノーグの呪縛が縛りつける。なんたる皮肉かと、プリティは自分達に潜む因子に自嘲する。


「獣の因子ですか?」


「……いずれ、真実を話す時が来るかもしれませんね」

 


 ルーナが知る獣の因子とは獣化の事であろうが、プリティは自身が知る獣の因子はそれとは若干異なる事を理解している。

 このことを知るのは、各族長と長寿の老人だけなのだ。

 誰もがこのことを話す気はない。伝えはするものの、白日の元に晒す気はないのだ。

 晒したところで自らに繋がる鎖を増やすだけなのだ。

 ならば、若者達には老人達の様に鎖に繋がれず、自由に動き回ってほしいとソルガもプリティも望んでいる。

 それが明日へと繋がるのだと信じている。

 ルーナが訳のわからない顔をしている。

 この子は昔に戻ってきていると、プリティは今のルーナを見てそう思う。

 獣化の儀式の前は今の様に明るかったのだが、儀式の後は自らの力に怯え、周囲から離れていくようになった。この都市に来た当初の様に――。

 なまじ力が大きかったからだろう。周囲の者の誰もが、ルーナの獣化の制御に期待をかけていった。

 制御に成功すれば、自分達はこの上ない力を手にすることはできるだろう。

 だから、誰もがルーナに目を向けていった。

 それに傷つく一人の女の子を無視して――。

 ステラはルーナに全ての力を吸い取られたのではないかというほど、力がない。

 否、龍皇族の枠内で考えれば、素質と才能は申し分ないほどである。

 しかし、銀龍という枠組みと、比較対象として挙げられる姉の存在が彼女を苦しめていた。

 双子の姉が優秀な素質と力を持っているだけに、蔭では欠陥品や劣等種と揶揄する言葉はついてまわった。表立っては批難される事はなかったが、周囲の目はステラには厳しかった。

 それを撤回させようといくら努力した所で、ルーナはそれを容易く上回る事がそれに拍車をかけた。当時の状況がそれを許さなかった事もあるだろう。然程眩しくない光は、目も向かれる事もなかった。

 その頃から、ステラとルーナは今まで仲が良かったにもかかわらず、険悪になっていった。

 ソルガもプリティも差別することはなかったが、やさぐれ始めたステラは周囲の視線に敏感で、ステラ自身もそちらにばかり価値を置くようになった。

 それからは、悪循環の一言だった。

 どんな慰めの言葉や励ましも、ステラには嘲笑と憐憫の声にしか聞こえず、彼女の精神は荒れていった。

 ルーナは透達との出会いによって変わっていった。昔の自分に戻ってきていると言ってもいい。

 ステラはどういった心境の変化か、ルーナの婚約の後は、少しだけルーナに対する態度が変わってきている。

 だから、プリティはステラにもルーナの時と同じようにこの学園で良い方向に変わっていってほしいと思う。

 ここならば、ガイアノーグにいるよりも精神の安定は望めるだろうと思っている。

 そして、そのためならばどのような選択でもかまわないとも思っている。



 プリティは娘を抱きしめ、我が子達の幸福を祈った。




「婚約者は増えているけど、上手くやっているかい?」


 定期的な報告で詳細を受けているにもかかわらず、ラグナは素知らぬ顔でフィンに話しかける。彼としても、これはただの会話のきっかけだった。


「ええ、仲良く夫を共有しています」


 フィンもそれがわかっており、彼の望む答えを発した。


「それはよかった。寵愛を受けようと、女同士で争いを広げるのは枚挙に遑がないからね」


「それを思うと、われらは不思議なほど上手くいっておりますな」


 フィンもその事は知っている。各世界問わず、このことは過去にも現在にも題材として取り扱われている。


「私達としては嬉しい限りだけど、君はどうして上手くいっていると思うんだい? 本来ならば君達は相容れない筈であり、不倶戴天の敵となってもおかしくない力と立場だからね」


 フィンは少しばかり、ラグナの問いに思考を巡らせた。

 確かに、彼女としても客観的に見るならば不思議だった。

 夫と妻の一人は、下等なアースフィアの住民。妻は各世界の最高権力者の娘達。軋轢が生じるのは当然であり、これまで起こっていたとしてもおかしくはない。寧ろ当然なのだ。――現状こそがありえないのだ。

 フィンはこの事を一度、彼女達と話した事はある。

 そこから得た答えは――


「われらは合う(・・)のだと思います」


「合う?」


「はい。元々一つだったのが、とある事情で別れてしまい、ようやくまた一つになれたようにぴったりと重なるのです。割れ鍋に綴じ蓋という言葉があるように、われらはそれなのです」


 以前話し合った時、透を好きになった時の事をお互いに問い合ったのだが、誰も明確なそれは返ってこなかった。

 ノルンは演習で敗北し、正式な婚約者となったのがきっかけとなり、元からあった種が芽吹いたといったが、透の何処が好きかは答えられなかった。

 ルーナもノルンと同じように婚約者となって、自分の思いを見詰めなおした時、嫌悪感は一切なく、ただ受け入れる事だけを考えていた。

 ティナは憧れや擦り込みといった部分は否定はしなかったが、それでもこのままでいたいと思えるほどにこの環境を気に入っていた。

 鈴音はいつの間にかとの答えが返っており、フィンはいわずもがな。

 誰もが、それを当然の事だと思い、受け入れていたのが共通していた事だった。

 透にその事を話したらこう返ってきた。


「夫はこう言いました。『人を好きになる際、例えば、性格とか、能力が凄いとか、いろんな理由があるけど、あれは少しおかしい。性格がその人の思った通りでなくては好きではないのか、能力がたいしたことがなければ好きじゃないのか。ああいった言葉は結局、ステータスと自分の都合に合わせた人物を見ている事に違いないからね。きっかけ程度であればおかしくはないけど、結局最終的な理由は合うか合わないかの問題でしかないんだ。理由というのは自分の感情に気付くきっかけになったり、感情の行く先を決めたりするけど絶対じゃない。何でもかんでも理由を求めるのは人の悪い癖だよ。特に、人間の感情についてはね』と」


 フィン達は、その言葉に道が開けたような気がしたのだ。



 転生体である事は、少しは影響しているだろうが、多大な影響は及ぼしてはいない。

 フィン達は元となった能力を受け継いでおり、当時のそれよりも格段に能力は向上している。

 その特異な能力は、転生前の彼女達を使役していた者達に多大な利益を齎し、同時に手に負えぬ災厄を齎した。

 使役者に弊害が出るまで使い潰された者。莫大な利益を齎し有益性を主張したが、能力の不明な部分により損失が発生し始め、庇いきれなくなって捨てられた者。強大すぎる力のおかげで処分を免れていたが、害を齎すことしかできぬ者。理解できぬ能力に自分も他者も翻弄された者。一人の人間を守り、尽くす為だけに生きる事を義務付けられた者。

 いずれも人間の手に負えぬ者達ばかりで、彼女達は居場所を求め一人の人間の元へと集っていったのだ。

 彼女達は、誰もが誰かの庇護を必要としていた。

 失われてしまった感覚を補うかのように、誰かの感覚を求めていた。

 彼女達は、自分達の精神を安定させるために彼女達を包み込んでくれる誰かを必要としていたのだ。

 それは、転生後でも変わらなかった。

 否、彼女達は自分達と同じ悩みを抱える事になる者へと転生したのだ。

 一人一人の能力は特異ではあるが、いずれの能力も一人の人間の為に使えば相性は良く、また性格的にも反発する事もなかった。

 運命ではないかと確信できる関係に、フィンは感慨深い思いを抱いたのだ。



「なるほど……それもありかもしれないね」


 ラグナもかつて、そして今も抱いている気持ちを思い出す。

 今の彼を築き上げるきっかけは、彼の妻だった。


「学園生活はどうだい? 特に、彼に周りの者が抱いている感情とか」


「そうですな……四界の寮長達は、特に夫に嫌悪を抱いている者はいないようです。度々、彼らだけでお茶会を開くなど交流を行っていましたし」


「アースフィアは?」


 フィンはそれを思い出し、少々不機嫌になった。


「あまり、良い感情を抱いてはいないようです。彼らにしてみれば、単なるアースフィアの一国の平民で、しかも道具である筈の超越者が自分達の上に立つのが気に入らないようです」


「透君はそのことに何と?」


「夫はそのことを気にしている様子はありませんでした。彼らが抱く感情も当然であると平然と受け入れておりました」


 ラグナはそれを聞いて肩を竦めた。

 彼としては、アースフィアの寮長がどのような立場のものであろうと大差ないのだ。

 彼らにしてみれば、アースフィアの住民は未開の地の住人となんら変わりはしない。ある程度の配慮はするが、彼らの都合に合わせる気などないのだ。

 だが、彼らとて見下すばかりではない。

 技術・文化的には格下であろうとも、交渉する余地があれば、対等には扱う。

 それでも現在、彼に関わる範囲で成功しているのは透達三人だけ。

 アースフィアに派遣している外交官を通じて、彼らを推し量ってはいるが、対等に交渉する気は起きなかった。


選別(・・)はしたけれども、やはりそのあたりは防げなかったか」


 学園都市に入学する者大半を選別したのは、ラグナ達だ。

 五界の交流する場として、不和を齎すであろう人物はできるだけ除外している。

 特に、数年が山場なのだ。慎重になりすぎるに越したことはない。

 四界から選んだ際、四界の中では馴染めなかった者などを考慮している。

 居場所がない者であれば、新しい居場所を受け入れやすいからだ。ようやく手に入れることができた居場所を手放そうとは思うまい。

 それでも、何人かは数合わせの為に無理やり入れてはいるのであるが、報告によると、彼らとて今はファンクラブなどを通じて馴染んできてはいるらしい。わざわざ仕込んだ甲斐があったというものだ。


「他の者からも多少は苦情が出ております。これはアースフィアの上層部の者ですが、各々の国を自慢しており、自分達の国だけと取引してくれないかと誘ってきて煩いと」


「逞しいと言えば、逞しいけど」


 ラグナ達は今現在、個別に対応する気など毛頭ない。

 まずは、あちらがアースフィア全体で纏まってから交渉を、と考えている。

 今のままでは多くの国が邪魔な工作をして、取引が上手く進みそうにもないからだ。


「われらとしても、相手の見極めにちょうどいいので、放置しております」


「そうしてくれ。ところで……」


「何ですか?」


「念のために、彼には護衛用として力を与えるつもりだけど、何か不具合があれば言ってくれ」


「どのような力ですか?」


「ああ、それは……」




「一部の魔法だけ使えるんですか?」


 透は風音から新たに機能をインストールする事を聞き、それが何か問いたら、返ってきた答えがこれだったのだ。


「ええ。限定的だけど」


「でも、レコードを起動中は、他のデュナミスが使えないんじゃ……」


 そう、レコードを使えばそのレコードを通じてしかデュナミスは使えない。

 だから、透はデュナミスがろくに使えないという設定になっているのだ。


「レコードを通じてしかデュナミスを使えないのは、レコードが混線しないようにするためとレコード自体が完成されすぎているために、他のを使う必要がなかったためよ」


「完成されすぎた?」


「レコード自体は、初めから何でもインストールできたわけじゃないわ。初めは一つの機能に特化されていて、その不便さを解消するために今のような形に発展していったらしいわ。私達と同じようにね。それまでは、複数のレコードを所持するなどして対処していたらしいわね」


「つまり、俺も複数所持すると」


「そうとも言えるけど、少し違うわね。今のレコードは身体に密接して関わりすぎているため、ほとんどのイデアを吸ってしまうわ。これが、レコードを通してしかデュナミスが使えない最大の理由」


 透としては、それって結局は使えないんじゃとは思ったが、機能を追加すると言ったことと、今の言葉尻を捉えるならば、その僅か少数のイデアを利用するのではないかと当たりをつけた。


「ここからが追加機能の説明に入るんだけど、透君が使えるのはヴィレス――身体能力強化ね。こちらはほとんどおまけなんだけど、いくつかのエイドスを使えます。原理を説明すると、複数の所持に繋がるのだけど、今のレコードとは別に他のレコードを認識させることで、フィン王女に向かう一部をそのレコードに向かわせるの。とはいっても、これで何とかできるのは、ヴィレスぐらいしかなかったのが事実ね。ヴィレスは体内というか、肉体的接触を必要とするから、混線がしにくいって言った方がいいかしら」


 風音は一息つくと、喉を潤すために、用意してあったお茶を飲む。


「エイドスの方は、今回研究対象となったヒュレー・イデア互換システム《アカシック・レコード》の応用だけど、透君に注がれるヒュレーを利用して、透君にもエイドスを使えるようにしたの。でも、《アカシック・レコード》の器の問題で、威力や回数に制限が出来てしまうわ。ヴィレスの方は問題ないのだけど……。これも普通の人には使えない裏技みたいなものね。本来なら、使用可能になる程のヒュレーを集めることは不可能だから」


「少なくともヴィレスだけでも使えるのはありがたいですよ。使う事態にならない方がいいですけど、それでも対処方法はあった方がいいですから」


 透としても実際ありがたかったのだ。透の力を誤魔化すための言い訳は多いに越した事はない。その気になればどうにでもなるのだが、できることなら働きたくないのである。

 今はまだ、防御力だけが並外れて高い超越者という噂を崩したくないのだ。


「私達としても今回は初の試みだから、何か不具合が出るかもしれないわ。何かあったら言って頂戴ね」


「はい、ありがとうございます」 


 


 ティナは今回実装される事になった《アカシック・レコード》の機能を、既存のレコードに追加できないか検討するようにと、傍に控えていたジークリンドに命を下す。

 アヴェルタで備蓄してある戦闘用レコードは、今回のシステムとは違うシステムを搭載してある。基本的に、アヴェルタの戦闘用レコードは個人用に調整してあり、本人以外には使用できない仕様にしてある。アースフィアのレコードがヒュレーを蓄積しているのであれば、アヴェルタのそれは個人のイデアを蓄積する仕様となっているのだ。

 アヴェルタには軍隊らしい軍隊はない。兵器はあるものの、それを使用する兵士はほとんどおらず、大半を戦闘用アンドロイドに任せる事になっている。

 元々、アヴェルタは争いを好まない者達が移住した世界であった。そんな住人達が集った世界ではあったが、移住した当初は僅かながらも軍隊は存在していたし、兵器の開発も消極的ながらも進められていた。

 アヴェルタが軍隊を持たず、兵器の開発もしなくなったのは、ある二つの出来事がその転機を促したのだ。

 感情を抑制するようになったのは、その二つの変事がアヴェルタの住民達の精神に異常を齎したからであり、精神の崩壊を防ぐために感情を抑制したのだ。

 抑制してからというものの、住民の大半は覇気を失い、夢の中で生を全うしようとする者ばかり。僅かながら残った気力のある者達が、夢の中に生きる者達の為に魂をデータ化し、身体を機械に変えてまで尽くす社会となっている。

 その者達は、一個人の意志よりも社会全体の利益の為に奉仕する。

 アヴェルタが効率主義であることや、全体主義であることはそこに一因している。

 アヴェルタが感情を抑制するどころか増幅させた唯一の感情は、隷属願望。

 アヴェルタの住民は、社会という集団を存続させるために動く。

 ティナがアヴェルタの最高司令官となっているのは、その予知能力で危険を回避し、アヴェルタの利益に齎す動きが可能であるからだ。

 足をぶらぶらと揺らしている幼子の姿の彼女ではあるが、実際は齢一万年以上生きている女性。アヴェルタがこれまで滅亡の危機に晒されながらも存続していたのは、単に彼女がアヴェルタを導いてきたからである。

 アヴェルタ最高司令官である彼女は、他の住民と同じように感情を抑制しており、アヴェルタの為に動くよう隷属願望を増幅されているのだが、一つだけ異なるのは、アヴェルタ以外にも隷属願望を抱けるようにシステムを書き換えたのだ。

 彼女が隷属願望を抱いているのは、無論のこと透。

 彼女はジークリンドに命令した後は、先日の伽の事を思い出していた。



「旦那様、わらわはこの時を待ち焦がれておったのじゃ。どうか、存分にわらわを可愛がってたもれ」


 透の耳に息を吹きかけ、妖艶に男を誘惑する様は実に蠱惑的で、その幼げな外見とは裏腹である。


「旦那様はどちらが好みなのじゃ? 幼い容姿の方を手篭めにするのが好みかの? それとも……」


 透の懐にすっぽりと入っていた体躯は、向かい合っている透の体躯を一回り小さくした程度まで大きくなり、腕を精一杯伸ばさねば透の首回りを抱き込む事ができなかった細く小さな手は、肉付きが良くなり透の背中まで容易く抱きすくめることが可能である。幼かった面貌も大人のそれへと変貌し、淫靡な雰囲気を醸し出すに相応しい容姿へと変化していた。

 アヴェルタの住民であるティナは、他の住民達よりも高性能なナノマシンが搭載されており、さらに住民達が生身の肉体を割合は少ないとはいえいくらか残しているのに対し、彼女の全身は全てナノマシンで構成されている。

 なので、容姿を今のように幼子から大人へと変貌させることも、身体の一部を自分の好きなように形成する事も、別の人間や動物に変身することも思いのままである。


「やはり、こちらの方が魅惑的かの?」


 彼女の全身をピッチリと隙間なく覆っていた全身タイツは、今やところどころ引き裂かれ彼女の柔肌を露出させている。

 アヴェルタの住民が好んで着用している全身タイツは、伸縮自在な上に服の形状や装飾を自在に変更でき、さらには筋力アシスト、汗などの老廃物の排出や身体の最適な衛生状態の維持など、着替えいらずの優れ物なのである。

 しかし、アヴェルタの住民は感情を抑制していることから羞恥心に乏しく、また着飾るという意識がなかったことからデフォルト状態のまま生活を送っていたのである。

 無論のこと、アカディアでもそのような姿で生活を送る事に抵抗はない彼らではあるが、さすがに他の住民達には刺激的すぎるので、外出時にその状態でいることは禁則事項となったのだ。

 とはいえ、彼らがそれを脱ぐという選択肢はなく、その全身タイツの上に制服を着用しているのが彼らの装いなのであった。

 話を戻すが、ティナの全身タイツがところどころ引き裂かれているのは、タイツの不備というわけではなく、ティナが透を誘惑するためにわざとそのような装いをしているのである。


「別に俺はロリコンとじゃないからね。こういったことをするなら、こっちの身体の方がいいに決まっている。ところで……」


 透はタイツから覗いているティナの柔肌を優しく撫でる。

 透の優しげな手の感触は、これからの甘美な時を予感させ、ティナの成熟した身体を熱くさせる。


「眺める分には申し分ないけど、脱がせにくそうだし、ティナを愛撫するのに些か邪魔かな」


「それなら、これはどうかのう?」


 ティナの服の形状は、全身タイツから局部をかろうじて隠すだけの長いリボンへと変化する。

 余談ではあるが、アヴェルタの服装――『ドレスコード』は、脱ぎ着の際には自分で着脱するのではなく、掌サイズに収まる球状のそれを自動で着脱する。

 透はティナを可愛がる最中、服を脱がした事で自動的に丸くなったそれをベットの上から放り出し、ティナを可愛がる事に専念したのであった。



 透との甘く情熱的な一時は、彼女の魂に至るまで蕩けさせた。今もその事を思い出すと、顔の表情筋が弛んでしまい、だらしない顔を披露してしまいそうになる。

 彼女が透との熱い夜を過ごして起こった変化は、彼女を一人の女にしただけではない。

 転生する前の記憶を取り戻し、彼女と再び出会うまでの透の身に起こった事の一部や、非常識の展覧会となった透の現状を把握することとなったのだ。

 別段、記憶を取り戻したからといって彼女自身の在り方に変化はない。

 自分を利用するだけ利用しておきながら、不都合になった途端に捨てたアースフィアに復讐する気など毛頭なく、彼女が決めた在り方――透の傍にいて、彼の役に立つように尽くす在り方を貫き通すまでである。

 ただ、一つだけ気にする点があるならば、アヴェルタをどうするかが彼女の悩みの種であった。


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