2-2 力への恐怖
「ステラちゃん、母様の話が何だか知ってる?」
「いいや、僕は連れてきてほしいと頼まれただけだから、知らないよ」
「そっか」
透とルーナはステラの案内の元、ガイアノーグの領事館――つまりソルガ達の家へと向かっている。
放課後、ステラはプリティがルーナを呼んでいると頼み事を頼まれたのだ。その際に、透を連れてきてほしいという伝言も。
ルーナと透は二人で歩くときは腕を組むよりも、手を繋いだ方が歩きやすいのでこうして手を繋いで歩いている。
顔を少し赤くしているが、これもいつものことであり、次第に慣れていくことでもあるだろう。
「じゃあ、僕はこれで」
そういって、ステラはそそくさと去っていった。
ルーナを呼ぶには、ステラを介する必要はどこにもない。
なのに、プリティがルーナをステラを介して呼び出したのは接点を作るためだろう。
二人は喧嘩中ではあったのだが、この前の婚約発表の時に、少しわだかまりが溶けたのかぎこちないながらも交流をしている。
元々、二人は仲が良く、喧嘩の原因もステラの劣等感が原因となっており、ルーナにとってはステラに対して含むものはないので、ステラがわだかまりを溶いてしまえば、仲良くなるのは時間の問題でもあった。
しかしながら、二人の間にはまだまだわだかまりがあるので、それを解消するためにプリティはわざわざ接点を作ったのだろう。
「あら、いらっしゃい。少し待って貰えるかしら。今、お茶を用意するから」
使用人の案内の元、透達はプリティの自室へと足を運んだ。
「母様、話って何ですか?」
「ルーナ、慌てない。少しばかり長くなるからお茶を用意しているのよ」
その幼い体躯とは裏腹に、プリティは落ち着きを払っており、彼女の夫とはまるで逆だった。
館に控えている使用人がすぐさまお茶を運びこむ。
プリティはそれを優雅に飲んだ後、話を切り出した。
「話というのは、他でもないわ。ルーナの事よ」
「ルーナの事ですか?」
「ええ。ルーナにとっても話しにくい事だから私が話すわね」
透が横を見ると、ルーナは身体を硬直させており、息もしているか怪しい程緊張していた。
「婚約者であるあなたにとっても、無関係とはいえないから話すのだけど、ルーナはまだ獣化を制御できないために、辿るべき成長が止まっているのです」
確かにルーナの身体はステラに比べて大分幼い。これは個人差ではなく、獣化が問題なのだろう。
「獣化が制御できないことで他に不都合な事はあるんですか?」
「ええ。これは獣化が制限時間があることと関係があるのだけど、一般的にイデアが多い方が制限時間は長いの。だけど、獣化はある危険性を孕んでいるの」
「ある危険性ですか?」
「これも私達が獣化できることと関係があるのだけど、私達にはガイアノーグにいる生物達――現獣の因子が含まれているの」
「龍だったり、狼だったりですか?」
「ええ。その因子が制限時間を超えてしまうと、私達の理性を呑み込んでしまい、その生物そのものになってしまうの」
つまり、人としての理性を失くした存在になるということである。
「特に、それは成長しやすい時期に起こってしまってね。だから、その獣化を制御できる事が成人の証という事になるの」
「じゃあ、ルーナの様に制御できなければ?」
透がそう質問すると、ルーナはびくりと震えた。
手に持っているカップもカタカタとわずかに震えている。
「……残念だけど、殺さざるをえなくなるわ」
(放っておけば被害が出てしまう可能性があるということか……。ガイアノーグの生物の因子ということは、その生物はいるということだ。ならば、そこに置くという選択肢もあるのだが、殺すということはせめて人として死なせるという選択をとるということか……)
透は生じた疑問を解消すべく思考を巡らせ、ガイアノーグの習慣に一先ずの決着をつける。
「ルーナが制御できない理由は?」
「精神的なものよ。ルーナの力は並外れているから、この子は怯えているの」
「そうなの?」
ルーナはこくりと頷いた。
「時間はどれくらい残っていますか?」
「……こればかりは私達も分からないわ。ただ、この子が獣化を制御できず、暴走してしまうと周囲に被害が出すぎてしまうし、私達では対処できないからその前に――」
プリティからは続く言葉は出てこなかったが、透の方をじっと見ている。
「暴走した場合は、俺達でルーナを殺せと」
「……そうなる、わね」
それはまさしく苦渋の決断。
できればしたくはないだろうが、周囲に被害が及ぶとなるとしなくてはいけない決断。
「わかりました。そうなる前に、制御できればいいんですよね」
「ええ、私からは以上よ。後は、二人で話し合って頂戴」
プリティは少し名残惜しそうに、そして苦悩を滲ませながらこの部屋から出て行った。
彼女としてもなんとかしたいが、打つ手はもううったのだろう。
透はルーナの手助けをすべく、彼女の話を聞く事にした。
「ルーナ、こっちにおいで」
透は部屋にあるソファに座り、ルーナを招いた。
ルーナは顔を俯かせながら、ゆっくりと透に近づき、恐る恐る膝の上に座った。
「ルーナは自分の力が怖い?」
透は、彼女が今までこのことを話さなかった事は一切触れない。触れたところで、ルーナを徒に追い詰めるだけだ。そのような意味のない事はするつもりはない。ただ、彼女の制御の助けとなるべく、彼女の話を聞く。
「――はい」
冷たい雨に晒され、弱りきった子犬のような声でルーナは返事をする。
「どんなところが怖い?」
「……制御が外れてしまえば、周囲を無差別に枯れさせたり、腐らせていくんですよ。怖くないわけないじゃないですか」
破壊ではなく、枯れたり、腐らせる? 透はルーナの言葉の選択が気になった。
「枯れるや腐らせるって言ったけど、どういう意味? 破壊するではなくて?」
ルーナは透が言った事にはっとしたのか、言葉を選ぶように説明する。
「以前説明しましたけど、龍皇族は各々得意とする属性があります。銀龍はその中で得意とするものは全てと話しましたが、理由があるんです」
そのことは以前聞いた。ガイアノーグは、得意不得意がはっきり分かれる。銀龍がその中で特筆しているのは不得意なものがないためだと。
透がこくりと頷くと話を続けた。
「獣化した時は龍皇族に限らず、ガイアノーグの人々は種族に応じたエイドスを発揮できます。龍皇族のエイドスはその種族の名を示すとおり『龍の吐息』。エイドスを圧縮し、得意とする属性のエイドスに変え放つ、最高の攻撃力を発揮する必殺技です」
「そのあたりはテンプレだね」
透の軽口にルーナはくすりと笑った。
「はい。でも、銀龍の場合少し違います」
「というと?」
「これは他の種族にも言えることですが、獣化した時は周囲のヒュレーを自分自身に同化させるので、周囲のヒュレーを利用する事が出来ます。特に、エイドスの時はそれが顕著で、自分のイデアだけでなく、ヒュレーも利用して放ちます」
ルーナは自身を落ち着けるように深呼吸する。自分の力に触れる部分に関しては話しにくいのだろう。
「龍皇族もそれは同じで、自分のイデアと周囲のヒュレーを圧縮して放つんですが、銀龍はその周囲のヒュレーを取りこむ力が凄いんです」
「それが銀龍が強いわけ?」
「はい。銀龍の得意とするのは『吸収』。自分だけでなく、相手のイデアも吸収できるから銀龍は龍皇族の頂点に立てるんです」
「つまり、自分だけでなく、相手の力も上乗せできるから強いと」
「はい」
それぞれのキャパシティはあるのだろうが、相手の力を上乗せできるのであれば、それは敵なしだろう。反則にもほどがある。
「それだけではありません。龍皇族が各族の頂点に立つのは、龍皇族が他の一族の能力も使用できるからです」
「どういうことかな?」
「龍皇族の元となった現獣は、他者を喰らうことで他者の能力を吸収し、その能力を自在に操れる生物なんです」
「それじゃあ、ルーナ達龍皇族が獣化する時、変身した姿はどのようになるのかな?」
「アースフィアで例えるなら、西洋の竜の姿がベースですかね? ただ、アースフィアと異なるのは、単一生物としてのそれではなく、融合動物としての一面があるということなんです」
アースフィアで伝えられている龍の姿の伝承には、大まかには二つに区分されている。一つが巨大な爬虫類を模した生物の姿。もう一つが各動物の部位を組み合わせた合成生物のような姿。
ガイアノーグの龍皇族は、外見は前者のそれではあるが、特性は降雨や雷雲、嵐ではなく、後者の融合を再現した生物であるらしい。
「龍皇族がいくつかの氏族に分かれているのは、その吸収した能力によって派生したからなんです。そして、その氏族は基本的にはその吸収した能力に近しい能力しか吸収できなくなっていますし、外見もそれに伴い変化していきます。銀龍が龍皇族の頂点に立つのも、銀龍が彼らの祖であり、他の氏族と違い吸収する能力が左右されないからなんです」
「つまり、『吸収』の特性が最も如実に表れるのが銀龍だという事なんだね?」
「はい」
「じゃあ、それとルーナが言っていた事とそれがどういう関係があるのかな?」
ルーナは痛みを堪える様に胸を押さえる。
「この世界のあらゆるものはヒュレーがその物質化の手伝いをしています。だけど、銀龍が制御することなく際限なく吸ってしまえば、その物質は結合を解かれます」
「つまり、消えてしまうと」
「はい。だけど、ボクの場合は少し、違いますね。花が水分がなくなると枯れてしまうように、萎びれていき、枯れていくんです」
つまりはミイラのようになってしまうということだろう。そして、ミイラの様になってしまった物質は塵の様に消えていく、そういうことだろう。
ルーナが怯えてしまうのは、それこそその枯れる力が底なしだからだろう。
制御を失ってしまえば、際限なく吸いこんでいくブラックホールの様な存在。
それがルーナの銀龍としての力。
だからこそ、ルーナは怯えている。世界を枯らしてしまうから。
「しかも、それだけじゃありません。ボクの寵愛者としての特性は、銀龍の特性の『吸収』の超強化だけでなくもう一つあるんです。それが――『腐敗』。生物・非生物問わず腐らせてしまうんです。一方を制御しようとすると、もう一方が制御できなくなるんです」
自分の力の事を話している内に悲しみが込み上げてきたのか、ルーナの声は涙交じりのように震え、瞳にも涙が溢れようとしている。
透はそんな震え始めたルーナを壊れ物を抱くかのように優しく包み込む。
「あ……」
「ね、ルーナ……俺達と一緒にいたい?」
優しく、幼子をあやすかのように囁きかける。
「――一緒にいたいです」
ルーナはそれに応え、透の胸にしがみつく。
「そっか、なら制御できるようにならないとね」
「でも、怖いんです! 気を緩めてしまえば、世界を滅ぼしてしまいそうで!」
ルーナは怯え、幼子の様に泣き叫ぶ。
透はルーナから流れる涙をそっと唇で掬う。
「大丈夫だよ。精神的なものらしいし、俺達も手助けする」
「でも、何をやっても駄目でした。鍛えれば、制御できるかと思いましたが、結局はだめでしたし……」
「ルーナに必要なのは、そういうことじゃないよ」
「え?」
「自分が納得できる理由。自分を騙す事が出来る詐術。力を揮ったとしてもどうにかなる安心感。そういった諸々の精神の余裕が必要だね」
「でも、それこそどうしたらいいか……」
「なんだっていいんだよ。ルーナが納得できれば……。例えば、力を揮う理由を他者に預けたりとかね」
「それは駄目だと言われました」
それは確かにそうである。これほどの力だ。安易に他者に預けてしまえば惨事になりかねず、また安易な依存を人間は嫌う。
だが、透はそうではない。
「確かに、それは人として精神的に自立する事を妨げる事だろうね。でも、俺はそういった在り方も人としてなんらおかしくない事だと思うし、愛しくもある。こう言った在り方も人たる所以だからね。それを否定することは、人を否定することだ。俺にはできそうもない」
宗教がいい例だろう。あれは神に理由を預ける。言われるままに戦争が起こった例も数あるし、そういったことから人が嫌うのも当然だろう。
だからといって、だれもが自立しており、我を持ちすぎるのも考え物だ。
誰もが自己を主張してしまえば、それはそれで人々が争う理由になる。
極論ではあるが、どちらもたいした違いはない。
考えの論点はそこではないのだ。
どちらの考えも、良い方にも悪い方にも転がり得るのだ。
どちらが良い悪いで計るものではない。
精神的依存も適度であれば、自己の形成の助けにもなる。
要は考え方次第。悪い方ばかりを見ても始まらない。
まずはいい方を考え、悪い方を把握したうえで、物事を進める。
悪い方に転んだとしても、それはそれで人たる所以、愛しくもある。
「俺はルーナの夫だからね。それに、いざというときは止めることもできる家族もいる……命令するのは俺だけどね。ルーナ、何も君一人で背負うことはない。今は俺に預け、背負えるようになれば背負うという選択肢もあるんだ」
「でも、透さんは辛くないんですか?」
「何、この程度ならば問題ないよ。お前が納得できれば、それでいいんだ。それが制御できるきっかけになる」
「きっかけですか……」
「だからゆっくり考えてごらん」
ルーナの額に口づけをする。
ルーナは顔を赤くするが、抵抗はしない。
後は彼女が考えることであった。
いかなる選択であろうと、受け入れるつもりだが、自分から離れるという選択はださないように気をつけないと、と透は心中で思った。




