1-3 ノルン
一歩歩く度に、足音と共に心臓の音が高鳴る。
既に二月以上も同じ時を過ごしたとはいえ、ノルンとこれから新しい関係を築くことになる事に緊張を覚える。
ノルンの部屋の前にはメリルが何やら興奮した様で、今にも倒れてしまいそうな程ふらふらと佇んでいた。
「大丈夫か?」
「今夜のノルン様にひどく興奮してしまいまして……」
顔を赤らめ、息を荒げ、鼻血が出そうなのか鼻を押さえている姿は変態じみていた。
「そ、そうか……」
「ええ……実に愛らしく、淫蘼で、理性を保っていられるのが不思議なほどです」
だが、メリルは今までの風貌をガラリと変え、真面目な顔を作る。
「ですから、透様……ノルン様を幸せにしてやってください」
「そんなの当然だろ」
「はい。当然でございますね! ……ところで透様、例の件忘れないでくださいね」
可愛らしく科を作るメリル。多彩豊かな感情表現は、透達の中でも随一だった。
「ならノルンに嫌われないことだ」
「御安心ください。私、ノルン様が絶対嫌がる事だけはしませんよ」
自慢げに胸を張るメリルだったが、彼女とノルンが繰り広げてきたSM劇に透は苦笑を禁じ得なかった。
この主従のコミュニケーションは、余人では計り知れない所があるので仕方ないだろう。
「では、是非今夜のノルン様をご堪能ください」
メリルは朗らかな笑顔で扉を開ける。
透は部屋に入り、扉が閉じられると、ベットにいるノルンに目を向ける。
ノルンは、目を凝らせば下に着ている下着がかろうじて透けるような透明度のネクリジェを恥ずかしげに着ながらも、透の視線からは決して逃げない。
「今宵は宜しくお願いいたします」
透は三つ指をつくノルンの傍により、豪奢なベットに腰を落ち着ける。
「ノルン、こっちにおいで」
「はい」
透が膝に座る様に指示すると、ノルンはその魅惑的な身体を押しつけるように座る。
ノルンの髪を梳くように撫でると、囁くように今夜の事について告げる。
「今日はまだ、最後までするつもりはないよ」
「……私はいつでもあなたに捧げるつもりですよ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、今日はもっとお互いの事を知って、少しずつ俺達の関係を進めていきたいんだ」
肩すかしをくらったのか、少し不満げな表情を見せる。
「もぅ……私はいつでもいいですのに……」
「何もしないわけではないよ。ただ……お互いこういう事に段階を踏んで慣れていこうと思ってね」
「段階……ですか? 具体的には何をするのですか?」
「お互いの事に質問して、それに相手が応えてくれたら、少し関係を進めるんだ。例えば……」
透は少し質問の内容を考える。今この場でする質問としては相応しくはないが、関係を進める以上外せない問題でもあるので先に聞くことにした。
「今はこういった質問をするべきじゃないと思うけど、気になった事があるから聞かせてくれないかな?」
「何ですか?」
「数年前、フィンがカノンフィールを征服するために侵攻したんだけど、ノルンはそれに参戦しなかったの?」
ノルンは不機嫌そうな顔をする。ノルンにとってはあまりいい話題ではないのだろう。
「――愚痴になりますけど、よろしいでしょうか?」
「妻の愚痴を聞くのも、夫の役目だよ。その程度の事で嫌いになったりはしないから安心していくらでも話していいよ」
ノルンはそれを聞いて、嬉しそうに身体を寄せる。少し、機嫌が直ったようだ。
「戦争時、私は一番に戦功を挙げた者に対する褒賞となっていたのです。ですから、私は戦争には出ることは禁じられ、他の者が私の事を競うように手に入れようと躍起になっていたのです」
「スルドさんは反対しなかったの?」
「父も反対していました。ですが、実際私の夫となろうとする者は後を絶たず、一時は内戦にまで発展するとまで言われたので、仕方なく褒賞としたのです」
「美貌、地位、立場、力どれも超一級品が纏めて手に入るからノルンはどうしても手に入れたかったということか……」
「はい……」
憤っているようで、悲しんでもいるのだろう。酷く沈痛した表情を見せる。
「――ノルン」
透は話は終わりとばかりに、彼女の額にキスをする。
「あなた?」
きょとんとした表情も魅力的であり、男ならば彼女を手に入れたいと思うのは間違いではないだろう。
「俺の質問は終わり。次はノルンが質問する番。俺が質問に応えたら、俺と同じように額にキスをして」
「――はい、あなた」
その後の質問はさっきみたいな堅苦しいものではなく、何が好きか、これはどう思うかなど簡単な質問ばかりを繰り返し、相手の頬に、耳に、手の甲に、首筋にキスをお互いに繰り返ししていった。
ノルンの顔はキスをこなしていくほど蒸気を発しているように紅くなり、瞳も潤っていた。唇へのキスをまだかとばかりに待ち焦がれている様は妖艶であった。
「ノルン、俺達が関係を進める上で、どうしても聞かなくちゃならない事があるんだけどいいかな?」
「――何でしょうか?」
「俺とフィンはいつ世界から弾き出されてしまってもおかしくない存在だからね。だから、そうなった時はこの世界から去るつもりなんだ。だから、俺達は地位や名誉、金銭といった社会的なものに価値観を置くわけにはいかない。ノルン、それでもいい?」
「私も連れて行ってくださいますか?」
「俺の妻となる者は、例外なく連れていくつもりだよ」
「――あなたが行く所ならばどこへでも付いていきます」
透は彼女の瑞々しい唇に誓いの口づけを交わすかのようにキスをする。
「次はノルンの番だよ」
ノルンは意識がどこかに彷徨っているように茫然としていた。
「――あなたは私に何を望みますか?」
透の中では決まっていた答えだった。
「特に何も。強いて言うならば、傍にいて、一緒の時間を過ごしてほしいだけだよ」
「それだけ、ですか?」
ノルンにとって予想外だったのか、惚けている。
「うん。ノルンの立場を利用してカノンフィールにしようと思うことは、精々五界の平和を、そして俺達の生活を邪魔しないようにする事だけだし、彼らが何もしなければ何も無理に干渉することはしない。力に関してもそれは同じで、何かあるならばフィンが動くだろうし、防衛やさっき言った事にしか使う機会もない。結局、することといえば、一緒の時間を過ごすしかやることはないんだよ。ノルンは、俺にカノンフィールに限らず五界に対してやって欲しい事はある?」
ノルンはしばし考えるが、彼女の中にはその問いに対する答えはなかった。
「――ないですね。私もあなたに愛されたいとしか」
ノルンも質問を答えたことで口づけを返す。
「だろう? 一緒にご飯を食べて、これが美味しい、不味いとか言い合ったり」
ノルンの唇を何度も軽く咥える。
「デートして、季節の彩りを一緒に感じたり、服や小物をショッピングして、相手の好みや自分の好みを言い合って、揃えたりして」
ノルンも透の唇をはむっと美味しそうに味わう。
「人によってはそんな生活を堕落者とか、上昇志向を忘れた愚か者とか言うに違いないけど、俺達にとってはこれこそが望むものだからね」
ノルンの口腔内を舌で蹂躙して、唾液を飲ませる。
「私としても望むべきものはそこにはなく、あなたの傍にありますから」
ノルンの舌が、拙く透の口腔内を舐める。
ノルンが舌使いを学べるように、透が先に実践して、ノルンに学ばせる事を繰り返す。
いつしかお互いの息は荒れていて、自分のものか相手のものか分からない唾液が二人の口の周りについている。
「ねぇ、ノルン……」
「――なんでしょうか、あなた?」
透はノルンのネクリジェにそっと手を掛ける。
「最後までするつもりはないけど……嫌なら嫌っていってね。すぐに止めるから」
ノルンはくすりと笑った。
「私があなたの事を嫌がる筈ないじゃないですか」
「じゃあ……確かめないとね」
「はい……確かめてください」
二人は今夜どこまでお互いを受け入れたのか確かめ合った。
「――ひどいです、あなた。最後までしてくれないなんて」
「初めにそう言っただろう? 次はノルンの全てを貰うから、それまで我慢ね」
「もぅ……ひどいです。次は絶対ですよ」
約束を守ったのに、怒られました。
** *
次の日の朝は、ノルンの情熱的なキスから始まった。
ノルン曰く、我慢できなくなってしまって、つい襲ってしまったそうだ。
お返しに透からも襲ってしまい、つい勢いで苛めてしまった。
その後、部屋に備え付けられている浴室に入って、お互いに流しっこをしたのだが、諸々の結果、上機嫌ではあるものの、拗ねているという珍しい精神状態のノルンが出来上がってしまったのである。
ノルンを伴いリビングに入ると、フィンがにやにやとした顔でノルンに昨夜の事を尋ねた。
「ノルン、昨夜はどうだったのだ?」
ノルンは愚痴の吐き出し口を見つけたとばかりに、フィンに愚痴る。
「聞いてください、フィン様。透様ったら、意地悪ばかりをして、最後まで可愛がってくれませんでした」
「透は鬼畜だからな。われらを苛めて楽しんでおるのだ」
「そうなんですよ。私が欲しいとお願いしても欲しいものはくれず、苛めてばっかりで」
「ノルンは初めてだから気を遣ったのだろうよ。まず、そういった行為に慣れるべきだと考えたに違いない。まぁ……慣れてからも透がわれらを苛めるのは常套手段だから覚悟した方が良いな」
「これが調教されるという事なのですね」
「その通りだ。ちなみにだ、ノルンよ。透が最後まで可愛がってくれたのならば、接続した方が良いぞ」
「接続ですか?」
「うむ。いつも全身が透を感じられて、しかも抱きしめられているようで心地良いのだ」
「それは……次の夜伽の時に、無理をしてでもして貰わねば」
「それがよいぞ。次ならば、透も最後まで可愛がってくれるに違いないからな」
「ああ……待ち遠しいです」
ノルンがフィンに愚痴っている間に、他の三人も起きてきた。
ノルンが三人にも愚痴るが、透は気にしないったら気にしないの精神で五人の視線を無視した。
ほとんどの者が朝食の場に来ているのだが、ただ一人だけ姿を見せなかった。
「メリルはどうしたんだ?」
「そういえばいませんね?」
大抵ノルンが起きる前にはメリルも起きている。
ルキと共に、朝食の手伝いをしているのだが、今日はハティが準備をしている。
「……メリルは体調不良」
「昨日は元気だったけど?」
昨夜は無駄に元気だった。あれから体調を崩すとは思えなかった。
「……只の貧血」
透は貧血という単語で一瞬納得しかけたが、ある可能性に思い至った。
ノルンもそれに思い至ったのか、若干顔を青褪めている。
「少し、メリルとお話してきます」
ノルンはゆらりと、ある種のオーラを纏ってメリルの部屋に向かった。
それから数分後、メリルの嬌声がリビングにまで響き渡った。
頬に付いている血を誰もが無視する中、ノルンは今後の予定についておねだりした。
「あなた、私も御奉仕に加わってもいいですか?」
「いいけど……次の夜伽までは最後までしないよ」
ノルンはその事が不満なのだろう。若干頬を膨らませている。
「次の夜伽は四日後ですよね? ですからそれまでの間にどなたかとご一緒して、御奉仕について学びたいのですが……」
透は了承の確認のためにフィンと鈴音の方を見る。
「われらは構わんのだが……」
「どっちにする?」
ノルンは少し考えを巡らす。
「できれば早めがよろしいのですが……」
「じゃあ、私が明後日だからその時に教えるよ」
「御指導よろしくお願いします」
ノルンは鈴音に丁寧に頭を下げる。
「でも、結構急だけど、どうしたの?」
「私としても、他の皆様に後れを取りたくないので。それに……」
「それに?」
ノルンがちらりと流し眼で透を見る。
「何処かの誰かに苛められたせいで、四日後まで我慢できそうにないですから」
――ごめんなさい。
透は少し反省したのだった。ほんの少しだけ。




