4-2 比翼連理
演習当日、学園都市は異様な熱気に包まれていた。
学園の生徒達は皆、ヴェリングに送信されることになっている映像をヴィンクルムのメンバーと、もしくは友人達と共に公開状態にして演習開始を待っている。
透とフィン、ノルンと今回演習に参加するカノンフィールの兵士はポルタ前に待機し、演習開始時刻まで時間を潰していた。
鈴音、ルーナ、ティナはプリティ、フィレス、風音達と共にガイアノーグの大使館の一室で落ち着きなく開始時刻を待っている。
「透さん達大丈夫でしょうか?」
ルーナは不安がる表情を隠しもせず、透達を心配する。
「きっと大丈夫だよ」
鈴音はそう口にするが、先ほどから何度も紅茶をお代わりし、目線を上下左右にと忙しなく動かしている。
明らかに落ち着かない様を見せる娘達に風音とプリティは苦笑し、落ち着くように慰める。
「安心して、鈴音ちゃん。透君達なら大丈夫だから」
「そうですよ、ルーナ。私達が心配した所で何も変わりません。ならば、しっかりと彼らを信じることが彼らに対する礼儀ですよ」
そう慰められ、多少は落ち着きを取り戻したが、やはり待っているだけという状況が彼女達を不安にさせるのか、すぐに落ち着かなくなる。
三人もそれを分かっているのか、話をすることで気を紛らわせることにした。
「以前にもフィンはこのような状況になり、そこから勝利したということですから大丈夫ですよ」
「それは聞いていますが……今回はノルンさんがいますから……」
「大丈夫よ。あの子がいるから」
「そうですね。あの人もこの戦いは、透さん達が百パーセント勝利するって言っていましたから」
プリティはソルガから真相を聞いていたため、今も尚落ち着いていられる。結果が既に決まっているのだ。プリティは演習に関しては何も心配していない。むしろ、心配しているのは演習の後だ。
風音もフィレスも同じことを知っているため、プリティと同じ心境だ。
それを疑問に思うのが蚊帳の外にいる二人で、何故そう思うのか四人に確かめてみる。
「母様、どうして百パーセントだと思うのですか?」
「あら、まだ教えてもらっていないの?」
ルーナはこくりと頷き、プリティから真相を聞き出そうと待つ。
鈴音もそれは同じでプリティに注目する。
二人に注目され、プリティは可愛らしい仕草で指を口にあてる。
「秘密ですよ。ネタばれしたら面白くないですからね」
まだ話すつもりはないと誤魔化すように二人に告げる。
二人はそれを聞いて憮然とするが、話す気はあるようなので今は追及しなかった。
「フフ……面白いことになるわよ~」
風音はどのような結果がもたらされるか知っているため、能天気に開始を待つ。
プリティはふと思い出した事があった。演習が終わった後でルーナに知らせることがあるのだが、今の内に教えてしまおうか、それとも後で纏めて教えてしまおうかと迷ったが、始まるまで退屈なので娘をからかって暇を潰そうと思い、先に教えることにした。
「ルーナ……こちらにいらっしゃい」
プリティはルーナを招き、演習で透達が勝利した後どうなるか、こそっと耳に吹き込む。
ルーナはそれを聞いた後、カチンと石像のように固まり、石化から解けた。
「ええええええええええ~~~~~~~~~~!!」
ルーナは頭の先から足の指先まで真っ赤に染まって絶叫した。
「そ、そ、そ、それ……ほ、本当なんですか!?」
「本当よ」
思った以上の反応が得られ、ホクホク顔でプリティは満足する。
「で、で、で、で、でも……ぼ、ぼ、ぼ、ボクには早いというかなんというか」
炎で炙られたかのように顔は真っ赤になり、もじもじとしながら口籠る。
プリティはそんなルーナを可愛いと思い、さらに煽ったらどうなるか気になり、好奇心のままにさらに煽ることにした。
慌てるルーナを決して逃さぬように後ろから抱きつく。
「今更じゃない。あなたは嫌かしら?」
「い、い、い、嫌じゃないというかなんというか……」
「じゃあ、ス・キ?」
「――っ~~~~~~~~~~~~!!」
最早ルーナの叫びは声にならず、恥ずかしさのあまり気絶しそうだった。
そんな光景を見て鈴音は、傍にいる母親にルーナが何故ああなっているのか尋ねる。
「ああ……それはね……」
チェシャ猫のような笑みを浮かべ、プリティがそうしたように風音も鈴音に耳打ちする。
「ふん、ふん……って、えええええ~~~~~~~~!!」
鈴音もルーナと同じように絶叫し、今自分が聞いたことが本当のことなのか再度尋ねる。
「本当よ」
鈴音はそれを聞き、最早叫ぶ気力もなく、気絶しそうなほどぐったりとしているルーナの肩をつかみ、満面の笑顔でルーナに呼びかける。
「ルーナちゃん!」
「ほえ?」
何も考えられず無抵抗のルーナに、鈴音は再起不能にするかの如く、抉るように容赦なく、追い打ちをかけるように止めを刺す!
「ルーナちゃん! これからもよろしくね!」
「――っ!!」
ルーナ昇天!
ルーナの口からは魂が出ている。
「ルーナちゃん! しっかりして! ルーナちゃ~ん!」
天に召されようとしているルーナの魂を捕まえ、鈴音は暴れるルーナの魂を口の中に押し込むのであった。
「ふぅ~! 危なかった!」
ルーナは真っ白に燃え尽き、痙攣していた。
二人の幕劇を見て、彼女達の両親が思ったこととは!
「これから面白くなりそうね」
「ええ」
面白くなりそうだと、にんまり笑い合っていた。
「平和じゃな」
「ええ、平和ね」
尚、ティナとフィレスは、彼女達の騒動に加わらず暢気に茶を啜っていた。
** *
ある一室ではラグナ、スルド、ソルガ、ジークリンド、アースフィア理事と各国の首脳、そしてカノンフィール議員達が一堂に会していた。
この部屋の雰囲気は鈴音達の部屋の雰囲気と異なり、和気あいあいとした雰囲気ではなく、どこか殺伐としている雰囲気となっている。
だが、カノンフィールの反対派はどこか浮ついた雰囲気をしており、演習開始時刻を周りの者と雑談しながら心待ちにしていた。
彼らは言葉少なにただ彼らの運命を決する刻を待つ――。
** *
ノルンはメリルと共に、ポルタのある部屋のベンチに座って待っていた。
他の者とは既にミーティングを済ませており、彼らとは話す必要はないので、群がる人込みを避けるために別室で待機することにしたのだ。喧騒から静寂へと移行した環境の中、彼女は目を閉じ、心静かに開始時刻を待つ。
彼女の胸に去来するのは、透達と過ごした日々だった。
透達と暮らすことになった時、彼女が胸に抱いていたことは煩わしさと役目を果たさなければならない責任感だけだった。
彼女は決して表面には表さないが、その類稀なる、呪いのような美貌と比類なき力から、人付き合いというものにうんざりしていた。
男性は彼女を美辞麗句に飾っては口説き、女性は男性に言い寄られる彼女を表向きは賛美し、裏では好き勝手に妬む。そして、彼女を笑顔という仮面を着けて接し、顔とは裏腹に彼女を畏怖しているのだ。
彼女の寵愛者としての能力は、魅了だけではない。人の精神に関わるものであれば、全て彼女は操ることが可能なのだ。魅了はその能力の一端にすぎなかったのだ。
そんな彼女は、人の精神を垣間見ることなど造作もなかった。
彼女の周りには、羨望、嫉妬、劣情、畏怖、崇敬といった感情を含む視線が、彼女の行く先行く先所々付いて回った。付け加えて、そんな人々の思考を目の当たりにしなければならない彼女は、人の感情のあまりの醜さに嫌気がさしながらも、その立場から公の場から逃げ出す事は叶わなかった。
メリルのように羨望を抱く者は多数いるが、メリルを今も粗相をしでかすにもかかわらず、従者として傍に置いているのは、メリルには不快に思う感情が感じられないからだ。
ノルンは置かれてきた環境からか他人の機微に敏感だ。
しかし、メリルには彼女が今まで付いて回ってきた感情が感じられるが、何故か不快に思う負の感情が付いておらず、暴走気味ではあるが彼女の言いつけはきちんと守る。また、欲望を表だって晒し、それが心の奥の感情と一致しているところがあるので、ある意味安心できるからだ。
だからだろうか。透達との日々は、彼女にとって新鮮に充ち満ちていた。
ノルンはくすりと笑う。
フィンが、力を心棒としているヴェルディンの王女が力を持たず、文明も大きく劣っているアースフィアの平民に心を奪われているのが驚きだった。
初めて暮らした日、最近まで敵対していたにもかかわらず、まるで何事もなかったように彼女を受け入れ、友人として接してくるのは驚きだった。
メリルが変な言葉を口にしたにもかかわらず、彼女をそのままに受け入れてくれたのはありがたかった。
なんだかんだいっても、メリルはお気に入りなのだ。……おもちゃとしての意味合いが非常に強いが。
彼女がその嗜虐心に従い、メリルを苛めていたことも、透達はそれをそのままノルンとして受け入れたのも驚きだった。
憧れを抱かれ、勝手にイメージされた理想の彼女を彼女自身として抱かれることは度々あったので、余計に驚いたのだ。
家の庭にある大樹の下で仮面を彼らの前で初めて外し、寵愛者であることも自身の特性のことも話した時、彼らが気負いなくそのまま彼女を受け入れた事を、今でも鮮明に覚えている。
その時からだろうか。任務を度外視し始め、それとは関係なく彼らの傍にいたいと思えるようになったのは。
では、何故そう思うようになったのか。
そこまで彼女の思考が及んだ時、傍らにいるメリルから声がかかった。
◇ ◇ ◇
私は仮面を外されたノルン様がくすりと笑われたことに驚きを覚えた。
私の記憶にある仮面を外されたノルン様の顔はどれも無表情で、笑った顔など見たことはなかったからだ。例え笑っていたとしても、それは愛想笑いの類で、本当に笑った顔など一度も見た事はないのだ。
ノルン様の家系の世話役の娘と生まれ、幼い彼女を役割から見詰め続けている内に、いつしか彼女に憧れ、専用の従者に志願した。彼女の笑顔を見たいから。
ノルン様の境遇を外側から知っていただけに、何故ノルン様がああなっているかは知っている。
だからこそ自分は道化になり、例え彼女に疎まれようとも、苛められようとも彼女を笑顔にしようと道化を努めていたのだ。ストレス解消用の道具として。無意識に漏れているノルン様の魅了に魅入られたかもしれないという事実を否定はしない。だが、もう私は手遅れなのだ。もうどうしようもないほどにノルン様に釘付けで、メロメロなのだ。
決して苛められるのが好きという訳ではない。ないったら、ないのだ。いや……少し気持ち良くなってきたというか、今ではしてくれないと物足りなくなってきているという気がしないでもないが。……マゾではないのだ、多分。いや、でも……。
思考が逸れてしまった頭を振り、追い出す。考えてはいけないことなのだ。
ノルン様は今笑っている。そのことが最も重要なのだ。
ノルン様が笑えるようになったのは、やはりあの人達との暮らしが心地よかったからだろう。
最初の内は、以前と同じように警戒していたが、彼らと過ごす内に警戒心が薄れ、徐々に無表情であったノルン様の顔が、雰囲気が柔らかくなっていった。私が肉奴隷発言をしたのは、スルド様からの命令で、ノルン様が嗜虐的なところがあると透様達に教えるためだったのだ。下手なイメージを持たせる前に、現実の彼女を擦り込ませたかったのだ。
私ではできなかったことをあの人達が行った事に嫉妬を覚えるが、ノルン様が笑っていることが私にとっては重要なので、私のやさぐれたった心はたいしたことではない。むしろ、感謝すべきだろう。お零れ、万歳。
私がノルン様のことを画像や動画に収めようとしたのは、今のノルン様が非常に魅力的だからだ。あの人達と居るノルン様は本当に魅力的で、あの人達と離そうとは思わない。いずれ、もっと魅力的になるだろうノルン様を記録するのだ。……何も本当にオカズにしようとは思っていない。……思っていないのだ。…………ごめんなさい。
またもや逸れてしまった思考を戻すため、頭を振る。
今回の演習を企画した者をすり潰したいと思いました。ええ、もう、ゴリゴリと!
演習でカノンフィールが勝利するということは、学園を続ける理由が無くなるということに相違ない。
そうなると、ノルン様はあの人達と離れることになる。それは許容できない。ノルン様を以前の状態に戻したくない私にとっては、今回のことは憤慨ものです。ボコボコにしたいです! 元の顔の形が分からないくらいパンパンと膨らませたいです! というかさせろや、コラ! 代々伝わる一子相伝の奥義を味あわせてやるからよぅ! ……そんなものはありませんが。
コホン!
そういえば、ノルン様は最近、演習が近くなるにつれ、以前のように六人で寝ることが多いようなんですよね。未だにあれはしていないようですが……透様と裸で密着して寝ることも偶にはあるとか。なんて羨ま、コホン……破廉恥な! ……私もノルン様と一緒に寝たい! 混ざりたい! なんて思ってませんよ。……すいませんでした。
でも、スルド様がまだノルン様には知らせていませんが、演習がフィン様達の勝利で終わった時、ノルン様は……。
――私も混ざれるかな……じゅるり。
そうなった時の為に聞いておかなくてはならないことがある。
「ノルン様は透様のこと、どう思っていますか?」
◇ ◇ ◇
そういわれ、私は透様について考えを巡らせた。
フィン様の陰に隠れ、目立つところはないが、彼がいたからこそ和平はなったともいえる。正確にはフィン様が彼に惚れ、彼に会う為だけにこの学園都市を造ることになったのだ。世界征服してまで。
フィン様が彼に惚れた経緯は分からないので、彼自身について考えてみる。
彼の容姿はいい方だとは思う。無表情がデフォルトではあるが、フィン様と鈴音様と居る時は優しげな顔をする。
性格についてはよくわからない部分が多々ある。彼は何事も中庸でどちらにも傾いてはいない。……例外があるとすれば彼女達についてだけだが。彼自身が言っていたように、冷静で物事に対しては感情を挿まず、機械的なところがある。フィン様が、透様は鬼畜で悪魔的だとよく仰っているが、時折思想面でそれを垣間見る事はある。
能力についてはもっと分からない。超越者であるにもかかわらず、デュナミスの使用に関しては目も当てられないほどではあるが、防御……防御魔法というよりは、彼自身の防御力は異常だ。彼自身には何をやっても傷一つつかない。私達の防御力はイデアに比例しているので、あの防御力に関してはイデア量で説明はつくが、攻撃面に関しては説明がつかない。契約関係にあるからとフィン様が仰っていたが、何処まで本当か怪しいものだ。一応、レコードの起動で説明はつくが、肝心の彼のレコードを一度も見た事はない。もう一点気になるのは、鈴音様以外心を読み取ることができないのだ。ティナ様は時折覗き見る事ができるが、他の三人は全く読み取れない。ルーナ様が寵愛者であることは事前の調べで分かっているが、やはり透様だけが謎に包まれている。『無職』というこれまで聞いた事のない特殊な例が、透様の体質に関係してあるのだろうか。
彼について一番分かっていることは、フィン様達に対する態度だろう。
なにしろ彼らは初めて会合した時から、いちゃつく。それはもういちゃつく。
それに関しては、最初は辟易していたが、もう慣れた。あんなに毎日いちゃつけば慣れるというものだ。
フィン様達が甘え、彼がそれを許容するというのが彼らのスタンスなのだが……見ているこっちは常にハートが周りに飛び散るのが見え、甘いもので胸やけをおこすかのようだ。ブラックコーヒーが欲しくなるほどに。
フィン様達の肌艶はほぼ毎日つやつやしているので、何をしているのかと問い詰めたいところがあるが、答えは分かりきっている。藪蛇をつつくこともあるまい。さすがに毎日というほどではないが、しない日の方が少ないだろう。
彼らの近くにいるのはある意味辛い時があるが、慣れてしまえば楽なものだ。なにしろ、彼らにはカノンフィールにいた頃の様な負の感情はない。彼らには正の感情しかないのではと思えるほど安らげるのだ。
ルーナ様も同じだろう。私達はなんだかんだいってもあの人達の創り出す雰囲気が好きなのだ。……すごく安心できるし、落ち着く。
最近では一緒に寝ることもある。
それを思い出し、顔といわず身体全体が熱を発しているのがわかる。
一緒に寝るといっても、大抵は彼を中心に、私達が彼を包むように寝るだけだ。配置は日によって変わることもある。最初の二週間はそうだった。
しかし、ここ最近は違う。お互いに何も纏わず、生まれたままの姿で一緒に寝ているのだ。体の芯から熱が発してくるようだ。今まであんなに男の人と密着したことはない。しかも、裸で。当然のことながら、最初は緊張気味であったが、彼の命の鼓動の音を聞いたり、彼の自分とは違う体臭を嗅いでいると、何故だか暴れる心臓の鼓動も次第に平常になっていき、いつの間にかぐっすりと眠ったものだ。朝起きると、何故だかすっきりと目覚めるが名残惜しく、このままでいたいと思うことはある。……いつも六人でいるのでその空気に中てられたのだろうか?
私を含む誰もかれもが朝起きると彼をぎゅっと抱きしめているので、その度に彼を困らせている。彼に密着していると何故だか甘えたくなるのだ。……フィン様達の影響だろうか?
むむむ……よくはわからないが、フィン様達にでも毒されたのだろうか?
毒されるといえば……あれはしていないが、いいのだろうか? まだする気はないと言っていたが、透さんが辛い目にあっているのは分かる。男性の生理現象にはある程度理解はある。あんなに密着しているのだ、相当辛いということは密着していたので分かる。でも、我慢している。私達は仲良くするのが必要条件だ。当然のことだが、例の件も任務に含まれている。ならば、した方がいいのだろうか? いや、してほしいのだ。フィン様達としている事をするのは、果たさなければならなかった任務上避けられないことは承知していたので、心構えはしていた。大樹の下での件以降、積極的になった私ではあるが、二人きりの時に服を僅かに肌蹴させ、透様から襲われるように誘っただけで、それ以上のことはしなかった。というか、させて貰えなかった。デートをしたり、キスを額や頬にして貰っただけで、それ以上の関係には進まなかった。
だが、例の件以降、裸で二人っきりで寝る機会もあり、少し大胆になった私は、任務遂行のチャンスと思い、彼に裸で密着して誘いを掛けたのだ。その結果、演習が終わったら最後まですると約束はされたものの、引き延ばしという憂き目にあってしまったのだ。だが、彼も私の意を酌んでくれたのか、最後までする事はなかったが、それなりに関係を進める事となった。その時の事を思い出すと、今でも思考が停止してしまうほど茫然としてしまい、彼が触れてくれた箇所に熱を灯らせてしまう。そして、不安と安心という矛盾した感情が居座ってしまう彼の胸の中で私はこう思うのだ。最後までしてほしかったのに……と。その感情は、彼と触れ合う機会が増えるごとに高まってしまう。
おかしい……魅了すべきなのは私である筈なのに、逆に魅了されている。ミイラ取りがミイラになったということだろうか? 彼らにとって毒である筈の私が、逆に毒を送り込まれているのだろうか――安らぎと幸せという毒に蝕われたのだろうか。厄介な事に、解毒薬が見当たらず、見つかっても飲もうとはしない気がする。これが何か特別な出来事という劇薬ならば、一時の感情ということで処理できるのであろう。しかし、彼らとは特別なことなど微塵もなく、ただ一緒に同じものを見て、同じものを聞いて、同じものを味わって、同じものを感じただけという平凡な日常を繰り返しただけなのだ。だからこそ、振り払う理由に欠けてしまい、もっと、もっととねだってしまう。性質が悪い。
それをこれからも繰り返すという約束が、確かな未来として存在する。それは、私もフィン様達と同じような存在になれるということなのだ。
駄目だ……これ以上は考えてはいけない。考えてしまえば、私は……。
「ノルン様?」
私の行動を不審に思ったのかメリルが声を掛ける。
はっとし、彼女に聞かれた問いに今まで考えていた思考から、彼についての私の答えを聞かせる。
「そうねぇ……傍にいると安心できるといったところかしら」
◇ ◇ ◇
私が透様についてどう思っているか、と問いた後のノルン様は実に可愛らしいものでした。
ええ、それはもう……襲っちゃいたいくらいに。ぼんやり考えたかと思うと、突然顔を赤く染め、うっとりとしてました。余人では分からないと思いますが、そこはノルン様マニアの私。彼女の変化は見逃しません! あんな恋する乙女のノルン様を見れるなんて感無量! 生まれてきてよかった! ノルン様最高! 私最高!
「そうねぇ……傍にいると安心できるといったところかしら」
――! これでもう迷いはありません。不肖、メリル=ルリエル。あなた様の幸福を守って見せます! ……だから私にもお零れを!
「ノルン様。例え、カノンフィールが演習で勝とうとも問題ありません。ノルン様が透様達に付いてしまえば万事解決です!」
◇ ◇ ◇
「でも、それは……カノンフィールを裏切ることになるのではないのかしら?」
それについては私も考えた。しかし、国の決定に背く訳には……。
「ノルン様。私はノルン様の幸せを一番に考えます。私はノルン様が幸せになるには、透様達と居ることが必要だと思います。……大丈夫です。国の決定に背くことになったとしても、和平という大義があります。大義がなくてもあの人達ならノルン様を受け入れてくれます」
メリルの言葉に電流が背中に流れた気がした。
だとしたら、後は私の意思次第。……私にそんなたいそれた決断ができるのかしら?
何故だろう? フィン様が羨ましく思う。
「……私は……」
わからない。私はどうしたらいいのか。国の決定に従うか、背くか……。……わからない。
「……透様達が絶対に勝つと言っているんです。彼らに私達の運命を任せてもいいかもしれません」
運命を任せるか……。流されるままに決断を委ねるのは良くないことかもしれない。
――だけど。
「……そうね。あの人達に全てを任せてみるのもいいかもしれません。……もしも、透様達に屈服させられたその時は……」
――私は……。
** *
透とフィンはただ静かに開始の刻を待つ。
透はベンチに座り、背もたれに身を委ねている。
フィンはその透に自身の全てを委ねている。
フィンの髪をゆっくりと撫でながら、ぽつり、ぽつりとフィンに透は話しかける。
「この演習が終われば……俺達は世界から弾き出されるかもしれないね」
フィンは何故透がそう判断するか理解している。だが……。
「世界から弾き出されるのは嫌か?」
「いや……それは常に想定している事だからね。そうなれば……消えるだけだよ。俺は世界に存在してはいけない類いの存在だしね。用意しているんだろう?」
「当然だ。われらがいざという時に逃げ込める場所は用意してある。それに……ラグナ殿がそうならないように手は打つはずだ」
「そうだね。……でも人というのは流動的で不安定なものだ。いつ掌が返されるか分からないし、想定通りに行くとも限らない。常に最悪を考慮すべきだ」
フィンは透を見上げる。透の心臓の鼓動が聞こえるほど寄りかかる。そうなったとしても……自分は傍にいると示すかのように。
「正しいことをするのも人間。酷いことをするのも人間。……いや、どちらともするから人間だし、どちらも含んでいるからこそ人間だ。群体としては信用できるものじゃない。この世で最も恐ろしいのは人間だ」
「個体としては?」
「個体でも環境に作用されるし、時が変われば個体も変わる。それが自然の理だ」
透はフィンの手を握る。
「俺は全てを含む故にあやふやで曖昧な存在。ただ混ざり合う世界の全てを容認し、否定し、受け止める器。そして、変わりゆく世界の中で、ただ在り続けるだけの不変の傍観者。そんな俺が望むことがあるとすれば、一つの世界でありたい――フィン達を愛する一つの世界として」
「ならばわれも愛し続けよう。透の世界の決して変わらぬ要素として。――女として。透を愛する、一人の女として」
「君達がいなくなれば、ただ朽ち果てるだけの世界で……家だね……俺は」
「われは永久に居続けるぞ。離れようともせぬし、朽ち果てることもさせぬ」
二人は思いを重ねようとするかのようにキスをする。
――重なる二人の掌。そして二人の左手の薬指には、二人を結ぶ黄金の指輪があった。
開始時刻を迎えるベルが鳴る。
二人は名残を惜しむように唇を離す。
「続きは今夜のベットの上で」
「楽しみに待っておるぞ」
二人は立ち上がり、ポルタの中に入る。
「さてと……われと透の愛の絆を皆に見せつけてやろうか!」
「あまりにも強すぎて見てられないと思うけどね」
ポルタの中で待機状態になり、開戦の刻を待つ――。
** *
何物も存在しない荒涼とした荒野に透達は降り立つ。
ここには視野を遮るものは存在せず、ただ荒野が続くだけ。風も吹かないことで、何物も存在していなかった荒野はただ静寂が支配していた。
設定されたフィールドは、太陽系とほぼ同じ大きさの空間で、透達は地球と同じ大きさの惑星の上で戦う事になっている。
透とフィン、千名を優に越えるカノンフィールの軍勢は、約一キロメートルの距離を隔てて対峙していた。
カノンフィールにとっては、この距離こそが彼らの独壇場に他ならない。
本来であるならば、透達はノルン達から距離を空けた状態で、遠距離攻撃で数を減らすか、懐に入り、混戦を狙うのが定石だ。――本来ならば。
透達は自分達を遥かに上回る数の軍勢を目にしても、動揺はしていなかった。
ただ自分達にやられる数が増えただけ、その程度の認識でしかなかった。
「フィン怖い?」
「透がいるのだ。恐れるものは何もない」
「相変わらずだこと」
「それがわれだからな」
軽口を言いあう二人はいつもと変わりない様子だった。
「しかし、奴らは恥ずかしくないのか? 集団で少数を攻撃するなど、恥ずべく所業だというのに」
「強大な敵に対し、複数で対処するのは間違った方法じゃないよ。数こそが人間の持つ最大の武器だからね。民主主義なんか、その典型だろ?」
「否定はせんが、衆愚に陥るだけだろうに。個人が集団に劣るなど、ヴェルディンに対する挑戦だな」
「一部同意でもあるけど、適材適所だよ。この箱庭でそれを証明しようか」
「うむ。われらの愛の巣が如何ほどのものか、証明してくれようぞ」
開戦のカウントが空中に浮かびあがる。
ゼロに近づくにつれ互いの緊張感が増すのが分かる。
カノンフィールの軍勢では、次々と仮想生物が呼び出され、臨戦態勢を取っている。
透は空中のカウントがゼロになる少し前、戦闘態勢に入るため、自身のアゾートを起動させた。
「さぁ……始めようか。起動、〈比翼連理〉」
透とフィンの指輪が光を発した。
光は透とフィンの背中に廻りこむと、翼にその姿を変える。
透の背中には左翼の黒翼が、フィンの背中には右翼の白翼が圧倒的な存在感を発しながら存在している。
「『黄金変生』」
フィンがそう呟くと、フィンの背中の白翼が大きくなり、フィンを包み込む。
その白翼が翼を広げると、眩い黄金の光を発しているフィンがその姿を現す。
カウントがゼロになる。
「フィン、やれ」
透がそう命じると、フィンは透の足を鷲掴み、カノンフィールの軍勢の遥か上空、宇宙にまで光速を遥かに超えるスピードで移動する。
「は、え、ちょ!」
混乱する透を無視し、フィンは思いっきり振りかぶって透を地上へと投げつける。
「『トール・ハンマー』!!」
フィンが放った透は、計測不能なほどの高熱と何者の存在も許さない衝撃波と共に、光速を優に超え地上へと放たれた。透は燃え尽きることなく地上へと到達し、惑星を構成する岩盤全てを一瞬にも満たない時で貫通し、何処ぞと知れぬ場所へと姿を消した。
幸いというべきだろうか、気の毒というべきだろうか、カノンフィールの軍勢は何が起こったのかを察することなく、一人の例外もないまま巻き起こった熱と衝撃波でこの世界から消え去ったのである。
エネルギーの奔流は軍勢を消し去ったところで収まる事はない。惑星上で重力崩壊を起こすほどのエネルギーは、ブラックホールをも生成する。さらに、一つの惑星上で発生したエネルギーは、惑星一つに留まる事は決してなく、太陽系そのものを呑みこまんと縦横無尽に無慈悲に迸る。
この惨状を引き起こしたフィンが見下す先には、あったはずの地球程度の大きさの惑星は既に消滅し、先程の攻撃により発生したエネルギーの渦が、太陽系ほどの大きさを持つ空間をも消滅させんと、今も尚空間全体に渦巻いている。
そのような光景を一顧だにせず、フィンは高らかに宣言した。
「われらの愛の絆の勝利だ!」
三人称と一人称が混じっていますが、その方が適切だと思い描写しました。その事を不快に思われるかもしれませんが、ご了承願います。
今後の更新についての報告を活動報告に投稿しました。