3-4 フィンとルキの怪しい計画
フィンは今退屈していた。非常に退屈していた。何もすることがなくて退屈していた。
「むう~。暇だ、暇だ、暇だ、暇だ、暇だ、ひ~ま~だ~!」
彼女はソファに寝転がり、暇だと連呼していた。
それもそうだ。今この家にはルキ以外誰もいない。彼女は誰もかまうものがおらず、暇を持て余していたのだ。
休日ということもあってか、透と鈴音は研究所に行き、ノルンは用事があるのかアカディアにあるカノンフィールの大使館、つまりスルドの元に向かい、ティナはアヴェルタの新しい仮想世界制作を視察しにアヴェルタの研究施設に向かい、ルーナはソルガの懇願もあって、ソルガ達の元に行ったのだ。
彼女は一人ぼっち。特に用事もない。透がいれば、デートに出かけるなりなんなりしただろうが、愛しの彼はいない。
「何をするべきか……むぅ」
彼女は今予定を探している。
鍛錬、それは味気ない。ノルンがいるならば話は別だが。
料理、食べさせる相手は今いない。
む、料理? 街で食べ歩きというものもいいかもしれない。ヴェルディンの料理は食べ飽きているから他の世界の料理を食べるのもいいかもしれない。
ヴェルディンの料理は国柄か、量が多く、味付けも濃く、大雑把なところが多い。カノンフィールは手の込んだ料理が多いと聞くし、ガイアノーグは素材の味を活かした素朴な料理と聞く。アースフィアはそれこそ様々な料理があるだろう。アヴェルタは論外だ。
予定が決まり、どうしようかと悩む。
彼女の脳裏には節食という単語はない。
なぜなら、ナノマシンが過剰な摂食をヒュレーに変換し、常に最適な状態に保つからだ。
食事はヒュレーの生成にわずかとはいえ利用されるため、わざと多く摂る者もいるくらいだ。
仮に、過剰摂食したとしてもカロリーを消費するために運動すればよい。
例えば、透とプロレスごっことか。くんずほぐれつの組体操とか。
そこまで思い至り、彼女の顔は緩むが、その美貌は崩れることはなかった。
「にょほ。にょほほほほほほほほ」
奇妙な声をあげるがそれを咎める者はおらず、彼女はその欲望に従い、食べ歩きツアーに出ることにした。
その彼女に待ったを掛ける者がいた。ルキだ。
「フィン様。出かけるのであれば、一つ頼みたいことがあるのですがよろしいですか?」
「珍しいな。ルキが頼み事とは」
アースフィアを除き、四界では自宅から商品を注文すると、注文先から商品が転送されるので、外出する必要はない。自分で品定めをしたいのであれば話は別だが。
よって、ルキはいつもであるならば、このような頼み事はしない。メイドとしての沽券にかかわるからだ。
だが、今回には理由があった。それは――。
「今現在嵌っているものがありまして……それでどうせならフィン様にも使ってほしいと思いまして」
「嵌っているものとな……それはなんだ?」
「頼み事の内容でわかりますよ。このリストをどうぞ」
ルキに渡されたリストには、薬品名と思われるものが記載されていた。
「これは……」
「ガイアノーグの薬品ですよ。あそこの薬は私達のより原料の質が良いのです」
「ふ~ん。で、何に使うのだ?」
「調合してより効果が高い薬品を作るのですよ」
「何の薬品を作るのだ?」
ようやく待ち望んだ言葉がフィンの言葉から出てきた。
「フィン様、エステという言葉をご存知ですか?」
――ルキは妖しく笑う。
** *
透と鈴音は、風音が待つ研究所に腕でも組みながら仲良く向かった。その研究所は学園の片隅にあり、機密保持のために厳戒態勢を取っている。
研究所入り口の受付で館内を歩きまわる許可を得た透達は、風音がいる場所を教えてもらい、研究室の扉を開ける。
風音はいかにも研究者というような白衣のファッションで透達を出迎え、共同研究者であるイリオス=アルケリウスと共に今回の趣旨である、鈴音専用のレコードについての説明に入った。
「まず、鈴音ちゃん専用のレコードは、今までアースフィアで使われていたものとは少し違うの」
「どう違うの?」
鈴音は自身の右手にある腕輪を外し、それを掲げる。
「特有の情報に囚われたヒュレーの事を、私達はイデアと呼んでいることは知っているわよね? アースフィアのデュナミスは、四界の人達のように自分で生成したヒュレー――つまりイデアを利用してエイドスを使用しているのだけど、アースフィア特有のエイドス――ノエシスは性質変化や物体変形はそれとは異なるプロセスを経ているの」
アースフィアのデュナミスは四界とは違い、物体の内部に干渉して変化を起こすことができる。
その理由は、アースフィアで使われるレコードにあった。
アースフィアのデュナミスは、術者の未熟さを補うためにレコードにヒュレーを吸収して保持する装置を付けている。使用回数、魔法の規模といったものは、その装置の容量で制限されているのだ。もしも、一つの装置に蓄えられているヒュレーが無くなってしまえば、もうデュナミスは使えない。だから、装置のストックを用意するのが通例なのだ。
「物体に干渉して変化を起こすには、ヒュレーを介してじゃないと不可能とされているわ。超越者はヒュレーを保持できるけど、その保持したヒュレーは、その超越者のイデアに染め上げられていて、純粋なヒュレーとは云えないわ。だから四界にはこれまでアースフィアのような物体内部に対しての干渉はできなかったの」
何でも、個人の属性に染まってしまったヒュレー――イデアでは外からしか干渉できないそうなのだ。何物にも染まっていない無色のヒュレーしか物体の内部に干渉できないと研究の結果明らかになったそうなのである。
「そこで用意したのが、コレよ」
風音が出したのは、鈴音が今まで持っていたのとは違う腕輪だった。
星型の台座に宝石が埋め込まれ、リング上には紋様が刻まれている。
「このレコードの名は〈転生〉。これなら鈴音ちゃんにも、五界全てのデュナミスが理論上は使用が可能なの」
「どういう仕組みなんですか?」
「それは、私が説明します」
口を挿んだのは、今まで黙っていたイリオス。研究者の性か、自ら作った作品についての説明は自分でしたかったようであり、少々嬉しそうにしている。
風音も共同制作者の一人だが、自分で説明する事にこだわりはないのか彼に説明を任せている。
「基本は私達のレコードと同じです。ただ違うのは、ヒュレーをイデアに、イデアをヒュレーに変換できるということです」
透はそれに思うことはあったが、透の懸念については、彼がすぐに解消してくれた。
「両変換できるといっても、これはまだ初期型であるせいか、それともヒュレーを受け入れる器に問題があるのか、変換できる量はまだ少量ですね」
透はそれを聞いてほっとした。彼は、それが行われた実験の結果を知っているからだ。
「さて、鈴音ちゃん。調整しようか」
説明が終わり、研究成果を早く試したいのか、いつになく風音は張り切っており、鈴音を調整室に引っ張っていく。
透とイリオスはそれを苦笑と共に見送る。
透が付いていこうと、風音達が向かった方へと歩こうとするが、エリオスが話しかけてきたため足を止めることになる。
「あなたにも渡すものがあります」
「それって何ですか?」
「ラグナ様から開発してほしいといわれたレコードです」
「既に持っていますが……」
「すいません。言葉が足りませんでした。正確にはレコードの補佐、つまり追加機能をあなたのレコードに追加するのです」
「どんな追加機能を付けるのですか?」
「大量のヒュレーやイデアを送ることができるパイプを新たに創ることができ、また必要であればストックを容量が許す限り作成でき、それを自由に操作できる機能ですね」
透は聞いた機能から、ラグナが何を狙っているのかはっきりわかった。
「……わかりました。お願いできますか?」
「はい。では、調整室へどうぞ」
――透の左手の薬指にある黄金の指輪が鈍く輝いた。
** *
カノンフィールらしい調度品溢れる執務室で、ノルンは父であるスルドと対談していた。
「彼らとの生活はどうだい?」
「そうですね……少なくとも悪いものではないですね」
それはノルンにとって偽らざる本音だった。透達のいちゃつきぶりには少々辟易することがあるが、彼らと過ごして苦痛であったことはない。むしろ、彼女が今まで生きてきた中で最も穏やかな時であることには違いなかった。
「そうかい……」
娘がお世辞を言っているのではないとわかり、スルドは安心する。仮面を着けているため顔の表情からは読み取ることはできないが、いつも纏っている霧のような外交用の雰囲気が消えているので、彼にも娘の心情を察することができるのだ。
――いつもならば、このような事はないというのに。
「彼は君にアプローチとかはするのかな?」
「……そういったものは一度もされたことはないですね」
ノルンは今まで星の数ほどの男に言い寄られてきた。言い寄られないことの方が珍しいのだ。――まるで呪いのような美貌によって、そして類い稀なき力によって。
恋人がいるからとも考えられるが、そういった者でもノルンに見惚れ、恋人に咎められ、その恋人に敵視されるというのが、彼女にとってのいつものパターンだ。
だが、透達は彼女が今まで接した中でも異彩を放っている。
透はノルンの美の女神も裸足で逃げ出すような美貌を見ても、平然とし、普通に接してくる。フィンや鈴音は彼女を全く敵視せず、それどころか歓迎までしている始末だ。今までなかったパターンにノルンは戸惑っているのが彼女の現状だ。
「そうかい……では、当初の予定通りに、君からアプローチしているかい?」
「……はい。効果は然程ありませんが、私に気を許していると思います」
ノルンのことは彼女の従者であるメリルから仔細に報告を受けている――多分な脚色つきで。
今回の婚約については、ノルンは相手側の戦力や秘密を推し量る任務が与えられている。場合によっては、魅了で操り人形にすることも。婚約とはただの名目であり、ノルンは相手側の懐に潜り込ませた毒薬というのが、ノルンが果たすべく役目。カノンフィールは透をノルンの婚約者とは認めていないのだ。
しかし、カノンフィールの総意とは別に、スルド自身にも思惑はある。スルドは娘を駒扱いすることに不満はない。だが、スルドは別に娘がどうでもいいという訳ではない。むしろ、彼女の幸福を祈っているといいだろう。
寵愛者を母に持つノルンは、生まれながらに寵愛者としての器を持って産まれた。寵愛者を親に持つからといって、その子供は寵愛者に生まれるわけではない。むしろ、低い可能性ではある。しかし、ノルンは寵愛者として生を受けた。
四界でも、寵愛者が生まれることは滅多にない。基準が年々上がっている事もそうだが、寵愛者はその大きすぎる力に器が耐えきれず、短命となる事が儘あるのだ。アースフィアでは、十年生きる事ができればいい方だとされている。
だが、度重なる技術の改良もあって、四界の寵愛者はアースフィアと違ってより安定しており、普通の者と何ら変わらず、いやそれ以上に長く生きる事が可能なのだ。
アースフィアが行った人工寵愛者という所業は、四界でも過去に行われた所業であり、その結果として今の四界が形作られることになったので、アースフィアに対しては思うことはなかった。人造寵愛者の成功という偉業以外には。
ノルンの母は当時、カノンフィールで唯一人の寵愛者であった。彼女はヴェルディンとの戦争の際に、ヴェルディン唯一人の寵愛者――国王であり、フィン達の父親にあたる人物と相討つ結果となった。泥沼に嵌る事を予見した彼らは、この時に休戦することを互いに誓ったのだ。――新たな切り札を手に入れるまで。
そして、妻を失ったスルドは、妻の死から逃げるように仕事にのめりこんだ。妻の面影を残すノルンに対しては、仮面を与えただけでほとんど放置という形になってしまったことは、彼の忸怩たる行いであった事を自覚している。言い訳をするならば、ノルンの魅了の制御が未熟であったために、ノルンと長く接していれば、不埒な思いを抱く結果になりかねないと、当時の彼は判断したのだ。
幸いにして、物分かりが良すぎる彼女は、不満を抱くことはなく父の行動を受け入れたのだった。ラグナから学園都市アカディアの件が持ち上がった時、彼の忙しさに拍車がかかったことも原因の一つだろう。
彼は別にヴェルディンに恨みを抱いてはいない。
妻の死の原因となった戦争は、彼の立場からすれば覚悟していたことでもある。そして、仮にもう一度戦争にでもなれば、双方に壊滅的な被害を受けることが分かっていたので、自らの感情を自制することができた。常に覚悟を決めている事もその一助となっているだろう。
そして、彼はもしかしたら娘の憩いの場を壊してしまうのではないかと、これまでになく自問していた。
だが、どうしても聞かなくてはいけないことがあった。――今の自分の立場ゆえに。
スルドは精神を落ち着けるために、用意されている紅茶を一飲みし、深呼吸する。
そして、今の平和を崩してしまうかもしれない言葉を発する。
「――ヴェルディンの王女、フィンに勝つことは可能かい?」
聞かれた問いに、今までのデータを冷静に検分し、問いに答える。
「一対一では、まず不可能です。彼女のイデアは膨大です。こちらが先にイデアが尽きてしまいます」
ノルンは感情を挿まず、導き出された答えを偽りなく答える。
「……そうか」
それは既に分かっていたことだ。いくらカノンフィールの切られなかった切り札でも勝つことはできないだろうと、調査から分かっている。
だから、聞くべきことは――
「――では、君を含めた複数では?」
ノルンは一拍間を空けて、
「――可能だと判断します」
平和を崩す言葉を発した。
** *
鈴音は透とデートを行うと、そのまま自宅ではなく、風音の元へと向かった。一人娘故か、風音は鈴音を至極可愛がっており、久しぶりに親子の時間を持ちたいという彼女の提案に否を唱える気はない透達は、数日の間、親子の時間を持たせることを承諾したのだ。
そんな夕暮れ時、透が帰宅すると、満面の笑顔でフィンは出迎える。
「おかえり!」
「ああ、たたいま」
フィンが今にも踊りだしそうな雰囲気をしている。
透はなにかあったのか気になったので聞いてみることにした。
「秘密だ!」
「そう……」
フィンが隠し事をするのは初めてだが、透はそのことを別に怒る気はない。自分に関係があれば話してくれればいいと思っている。
「楽しみにしておれよ! むふふふふ」
フィンの笑いから関係があると踏み、いわゆるサプライズというものだろうと推測する。
しかし、透はあの妙な笑いが気になっていた。あの笑いをする時、ろくなことが起きないと、彼の経験が告げていた。つまり、ルキに何か吹き込まれた可能性があると……。
その予感は的中していた。
透はいつもどおりフィンと一緒に入浴しているのだが、彼女は突然用意するものがあると脱衣所に向かったのである。
戻ってきたフィンが手にしているものは、何かの液体が入った容器とマットだった。
容器の外からでは詳しくは分からないが、粘性があるように思える。
「それ、何?」
「説明するからうつぶせになるがよい!」
用意していたマットを指さしたので、透は言われたとおりにうつぶせになってみた。
「われが疲れを取ってしんぜよう」
フィンは自分の手に粘性のある液体を垂らし、透の身体を隅々まで染み込ませるように塗す。
その合間にツボらしきものを押したり、整体したりと、丹念にマッサージする。
「その液体は何?」
透は先ほどから聞きたかったことを問う。
「これはだな……マッサージオイルというものだ」
「マッサージオイル?」
「うむ。ルキが調合した特別製のもので、美容効果や、肉体及び精神の疲労回復等、様々な効果があるらしいのだ」
「ふ~ん。マッサージは?」
「夫の疲れを癒すのは妻の役目だからな。一緒にすると効果は倍増らしいのだ」
えへん、と胸を張るので、ある部分がプルンプルンと揺れ、透は思わず注目していたのだが、誤魔化すように続きを頼む。
そうして暫く経った後、マッサージし終えたのか、フィンは手を休める。
そして、恥ずかしがっているが、フィンはどこか興奮したさまで透に頼み込む。
「その……だな……われにもして欲しいのだ」
「知識はあるからいいとして……あまり、気持ち良くないかもしれないよ?」
「してくれるだけで嬉しいのだ。……それに上手くなるまでわれで練習していいぞ」
顔を赤らめ、恥ずかしながらもフィンはしっかりと主張する。
そして、彼女は何かを我慢しているようにもじもじしている様子である。
これに応えねば、男ではあるまいと、透はフィンの願いを叶える事にした。
「じゃあ、するから……うつぶせになって」
「……うん」
結果だけを言うなら、お互いにマッサージが少し上達したと明記しておこう。
そして、透達の間では時々これをすることになったのは、当然の成り行きであった。
ルキとフィンの狙い通りになったことは言うまでもない。