3-2 思惑と授業開始
ここ生徒会室は、五界の特殊性ゆえ特殊な構造となっている。
まず、生徒会室に入ると来客用の部屋が配置されている。本日行われる顔合わせもここで行われる予定であり、大人数が入ることを前提に造られているのでスペースは広い。
もう一つが、現在透達がいる執務室。
ここは資料の保管を兼ねてもいるのでセキュリティが高い。入室するには事前に登録を行う必要があり、登録がない者は決して入ることはできない。
ここは位相がずれた空間に配置されているらしく、入る唯一の方法は来客室にある扉から入るのみとなっている。
透達が執務室を出たのは、ガイダンスを終えたのか、最初の来客が来たためである。
そして透達は出たことを後悔することになる。
透達が来客室に入った瞬間目にしたのは、赤金色の短髪で自信に充ち溢れた少年だった。
その少年を見た瞬間、フィンの顔が絶望に染まったが、気付いた者はいなかった。
少年は自分が注目されているのに気づくと、いちいちポーズをとりながら自らを名乗ったのである。
「天地開闢の時より待ち焦がれしは、至高の王の誕生である。人々よ、その時は来た! いざ、至高の王の名を心に宿すがよい。その名は! ヴェルディンの! 未来の王! クロウ=C=ヴェルディン!」
――沈黙が場を支配した。
誰もが無言のまま次の言葉を紡げないでいると、焦れたのかクロウと名乗る少年はポーズを解く。
「余が名乗ったのだ。そちらも名乗るのが筋ではないかね」
そう言われ、透達は自分達の名を名乗る。
「未来の王と言っていましたが?」
その単語が気になったのか、ノルンはその真意をフィンに問う。
その問いの答えはフィンではなく言った張本人であるクロウから返ってきた。
「フ……知れたことよ。余がヴェルディンの王となる。その輝かしい栄光の座は、既に余が座ることが決まっているのだ」
本当なのかと、フィンに問い質す。
フィンがすごく疲れた顔で真相を明かす。
「今現在、王は不在の状況だ。臨時として、われが王とはなっているが正式に決まってはいない。われは王の座に興味はないのだからな。いずれ、ラグナ殿が後継者を見定めるだろう。……おそらく、王族の中からな」
そういった瞬間、クロウの瞳に昏い感情が宿ったが、フィンに注目していたことと一瞬のことだったので誰も気づかなかった。
「つまりだ。余がその後継者ということだ」
「正確には候補者だがな」
クロウとの話はここで終わることとなった。
ガイダンスを終え、次々と人がこの生徒会室に来たからだ。
その日、顔合わせは多少の波乱があったが無事終わり、透達は学校を後にした。
** *
透はフィンの部屋で、フィンのさらさらと流れるような髪を掌に掬っては零し、掬っては零す作業を繰り返していた。彼女の髪質はまるでシルクのように滑らかで一度たりとも絡まることなく零れていく。
フィンは透の行動を咎めることなく任せるままにしていた。
彼女は今透の身体に身を預け、とくん、とくんと動く心臓の鼓動に耳を寄せていた。
フィンの部屋にあるベットは二人で寝るには狭く、必然的に身を寄せなくてはならなかった。
だが、彼女はそれを厭うことはない。
なぜなら、愛する者の温もりを、鼓動を、匂いを全身で味わうことができるからだ。
彼女が今している体勢は、彼女が最も好む体勢であり、暇あらばこの状態でいたいと願っていた。
「そういえば、フィンはクロウが苦手なんだよね」
突然の透の話題にフィンは驚くことはない。透の心臓の鼓動がフィンの心を落ち着けているからだ。
「苦手というには些か語弊があるな。そうだな……直接関わりたくないというのが本音だな」
「直接?」
「うむ。傍から見ている分にはあれは愉快なのだ。いちいち芝居がかった言動やポーズとかがな」
フィンの言うとおり、クロウは顔合わせの時も大袈裟なまでに目立とうとしていた。……誰もがどん引きであったが。
「確かに」
「そうだろう? あれが身内ではなく他人であったらどんなにいいか……」
しみじみとフィンは言う。確かにあれは恥ずかしい。
「彼は王になるって言ってたけど、実際のところはどうなの?」
「……正直にいえば、無理だな。兄上の実力はわれらの中では最も弱い。ただの戯言に過ぎぬよ」
「実験前も?」
「実験前ならわれが最弱だろう。透がいなければ、われは今も力を求めて足掻いているか、絶望していたかのどちらかだろうよ」
実験前までの自分を思い出したのか、フィンは透にぎゅっと抱きつく。
「フィンは王になることに未練はない?」
「ない」
はっきりと些かも未練を感じさせず、その事を全く後悔していない声だ。
「われにとってヴェルディンの王となるより、透の妻となることの方が遥かに魅力的なのだ。それこそ全てを度外視するほどに」
「そっか」
彼女の少しもぶれることがない真っ直ぐな気持ちが嬉しい。その気持ちに応えるために彼女を優しく、だけど離さないように抱きしめる。
「ん」
フィンも透の意図がわかったのか、抱きしめ返す。
そして感極まったのか激しくフィンは透に激しくキスをする。
二人は知る由もなかったが、時計の針が四半周するほどキスは続き、最早その吐息も、唾液もどちらのものか判断できないほど混ざり合った。
「……透」
「ん?」
「やってみたいことがあるのだがよいか?」
「何?」
「透をこの胸に抱きしめたいのだ」
「いいけど」
フィンは嬉々として体勢を入れ替える。
「あぁ……いつもは透にしてもらっているが、われがしてもよいものだな……」
フィンは透の頭をいつも自分がしてもらっているように優しく撫でる。
「なんか……恥ずかしい」
「いやか?」
「いやじゃないけど……」
「ならさせてほしいのだ」
「……好きにすれば」
諦めたように脱力する透を胸に閉じ込めるかのように抱きしめる。
――慈愛の表情を浮かべながら。
** *
透の息が胸にかかり、こそばゆく感じる。
初めてこういったことをしてみたが、なるほどいいものだ。透が好むのもわかる。
胸が圧迫されて若干息苦しさを感じるが、それだけに相手の存在が感じられて、息苦しさが幸福へと変わる。
機会があれば、またしよう。
思えば、彼と過ごした時間は、この世界とは異なる時間軸と空間を過ごした時間を除けば、この世界では数カ月にも満たない。その数カ月の間でも、この胸の中にある思いを根付かせるにも十分な時間ではあったが。
現在では最強と言われているが、幼かった頃は欠陥品と言われ、蔑まれてきた。だからこそ、自分と母親を周囲に認めさせるため、我武者羅に力を追い求めていた。
この可愛くない口調も虚勢を張るため、誰これかまわず噛みついていた時に身に付けた。いまさら他の口調に戻すことは難しく、透に直した方がいいかと尋ねたことがあったが、透は『俺としては意思を伝える際の飾り付けた口調などどうでもいいかな。意味が通じるのであればそれ以上のことは気にしない』と、今の自分を肯定する言葉を掛けてくれた。嬉しかった。
自分達の力は先天的なものに依存しており、後天的に身につけられるのは戦闘技術、制御法と力の底上げに多少役には立ったが、力もつ者が認められるヴェルディンでは、他の者も他者に蹴落とされないように力を身につけるので差が埋まることはなかった。
だからこそ、われは藁にもすがる思いで、一応安全といわれていたが、未知の実験だったため効果が果てしなく疑わしい実験のモルモットに志願したのだ。
先ほど透に王の座に未練はないかと問われた。われはないと答えたが、その言葉に偽りはない。アウト・オブ・眼中というやつだ。
われは今、王の座に就いているのと同じ状態だ。実験の後、あれほど望んだ王の座、いや力を手に入れたが、何の感慨も生まなかった。われの頭の中には常に透があり、どうすれば透に会えるか、どうすれば役に立つか、どうすれば愛してくれるかとばかり考えていた。
常に透との繋がりは感じられたが、本人が傍にいないのも相俟って、心に虚無を抱えた状態だった。常に欲求不満だった。今では満たされ……常に透成分が流されているこの身体を愛しく思うものだ。もしも、これが途絶えてしまえば発狂してしまうかもしれない。
余人からすれば透への執着は域を脱しているだろう。だが、最早魂に至るまで透に埋め尽くされている我が身はそれを異常とは思わず、むしろこれこそが常道であり、この道を歩く以外の選択肢は放棄されているのだ。この道以外を歩むのであればわれは喜んで消えよう。
ヴェルディンの未来も王女としての責務もどうでもいい。ひたすら透と共にある。これを邪魔する要素は切り捨てるまで。
われには最早興味がないことだが、ヴェルディンはいずれ内乱となる可能性は高い。理由は王の座を巡る後継者の争い。
賢明なラグナ殿ならば察していないわけはない。色々と画策しているようだが、その行動は内乱の事前阻止よりも、誘致しているように思える。ラグナ殿が何故そうするかは計り知れぬが、われらに支障が出ない限りは放任することにする。……万が一の時は例の場所に逃げだすなり、ヴェルディンを滅ぼせばいい。――ただそれだけのことだ。
だが、さしづめ、問題となるのはこの男。われはこの男の全てを愛しており、嫌いなところはあるにはあるのだが、そこも愛しく思っておる。時を、そして魂までも超越して愛しておる。転生したとしても再び愛するくらいにはな。
しかし、余人にとってはこの男はまさしく悪魔。
人畜無害の面を被っており、通常はまさしくその通りなのだが、この男の本質は悪魔的であり、虚無の塊のような男なのだ。
われは世界にとって、最良の選択をしたといってもよい。この男は人間の世界にとって、存在してはほしいが、干渉すべきでない存在。
だからこそ、透はヒモでなくてはならない。妻であるわれらを愛し、妻であるわれらのためにだけ行動しなければならない。
もし、透がそれ以外、誰かのために働けば、その誰かは破滅し、世界のために働けば、世界は終わりの時を迎えるであろう。
まぁ、仮にそうなったとしてもどうでもよいが。だって、われがどれだけ悩もうと、透がしたいと思えば誰にも止められないから、考えるだけ無駄なのだ。
さて、考えるだけ無駄な事を考えるのを止め、愛しきものを抱いて眠るこの時を堪能することにしよう。
――朝、どのような幸福を迎えるか楽しみだ♪
** *
今日から授業が始まるので、透達は教室に向かうことにした。
教室はそれぞれ約五十名の生徒数を抱え、一学年でその数は十に及ぶ。
透達が向かう教室は少し特殊だ。といっても、内装などが特殊というわけではない。教室にいる生徒が特殊というだけだ。
何が特殊かというと、透達は言うに及ばず、各世界の寮長を含んだヴィンクルムが集結しているからだ。
これに関しては議論が分かれた。
バラバラにすることで生徒同士の横の繋がりを強化するか、もしくは一箇所に集めることによって縦の関係を意識させるか、この二つに分けられた。
今回選ばれたのは後者の方である。
理由は初年度であることを顧みて、権力者を一箇所に集めることによって、異世界同士で問題が起こったり、手続きが発生した時、迅速に行動させるため。それと生徒の大多数はいわゆる平民であるため、その世界の権力者がいた場合、接する機会があまりないため、彼らは委縮してしまい、行動を阻害してしまう可能性がある。それならば身分を感じさせない者同士を組ませることによって交流を深めさせようという狙いのためだ。
これは初年度に限った話であり、来年度以降は彼らの状況次第で前者の方に切り替える所存だ。
その教室を開けると透達にちらちらと視線を寄こしてくるが、昨日の顔合わせが効いたのか、各ヴィンクルムのリーダーでもある寮長が、メンバーに透達を気にしないようにと伝える。
透達は空いている六人程度が座れる長椅子の席に座る。
本来であれば五人が座れるものを用意すべきだろうが、この学園は透達を基準に造られており、六人が座れる席はその証といえた。
席に着くと端末を起動すべく、机の前方にある棚の認証システムにアクセスする。認証画面が眼前に浮かびあがり、認証のボタンを押す。
授業の出欠の有無はこれで確認されている。
前方にスクリーンが浮かびあがる。先ほどまで何もなかった机にはコンソールが組み立てられていた。これもナノマシンの一種で、授業の認証と共に組み立てられる方式になっている。
ディスプレイには既に授業用の画面が表示されており、いつでも授業を受けることが可能になった。
授業といっても講師が来て授業をするわけではない。
五界で共通して問題なく学べるものは少なく、又世界が異なるため学べる教科の授業内容も異なるのだ。
だからこそ、基本は問題なく学べる言語に力を入れ、その他の内容は各世界が自世界の言語以外の授業をカバーすることになっている。
授業は課題形式で行われ、質問があれば同じメンバーに聞くか、専用の教室で待機している講師に直接質問する、もしくはメールするという方式をとっている。
講師の役目は課題の用意、そして各生徒の理解度、及び進行状況のチェックとなる。
ちなみに一度受けた課題はヴェリングに登録されており、いつでも閲覧は可能であり、理解が及ばないところがあればメールで質問することも可能となっている。
** *
午前中の座学を終え、昼食を取った後、この学園の授業のメインとなる、仮想世界での魔法実践を受けるべく、その施設に向かった。
この施設はこの学園都市でも最大規模の施設でもあり、中心点でもある。
施設の外形は円筒型の塔の様なものであり、壁面は銀色を基調としており表面も凹凸がなくつるつるとしている。そして、塔には窓もなく外からはその内装が窺い知れない。
施設内部はまず一階が待合室、及び休憩室となっている。数は限られているがヴィンクルム単位で利用できる部屋があり、シャワーを浴びることもできる。
二階以降は仮想世界へ入るための専用機器がずらりと並んでいる部屋がある。
そして二階以降には、中央にある専用エレベーターでいくことになる。エレベーターといってもアースフィアのようにワイヤーを用いることで上下するようなものではなく、かつてこちらに来たときのように瞬間的なものでほとんどタイムラグはない。詳しい原理は透達に知らされていないが、空間と空間を繋げているとのことである。
そして階の各部屋には仮想世界に入るためのシステム――通称、門が八台設置されている。門、または卵と呼ばれているのは、この機械が黒い卵のような形状をしていることと仮想世界への入り口を意味していることに由来している。
透達は受付にいる係員にポルタの使用許可を貰い、空いている部屋の番号を言い渡された。その後、透達はその番号の部屋がある階層へエレベーターで移動する。
ポルタの使用はヴィンクルム単位はもちろん、個人単位でも使用は可能である。使用する際は使用目的を告げ、それに応じて係員が番号の部屋にその目的を達することが可能な仮想世界を利用できるようにする仕様になっている。本人の許可が必要となるが、申請すればそのポルタを使用中の行動を後から観察することは可能だ。これもヴェリングに登録され、いつでも個人及びパーティーで見ることは可能である。
仮想世界は魔法の訓練、及び授業の課題として使用される。だが、本人達が望めば現実世界での鍛錬も可能で、周囲にそのための施設が用意されている。また、そのための講師も当然その施設で待機している。
仮想世界で鍛錬を積み、現実世界で成果を結ばせるのが通常の訓練方法だ。
透達は使用許可が下りた部屋に入る。
其処には黒い卵の形状をしたカプセル状の機械が四個ずつ二列に並んでいた。
空いているポルタにそれぞれ入り、体を横たえると、頭部脇にある開閉ボタンを押す。
すると、ポルタが徐々に閉ざされていき、完全な闇に包まれる。
しばらくすると『仮想世界に入りますか?』と確認画面が出てきたので、イエスと答える。
秒読みが始まり、それがゼロになると意識は闇に落ちた。