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「はぁ……」
気付いたら今日3回目の嘆息。だが今のは安堵からのものだ。
伝説のパンクバンド、《眠れカーテン》のメロディーを聞き流しながら、俺は今帰路を進んでいるところだ。
こんな天気のいい日は、一日中家でのんびりするのがいい。さっきまで巻き込まれてた変な事については、あえて勘考しない事にした。ああいう連中のやる事は下手に端倪しない方がいいに決まってる。
それにまだギリギリ午前中だし、どうせ短い人生なら自分の好きなように、有意義に時間を使いたいしな。
そう思っていると俺は、前方に2人の姿が見えて足を止めた。
西園と御剣だ。
アイツら、こんな所で何やってんだ? 御剣はともかく、西園の家は駅の方だから遠回りじゃないのか? 〝安全な帰宅〟を活動目的とする帰宅部が正規の帰宅ルート逸脱して寄り道かよ……まぁ、俺が言えたことじゃないけど。
そこでふと、自分が遠目から2人を見ている事に気付いた。
いや、確かに一度さよなら言った後に、また遇うのは(俺としては)かなり気まずい。
だからと言って引き返す道理も無い訳だ。
で、西園達の方に歩いて行く事にした。
いいや、どうせ通り道だし。挨拶くらい減るもんじゃないしな。
楽しそうに、何話してるんだろ、あの2人……まさかデキてんのか(笑)ーー ーー不思議と笑えない。
すると2人も、こっちに気付いて手を振ってきた。御剣が全開のスマイルでぴょんぴょん跳ねて手招きしてる。
2人の声が聞こえるように自分の世界から抜け出すと、外したイヤホンのコードを丁寧に畳んで、制服のポケットに仕舞った。(コードを巻き付けるより、折り畳んだ方が断線の危険が高くなるという噂もあるけど、こんなのは気持ちの問題だ)
「よぉ、また遇ったな」2人の所へ近づきながら声をかける。
御剣が屈託の無い笑顔で懇ろに返してくれた。
「うん! レイジくん、こんな所で何してるのっ?」
「ああそうだよ。CD買いに行くんじゃなかったのか?」西園が聞く。
「んーまぁ色々、不測の事態があって……ってかお前らこそどこ行くの? こっち、いつもの帰り道と違くね?」
そう聞くと御剣が嬉しそうに答えた。
「あのねっ、ネコ見つけたんだ! 黒い赤ちゃん猫。昨日箱に入れられて捨てられてたから、今日も見に行こうと思って」
「猫?」
「で、俺も見たいからついてきたってわけ」と西園。
ふふっ。可愛いなお前ら。小学生かよ(笑)
「へー、その猫どこにいんの?」
「ええと、なんかあの市役所の方らしいーーだろ?」
「うんっ。昔の市役所だった所の前だよ。自販機の近くの段ボール箱の中に入ってるの」
「旧丹城市役所って、あの廃墟になってる所か?」興味は無いが聞いてみる。
「うん、そうだよ」と御剣。なんか楽しそうだ。
「じゃあ俺も行くよ。暇だし。……その猫なんて名前なの?」
「えーとね、《イッパイアッテナ》」
「あれ? 《ナマエハマダナイ》じゃないの?」と西園。
うん、それどっちも名前じゃないな。
「じゃあ《ヤマト》は?」
「それなら《ジジ》だろ。元ネタだし」
いや、元ネタがヤマトの方だ。
「あ、やっぱ《ルナ》がいい!」
「いやそこでまさかの《坂本さん》という選択肢も」
急にアニメ寄りに……。決まってないんだな。
「黒ければなんでもいいのかよ。……だったら《黒き幸》にしねぇ?」
………………。
「…………」
「…………」
あれ、シラけた?
「……長い。(中二病?)」
「……なら《K》でいいんじゃね?」西園が口を出す。
K君……なんか自殺しそうで嫌だな。
「じゃあ《慶》は?」
いやそれもまっすぐ育たなそうだぞ。
「じゃあ《key》」
んーそれは、Vロック系の? 横文字にすれば取り敢えずかっこ付くと思ってるだろ。
「キーくん? いいねソレっ!」
えっ、いいのかよ!? 鍵だよ、それただの……
ーー結局、黒猫の名前は《キーくん》で落ち着いたらしい。
拾ってあげるわけじゃないし、御剣のネーミングセンスに口出しする義理もないしな。生徒会に居そうだけどね。
「ねぇ、さっきから思ってたんだけどさ、レイジくんその首飾りなあに?」
「ん?」
あ。今御剣に言われて気付いた。
さっき不審者に掛けられたネックレス、首に下げたままだった。
大きすぎて不格好な青い宝石が、金色の細い鎖で吊り上げられている。
「あ、あぁ、これね……これは、その、さっき……貰った。そう、貰ったんだよ。って言うか押し付けられた。知らない人に」
咄嗟に制服の中に仕舞って、学ランの不良レヴェルを一つ下げる。
「貰ったって、何で? お前何かしたの?」西園が興味を示しやがった。
「いや、何かっていうか……変な人に絡まれた感じで。その変な人がこれくれたんだけどね」
「変な人ってなに。どんな人?」2人が興味津々でこの話題に食いついてきた。
ヤベー、めっちゃ関心引いちゃったぞ。
「まぁ、外国人っぽい女の人だったけど、なんかアレ知的障害ある人みたいだったな。変なドレス着て弓矢持ってたし。……しかも地獄から来た魔女が追いかけてくるとか言ってた」
「それ本当にヤバい奴じゃん! 何したんだ? 通報されてなかった?」
「ディズニーの映画でそういうのあったよね! アニメの世界から出てきちゃうやつ! その人どんな感じの人だったの?? 」
「うん、あー意外と美人だったけど……いきなり上から落ちてきたんだ。俺の前に。それでいきなり蹴り飛ばされてー、腕引っ張れてー、連れ去られた。あ、その途中でこのネックレス貰ったんだけどね。なんかお守りだよとか言って。で、その後逃げてきた」
「なwんwだwそwれwww なんの脈絡もねえな!」
「へぇー、見てみたかったなぁ〜。その人」
ほんとにオチも何にも無い話だ。中二病も行き着くとああなるのかと思っただけだ。
「やめとけ、絡み損するだけだぞ。あれは関わってから後悔するパターンだから」
「いいな〜レイジくん。その人本当に悪と戦う正義のヒロインかもしれないよね!」と御剣が一人はしゃぐ様子を、しばらく遠目から見守ってやった。
俺は流石にその設定にはついて行けないな。
「なあ……怜士……」不意に西園が呟いた。
「ん?」
俺は後ろ向きに歩きながら、西園に向かい合っている。
「そこにいるの……」俺の後ろを指で指す。「……違くね?」
ーー足が止まった。
全員の歩行が停止する。
2人の視線が同じ方向ーー俺の後方を見つめている。
西園の顔も、時が止まったように表情を変えなかった。
俺は、ゆっくりと背後ーー2人の視線の先に目を向ける。
振り返ると、そこには
ドレスを着て立っている、女の姿があった。
黄金に光る槍を手に持ち、紫色のドレスを纏った女性が、穏やかな笑みを顔に浮かべながらこちらを見つめている。
中世の舞踏会にでも紛れそうな服装。気品ある栗色の髪に、日本人離れした明眸な顔立ち。頭の上には眩いばかりのティアラが煌めいている。
その美しい様相に反し、手にした槍は、先端が五つに分岐し、その付け根に巨大な赤い宝石が埋め込まれている。ポセイドンの三叉を彷彿させる、その殺意をむき出しにした形状が、無闇な禍々しさを湛えていた。
無意識に、距離を取るようにあとずさる。
「……走れ」御剣の後ろまで下がりながら言った。
「走れ。逃げろ!」
俺は叫ぶと、御剣の手を引いてその女と反対方向に駆け出した。
「ひぁっ」と御剣が声を上げる。
見ると西園が状況を飲み込めない様子で立ち止まっている。
「何してんだよ早く!」
「うわっ」
いそいで西園の腕を強引に引っ張って走り出す。
俺は2人の腕を掴みながら、今歩いてきた道を全力疾走で引き返していた。
ヤバいヤバい追われてる! 何で、何で俺に!
「怜士、おい、どうしたんだよ」
「何があったの? ねえレイジくん?」
2人がハアハアと行きを乱しながら、楽しそうに聞いてくる。
分かんねえ、分かんねーよ俺にも! 分かんねーけど……!
掴んでた2人の手を離す。
「バラバラになって逃げろ! あいつが狙ってんのは俺だ!」
「狙ってるって何が……わっ」バタッ!
大げさに言葉が転倒した。何かにつまづいて転んだらしい。
「言葉!」後ろを振り返る。ドレスの女が言葉のすぐ近くにまで迫ってきていた。ありえない速さで歩いてきている!
言葉に駆け寄ろうとする西園を、また腕を掴んで引き止めた。
歩いてくるドレスの女が、「いてて」と立ち上がろうとしていた言葉と目が合い、微笑んだ。
しかし彼女は立ち止まる事は無く、そのまま言葉を通り過ぎると、尚も俺に近づいてきた。
「いいから逃げるぞ!」西園を牽引する。
「でも……」
「死にてェのか!! 早くしろ!」
俺の焦燥ぶりを見て、西園の笑顔は消えて行った。代わりに困惑へと変わって行く。そんな西園の腕を思い切り引っ張って走り出す。狙われていない言葉は安全なここに置いて行く。言葉は息切れしていたから休んだ方がいい、西園は元ハンドボール部だからまだ走れるはずだ。
「なぁ、どうしたんだよ……」西園の声に不安が混じっている。しかもその煩慮の対象は俺に向いているようだ。
バカか!? 〝アレ〟を見て何も異様に思わなかったのかよ!
今は西園の愚問に答えてるヒマは無い。ただひたすらに驀進する。
足音は聞こえない。だが確実に間合いをつめられているのが振り返らずとも分かる。
じきに曲がり角にさしかかった。
「二手に分かれろ! お前はそっち行け。絶対掴まんじゃねーぞ!」
西園を突き放して角に駆け込む。西園も少しの動揺の後、きびすを返して走り出した。
止まるなよ。
俺は西園と分かれると、脇目もふらず歩道を駛走した。




