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ラのベル! 〜奈落の魔女と邪眼の所持者〜  作者: DF946
奈落の魔女と《ディアヴォロ=シュヴァルツ》  ーー〔上〕
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 結論から言うと、俺は助かったらしい。

 あの爆発の後、俺達は何事も無かったかのようにデパートを立ち去り、俺は今ルアのあとをついて道を歩いている。

 今言える事と言えば、ーー〝痛い〟って事だ。

 ここに来る間中ずっと頭部を擦っているが、まだ蹴られた時の痛みが残ってる。

 なぜだかは俺にも分からないが、妄想の中で俺はダメージを受けてるらしい。

 100歩譲ってもあれは現実の出来事じゃないと断言出来る(いいきれる)が、100歩譲ったところでこの痛みは幻覚なんかじゃない。

 たぶん俺の感知出来ない(みえない)現実の世界ほうで、何かに頭をぶつけたんだろう。

 でも、幻覚の中の物を消す事は出来たとして、現実世界の物を〝見えないように〟妄想する事なんて出来るのか?

 大抵の場合、幻覚症状は2つに分類することが出来る。現実の世界と重なっている(かぶっている)ものと、100%純粋な妄想で出来た幻覚だ。前者は実際にある「何か」に自分の妄想を投影しただけの物だから、自分の手で干渉する(さわる)事が出来る。一方この後者については自分が好きに作り変えてもいいはずだが、現在の所暴走中で目下手の付けられない状況にある。

 だが〝現実に存在する〟はずのものを〝見えない〟ように妄想する事なんて出来るのか? それは、とんでもない話だぞ。

 無論、前にも言った通り、この世界全てが俺作り出した妄想ゆめの世界でしたなんてオチは有り得ない。100歩譲ろうと200歩譲ろうと、この手に触れた物の感触やこの鈍痛は、脳が勝手に造り出せるような、そんな偽物の情報(シロモノ)じゃない。

 じゃあ、なんであの男は俺に攻撃出来たんだ? それに紫の魔法使い(エルゼ)も……

 これはリアルブートしたメガロマニアとか、そんなもんじゃない。

 あの部屋には(・・・・・)本当に誰か居たんだ(・・・・・・・・・)。いきなり殴りかかって来るような、

 俺に妄想を〝重ねられて(きせられて)〟、「スーツの男」と「ドレスの女」になっていた誰かが。

 ……誰であろうと俺の知り合いではない事は確かだが、

 あの男は明らかな敵意ーーいや、殺意を向けてきた。

 俺が何かをしたのか、あるいは犯罪集団とか暴力団そういうことするやつらのアジトとかに入ってしまった、と考えるのが一番マトモなんじゃないのか。

 なら、天井が落ちてきて穴があいた事については? 危うくガレキの下敷きになるところだったんだぞ。あれも妄想なんかじゃないだろ。

 だとしても、あのMIBみたいな黒スーツの男が本当に天井突き破って登場したわけでも無いだろ。

 じゃあ、「たまたま」か?

 たまたま迷い込んだデパートの屋上が老朽化してて、たまたまそこに居た俺がたまたまその時に崩れてきた天井に潰されそうになったって?

 それはデパートの屋上が暴力団のアジトになってる事より確率低いぞ。工事中でもなかったし。

 たとえ100歩譲って俺が行った場所が丁度壊れる寸前だったとして、さらに100歩譲って、そこがいきなり暴力振るってくる奴らの溜り場だったんだとしたら、それはもう本当に天文学的数字(キセキ)の確率のはずだろう。

 

 もっと現実的になる必要がある。

 まず、あの『魔法陣』の爆発は無かった(・・・・)んだ。

 それはあの爆発現場にもう一度戻れば説明がつく。爆発の痕跡が無ければ、それは爆発自体が無かった事の証明になる。

 今はルアについていかなきゃいけないからそれは出来ないが、あの時の爆発なら街中がパニックになっていてもいいようなもんだ。勿論俺も無事では済まなかったはずだ。

 あの爆発を全て説明出来る科学的知識も俺は持ち合わせてないし。俺の遠く後ろに見えるデパートの最上階からも、煙は上がっていない。これが現実には爆発が起きなかった証明になるはずだ。

 そういえば、あの階に居た奴らはどうなったんだろう。

 それにルアは、今度はどこに向かってるんだろう……

 

 彼女はまだ俺の前を歩き続けている。下を向いて(うつむき)とぼとぼ足を運ぶ様子は、心なしか疲れて途方に暮れているように見えた。

 もしかして、あの武器庫爆発させちゃった事で落ち込んでんのか?

 もしそうなら俺が悪いみたいになるけど。仕様が無いだろあれは、不可抗力なんだから。

 でもあの部屋って、ルアの家だったのかな。

 取り敢えずなんか言っとかなくちゃ。

 ……自分の妄想にも気を遣わなきゃいけないとか、どうかしてるな。

 俺は並んで歩くように、ルアの隣まで歩いていった。

 「あの……ルア?」

 「ん?」

 彼女の視線が上がり、俺の目を見つめる。

 「あの部屋……武器庫アーセナルだっけ。……悪かったな、ブッ壊して。でもあれは正当防衛だからーー」

 「ううん、いいの」ルアの声が遮った。「でもーー鏡が割れちゃったから……」

 あ、そっちかよ。

 鏡の方だったのか、それなら俺が悪い。

 「天界との唯一の通り道だったのに……もう武器を補給出来なくなっちゃった。……使えるのは、《双翼の盾(アイギス)》だけね」

 ルアは遠い目をしてそう言った。

 なんか本人にとっては大事な鏡だったらしい。

 「前から思ってたんだけどさ、その、たまに出てくる異世界は何なの? アヴェルレジアとか。さっきも鏡の向こうに別の空間映ってたけど、なんだったんだよ」

 俺はここで堪っていた疑問を一気にぶちまける事にした。

 「あぁ、あれね」ルアが話し出す。

 「アーセナルは楽園エリュシオンにある私の武器庫なの。えーと、まず奈落アヴェルレジア天界エリュシオンっていう平行世界が存在してる(ある)って事だけ理解しておいて」

 「んんん???」早速オーバーロードだ。

 「うー……なんて説明すればいいんだろう……。そうだ。天界っていうのはね、塵界ここからは歩いて渡れない隣にあるの。いくら近くても触れない……たとえば2枚の地図イラストを重ねたみたいなものだと思って。2つの世界が重なり合ってる感じ。下の紙にいるキャラクターは上のせかいに干渉できないでしょ? それと同じ、それくらい高い(はなれた)所にある世界なの」

 塵界って……。

 「要は天国みたいなもんがあるって事だろ。それで人間世界(ここ)は低俗な次元って事? 言いたいのは」

 「誤解しないで。次元の〝高さ〟って言うのは物理的な物じゃないの。言ってみれば赤外線とか高周波みたいに、人間に感知できる限界の領域たかさの事よ。たまに猫みたいに、他次元を感知できる(とつながれる)いきものもいるけどね」

 饒舌スイッチが入ったらしいルアが続けた。

 「それでこの世界も無数に存在する次元の中の一つなんだけど、天界も奈落も一体になって重なってる多次元世界に含まれてるの。私達は樹形図みたいに、枝分かれした次元モデルで表してるけどね」

 「……世界樹ユグドラシルみたいなことか」

 「北欧神話を読んだのね? そう、考え方としては一番近いかも。名称なまえもそこから引用した物が多いし」

 ルアは話し出すうちに、だんだんと機嫌を良くしてきた。

 「なぁ、さっき〝他の次元には干渉出来ない〟って言ってたけど、じゃあどうやってあの魔女は俺の親友ともだちを殺したんだよ。アンタだってこの次元せかいに居るのはおかしいんじゃないのか?」

 この減らず口が吃るまで徹底的に問いつめてやる。

 「あ、それはね、違う次元でも行けないわけじゃないの。さっきの鏡みたいに、次元同士を移動する方法も存在しないわけじゃないんだよ? ただ、この世界の人は元の次元を出ると、生きたまま帰って来れないけどね」

 「?」

 「基本的に一方通行なの。肉体ごと高い次元には渡れ(もっていけ)ないから、必然的に質量のない《存在の力(たましい)》だけが移動しちゃうんだよね。……でも日常的に魂の次元移動は起こってるんだよ。この世界で人が死ぬと、その存在たましいはアヴェルレジアに送られるの。そこでも肉体を失った者は、今度はエリュシオンに送られる。そして次は人間世界の住人として転生する、っていうサイクルを繰り返すの。どうしてそんな仕組みがあるのか知らないけど、そういう不可逆な輪廻が出来て《存在の力(たましい)》のバランスを保ってるんだって」

 うわ、語り出したよこの妄想。

 「……なんか、概念的すぎる」

 「うぅん、でもエリュシオンから来た私が言うんだから本当だよ。400年間ずっと《存在の力(たましい)》の流れを観測し続けたから、間違ってないはず……」

 「400年間?」

 「こ、この次元の時間軸に換算しての話だからねっ! あっちの世界では400歳じゃないんだから!」

 なにかルアが慌てて否定した。俺にとっては本当にどうでもいいんだが。

 「エリュシオンはこの次元と時間の進み方が違うの。天界には人が居ないし、アヴェルレジアから来る《存在の力(たましい)》を直接人間世界に流してる《門》みたいなものだから、奈落から塵界への受付係みたいなものね。……その《門》をくぐる時に因果カルマの清算をするの。それと同時に前世とアヴェルレジアの記憶を空にして、記憶を持たない状態から因果の回収の為に、塵界から輪廻をやり直すんだって。それで次元移動の流れ(サイクル)が一方通行になってるみたい」

 「……」

 だから鏡の中に入った手が抜けなくなるのか。次元移動の方向が決まってるから、鏡に入る事は出来ても、戻る事は出来なくなる。

 「あ、でも奈落アヴェルレジアから人間世界に行くのも、やろうと思えば出来るらしいよ」

 ルアが歩きながら続けた。

 「自然な《存在の力(たましい)》の流れには逆らう事になるけど。その流れを生み出してるのは天界から人間界への《門》の間だけだから。それ以外の《存在の力(たましい)》の流れには逆らう事も出来なくはないの」

 ……なんだ、この話。

 どこかで聞いた設定をそのまま言ってるのか? それとも俺が咄嗟に考えた世界観なのか? 無意識で世界構造の裏側をでっち上げてるんなら、それはそれで凄い事だぞ。

瞑想の内に何か悟っちゃったのか?

 なんにせよ真に受けるなよ。

 説得力があるように思えても、ただの言い逃れだ。俺が頭の中で無意識てきとうに考えつけるくらいの月並みな詭弁に過ぎないんだ。

 そもそも夢の中が論理的なはずないんだから。

 「分かった。じゃあ、さっき出してた光る魔法陣みたいなやつはなんなのか説明してくれよ」

 「あ、あれね! 見た通り、魔法陣の結界だよ。ただ、色によって種類が異なるんだけどね。私が作った青いのは防御用の結界なの」

 「その種類って他にどんなのがあるか説明して」

 「んー、青いのと……赤と、黄色と、紫……。そのくらいかな」

 「その種類別にどんな効果があるのか説明」

 命令口調になったがどうでもいい。畳掛ける様に尋問して粗を探し出してやる。

 「うん。今私が言った青い魔法陣は防御用で、外側から物を通さない性質があるの。だから青い魔法陣に乗っていれば、あらゆる攻撃から身を守る事が出来る。

双翼の盾(アイギス)》に使ってるバリアもこれと同じね。ただ、中に人が入っていない時はその効果は無くて、術者サモナーが中に入って始めて防御用結界として成立するの。

 逆に、赤の魔法陣は拘束用で、外から結界の中に入る事は出来ても、内側から外には出られない魔法陣。その特性を利用して、召還した魔獣を捕らえておく為に使われるのがほとんどね。

 それと、黄色は攻撃用の魔法陣で、結界を作った術者本人が乗ると魔力マナが強化されて、より強力な呪文を使える様になるわ。

 あとは、召喚と転送用の紫の魔法陣。……こういう魔法陣同士は組み合わせる事が出来るから、紫はよく赤と併用される事が多いかも。ほら、召還した魔物をそのまま捕らえておけるしね」

 なげーよ説明。

 「お前、頭沸いてんじゃねぇの(笑)」という言葉は、そのまま自分ほんにんに返ってきそうなので、心の中に飲み込んだ。

 「待った、青い結界は内側からは出れても、外側から入れないんだっけ?」

 「ええ」

 「じゃあ、なんでさっきの魔女とかは結界突き破って部屋に入って来れたんだよ」

 「それは……えーとね。魔法陣の中にもう一つの魔法陣を作る事も出来るんだよね。特性同士を組み合わせる事が出来るのと同じように、結界の中には何重にでも魔法陣を作る事が出来るの。だからエルゼは私の魔法陣の中に自分の結界を作って、無理矢理中に割り込んできたんだと思う」

 「でも魔法陣って床に手をつかなきゃ作れないんだろ? あんたがあの時やってたみたいに。だけどエルゼは結界内には居なかったじゃん。それとあのスーツの男がどうやって入ってきたのかも」

 「それは多分、エルゼは私達の一つ下の階に居て魔法陣を展開したんだと思う。私の魔法陣の真下から円筒状の結界を作って、私の結界に縦向きの穴を開けたの。エルゼの結界が突き抜けて上にも穴が出来たから、そこからあの男も入ってきたのね」

 しぶといな、俺の脳内心理。

 「……分かった?」

 「待てよ、まだ意味不明な所が山程あるんだから」

 「はぁ……」とルアはため息をついて、

 「いいわ、何でも知りたいこと聞いて」

 「それじゃあ、まず駅で西園が死んだ時、あの後《人払いの結界》とか言ってたじゃん。あれと、駅に人がいなくなったのとは関係あるの?」

 「私が《双翼の盾》で破ったやつね。あの種類はドーナツ型の二重結界の形をしてて、内側の魔法陣に入ってない……外側の結界内に居た人の存在を消し去ってあとは誰も入れないようにする結界なの。まぁこれは戦闘向きじゃないから、人を消す為の結界というよりは、人の邪魔が入らない空間を作る為に使われるんだけどね」

 「存在を消すって……その消された人はーー」

 「もちろん、〝死んだ〟って事ね。正確には〝この世界から消えた〟って言った方が正しいんだけど、この方が分かり易いでしょ?

 ーー肉体ごと次元から(・・・・・・・・)抉り取られたんだから(・・・・・・・・・)

 「消されたって、どういう事だよ。具体的に何が起こったのか詳しく説明しろ」

 「うーん、さっき話した通り、この世界で死んだ人は奈落アヴェルレジアに飛ばされるでしょ。でも〝形〟のある物体からだは次元を超えられないから、転送時に分子レベルでバラバラに還元ぶんかいされて存在たましいだけを向こうの次元せかいに送られるの。だから〝死んだ〟って言うより〝消された〟って感じでしょ?」

 人が突然居なくなった説明に対して「死んだ(きえた)から」で答えるとか。なんて暴論だ。

 やっぱり妄想で物を消したり、現実に居る人を〝見えない〟ように妄想する事が出来ると言う風に解釈を広げた方がよさそうだ。なんにせよあの時、数秒前までは確かに駅の中には何人か人が居たんだ。

 瞬きの内に一瞬で人が消えたなんて事、……やっぱり100歩譲っても有り得ない。

 

 「じゃ、次。さっき戦ってたときに瞬間移動みたいなのしたのは何。なんで突然お前と場所が入れ替わったんだよ」

 文中に(アスタリスク)出てきたらキャラの視点変わるはずだろ?

 「ああ、《身代わりの護符》ね!」ルアが答えた。

 「そのアヴェンチュラっていうお守りの石が、それを持った人同士の場所を空間的に交換できるの。あのとき渡したでしょ……? ペンダント」

 

 ?

 そういえば、今まで忘れてた。最初に会った時に首に掛けられた、デカくて格好悪い石のネックレス。

 俺は制服の内側から首に下がってたネックレスを取り出すと、金色の細いチェーンの先に吊るされた大きな青い宝石の塊が光っていた。

 「そう、それ。その《身代わりの護符》を持っていれば、いつでも私と居場所を交換できるから、手放さないように持っててね」

 どういう事なんだ?

 瞬間移動したように感じるって事は、移動しているときの記憶が無いって事か?

 それなら自分で歩いてる間に意識を失って、気付いたら場所が変わってたって思う事ができる。

 意識あたまが混乱してるのか、歩きながら気絶出来るのか分からないが、もし本当にそうだとしたら、端から見れば、さぞエクソシストな光景だったろう。

 それにしてもペンダントまで伏線に使うとは、どんだけ作り込まれた妄想なんだよ。

 頭ん中でいつもそんな事ばっか考えてるから、こんな夢見るんだ。

 「分かっ……た。(のか?)まあいいや。

 じゃあ魔女と一緒に襲ってきたあの男は何だったの? どうせ人間じゃないんだろ?」

 すぐにルアが質問に答える。

 「うーん、九層地獄を裏切って奈落に寝返った悪魔やつが居るってゆう噂は聞いていたけど、多分、あれが……オルクス・ラザフォード。

 彼は最強クラスの《存在の力》を持っていたはずだけど、奈落でエルゼに骨抜きにされたって話よ。

 オルクスって言うのは悪魔の強さを分ける階級の一つで、そのラザフォードって男はかなり上等階位の力を持ってたみたい。今はエルゼのペットみたくなってるけど。

 だから、この世界にラザフォードを召喚よびだしたのは、エルゼ以外にいなさそうね。

 きっと、あなたを殺す為にーー」

 ちょっとコイツ何言ってるかよく分からない。

 まあいいや。

 「なぁ、さっきの話でさ、身体ごと次元移動はできないって言ってたじゃん。なんか魂しか送れないみたいな事」俺が捲し立てた。

 「あれって、何でアイツらはこの世界に居られるんだよ。魂だけ切り離されて来たんじゃなかったのか? 魂は見えないだろ?」

 ルアが話を続ける。

 「エルゼね。彼女あれは本人じゃないわ。姿はそっくりに作られてるけど、ただの幻影レプリカね。あれが本人だったら、あなたはもう目が合っただけで逃げる意志すら失うわ」

 「レプリカってなんだよ。じゃあ、本物はどこにいるんだよ」

 「もちろん奈落アヴェルレジアに居るわ。支配者が国から離れるわけにはいかないじゃない。

 私たちを襲ってきたのはエルゼの〝影〟みたいな物ーー魔法で造り出された幻影なの。姿形は一緒でも力の差は、本当の彼女なら比ぶべくもないわ。あれはただの影だから、攻撃しても本人には全くダメージは無いの。

 エルゼレプリカは多分、この世界に居る魔導士ウィザードが召喚したんだと思う。恐らく、あの……ヘルメットの人ね」

 「だったらその、ルアが持ってる魔法を打ち消す銃(アイギス)で倒せるのか」

 「そうよ……でも、結構難しかった。あれ(エルゼレプリカ)を造り出してる魔導士が、相当な術者みたい」

 「じゃあさ、なんでルアは撃たれても消えないの? あの時、俺の撃ったアイギスのたまがルアに当たってたじゃん」

 そう言うと、ルアは優しく微笑んだ。

 「私は本物よ。私のこの身体はこの世界の原子で合成召喚した、この世界の物質で構成してあるの。だから私は精神も存在も本物よ。向こうの世界では、私の真の姿はただの光の塊みたいなものだから、あなたの目には……見えたとしても、とても醜い姿に映るでしょうね」

 「あの悪魔もルアとおんなじって事か? この世界で作った身体を持ってて、実体化してるって」

 「そうよ」

 あっさり肯定されてしまった。

 本当にこれ、俺の頭の中で出来た妄想はなしなのか? 何かの設定をパクってるにせよ、妄想にしては設定が細か過ぎる。

 あと何を質問しようとしてたんだっけ。これだけだったか?

 質問が途絶え黙り込んだ俺を見て、ルアは質問が終わったのだと解釈したらしい。

 ちょっと整理してみようか。

 まず第一に、俺が見えてる物には2種類あって、完全に俺の妄想で出来たものと、現実と重なっていて(クロスオーバーしてて)本来げんじつとは違うものに見えてるものがある。

 そして現実も一部、妄想により見えなくなってる物もあるらしい。例えばあのスーツの男は……


 …………あれ? 


 ルアの手って、…………触れたよな(・・・・・・)ーー

 

 「……!?」


 (ちょ、ちょっと待って)

 立ち止まり、開いた右の手のひらを見つめる。


 (現実に投影されてるものには触れるんだろーー)


 倒れた俺を引き上げてくれた時の手、

 ルアの手の感触


 (ルアの中には…………誰が居るんだーーーー?)


 「ん? どうしたの?」

 立ち止まったルアが、不思議そうな顔を俺に向ける。

 心拍がドクドクと早くなる。


 (俺はーーーー誰と話してるんだ(・・・・・・・・)?)


 ガバッ!!

 

 気付いた時には、俺は右側に立っているルアの二の腕を、両手で掴んでいた。 

 ドレスの肩と、長手袋の隙間にある僅かな肌の部分。

 爪の先が食い込む程強く握りしめる。

 「い、痛いよ急に。ちょっt、……龍ケ崎君?」

 筋肉の柔らかな弾力。白く滑らかな肌の感触。

 女性的な細い二の腕、僅かに暖かい、脇の下の静脈が静かに脈動するのを感じる……

 これは……


 「あ、あの……」

 見上げると、ルアが困ったような顔でこちらを見つめていた。

 俺は数秒間、物思いに耽りながら、ルアの腕を握ったままずっとふにふにし続けていたらしい。

 慌てて手を離した俺はルアから目を背け、左下の地面に視線を落とした。

 「……どうしたの?」 

 ルアが顔を傾け、見つめ込んでくる。

 どうしよう……

 「なぁ……ルア?」

 「なに?」


 ………………。


 「お前、本当に、俺の妄想なのかよ」



 「えっ?」

 数秒、目が合った。

 何かがズレて噛み合ないまま進んでいた話が、急に意味が通らない事に気付いたような、沈黙。

 「どういう……意味?」

 「……もう、ヤメロよ。……そろそろ消えてくれないか?」

 「何言ってるの?」

 「とぼけんな。いい加減俺もう疲れたんだよ、お前(オメー)みたいな妄想に付き合わされんの……」

 いつもより大きな沈黙が耳元で騒いだ。次に出る言葉で賭けをしているようなーー

 演劇中に役者の本名を言ってしまったようなーー何か言っちゃいけない事を言ってしまった感覚……

 しばらくして、ようやく口を開いたルアが、俺に問いかけた。

 「もしかして……私の事、信じてくれてない?」

 「……」

 はっ、と息を呑んでルアが目を見張った。

 「どうして、そんな……いつから」

 「最初っからに決まってんだろ。ありえない事が多すぎんだよ」

 「なんで……さっきまで質問してきてくれたじゃない」

 「俺は、何も疑わずに風車を巨人と思い込むような馬鹿じゃない」

 「そんな……」

 

 ーー 俺はこの現実せかいすら疑うような男だぞ。ーー

  

 ーー脳細胞が勝手に解釈したものなんて、信じられるとでも思うかよ。ーー


 ルアの顔に動揺と焦りの色が浮かんだ。

 「どうしよう、なんで今更ーー」若干、声がうわずっている。

 「ーーお願い。私を信じて」

 「信じねーよ」俺の声が突き放した。

 「お前の言ってる事が正しいっていう論理的根拠(ラショナル)は何だよ。そんなに言うんだったら、証拠を見せろよ」

 「そしたら信じてくれるの?」

 「やってみろよ」

 オイオイ、既に700歩譲ってやってんのに、まだ口答えするつもりか?

 「……」

 「出来ねぇんだろ? どうせ」

 ルアが口籠った。

 「何をすればいいの。……もう沢山見せてきたのに、あなたは何をやったって認めてくれないじゃない。これ以上何をしろって言うの」

 「誰にも反論出来ないくらいの決定的証拠だよ。俺の反論を完膚なきまでに叩き潰す、絶対的なまでの論拠を見せてみろって言ってんだよ」

 「そ、そんなの悪魔の証明じゃない。存在している事を証明出来ないから存在していないなんて」

 「でも存在する証明も出来ないんだろ?」

 俺の言葉に、ルアがいきり立つ。

 「私が存在してないって言いたいのなら、あなただって自分が存在してる事を証明できないじゃない」

 「俺は存在してるさ。俺の事は俺が一番よく分かってる」

 「そんなのずるい! 私だって、私の事は私が一番よく知ってるのに!」ルアが息巻いた。

 「今は俺の視点から議論してんだ。〈お前の存在が有り得ない〉から〈あの有り得ない出来事は無かった〉んだから、必要十分条件だろ?」

 「違う。あの出来事がどんなに信じられなくても、私の存在を否定する根拠にはならない。必要条件を満たしてないじゃない!」

 「うるさい、有り得ないって事は絶対的な意味を持った否定できないもんなんだよ!」

 「あなたは間違ってる。論理を並べて博識ぶってるつもりだろうけど、数学めいだい根底ていぎをはき違えてる。条件を否定してる私自身が反例として存在してるんだから、それはもう命題としても成立してないじゃない!」

 「ッ!? 」

 コイツ……

 今、俺の揚げ足を取ったのか?? 

 妄想の中での自問自答じゃ出来ない、俺の気付かなかった間違いを訂正しやがった!? 

 「ふ、フザケんな! オメェは俺の妄想の産物なんだから、口出して否定する権利なんて無ェんだよ! お前はこの世に存在してないんだ!」

 「ッ!」

 その時ルアの表情が変わった。

 息子の非行を見る母親のような、悲しみとショックが入り交じったような目。

 そんな目で俺を見るな。なんか、俺が悪い事したみたいな気分になってくる。

 「ついてきて」

 突然ルアの手が、俺の右腕を引っ張った。

 「なんだよ、やめろよ!」掴まれていたルアの手を強引に振りほどく。

 「確証が欲しいんでしょ? だったら、見せてあげる」

 そう言うと彼女は片膝をついてしゃがみ込み、コンクリートの路面に右手の平を着けた。途端に地面が発光して、俺達を囲む紫色の魔法陣が広がった。

 「なっ、何する気だよ」

 「連れて行って見せてあげるの、アヴェルレジアを」

 転送用の紫の魔法陣。

 「おい、ちょっ、それ待て! 魂しか渡れないんじゃなかったのかよ!」

 「一回死んでみたほうがいいかもね」

 「なっーーーーーー」

 その瞬間、反対する間もなく自分の声が消えた。

 重なっているはずの肉体からだと意志の間に濁流のように別の世界が流れ込んで来る。魂だけが引き剥がされ、次元の高度が変動する感覚に吐き気が込み上げる。轟音と共に世界が吹き抜け過ぎ去っていくのも、その一瞬の内だった。

 気付いた時にはもう、今まで居た世界は消え去り、

 そこには見た事も無い異世界が広がっていた。

 絶対に日本ではない、褐色の砂埃が吹き付ける廃墟のような町。地球上のどの文化にも属さない、朽ちかけた煉瓦作りの家が並んでいる。

 厚い雲に覆われた褐色の空の下に、俺は立っていた。

 俺の周りに広がる魔法陣で作られた結界の中には、砂塵は吹き込んで来ない。

 そこから見る町の風景は現実からかけ離れた、なにか世紀末を体現したような異界だった。

 (なん……だ……ここは……?)

 声が出ない。

 発声器官が無くなっている。

 視線を下ろすと、砂の大地に着いているはずの自分の足が無い。

 手の平を見てから顔を触って確かめようとして上げた、両腕も消えていた。

 ただここには、あるはずの腕を上げたという意志だけが、自分を自分だと認識している意志だけが、自分として存在していた。

 『ここは《エルトニア》。ーーオルクス=ラザフォードによって破壊されたアヴェルレジアの都市の一つよ』

 ルアの声が、頭に直接響いてくるように聞こえてきた。

 気付くと彼女は、アイギスを手に俺の隣に立っていた。

 『400年間エルゼの支配が続いてからは、ここも衰退し始めていたの』

 魔法の力(マナ)で構成されたのであろうルアの身体は、少し透明に透けていた。

 (おい、これ……どうなってんだよ!)

 『大丈夫、心配しないで。あなたの身体は人間世界に置いてきただけだから。魂だけついて来てもらったの』

 伝わっているのか、声が出ないから分からない。

 自分ですら認識できない。自分が自分であるという自我が無ければ、存在してるかどうかさえ分からなくなる不安定な存在。

 こんなに動揺するなんて。身体が奪われた事への焦り、歯痒さが込み上げてくる。

 

 すると突然うなり声が聞こえたかと思うと、物陰から何か巨大な、動くものが姿を現した。

 軽トラック程はあるだろう三足歩行の怪物が身を乗り出し、身体の半分まで裂けた大きな口を開けてこっちに近づいて来る!

 『エルゼが400年間この地を支配してるって言ったけど、それは人間世界の時間に換算しただけだから、エルゼ本人の年齢とは関係ないのよ』

 ルアの声などどうでもいい。俺の目は完全に、少しずつ歩み寄ってくるその怪物の動向に奪われていた。

 背中に生えた太い三本の触手の先に無数の棘が付いている。その先端に棘の並ぶ、木の幹のような触手をうねらせ、剣山の針の様に剥き出した乱杭歯が覗く半ば開いた口からは、汚れた泥水のような粘液を垂らしていた。

 『アヴェルレジアは……天界エリュシオンもそうだけど、次元毎に時間の進み方が異なるからーー』

 岩のような皮膚が覆うのっぺりとした頭部には視覚による感覚器官が無いようだが、目のない顔をこっちに向け、真っ直ぐに進んでくる。もう、すぐに襲いかかられてもおかしくない距離だ。

 ルアは気付かないのか? まだ一生懸命何か話している。

 見ると俺の後ろにも同じ怪物が2体、向かってきている。

 (ヤバいよ、囲まれてるよ! ルア!)

 しかし、それでもルアはなをも行動を起こそうとはしない。近づいてきた怪物のうちの1体が、おもむろに棘の付いた腕を撓らせ、振り下ろした。

 (!! )

 バチン! と音を立て俺達の居る頭上スレスレの所で怪物の腕が止まっていた。俺とルアを囲む半球状の結界にそって触手が張り付いている。

 『大丈夫だよ。青の防御用結界に変えといたから、4分は保つかな』

 もう一発、横殴りに飛んできた触手の一本がまた、こもった打撃音と共に見えない結界に張り付いた。

 もういい……もういいよ!

 (うわっ!)

 不意にバサバサという羽音を響かせ、何かが俺の頭上を飛び過ぎた。

 (ル、ルア! 結界の中に何か居る!)

 黒い鳥のような影が上空を旋回し、ルアの元へ飛んでくる。

 俺はありもしない腕で存在しない頭を抑えていた。

 『心配しないで、この子がセリィ。私の案内役よ。セリィは肉体だけアヴェルレジアに置いてきたって言ったでしょ? 今のあなたと同じように』

 舞い降りたカラスがルアの肩に留る。その碧い瞳が、見えないはずの俺を睨んだ。

 『えっ? ……セリィが何か言いたいみたい』

 (もういい、分かったからーー)

 結界の外で何体もの怪物がルアを喰おうと牙を剥いている。恐ろしいうなり声を上げ、何度も触手を叩き付けてくる度に、俺を囲んでいる魔法陣が少しずつ小さくなって行く様に感じた。

 いや、本当に結界が小さくなってきている。魔法陣の半径が中心に向かって少しずつ収縮し始めている!

 『えっ……大変。エルゼに感づかれてるって……早くここから移動しなきゃ見つかっちゃう』

 (分かったから、早くーー)

 猛り狂った怪物の顔はもう数センチ先まで近づいて来ている。グロテスクな肉襞がグチャグチャに並んだ歯の奥でのたうつのが見えた。

 (早く、元の世界に戻してくれ!)

 狭まる魔法陣。狂ったように襲ってくるバケモノ。結界の外に出たら殺される! そのまま居ても結界に押しつぶされて死ぬ!

 (俺の身体を返せよ!!  ルア!! )


 『じゃあ、そろそろ戻ろっか?』

                                 

                       ーーバシュッ!



                *



 (えっ……)

 次の瞬間、俺は、宙に浮いていた。

 見慣れた世界の青空。数メートル先にコンクリートの地面が見える。そこに転がる自分の身体めがけて、吸い寄せられるような感覚。

 風を切る音すら聞こえてきそうな猛スピードで落ちて行く。

 路上に横たわる、魂の抜けた自分の肉体と衝突した寸前ーー



 ーー目の前が真っ暗になった。



特に混迷を極めるところです。ここまで飽きずに読んで下さった方には本当に感謝します。

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