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はぁ……憂鬱だ……。
講習が終わったお昼前の学校で、俺は制服の襟からパーカーのフードを出し、肩からイヤホンをぶら下げた格好でトイレから出た。
校舎入り口に一番近い一階のトイレから、下駄箱に向う長い廊下を歩いて行く。
(土曜日だっていうのに、なんで学校来なきゃなんねーんだよ……。)
土曜講習後、いつも通りの物憂げな慨嘆が漏れる。
俺の通う丹城市立陵南高等学校は、丹城市随一の進学校であり、そのためか毎週土曜日の午前まで授業がある。この高校では、休みの日の〝講習〟であっても授業の一環という事で制服の着用を義務づけられているのだ。
制服で高校を選ぶようなDQN共には、進学を敬遠させるくらい、古くさい金の釦が並ぶダサイ詰め襟。ちなみに俺もこの制服は好きじゃない。勿論、今俺のしているレヴェル3(ここでは、上から外しているボタンの数で不良の水準を計る単位)の不良じみた服装は、校則の厳しい陵南の教師にでも見つかれば、即校長室ものだろう。
だが、授業中にもこんな格好をしているわけじゃない。先生に見つからないように、帰り際にトイレで着替えてきた所だ。
一応、教師達の前では至誠に振る舞っているつもりでいる。
……不良ぶっているようで、実はなりきれていないのが現状だった。
「レイジくーん。いっしょに帰ろっ!」
玄関に向う廊下の途中、後ろから、無駄に元気な女の子の声が飛んできた。
俺は手提げカバンを肩に掛けながら、気怠そうにその方向に視線を向ける。
「レイジくんも1時間目しか講習取らなかったの?」
振り返った俺の前には屈託の無い、子供のような笑顔が、俺を見つめていた。
「あぁ……」乾いた笑顔で答える。
声をかけてきた彼女は、同じクラスの同級生、御剣言葉。冬服用のカーディガンなのでレヴェルとかは関係なし。染めてる訳じゃないのに茶色い髪に、肩にかかるくらいのセミロングが似合っている。なんでそんなに俺に話しかけてくれるのか分かんない程に俺とは真逆の性格で、男子には一応人気があるらしい。
間違っても俺の〝彼女〟とかじゃない。友達っていうか、唯一普通に会話できる女子……みたいな?
「ねぇ、この前のテストどうだった?」
ニコニコした彼女が、暗い目の不良に無邪気すぎる質問をぶつける。(いや、俺が不良に見えてないのかな)
「もう100点余裕だな。時間あまり過ぎて途中寝てたし」
俺が言った。
「ええ!60点満点で、どうやって100点取るの?」
「まぁ……宇宙の法則とかねじ曲げれるから」
御剣が可愛らしく笑った。
うゎ……言っちゃったよ、俺。
こうゆう無意識に出てくる中二発言がホント困る。こいつ、そういうバカな設定好きだから。
御剣の中で俺がそういう中二キャラに位置づけられるのは避けなくちゃいけない。
自重しよう。
「追試って30点未満だもんね」
「ああ……」
ロッカーに上履きを入れ、校舎出口のドアへと向う。玄関を抜けると、まぶしい陽光が真っ青な昼空から降り注いできた。
閉鎖的な空だ……。こんな青いのに、曇天って見えるーー
「よう、怜士。やっと来たか」
「お疲れさまです」
ドアの前に二人の友人が立っていた。背の高い短髪と、長髪のちび。
ああ、待っててくれてたのか? ……いや、御剣の事をか。
「おぅ、ロリコンドーム」
背の高い方、コイツの事だ。
「おいおい……(笑)俺には西園侘充っていうちゃんとした名前があるんだぞ」
「じゃあ、侘充」
「人の名前勝手に音読みしてギザ十みたいにするな」
「じゃあ、キョロ充」
「もうただの悪口じゃねえかよ」
隣に居たちっちゃい方が、慌てて口を挟んでくる。
「ちょっと! 僕も呼んで下さいよ。あだ名も無しですか!?」というのは同じクラスの朽木柊真。特に親しい訳じゃない、微妙な友達だ。
「お前は〝舎弟〟な」
「称号的な!? もはやニックネームですらない!!」
「ははっ」
あー、この戯れ言を微笑みながら見てる御剣が、すでに空気になっちゃってるよ……
こいつらは俺の友達……でいいのかな?
講習後、この学校の生徒の大半は部活動に勤しんでいる。それは俺たちも例外ではなかった。ここに居る奴らは、俺と同じ部活の部員。全国で一番入部員数が多いサークル。〝帰宅部〟の仲間達だ。
って事で部員紹介ーー
最初に話しかけてきた短髪・体育会系の男は、西園侘充。不良レヴェル2。中学の時からの幼なじみで、趣味は幼女の盗撮(嘘。俺イメージ)。最初のロリコンなんとかって言うのはコイツのあだ名。学校祭のとき担任が連れてきた娘さん(2才)に赤ちゃん言葉で〝おはなし〟してた時から、クラス中の男子にロリコンって事にされる。入学当初の丸刈りスキンヘッドだったときのあだ名「バトルドーム」(頭がバトルドームの回すとこに似てるからって理由もどうかと思うが)と合わさって、こんな屈辱的なアダ名が生まれるとは西園も思っていなかっただろう。
二人目、背の低いおっとり系は俺のかわいい舎弟、朽木柊真。不良レヴェル1。
よく俺と二人で歩いてると兄弟と間違われる。
そういえば、入学してからクラスで初めて話しかけたのも朽木だっけ。(俺よりちょっと身長低くて、弱そうだったからでもある)
御剣は御剣。御剣ことは。説明は特になし、以上。見る人が見れば可愛いんじゃねぇの? はい終了。
「で、どうだった?数学のテスト」
全員で同じ下校路へ歩きながら、西園が御剣に聞いた。
「私は57点」
「惜しー」
……お前ら本当、それしか聞く事ないのかよ。
「なんかね、怜士くんが100点取ったらしいよ」
「マジか(笑)どう、楽勝だった?」
おいおい、やめろよ。
「あぁ、楽勝に終わったよ。俺程にもなるともう、余裕すぎてテスト時間中に寝るからね」
他愛もない会話に溢れる笑い声。
……くだらねぇ。ほんっとにくだらねぇ。
それ以降の会話からは俺は離脱する。
「じゃ、俺、〝世界〟入るから」突然俺が口を出しても男共は話に夢中だ。
「じゃあね」
残念そうな声が聞こえた。いってらっしゃいと手を振る御剣を視界の隅に、肩から下がる蛍光色をした緑のコードのイヤホンを耳にいれて、目を閉じた。
かけている曲は一億六区というバンドの「完全混雑リファレンス」。昔みたいに洋楽ばっかり聴いてたような中二病はもう卒業した。
両耳ともにイヤホンをすると、周りの音は完全に消えてなくなった。
ロックの旋律しか聞こえない、俺だけの〝世界〟に入る。まぶたの向こう側なんか置いてけぼりにしてーー
この緑のイヤホンは、1万2千円もした世界最強のペリフェラルだ。朽木も緑のコードのイヤホンを持っているが、その価値には雲泥の差もある。この音を聴けば明らかだ。
この音質を聴いてしまったら、もう他のイヤホンは使えなくなる。朽木の持ってるやつなんて、色が同じなだけの玩具だ。俺にとって、これ以外のイヤホンなんて反故同然に思えてしまう。これは、俺の持っている唯一の宝物と言ってもいいかもしれない。
このイヤホンの特徴は、日本の誇る最高峰の技術を駆使したノイズキャンセリング機能だ。これは周囲の環境音を内蔵のマイクロフォンで収音し、それと逆位相の音波をオーディオ信号と混合して発する事で、外部からの騒音を99,9%遮断する事が出来る。イヤホンをつけている間は、雑音が完全に消滅した音楽だけの世界になる。
気づけば一日中この〝世界〟に浸っている。
音楽が好きなのか。
というより、ほぼ中毒と言っていいかもしれない。学校にいる間は除くとして、朝起きてから眠る間もずっと音楽はかけっぱなしだ。よく聴く曲が無くならないなと自分でも思う。
ロック系中心に、飽きずに同じようなのばかりかけている事もある。ヘッドフォン難聴の一歩手前なんじゃないかなと自己分析してみたりして。
なんか、少しでも長く音楽を聴いていたいというか、曲を聴いてない時間が勿体ない的なカンジで。当然、学校にいる時間もこの勿体ない時間の中に入っている訳で、学業に集中できるはずもなく。親は明らかにこの緑の洗脳装置に対して凄い嫌悪感を抱いているようだ。
父は単身赴任で海外に出張中のため、母親一人で俺ともうすぐ中学生の妹・まひるを含む家族の世話をしている。
無論親には「夕食の時くらいその緑のコード耳から外しなさい」と注意されるが、俺は聞こえないふりして無視する。(いや、実際本当になんも聞こえないんだけど、話しかけられてるのは分かるーー何を伝えたいのかも)反抗期とかそういうんじゃなくて、なんか、ウザイみたいな。親が嫌いな訳じゃないんだけど、会話がメンドくさいというか(なんというか)とにかく口をききたくないんだ(これって中二病か?)
その為か、母はいつも兄の事を愛慕している。(こんな俺の傍若無人な行住坐臥を見ていれば論を俟たないか……)俺の兄、龍ヶ崎翔冴は俺より1分早く生まれたに過ぎないのに、一度としてどちらが兄でどちらが弟かを忘れさせはしなかった。兄が俺とは別の全寮制私立中学に行く事に決まった時も、母さんは自分の事のように喜んでいた。ーーそして、なぜ一卵性双生児なのにこんなにも学力に差がつくのかと、冷めた感情が俺に向けられるのが分かった。(いや、感じた。ーー全ては俺自身の被害妄想なのかもしれない……)そんなわけで、母の愛情は全て兄と妹に注がれた。ように見える。
ーーどうせ俺は放蕩息子だよ。
……と、物思いに耽って目を開けてみると、三人の視線がこちらに向いているのに気づいた。
どうやら俺に話をふってきてるらしい(ったく、話しかけんなって言ったろ。
……言ってなかったか)
「え? 何?」俺がイヤホンを外して聞き返す。
「だから、数学の追試会場の担当って屯倉先生だよな」西園が聞いた。
「そうだよ。毎回屯倉だけど」
「へぇー、詳しいんだねっ」
「うん、僕と怜士、数学の追試皆勤賞みたいなもんですから」
朽木め……
「うん、まぁな。俺の居ない追試会場なんて、炭酸の抜けた生茶スパークリングみたいなもんだろ?」
「それ、お前いらなくねwww」
「その理論なら追試会場もいらないじゃんっ!」と、言葉と西園。
口元だけの笑みを作り、すぐまたイヤホンをつけた俺には、二人の華麗なるツッコミは耳に入らなかった。(下らな過ぎていれる価値もない)
そう、最初の会話での数学楽勝発言は全部、裏返しの意味で皮肉全開の辛辣な自虐ネタだ。テスト(分からな過ぎて)早く出来たから時間余って(諦めて)寝てたから(赤点)余裕過ぎて楽勝で(人生)終わった。って感じの、お察しのとおり落ちこぼれです……はい。
中学の頃の成績は普通ーー平々凡々の中の中。そんな俺が、何を血迷ったか進学校を無理して受験してしまい、事もあろうに合格してしまったのが運の尽きだ。高校に合格するまでが人生のゴールなら良かったのだけど、無理して頭のいい学校に入ってしまった結果、俺は一気に落ちぶれる事になる。その落差は半端なものではなく、ジェットコースターを錯覚させる勢いで俺は学年最下位にまでのぼり(?)つめたのだ。
俺も勉強しなきゃいけないのは分かっている。でも一度〝底〟を見てしまうと、今までどうやって〝真ん中〟に居たのか分からなくなってしまっていた。今までだったら何もしなくてもクラスではいい方の点数を取っていたけど、高校になるとそうはいられなくなった。
勉強は嫌いではない。だが勉強の仕方を完全に忘れてしまった。一応教科書に向かっては見る。手に付かないのは当たり前だ。曲がかかっている間しか動く気が起きないみたいな言い訳をつけてipodに歌わせながらなので、結局気づけば聞き入ってしまい勉強できないという有様だ。
でも実際、勉強だけが全てじゃないと思うんだ。学生の間でしか出来ない事だって沢山あるだろうし(それが何かは分からないけど)勉強ができるだけで優越感に浸ってる奴らを、俺は心の中で見下してやってる。どうせ偏差値で人間の価値を比較できるのなんて高校生のうちだけだろ。奴らは俺の本当のポテンシャルなんて知らねェんだよ。それなのにテストの点なんて狭い世界で人一人を値踏みしやがる奴らを、俺は心の中でdisり返してやる。
結果的に〝勉強〟という行為が、人生にどれだけ影響力のある重要な事かは理解しているつもりだ。だが残念ながら俺は世界を客観から見てしまう嫌いがある。そういう時俺の目には、この世界が舞台かなにかのように感じてしまう……
周りの人達はみんなこの狂った世界の役者で、もっと悪い事に自分が役を演じている事にすら気付いていないーー。
そういう俺も、何かの役割を与えられただけの駒に過ぎないのだろう。何を演じさせられているかも分からず、ただ生きて……ただ死ぬだけのーー
だがその事実を知っているだけ、他の役者達より少しはマシだと思おう。だから俺は求めている。この世界の、支配構造の裏側を見ることが出来る〝眼〟を……
開いている眼をさらに開いて、眼に映る真実の、さらにその奥を見る事が出来る〝瞳〟を……
っと、また下らねえ精神論(頭ん中で)語っちまった。
マトリックスとか、そっち系映画の観過ぎか。
まー中二病と言われればそれまでだが、俺の思考の高さを…………云々考えつつ顔を上げると、また御三方の視線がこっちに向いていた。
今度は口をぱくぱくさせて笑いながら顔を逸らせる。
ーーどうやら今のは俺に話をふられた訳じゃなく、話題の中に俺があがっただけのようだ。
なんの話か知ったこっちゃねーが。どうせ、「お菓子に付いてくる乾燥剤って食べる派ぁ〜?」みたいな低脳……もとい、思考の浅い話題で盛り上がってるんだろ。
でもまあ、こいつらはいい奴だ。放っておけば孤立しそうな無口な俺を仲間に入れてくれるんだもんな。
だけど、なんとなくかわいそうに思えてしまう。御剣達はこのつまらない物語で、一体どんな役回りを演じさせられているんだろう……。
*
「なぁ、怜士って最近付き合い悪くね?」
イヤホンをつけた怜士の前を歩きながら、西園侘充が呟いた
「高二病ってヤツですよ。僕達の子供っぽい会話が鬱陶しいんじゃないですか?」
「だめだょ朽木くんっ、本人居る前でそんな事言っちゃ!」
「大丈夫ですよ、怜士今イヤホンしてるから。聞こえてませんよ」
「でもぉ、なんか陰口言ってるみたいで嫌じゃん!」
「でも確かに怜士、イヤホン買ってからセルフフィールドみたいの作ってる感じになっちゃてるよな。中学ん時は俺より中二病のレベル高かったんだけどな」
その時、突然怜士がイヤホンを取ったので、全員の会話が止まった。
「ん? どうしたんだ。みんなで俺の方見て」
「うぅん、何でもないっ!」
御剣が首をぶんぶん横に振りながら答えた。
「そう、じゃあ俺ここで帰るわ。途中でCDショップ寄ってきたいし」
一瞬、怜士がなにか悪い事でも言ったかのように、三人が怪訝な顔を見合わせた。
すると御剣が怜士の横へ、立ちふさがるように両腕を広げて飛び出してきた。
「ここを通りたくば、我が屍を超えて征くがよいっ!」
「おっしゃ、歯ぁ食いしばれー」
怜士が下らない遊びにつき合うようにファイティングポーズをとってみせる。
「ちょっ、ちょっと! 宿命のライバルと戦う前に師匠倒してどうすんのよぉ!」
御剣が両手をぱたぱたさせて抗議する。
「それ師匠だったのかよ。てっきりボス戦まえの中ボス出てきたのかと思った」
「そんな弱いの出すわけないでしょ! もぉーせっかく面白い返し出来るチャンスだったのにぃ!」
「なんだその中二設定(笑)」
怜士は「はいはい」と御剣の頭をどかして言った。
「じゃ、師匠とは拳で語り合うことはなかったという事で。じゃあな」
「うぅ……」
手を振って反対の歩道に去って行く怜士を、三人は見送る。
表には出さなかった彼女の念意は、怜士に伝わる事はなかった。




