10
俺ーー龍ヶ崎怜士は、丹城市の都市部である中心地へと向かっていた。
とは言っても過疎化した丹城市には、あまり華やかな場所は存在しない。
俺は(自称)正義の魔法少女、セレナ・ルア……なんとか言う妄想に連れられ、立ち並ぶビル群の……なぜか人通りの少ない裏側の道を歩いている。
安全な所って、どこに行くんだろう。
まあどうせ、夢にオチを期待しても無駄なように、行くあてなんて決まってないんだろうけど。
今、3時くらいか。
今頃他の奴らは家帰って休日らしい時間の使い方してるんだと思うと、なんか自分が不幸に感じた。
何が悲しくてこの空想に引っ張り回されている事をよしとしてるんだろう。
別に魔女が怖いからとかではない。それは無い。
まぁたまに、起きる時間だと分かっていても、もう少しだけ寝ていたいと思う事もあるだろ。ましてそれが俺の好きそうな世界観の夢なら尚更だ。
幸いにも今日は土曜日だから、何度寝だって出来る。それに明日も休みだし。
問題は、どうやって夢から覚めるかだ。
何かの本で読んだが、統合失調症の見せる幻覚症状から抜けだして現実世界に戻るには、「心に錨を下ろして、自分をどこかに固定する方法を探さないといけない」とか言ってた。
抽象的過ぎてよく分からないが、今の俺、流されまくりだぞ……。
でもいいか。
最後までどうなるか見届けたいし。これが現実じゃないって分かってるなら大丈夫だろ。
治療なら後でも出来るから、今は取り敢えず楽しんどこうぜ。
そうこうしてるうちに、ルアは建物の中に入って行った。
どこかのビルの裏口だろう。
ぐんぐん進むルアの後を追いながら、床がキュッキュ鳴る廊下を奥へと向かっって行った。
リノリウムの床に俺達2人の影が、朧げに映し出されている。歩く度に、反射した蛍光灯の光が、俺が近づくのを拒むかのように離れていった。
ただでさえ狭い通路の半分に、大量の段ボールが山積みされていて、体を傾けなければ通れない。
段ボールの一つに油性ペンで書かれた文字から推測するに、ここは丹城市で一番大きなデパート、イトーリョータローの従業員専用通路のようだった。
ルアは当然のように通路の途中で右に曲がると、エレベーターに乗り込んだ。
俺が後に続いてきたのを確認すると、ルアは操作パネルのボタンを叩いた。エレベーターのドアがゆくっりと閉じる。
なんでエレベーター乗るんだよ。魔法使いなら、飛んで行けばいいじゃん。
MP足りないとかか? 「なにそれ?」みたいな。
……って、妄想に言っても仕方ないか。
いよいよ緊張してきた。
ここって貨物運搬用のリフトじゃないか? 普通に入ってきちゃったけど、言うなれば〝関係者以外立ち入り禁止〟ってトコだろ……
もしこんな所で従業員に見つかったら「道に迷っちゃって(テヘヘ)」とか言い訳にもならねえぞ。「社会科見学です」ってか?
もしくは本当の事を言ってみたり。ーー「この幻想に付いていったら、こんな所まで来ちゃいました」って。(まあ、俺の目にはこの幻覚が他人にも認識出来ているように見えるんだからな)
この幻影。ーールアは今、操作版の方を向いたまま上の空で、壁に向かったままボソボソと何か呟いている。
この行動も、俺はもう知っていた。
だから敢えて話しかけてみる事にする。
「どうしたの?」
「えっ?」突然話しかけられ、ルアが振り返る。その顔には明らかに動揺の色が伺えた。
どうしたんですか。どうしたんだよ。どうせ俺の妄想なんだしもっと高圧的に行ってもよかったのに、女性の姿をしているせいか、どうしても手加減した言葉遣いになってしまった。
「何話してんの、さっきから」
見えないお友達と。
「んん……」ルアが言いづらそうに俯いた。
「今、セリィから連絡があってね……また、人が殺されたの。魔法を使った形跡があったらしいから、たぶんエルゼじゃない誰かがやったんだと思う……」
アイツ以外にも魔法使える奴いるのか。
「殺された男の子は、緑色の紐みたいなのを耳に付けていたって……あなたのお知り合いみたい。朝、一緒に話してたって……」
それってまさか!
「朽木が!? どうして……そんな……」
わざとらしく嘆いて見せたが、別にどうとも思っていなかった。
勝手に殺して朽木には悪いが、どうせ物語をドラマチックに盛り上げる為の演出だろ。
それなのにドライキャラの(少なくとも自分ではそう思ってる)俺が柄にも無く悲しんでいるのは、ごっこ遊び中に冷めたくない理由と似ている。テーマパークの設定に少しでも入り込みたい、みたいな気持ちと言えばわかるだろうか。そんなカンジだ。
そんな俺を、ルアは心から同情するような眼差しで見つめてくる。
本当に可哀想とでも言いたげな彼女の表情に気付き、俺は両手で顔を覆った。
だめだウケる(笑) 口角がほくそ笑むのを抑えられない。
階を表す数字の付いたランプがどんどん上昇していく。
ようやくエレベーターは停止すると、チンッと電子レンジのような音をさせ扉が開いた。
「行きましょう……」
ルアは前に出ると、個室の外へと歩き出していた。
俺が顔を上げると、イトーリョータローの最上階なのか、薄暗いホールが広がっていた。
この階、まるまる使われてないのか。
俺は広間を見渡すと、足音も反響しそうな静かな広間に足を踏み入れた。
この階だけなぜか綺麗に舗装され、床には段ボールの箱も置かれていない。
ルアが壁に手をつき、照明のスイッチをつけた。
とたんに部屋が明るくなる。かなり広い、広間の反対側の奥には、動いていない下りのエスカレーターも見えた。
そうか、ここは最上階にお店を作る為に改装されたばかりなんだ。
わずかに空いたカーテンの隙間から、丹城市の全景が見渡せた。
ルアは広間の真ん中にしゃがみ込み、いじけた子供みたいに、床に何か書いてる。
どうせ妄想のやる事だし、放っておこう。
でも話しかけるんだけどね。
「……何してんの?」そう言ってルアの隣まで歩いて行く。
彼女の足下には、何やらチョークで複雑な円形の図形が描かれていた。
「このホールを神殿の聖域に見立てて聖界に繋がる門を作るの。多分、見ていれば分かると思うけど……」
ルアは立ち上がると、右手を伸ばしたまま手に持ったチョークを、目の高さまで持ち上げた。
すると白線で書かれた円形の模様が床一面にどんどん広がり、魔法陣のように2人を囲むと、エレベーターの入り口近くで止まった。床に書かれた線が青白い光を放ち、部屋全体を照らし出す。瞬きをする間もなく、俺達の居る場所は魔力に満ちた不思議な空間へと変わっていた。
俺は今、霊妙な空気を含んだ半球状の結界の中に居る。
驚く俺の前で、ルアはポケットから小さな楕円形の鏡を取り出すと、例の如く瞬時にそれを巨大化させ、ノートパソコン大の立派な鏡にしてみせた。
「と言っても入り口がこれ位しか無いから、人が行き来するのは出来ないんだけど……物を取り出す事は出来るから、武器庫に繋いだの。ちょっと、これ持ってて?」
驚いている暇も無く、ルアは自身に鏡面を向けた状態のまま、俺にその鏡を押し付けてきた。
結構重い。複雑な装飾が施された木製の枠が付いていて、ドレッサー用みたいな大きさの鏡だ。裏面には何か、流麗な筆記体で文字が彫られている。
ーーデウス・エクス・マキナ……。この鏡の名前か?
……ちょっと意味深だぞ。
と、唐突にルアが右腕を、その鏡の中に突っ込んだ。
ぎょっとして鏡を落としそうになる俺を尻目に、ルアはさらに深く、肩まで鏡の中に埋まっていく。
「んー、もうちょっとそっち……」
わけが分からず言われるがままに俺は後ずさる。今ルアは、俺の心臓がある辺りを右手でまさぐっている。と言ってもその右腕は鏡の裏面を突き抜ける事は無く、鏡の世界に入っているように鏡面で右肩から先が途切れている。
「戦いに備えてアーマーとか装備しないとね」
そう言って何かを探り当てたらしいルアが、鏡から腕を引き抜いた。
見るとその手には、金属製の古めかしい甲手のような、腕に付けるタイプの防具が握られていた。
「対魔法のかかったガントレットだから、これでエルゼの射出型魔法攻撃は防げると思うの。まずはこれ装着してて」
ルアは手にしたそれを、俺に差し出した。
「え、……やだ」
「?」
……本当に嫌なんだけど。
そんなの手に填めるくらいだったら、もう、魔法のかかった軍手的なので十分なんですけど。
手の甲とか指先にまでゴツい金属のプレートが付いていて、西洋甲冑の腕部分だけみたいだ。
そんなん付けて喜ぶのはガキだけだぞ。マジで、街中でそれ填めたまま歩かされるのだけはホント勘弁してほしい。
ただでさえ現実と妄想がごっちゃになってるんだ。俺には今それが腕装甲に見えてるかも知れないけど、現実には何填めてるのか分かったもんじゃない。心証が悪すぎる。
「お願い……あなたの為なの」
「……」
ルアの真摯な目に見つめられ、しょうがなく俺はそれを受け取った。
えー……マジかよ。
嫌々その金属の手袋に手を通す。適当にぐーぱーぐーぱーしてみると、装甲板が擦り合わされてガシャガシャと鳴った。
すると填めたばかりの甲手が俺の目の前で、みるみる内に透明になって行った。端から次第に手の肌色が見えてきて、ついには氷の融けるようにガントレット自体が消えてなくなってしまった。
「!!」
驚いて目を見張る俺の前で、ルアが楽しげに微笑んだ。
「そう、それ、ステルス機能ついてるから、見えなくする事ができるの」
なんでもアリだな。
填めたくないからみたいな理由で消せるような物って事は、現実世界には存在しない(他人には見えない)って事か。つまり現実と重なっていない、純粋な妄想の産物なら好きに操る事が出来るんだな?
少しずつ妄想と現実の区別の仕方が分かってきた。ようは何もかもを巻き込んだ妄想で遊ぼう♪って事でいいんだな? そう解釈しちゃうけど。
「あと、武器も持たなきゃね。……どれがいい?」
そう言ってルアは俺から鏡を取り上げると、商品カタログかなんかを見せる感じで、俺の方に鏡の面を向けた。
普通の鏡ならガラスになっている、光を反射するべき面には当然の如く自分の顔は映っていなかった。
鏡の中には違う部屋が見えている。木造の倉庫か、昔の研究室のような暗い部屋を、ランタンの光が照らしている。まるで本当に異世界と繋がっているようだ。
鏡の中の世界には、机の上に得体の知れない色々な色の液体が様々なガラスの容器に入れて置いてある。何が入っているか分からない、俺の身長よりも大きな銅色の金属のタンクがいくつも立っていた。
研究室というのなら、錬金術師とかが使いそうな部屋だ。壁には見た事も無い形状の武器が沢山飾られている。その全てに何かしらの特殊な力がありそうな、見た目重視のゴツい武器だ。(個人的には、そのバイオリンと弦みたいな盾と剣が魅力的)
どうやらルアは本当に武器庫を開いてしまったらしい。
「鏡の面には触らないでね」ルアが言った。
「天界の住人じゃないと、手が抜けなくなるの。詳しい事は後で説明するわ」
俺は挙げてもいない手を、心の中で引っ込めた。
お察しするよ。現実と重なっているものには干渉出来ないんだろ?
「俺いいよ、武器なんて」
実際あのバイオリンソードは触ってみたかったけど、現実にはありもしない虚像に現を抜かしたくはない。
「それより、そんなもので戦えるのかよ。エルゼって奴、普通の人間が戦って勝てる相手じゃないんだろ? 逃げた方がいいんじゃなかったのか?」
「大丈夫!」ルアがニコッと笑った。
「私、これでも聖騎士だから。それに彼女が使ってた魔法くらいなら私も使えるんだよ?」
ルアは両手で鏡を胸の前に抱き、見つめ返してくる。
そうかよ、そりゃよかった。
「なら、お前に任せたわ。俺は後ろの方で隠れてるから、適当に護っといて」
……今、やる気の無い風を装って言ったつもりでいたが、男として相当かっこ悪い台詞じゃなかったか。
こんな非力そうな女の子に、俺を殺人鬼から守って戦ってくれだなんて最低じゃねえか……。
ルアは「言われなくても、護っててあげるよ」っと言うような顔で笑い返してくれる。
でも、当然だろ。思えば一般市民の学生と魔法使いの聖騎士とだったら、力の差は見なくても分かんじゃん。俺は別にカッコいい主人公じゃなくていいから話を早く終わらせて欲しいよね。
ルアは……
ーー
その時だった。
俺達の乗ってきたのとは別の、その隣にあるもう一つのエレベーターの階数板ランプに光が灯った。ランプの光が指す数字が階数を上げてゆき、だんだんと最上階に近づいてきている!
先に気が付いたルアが、エレベーターの扉の方に身体を傾けて身構えていた。
「これ、持ってて……鏡の面には触らないでね」
俺にその鏡を手渡すと、ルアはまたどこからともなくあの鋼鉄のクロスボウを取り出し、エレベーターの扉の方に向けて構えた。
従業員か……いや、違う。ルアの目つきを見れば分かる。
コイツはーーーー魔術師だ!
光のついた数字が、一定のペースで上昇してくる。
まだ来ない。
ーー3階
ーー2階
あと1階。俺はすぐに敵が入って来るはずの閉じられたドアを睨んだ。
もうじき、ドアが開いて紫のドレスを纏った魔女が現れる。
俺はゆっくりとルアの背後に下がった。もうすぐ、奴が……
チンッ
例のオーブントースターのような音が鳴った。ゆっくりとエレベーターのドアが開き、黄金色に光る槍を持った魔女がーー
ーー現れなかった。
開いた扉の向こうには、ヘルメットをした小柄な男が、一人で立っていた。
男はエレベーターの奥の壁に背中をつけ、寄り掛かったまま動こうとしない。
俯瞰して見えるヘルメットの頭部は、心なしか笑っている様に見えた。まるで、俺達の考えの浅さをあざ笑っているかのように……
見ると、そのエレベーターの出口ギリギリの所まで、ルアが床に張った青い魔法陣が届いていた。
そうか、この階を丸々取り囲むように広げられた半球状の結界の中には、外側から踏み込む事が出来ないんだ。ーーでも、それを知っているって事は……
……エレベーターは、ダミー?
「龍ヶ崎くん、下!」
えっ
俺は振り返ったと同時に、部屋の中央から発せられた黄色い光に目を細めた。
青い結界の張られた床の中央に、フラフープ大の小さな円が浮かび上がっている。そこには広間を囲む魔法陣の内側に、もう一つの魔法陣が出現していた。
突然、その黄色い光で円形に囲まれた床から、ティアラを頂いた女性の頭が浮き上がってきた。
頭部、肩、胸と、泉の精霊よろしくその姿がどんどん伸び上がって行く。ついに足の先まで床をすり抜けて宙に浮くと、そいつは瞼をゆっくりと開けた。
エルゼーー
顔を上げて俺の姿を確認すると、彼女は小さく微笑んだ。
次の瞬間、戦車の主砲で直撃を見舞われたのではないかと思うような衝撃と轟音と共に、いきなり天井が崩れ落ちてきた。すんでの所で後方に飛び退いた俺をかすめて、落下してきた岩の塊が床に当たって砕け散る。
何かが天井を突き破って落ちてきた!!
頭上には丸く大きな穴が空き、青く覗かせた空から冷たい風が吹き込んでくる。
瓦礫と共に降ってきたそいつは立ち上がり、スーツを着た男の姿が、魔女と肩を並べた。
敵が増えた事を、俺は直感で感じていた。
背の高い人影が俺の方を向いている。
髪を乱す強い風に舞い上がった砂煙が晴れると、その男の氷のような眼光がはっきりと見えてきた。
短く刈り上げた金髪に、彫りの深い顔立ち。黒いスーツには塵一つ付いていなかった。
炎のように赤いのに、無感情に冷えきった双眸が俺に向けられている。
右目だけ赤光を帯びる赤い瞳が、その男が人間ではない事を告げていた。
一瞬、その男は安心したような顔を魔女に向けた。しかしすぐにこちらに向き直った時、その表情は、人間らしい感情など一切読み取れない、冷たいものに切り替わっていた。
男が俺に向ける眼は、完全に、《殺し屋》のそれだった。
すると突然、エルゼの取り出した槍の先がこちらに向けられ、俺の右側すぐ近くを灼熱の業火が駆け抜けた。横向きに噴き出した炎の柱は俺とルアの間を横切り、広間を両断する壁となる。
「ルア!! 」
炎の向こう側にルアの姿が見えなくなる。炎の壁の左側に居る俺の前にはエルゼが、炎の向こうにはルアとスーツの男が、それぞれ対峙する形に分断された。
どうしよう! 目の前には槍で武装した手を触れずに人を殺せる奈落の女王、一方俺にはまともな武器も無い。狩る者と狩られる者が決まった一方的な虐殺ーー
駄目だ! ルアが居ないと助からない! すぐ向こうに居るはずなのに、たった一枚炎に阻まれただけで言いようの無い不安が押し寄せる。近いのに届かない。
(助けてよルア!)
エルゼが黄金の槍を掲げて歩み寄ってきた。ゆっくりと、いたぶるように。
俺は無意識に魔界の鏡を庇う様に姿勢を低くした。
炎の壁の向こうからは、金属のぶつかり合う音が聞こえてくる。
ルアが戦っている。
敵が増えた事で2対1では手に負えなくなったのか。そんなの無責任だ! 助けてくれるって言ったじゃないか!
充分に間合いを詰めた奈落の魔女は槍を振りかぶった。その直後、猛烈な力を込めて振り下ろされた大槍が頭を庇って上げた俺の腕をしたたかに打ちつける。斜め右上から叩き付けられたその槍身が、透明な手甲に当たり跳ね返った。
その反動を利用して左下から突き上げられた槍のもう一端が、体勢を崩した俺に打ち込まれる。その一撃は手にした鏡の縁に当たり俺を突き飛ばした。
よろけて危うく燃え盛る炎の中に倒れ込みそうになるのをなんとか堪える。
すぐにエルゼは俺に詰め寄ると、手にした槍を誇らしげに振り上げた。その顔は、依然として無機質な笑顔のままだった。
ヤバい、殺される。
「ルア……」
助けーーーー
ーーバシュッ!
*
こもったような爆発音がして、俺はぎゅっと瞑っていた目を開いた。
目の前にはスーツの男。左側には炎の壁が部屋の半分を見えなくしている。
どうなってるんだ?
体勢を立て直した男が、鉛のような視線で俺を見据えた。
なんで……コイツは炎の向こうでルアと戦っていたはずじゃ……!
視点が変わってるのか。俺は今、ルアの居た位置に立っている。
今の状況は、男が一瞬の隙を見せた瞬間のようだった。
そうか、ルアがこの男の隙をついて俺と居場所を入れ替えたんだ!
なんだか知らないが助けられたのは間違いない。
男は敵が変わった事に驚く事もせず、ただ目の前の相手を殺すという命令を続行した。
男の手の中でオレンジ色の炎が燃え上がる。
(でもこの状況って、局面的にあんま変わってないようなーーーーッ!?)
突然数メートルもの間合いを飛び越し殴り掛かってきた男の拳が、咄嗟にかがみ込んだ俺の頭上を飛び過ぎた。その勢いのまま身体を捻った強烈な回し蹴りが、身を起こそうとした俺の頭を抉るようにかすめる。
ガスッ
金槌で強打されたような衝撃に戦慄が走った。
痛いーー!?
たじろいだ俺に向かって、真っ直ぐに男の左拳が殴りかかって来る。
強すぎる! あんなのマトモに食らったらーー
俺は思わず持っていた鏡を盾にして、顔の前に突き出していた。
*
男の拳は鏡を突き破り、怜士の頭をガッと掴む。手に灯った炎を流し込むとその身体は全ての水分を失い、男の仕事は終わるーーーーはずだった。
しかし、男の延ばした腕の先に怜士は居なかった。
男の左腕は鏡の中に吸い込まれ、怜士の頭があるべき場所には平行世界の中で金属製の巨大なタンクが突き破られていた。
容器の中を満たす謎の液体に、男の手からオレンジ色の炎が流し込まれーー
次の瞬間
耳を聾する程の爆音が轟き、眩い閃光が鏡の中を塗り潰した。
鏡の面を正面から覗き込んでいた男はもろに目を焼かれ、飛び退こうとして足が止まった。
腕が抜けない。
強引に引き抜いた男の腕は真っ黒に焦げ付き、鏡に入っていた部分までが焼き切られ、
そこから先の腕がなくなっていた。
*
驚いて放した俺の手から、鏡が滑り落ちる。それが床に当たると、カシャンと音を立ててガラスの破片が飛び散った。
スーツの男は痛みを感じないのか、切断された左腕を一瞥すると、眉一つ動かさずに次の攻撃を繰り出そうと身構えた。人間の身体になど興味は無いとでも言うように、残った右腕を振り上げた。
(ダメだ、もう死ぬーー)
そう思った瞬間
炎の壁から光の矢が飛び出し、男が振り上げた右腕に当たって弾けた。星屑のように砕けた矢が光の粒子になって飛び散ると、男の手に握られたオレンジ色の炎を吹き消し、男を突き飛ばした。
光の矢が通り、風穴のあいた箇所から炎の壁が2つに裂け、十戒のワンシーンか何かのように穴を広げて両端に炎を消し飛ばす。
真っ先に炎に空いた穴の向こうには、弩を向けたルアの姿があった。
「早く! 走って!」
声を掛けられて俺は、ルアの元へと走り出していた。それに反応したエルゼが、俺の方に向けて槍の矛先を持ち上げる。
(くっそ、間に合わなーー
槍から噴き出した、顔を背けざるを得ない程の高熱と炎光が視界を埋め尽くしーー
ーーバシュッ!
*
ーーいッ、…… ?)
槍の先から横倒しに発射された炎の柱が、真っ直ぐにルアに襲いかかる。その直前、
《双翼の盾》から放たれた光の弾が、またしても業火の中を突き抜け、炎を掻き消しながらエルゼの元へと飛んで行った。
完全に意表を突かれたエルゼが、飛んでくる矢から槍で顔を隠した。しかしそれは水風船からテニスラケットで身を守るような役目しか果たさず、弾け散った光の粒子が槍の五つ又の間を突き抜けると彼女の顔に降り注ぐ。びっくりして目を瞑ったエルゼが片手で顔を覆った。
「今のうちに!」
ルアが駆け寄ってくる。
何が起きたんだ?
また俺は、炎で隔てられていた時で言うと広間の左側に、ルアはついさっきまで俺の居た場所に瞬間移動している。
俺が炎で焼かれる寸前にルアが立ち位置を交換したのか。
ルアはすぐに俺の腕を掴むと、エルゼから遠ざかる様に走り出した。俺は強く引っ張られながら入ってきた所とは対角線上にある下りのエスカレーターへと直進して行く。風を切り広間を走り抜けながらルアが叫んだ。
「結界を消滅させるから! エルゼより先に魔法陣から外に出て!」
スーツの男はルアのしようとしている事を察したのか、部屋の中央にある黄色い魔法陣へと駆け込もうとする。しかし、それよりも早く俺の足が、広間を囲む青い結界の外へと踏み出していた。
魔女と男を残し、魔法陣から飛び出した瞬間ーー
ーー音が、消えた。
すぐ後ろから光が束となって炸裂し、後ろ向きでさえ目を開けられないような真っ白な光に満たされたかと思うと、心臓が止まる程の衝撃波と共に、結界そのものがエルゼ達を含んだまま消滅した。
俺は爆発と同時にエスカレーターを飛び降りると、数段下を駆け下りていたルアの背中に激突し、そのままルアと折り重なるように下の階まで転がり落ちて行った。