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「急げ! 殺人事件だぞ、この先真っすぐだ!」
サイレンを鳴らし急行するパトカーの中で、助手席の田村は携帯電話を畳んだ。
パトランプを付けた黒のスカイラインが、幹線道路の間を走り抜ける。
つい数分前、木津から連絡が入り、死体発見現場の近くで人が殺されたとの情報が飛び込んできたのだ。
木津によると横断歩道の上で焼死体が道を塞いでいるらしい。
このままだとすぐに野次馬が群がり多大な交通障害を引き起こしかねない。一刻も早く警察の手を向かわせる為、たまたま現場近くに居た田村が要請されたのだ。
でもなぜ道の真ん中に焼死体が? 一日に二体も変死体が見つかるなんておかしくないか。
田村の乗った車が交差点にさしかかると、道を開ける一般車両を追い越して右折する。
そこには数人の警察官が現場をブルーシートで取り囲むのが見えた。
その側で一台の乗用車がガードレールに突き刺さり、炎を上げて大破している。
スライム死体の現場から人員を割き、すでに到着していた木津が田村のパトカーを誘導する。
田村は車から降りると、急いで木津の元へと走って行った。
「何があった」
「田村さんこっちです」
田村が来ると、駆けつけた木津が説明を始めた。
「被害者は男性で、全身をバーナーのような物で炙られて真っ黒焦げです。多分即死だったみたいです。通報が遇ったのは害者が死んだ直後で、彼が殺される瞬間を何人もの人が目撃しています。ほぼ同時に来た一一〇番通報の3件全てが〝紫色のドレスを着た若い女が、火炎放射器で路上の男性を焼き殺す所を見た〟と証言しています」
「ドレスに火炎放射器?」なんて組み合わせだ。薬師丸ひろ子じゃあるまいに。
「はい。その場に居合わせた目撃者6人全員が同じ陳述をしているんです。紫色のドレスを着た若い女性が、黒いライトバンから降りてきて犯行後、走って現場から立ち去った。って」
「犯人は女か……でも車で来たんだったら、なんで走って逃げたんだろう」
田村はコンクリートの上でメラメラと燃えている火を飛び越えた。
「これは何なんだ?」田村はガードレールに突っ込んで大破している車を視線で指した。絶対女性ドライバーだ。
「その角を曲がってきた時に犯人から攻撃されたらしいですね。幸い運転手は無事だったみたいで、今パトカーで丹代市民病院に運ばれている所です」
田村は立ち止まってその車を見た。煤で真っ黒になったフロントガラスは放射状にヒビが入り、ひしゃげたボンネットからはまだ火の手が上がっている。
白昼堂々と人を焼き殺して車を壊すなんて、なんて女だ。
「恐らく犯人が使ったのは引火性の液体を投射するタイプの火炎放射器みたいですね。まだ道路も燃えてる所がありますし、ナフサとかガソリンとかを撒いたんでしょうか」
「もしそれが本当に自衛隊とかが使う兵器だったとしたら、なんでそんなものがここにあるんだって事になるよな」田村は歩きながら言った。
「はい。でも、もっとおかしな事があるんです」木津が遺体のある方に案内する。
「何がだ?」
「……見たら分かります」
二人は、ブルーシートを広げて遺体を囲んでいる警官の脇を通り抜けた。
そこにある遺体を目にした田村は、表情が変わった。
そこには煙を上げ、まだ熱を持った、真っ黒に焼けた人間の死体が転がっていた。
既に消火はされているが、焦げた肉の悪臭が鼻を突く。
田村は火災事故の現場をいくつも見てきた。トラック事故で脚の千切れた死体だって見た。だが、今目の前にあるのは、今まで見てきた中で最もおぞましい光景だった。
全身の皮膚がタール状に融け、冷えた部分が地面にへばりついている。ジュージュー音を立てて爆ぜる人肉が、焼き過ぎたスペアリブを思わせた。
恐怖に口を開けた骸骨が、最後の表情を写したまま硬直している。
田村は吐き気に襲われ、コートの袖口を口に当てたまま思わず目を逸らした。
「うっ……凄いでしょう」木津が喉を詰まらせながら息をした。
ここに居る警官全員が同じ気持ちのようだ。
「何を使ったら、ここまで……燃やせるんだと思います……?」木津が言った。
「ん?」
「……目撃証言と合わないんです。火炎放射器で数秒焼いたくらいで……こんなふうに人が融けたりするんでしょうか」
確かにそうだ……。生きた人間をここまで焼くのは、対人兵器の温度では出来ない。
犯人が使ったような燃料射出型の兵器ではナパームでも900℃〜1000℃が限界だ。
それでも恐ろしい熱さだが、この遺体のように融かすには火力も放射時間も足りない。物理的に即死など不可能なはずだ。いったい……
田村は考えながら、耐えられずその場から立ち去り、ブルーシートのカーテンをくぐって囲いの外に出た。
炎の残る路面から、陽炎が立ち昇っている。
「何か、分かりましたか?」木津も後に続いて、中から出てくる。
既に現場の周りには十数人も通行人が足を止め、携帯電話を向けている。
「さあな。害者の身元は分かるのか?」
「いいえ、多分無理でしょう。身元の分かるような物を所持していませんでしたし。持ってたとしても、衣服ごと蒸発しちゃってますよ」
「でも、DNAとかで分かるんだろ? どうやるかは知らないが」
「はい、でも遺伝子型分かっても、照合する対象が無いと意味がないですよ。まず、比べる為のデータベースが無いんですから」
「……」田村は静かに唸った。
殺害方法については何一つ分からなかったのだ。
「それより、逃げた犯人の捜索はされているのか?」田村が聞いた。
「いいえ、まだです。立て続けに事件が発生したので警察関係者の人手が出払ってて。今、犯人が向かったらしい丹代駅の方に行こうと思います。どうせドレスなんか着てたらすぐには逃げられないでしょうし、目撃証言通りのそんな目立つ格好してたらすぐ見つかると思いますよ」木津が誇らしげに言った。
「なあ木津、……なんでその犯人、ドレスなんか着てるんだと思う?」
「さあ……僕に聞かれましても……。なんか本人にとっては意味のある服装なんじゃないですか? 何かの儀式とか、そういう意味合いもあるのかもしれませんよ」
「宗教的な生贄とかか……。有り得なくもないな。それと、なんでそいつは車で乗って来たところを見られてるのに、帰りは乗って帰らなかったんだろう」
田村は自分の車に向かいながら言った。
「共犯者ですかね……それとも車から降ろされたとか。目標を殺してこいって命令されて……」
「それは穿ち過ぎじゃないか? 後からその車に乗ったのかも知れないぞ。それか、あらかじめ逃走用に用意されていた別の車に。ドレスを着ていたのは、大勢の目撃者に犯人のイメージを植え付ける為で、逃げた後でドレスは着替えて燃やせばいい。その間捜査の目を『ドレスを着た女』のイメージに向けさせておける」
「それじゃあ黒いライトバンの方を探せばいいんですね! すぐに検問を配備してもらいましょう!」
田村は頷くと助手席に木津を乗せ、運転手に降りてもらうと、自分は運転席に乗り込んだ。