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5章 ラプンツェルの別離


 曳薗グループと言われてもピンとこない人間は多いかも知れないが、しかし名前を上げれば誰もが知っているであろうコンビニやレストラン、呉服店などといった様々な会社は、実は曳薗グループの傘下であることも同様に多い。他の有名所と比べるとどうしても影に隠れてはしまうものの、それでも日本経済のおよそ10分の1を曳薗グループが占めているというのは、経済界においては最早常識となりつつある。

 そんな壮大なグループを、ここまで成長させたのは、ひとえに曳薗手毬現会長の功績だ。

 曳薗グループがまだ無名で、貧しい暮らしを余儀なくされていた幼少時代をバネにして、師匠は、自分のグループをここまで大きくした。子供時代には、ひもじくてしょうがなかった為に、駄菓子屋からお菓子を盗んだり、コンビニから弁当を盗んだりと、散々悪事をやらかしながらも、努力に努力を重ねて経営を立て直したのだ。

 今、彼女が働いているのは、自分の犯した罪を少しでも贖う為だ。

 罪が消えるなんて思ってはいない。罪は罪として、一生自分にまとわりついてくるのだ。罰などという生温い救済措置で消えるようなものではないことを、彼女は知っている。

 だからこそ、俺は師匠の弟子になったのだ。

 盗みの技術も、それは大いに役に立った。生まれついて持っていた殺人の才能のベクトルを捩じ曲げることもできたし、それについても感謝している。

 でも、それよりも何よりも。

 俺は、師匠のその姿勢に惹かれたのだ。

 誰に許されようと思っているのでもない。

 自分さえ、自分を許してはいない。

 罰とは全く違う『贖罪』として、自分の罪と向き合っている彼女に。

 俺は、心惹かれたのである。

「ん…………正面玄関は、不味いかな。万が一、監視カメラにこれが映ったら、面倒だ」

 曳薗手毬、そして娘の曳薗唄七ちゃんが住むマンションの、その正面まで来ていながら、俺はそこで立ち止まっていた。紙袋の中に入れた土産が、ガサリ、と動く。

 少しだけ考えて、結局俺は、怪盗らしくベランダから侵入することにした。師匠たちの部屋は、この高層マンションの18階。片手が塞がった状態でビルをクライミングするのは結構キツイが、しかし、俺の持ち前の凶器であるワイヤーを使えば、不可能というほどでもない。落ちれば無論死ぬが、それくらいのリスクは犯さねばなるまい。

「よっ、とぉ」

 凹凸の少ない壁に手をかけ、上り始める。

 時折肝を冷やすこともありながら、とにかく上を目指して蜥蜴のように壁を這い動いていく。

 夜の1時過ぎという時刻を考えれば、外や、或いは建物の中にいる人間に発見される可能性は低いが、それでも取り敢えず、辺りの気配に気を配るのも忘れない。

 結局、15分ほどかけて、俺はようやく目的地に辿り着いた。

「…………この時間、寝てくれている方がありがたいんだけどな」

 ベランダの柵に腰かけながら呟き、こんこん、と窓を叩く。カーテンは当然の如く閉められているので、中の様子を窺い知ることはできないが――――。

 出てこないでくれ。

 眠っていてくれ。

 ここに来た目的とは相反する、そんな想いを、心の中で祈るように繰り返していた。

 そのまま、5秒、10秒、20秒――――


「…………お、桜、桃……?」


「…………やぁ、こんばんは。唄七ちゃん」

 何故だか溢れ出てくる切なさを堪えるようにしながら、声をかける。

 カーテンを開けて、パジャマ姿のままベランダに出てきた唄七ちゃんは、目を丸くして俺のことを見ていた。鈴を取り外しただけで、解いてはいない三つ編みを見れば、まだ彼女に寝る気がないのは瞭然だった。

 それとも、眠れないのか。

 眠りたく、ないのか。

「ど、どうして……? なにを……?」

「まあ、ちょっとした報告と――――あとは、お別れを言いに来た、ってところかな」

 え?

 唄七ちゃんは、茫然とした表情で呟いた。

 見えないなにかを否定するように、ブンブンと首を振る。

「な、なんで? お別れって、一体、どういうことなの? 分かんない、分かんないよ? 桜桃?」

「ああ、その前に報告だ、唄七ちゃん。はい、これ」

 言って、俺は手にしていた紙袋から、透明なビニール袋を取り出した。

 透明。そう、透明だ。

 正確には、透明だった、と言うべきだろうか。

 今では、汚らしい赤黒い色で染められているが。

「ひっ…………!?」

 小さな悲鳴。

 袋の中のものに視線を移した唄七ちゃんが、堪え切れずに発したものだ。

「そ、それって……?」

 ゴロゴロと、ビニールの中に転がる六つの物体の正体を、おずおずと訊ねる唄七ちゃん。

 俺は、敢えて殺人鬼の感性でもって、何てこともなさそうに、その疑問に答えた。

「ああ、君のお母さんの仇だよ。師匠に暴行を働いた下衆共の死体から切り取ってきた右手首――――全部で六人だったから、6つ()ってきた。これで、復讐の証にはなるよね?」

「…………桜桃……?」

「気持ち、悪いだろ?」

 うっすらと目に涙を浮かべる唄七ちゃんに、俺は言う。

「人の死体は気持ち悪い。人の死体の一部は気持ち悪い。破壊された人の死体は気持ち悪い。でもね唄七ちゃん――――死体よりもなによりも、人を殺すことの方が気持ち悪いし、人を殺してしまう人なんて、なによりも気持ちが悪いんだよ」

「…………」

「俺や、俺の弟たち、妹たちはもう手遅れだ。生まれた時点で、もう手遅れなのさ。でも、唄七ちゃんはそうじゃないだろう? 俺は、君にこんな気持ちの悪い想いはさせたくない。気持ちの悪い人間になんか、なってほしくない」

「……桜桃?」

「復讐、仇討ち、敵討ち…………言い方なんてものはなんでもいいけど、結局のところ、俺がやったことなんてのは、単なる人殺しなんだ。人として最低な行いさ。尤も、俺は《人》じゃなくて《鬼》なんだけどな。なあ、唄七ちゃん。こんな下手物を見せつけられて、それでもまだ君は、人を殺したいかい?」

「……人を……殺、す……?」

「嫌だろう? 人を殺すっていうのは、こんな気持ちの悪い肉塊を量産するっていうことだ。よく壊すことは簡単だって言われるけど、冗談じゃない。こんなものを作り出すなんて、想像しただけでも悍ましくって鳥肌物だよ。殺人鬼の俺でさえそうなんだ、況してや《人》である君なら、尚更そうだろう?」

「……………………」

 無言のまま、何度も頷く唄七ちゃん。

 俺はそれを満足して見つめ、手首だけの死体が詰まった袋を、再び紙袋の中に入れた。

「一つ目の用件は以上さ。これで、師匠の仇討ちは済んだ。……二つ目なんだけどね、唄七ちゃん」

「…………やだ……?」

 二つ目。

 お別れ。

 その言葉を思い出したのか、とうとう唄七ちゃんの目から涙が零れ落ちた。

 泣き喚くのを、必死で堪えながら、泣いている。

「なんで……なんで、桜桃と、お別れなの……? やだよ、そんなの……絶対にやだ……? ……ずっと、ずっと一緒に、いたいのにぃ…………?」

 縋り付いてくる唄七ちゃん。

 すぐ横には、あの気持ち悪い死体があるのも忘れて、俺の胸に顔を押し当てている。

 逃がすまいとするように、服の裾を強く握って。

「……元々ね、そういう約束だったんだよ、師匠とは」

 紙袋を傍らに投げ捨て、唄七ちゃんを軽く抱き締める。

「俺が師匠に弟子入りした12年前……唄七ちゃんは、まだ3歳か4歳だったからな。覚えていないだろうけど…………君が高校に進学する時、それまでなら師弟関係をやってもいいって、師匠は言ってくれたんだよ。言うなれば、それがタイムリミットって奴だ。それが、とうとうやってきちゃったんだよ」

「…………」

「長いようで、短かった。あっという間だったよ、この12年は。でもさ、滅茶苦茶に充実した12年だった」

 師匠に色々なことを教わって。

 音切天使っていう好敵手にも出逢えて。

 唄七ちゃんという、可愛らしい妹までできた。

「楽しかった」

「……どうしても、ダメ、なの……?」

 唄七ちゃんが、消え入るようなか細い声で囁く。

「それでも、やだよ……? 桜桃とお別れなんて、いやだ? ……お母さんが目覚めたら、桜桃のことを説得して……?」

「ダメだよ、これはずっと前から決まっていたことだ。それに、これは君の為でもあるんだよ、唄七ちゃん」

「……私、の……?」

 目を擦りながら、俺の顔を覗き込む唄七ちゃん。

 俺はその頭に、優しく手を置いた。柔らかい髪が、流水のように指に絡みつく。

「俺は、殺人鬼だ。それは、唄七ちゃんも知っているだろう? そんな奴と、いつまでもべったりつるんでいるっていうのは、やっぱり情操教育上よろしくない。下手をすれば、俺の所為で唄七ちゃんが道を踏み外すことだってあり得るんだ。それは、師匠も俺も、望むところじゃない」

「…………」

「それに……これは、師匠も冗談で言っていたんだろうけど、その、高校生っていったら、そろそろ彼氏の一人や二人くらい、できてもいい年頃だろう? そんな、ある意味デリケートな時期にさ、俺みたいなのに惚れちゃってもやだって、弟子が娘と出来ちゃったなんて笑うに笑えないっていってさ…………はは、笑っちゃうよね」

「……笑えない?」

「……そうかい?」

「それに――――そういうのなら、もう手遅れ?」

「へ? ――――!」

 俺になにかを言う暇さえ与えずに、唄七ちゃんは迅速な行動に出た。

 素早く俺の身体を攀じ登り、下手をすれば地上100メートル近い高さから真っ逆さまという危険すら顧みずに。


 唄七ちゃんは、俺の口に、己の唇を重ねてきた。


「……………………」

 一瞬だけの、電撃が走ったような衝撃。

 顔を赤らめながら、俺の肩につかまっている唄七ちゃんは、震える吐息で言う。

「私は――――桜桃が好き?」

「……唄七、ちゃん……」

「世界で一番、桜桃が、好き?」

 そう言って、ぎゅっ、と俺のことを抱き締めた。

 いつもとは逆の姿勢に、少しの戸惑いと、温かさを感じる。

「……一生、忘れない? ずっと、ずっと桜桃のこと、覚えているから?」

「……………………」

「いつか、絶対に桜桃のことを見つけてあげる? そうしたら、私と桜桃、恋人でも結婚でも、なんでもオーケーなんでしょう?」

「…………参ったな、これは。師匠も想定外だったろうに」

「それとも……桜桃は、そういうの、迷惑?」

「…………まさか」

 そう返して、俺は唄七ちゃんのことを再び抱き締めた。

 温かな体温が互いの身体を行き来して、言い様のない幸福感で満たしてくれる。

「待ってるよ。いつまでも、いついつまでもずっと。唄七ちゃんが俺のことを見つけてくれるまで、ね」

「…………嬉しい?」

 小さく笑い合って、俺と唄七ちゃんは、そのまま黙って別れた。

 唄七ちゃんは名残惜しそうに部屋の中に戻っていき、

 俺は、ベランダから躊躇することもなく、後ろ向きのまま飛び降りた。

 再会の約束は、しなかった。

 でも、別れの言葉も、言わなかった。

 それはきっと、そういう意味だ。

 いつか、絶対に見つけ出すという、唄七ちゃんからのメッセージ。

「…………待っているよ、唄七ちゃん」

 全身にかかる重力の奔流に逆らうように、指を動かす。途端に、俺の身体は急降下を停止し、中空で綺麗に止まった。

 全身に絡みつく、無数のワイヤーたち。

 人体を切り裂くことを目的とはしない、移動用のものだ。

 それらを器用に巻き取りながら、地上へと着地する。

 見上げるのは、満天の星空ではなく、彼女のいる部屋。

 唄七ちゃんが、きっと、眠りに就いたであろう、あの部屋だ。

「…………さあ、行こうか」

 次はなにをしよう。

 なにを盗み出そうか。

 どうやって盗み出そうか。

 ああ、最後に師匠へのお見舞いを、もう一度だけしてみようか。

 音切警部から逃げる方策も、考えなきゃな。

 リリィちゃんにも、情報のお礼をあげなければ。

 ……やれやれ、忙しいな。

 忙しくない方が、平和な筈だったのに。

「……………………」

 さよなら。

 その一言は決して言わなかった。

 だって、彼女は――――


 唄七ちゃんは、きっと、俺を見つけ出してくれると――――そう、信じているから。


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