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2章 テンションを間違えている花屋


「……………………」

 唐突な話、世の中には男一人じゃ行き難い場所とか、女一人じゃ行き難い場所とか、そういったものが確かに存在する。

 例えば、どんなに甘党の男性だって、連れもなしにスイーツバイキングに行くのはかなりの勇気を要するだろうし、どんなにラーメン通の女性だろうと、一人で頑固親父の経営する老舗中の老舗に入るのは躊躇するところだろう。まあ、最近はスイーツ男子とかも出てきたし、ラーメン店の方でも女性客を積極的に集めようと努力をしているらしいので、一概にそうは言えないのだが。

 しかし、どうしたところで性の違いによる意識の違いといったものは、避け難いものである。

 女性なら一人で余裕に来れるような場所でも、俺のような、もう若いとも言えない20代後半の男一人では、まず行くのにも一大決心を必要とする。その英断の後でも、今度は多大なる忍耐を要求されるのだ。自分一人だけが場違いな感覚、自分がいるべきでないところにいるという違和感、それらの羞恥心を相手取っての我慢大会は、有り体に言えば苦痛を伴うことが多い。

 閑話休題。

 そもそも何故にこのような話をしているのかというと、実はこの俺、大泥棒・無々篠桜桃は今、花屋にいるのだ。

 花屋。

 お花屋さん。

 フラワーショップ、という奴である。

 正直、男一人で訪れるには、かなりの勇気を必要とする場所だ。

 注文を終えた今でさえ、心臓はバクバクいっている。しかもこういう店は、往々にして店員さんが可愛いのだ。狙い澄ましたかのように、別嬪が揃っている。歯医者も似たようなものだというが、こうも綺麗なお姉様方に並ばれてしまうと、自然、男の俺は鼻の下が伸びてきてしまう。それもまた、俺のこの名伏し難い緊張の原因を担っていた。

 これでは、世間を騒がす稀代の大泥棒、怪人二十面相の化身とまで言われた、無々篠桜桃様も形無しだ。

 ちなみに、今日の俺はシックなスーツ姿。

 父親譲りのボサボサ髪を惜し気もなく外気に晒し、パピヨンマスクの代わりに柔らかな円形をした眼鏡をかけている。

 …………まあ、あの奇抜な格好で日常生活を送るほどに、俺の価値観はトチ狂ってはいないし。

「価値観…………ねぇ」

 いや。

 それも、戯言に過ぎないか。

 俺のような生物が、真っ当なそれを持っているなどと、傲るべきではない。

 寧ろ、最大限に恥だと考えるべきだろう。

 自分の価値観を。

 自分の倫理観を。

 自分の道徳論を。

 一切合切を捨てられない代わりに、一切合切を恥じるべきだ。

 末の妹辺りが聞いたら、鼻で笑いそうな話だが。

「桜木さ~ん、お待たせいたしました~」

 力の抜ける声が響く。

『桜木』とは、俺がこの場で名乗った偽名だ。俺の本名は『桜桃』――――つまりはサクランボ。そこからとったネーミングなのだが…………巷に溢れ過ぎている普通の名字なだけあって、どこで使っても一向怪しまれない。

 まあ、名乗る度名乗る度に怪訝そうな目で見られるよりはマシか。

「ありがとうございます」

 言って、店員の腕に抱かれている花束を受け取ろうとする。

 だが、小さいボディには似合わない放漫な胸に、『いつみ』と下手くそな平仮名で書かれたネームプレートを付けた店員は、なにやらにやにやと笑いながら、花束を手渡そうとしない。

「えっへへ~。桜木さん、この花束、どなたに渡すんですかぁ?」

「…………ちょっと、知り合いにね」

 お茶を濁す曖昧な回答。

 この店に来るのは、実は初めてではない。というか、ぶっちゃけ常連である。あくまでここ3ヶ月に限っての話だが。

 その間に、何故だか俺はこの店員に懐かれてしまったのだ。

 どうやらアルバイトらしいこの少女は、ことある毎にこうして俺に絡んでくる。まるで酔っ払い親父だ。振り払っても振り払っても、音切警部並みの粘着質加減で引っ付いてくる。赤の他人である俺が気を揉むべき問題ではないのだが、この娘、恋人とかできるのかなぁ?

 粘着質の女は嫌われるかもだぜー?

「むー。そんな玉虫色の回答は飽きましたー。誰です誰です? もしかして彼女へのプレゼントとか? キャー!」

「病院内の花屋で彼女へのプレゼントを買う男がどこにいるんですか。そんな男と付き合いたいですか?」

「絶対に嫌ですね。引きます。っていうか引き摺ります。市中引き回しの刑にします」

「…………それはいくらなんでも、酷過ぎると思いますけど」

「んでんで? 一体全体誰に渡すんです? お見舞い? 彼女の?」

「なんで全部色恋沙汰に結び付けるんですか…………。違いますよ、ちょっとした知人へのお見舞いです。今、この病院にいましてね」

「ふ~ん。でもでも、彼女じゃないなら誰ですかー? 気になりま~す~よ~」

「友達、とかってテキトーに納得してくれないんですか?」

「テキトーはよくないですよ。やるなら、何事にも一生懸命! これが基本です。少なくともわたしは、部活の顧問の先生にそう習いました」

「へぇ」

「ちなみにその先生は今、全力で引きこもりになっています」

「台無しだっ!」

「で、誰なんですー? お見合い相手は」

「お見舞い相手です。…………まあ、そうですね。一言で言うとしたら――」


「――俺の、師匠みたいな人、ですかね」


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