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1章 天使からの逃亡劇


「――――こぉらぁっ!! 待ちやがれ止まりやがれとっとと捕まりやがれぇっ!!」

 がっちゃがっちゃ、がっちゃがっちゃ

 所詮は見ず知らずの他人が所有していた車、軽やかとは間違っても言えはしないが、しかしそこそこに手際よくハンドルを切りながら、俺は先程からバックミラーの真ん中に陣取って離れない人物を見る。常識といったものを軽ーく無視した超人技を披露する彼女の目は、ギラギラと輝いていて、正直かなり怖い。

「…………ったく、あの人もそろそろ、普通の追跡っつーものを学んでもいい頃だろうに、ねぇっ!」

 愚痴を溢しながら、一気にハンドルをぐるりと回す。タイヤがアスファルトとの摩擦によって悲鳴を上げながら、進行方向を強引に捩じ曲げた。

 俺たちがおいかけっこをしているのは、狭小とも言い難いが、しかしどう考えても広いとは思えない、一方通行一車線しかない小道だ。辺りに民家はなく、その代わり、近くにある商店街から溢れ出たコンビニやスポーツ用品店、不動産屋などが立ち並んでいる。

 かなりの無茶苦茶だが、しかし――――Uターンが不可能というほどではないっ!

「な、なぁっ!?」

「避けてくれよっ! (おと)(ぎり)警部!」

 言いながら、俺はアクセルを目一杯踏み込み、加速をつけて追跡者へ突貫していく。

 相手がどれだけ規格外の化物だろうと、こちらは猛スピードで突っ走る車だ。

 ぶつかればただでは済まない――――そんなことは、この出鱈目な追跡者だって重々承知の筈だ。

 なのに。

「うわっ! ちょ、待――――っ!?」


 ドッ、ガ――――――…………ン


「…………へ?」

 豪く間の抜けた轟音が響いて、俺は反射的にブレーキを踏んでいた。

 手やら足やらにはっきりと残っている、鈍い衝撃。

 人を撥ね飛ばした、感覚。

「おい…………嘘、だろう?」

 撥ねた?

 撥ねた、のか?

 俺は、人を、撥ね飛ばしちまったのか?

 車で人を、撥ね殺した?

「……っちゃあ、殺っちまったか…………。勢い余って、って感じなんだけど、どうしたところでしょうがねーよなぁ。どうしろっつーんだよ、これ」

 遠くに聞こえるパトカーのサイレンも気にせずに、車から降りる俺。

 目の前には、今さっき撥ね飛ばした女が一人、転がっている。まだスピードが出切っていなかったのか、彼女はまだ人としての形を保っていた。

 長い黒髪も、平たい胸も、白く細く長い癖に力は出鱈目に強い手足も、そのままで。

 あの凛とした顔から作られた死に顔は、とても見ることができない。

 五体満足。

 四肢健在。

 見るからに明らかに健康体そのものの姿形のまま、彼女――――警視庁刑事部盗犯係係長・音切天使(てんし)警部は、絶命していた。

 血の一滴も流さずに。

 内臓の一つも溢さずに。

 綺麗な、本当に綺麗な形のまま。

 俺のライバルだった刑事は、死んでいた。

「…………俺は、結構あんたとのおいかけっこ、気に入ってたんだけどな……」

 感傷に浸りながら呟く俺。

 いやお前、自分で殺しておいてなにをしおらしいことをぬかしてやがるこのすっとこどっこい――――などとは頼むから言わないで欲しい。今となっては言い訳に過ぎないが、本当に心底掛け値なしに、俺は彼女を殺すつもりはなかった。普通は、前から車が迫ってきたなら避けるだろう? その隙を狙って逃げ仰せようと思っただけなのに、まさかこんなことになるとは…………。

 生まれついての殺人鬼がなにを殊勝なことを。

 だが、ことこいつの死に関しては、いやが上にも殊勝になる。今まで多くの警察と逃走劇を演じてきたけど、女性の癖にここまで粘り、且つここまで常識外れな刑事もいなかったのだ。謂わば俺とこいつとは、宿敵のような間柄だった。互いに互いを認め合い、練磨し合い、高め合った無二の強敵(ライバル)だった。

 それが、この結末。

 俺たちの戦いの終末は、あまりにも呆気なかった。

 互いの本分とはまるで関わりない場所で、花開いては散っていく花火のように。

 儚く――――夢から醒めた。

「…………やっぱ、最初から無理だったのかね。俺が誰かと渡り合うなんて」

 汝、隣人を殺害せよ。

 汝、人間を殺戮せよ。

 汝、人類を鏖殺せよ。

 勿論、こんなものはうちの家訓でもなんでもないが、しかし俺たちのような生物の生き様というものを端的に、しかも分かりやすく明快に、ついでにギャグ成分もプラスして表すとするなら、ざっとこんなものだろう。

 殺人鬼。

 それが、俺に許された唯一の生き方だ。

「せめて、安らかに眠ってくれよ我が好敵手。ナンマンダブナンマンダブ…………」

 と。

 俺が物思いに耽りながらテキトーな念仏を唱えていた、その時。


「ん、…………うぁ~あ……あれ? 桜桃(おうとう)?」


「……………………へ?」

 起きた?

 そんな、昼寝から目覚めるような気軽な感覚で?

 ぱちくりと、瞬きをしている。

「えっと…………桜桃、だよな?」

「……………………はい」

 返事した。…………いや、返事している場合か。

「な、なんで生きてんだよ音切警部! おま、車に轢かれたんだぞっ!? そこは常識に則って死んどけよっ!」

「んー、それをあたしに言われんのも困るんだが。……っていうか、生きていたんだからちっとは喜べよっ! それでもあんた、あたしのライバルかヘボ怪盗っ!」

「うるせぇっ! 返せっ! 今の俺の物悲しい感傷を返せっ! 巫山戯んな今すぐ死んでもう一回俺を感動させてみやがれサイボーグ刑事28号っ!」

「あたしは生まれついての真人間だよボケっ!」

「ならせめて人っぽく、死ぬべき時は死ねよっ! 完全にお前のことを殺しちまった気になってた俺が究極に格好悪いっ!」

「て、っめぇ! とうとう本性現したか殺人鬼野郎がっ! 自動車運転過失致傷の現行犯で逮捕だこらぁっ!」

 うおぉっ!?

 嘘だろ!? こいつ、立ち上がりやがった!?

 しかも腹筋だけで!?

 車で轢かれた直後に!?

「っ、やっべ!」

 危機感を抱いた俺は、急いで運転席に戻り、とにかくアクセルを踏んだ。キーを回すのを最初の五秒ほど忘れるくらいに、超が付くくらいの必死さ加減で。

 やがて、車が動き出した頃に、悪夢は再来した。

「待てやこらぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 追いかけてきた。

 音切天使警部が、俺の追跡を再開してきた。

 猛スピードで。

 鬼の形相で。

 それも、自転車で。

「待てこら無々篠桜桃っ! ほらフルネームで呼んでやったぞ自己紹介の手間が省けただろうがだからさっさとお縄につけやぁっ!」

「理由がビックリするくらいに意味不明だよ超人刑事っ!」

 拾ったママチャリで時速八〇キロオーバーとか、刑事のすることじゃねぇっ!

「さっさと捕まれこそ泥がぁっ!」

「お前が捕まれっ! 刑事が盗んだ自転車(バイク)で走り出すんじゃねぇっ!」

 とかなんとか言い争いながら走っていたら、いつの間にか前方がパトカーで埋まってんじゃねぇかっ!

 あーもーくっそがぁっ!

「よっしゃこれで袋の鼠だな桜桃っ! 今度という今度こそ覚悟しろ観念しろ神妙にお縄を頂戴しろやぁああああああああああああああああああああああっ!!」

「真っ平だ! あと、少しは句読点を挟めっ!」

 読み難いんだよっ!

 あとツッコみ辛いっ!

「ん、とぉっ!!」

 懐に隠し持っていた、大振りで無骨なナイフ。

 そいつを車内の低い天井に突き立てて、躊躇なく円形に切り裂いていく。

 俺はアクセルを踏み締めたまま、自分で開けた天井の穴に向かって――――片足でジャンプした。

「は、はぁっ!?」

 突然車の上に現れた俺に驚いたのか、音切警部は目を丸くして叫んでいた。

 …………いや、確かに変わったことはしたけどさぁ。

 そこまで大袈裟に驚くことか?

「な、なにをするつもりだてめぇっ! まさか、そのまま飛び降りるつもりじゃねぇだろうなっ! いくらお前でも、骨の一、二本じゃ済まねぇぞっ!」

「心配してくれんのはありがたいんだが…………ま、的外れだと言っておくさ。それじゃあな、音切警部殿。少しは口調に気を遣った方が、男も寄ってくるだろうぜ?」

「大きなお世話だっ! あたしは独身主義なんだよっ!」

 負け惜しみのような台詞を吐きながら、音切警部は腰のホルスターから拳銃を取り出し――――って、拳銃!?

 嘘だろおいっ! まさか撃つ気かよっ! こちとら丸腰と大差ねぇぞっ!

「死ねや桜桃っ!!」

「殺す気バンバンだなおいっ! 警察学校に入り直せっ! っていうか査問会議にかけられて懲戒喰らえ不良刑事っ!」

 言いながら俺は、右手を高々と掲げ、それを思いっ切り下へと降り下ろした。

 瞬間、俺の身体が、ふわり、と宙に浮いた。

「はぁ―――――――――――――――――――――――――――――――――――あっ!?」

 明らかに引っ張り過ぎな困惑の声と共に、宙に浮かんだ俺の股の下を音切警部が猛スピードで通り過ぎていく。…………おい、お前、俺が途中でブレーキかけていたら、どうするつもりだったんだよ。

 衝突覚悟だったのか?

「てめ、桜桃っ! ワイヤーなんて古典的な手ぇ使いやがって! この卑怯者っ!」

 ドップラー効果で妙ちきりんな声になっていく負け惜しみを華麗に聞き流し、俺は自分と周囲の建物とを繋いでいるワイヤーを再び引っ張り、更に高度を上げた。そして近場にあった不動産屋の屋根に立ち、遠退いていく音切警部に別れを告げる。

 漆黒の外套(マント)を靡かせて。

 金のパピヨンマスクを煌めかせて。

 時代錯誤なシルクハットを翳しながら。

 得意気に、見栄を切る。

「あばよ、音切警部。最後の最後に、やっぱり自分で名乗らせてもらうぜ――」


「――俺の名は無々篠桜桃! 世界一の大泥棒さっ!」


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