白羽ちゃんの超えてはいけないボーダーライン
いろいろなことが起きた。
一週間も経たず大きな出来事が三つあった。
その日急に友達と二人で職員室に呼ばれた。
「鮎川。お前特進に移る気はないか?」
口も目付きも悪い友達も少ない鮎川凛 高校二年生は私の友達だ。凛は昔からとっつきにくいせいで一匹狼と化していた。
なぜか周りから伝言役を任され続け、いつの間にか親しくなった私は同じ高校に進学した。進学を機に頭角を現した凛は普通科に居ては勿体ないと判断されたらしい。
「うちは看護師を目指す生徒の為に推薦もしてる。せっかくだから、特進へ移って勉学に励むと良い。」
隣で私は肩身の狭い想いで立っていた。呼ばれてからずっと凛ばかり。
――えっと……私はここに居て良いのかな?私も一緒に呼ばれたよね?あれ?間違い?
視線を彷徨わせていると、さすがに教師が気づいたらしい。
「あっ石川。お前もどうだ?」
教師に悪気は無い。
――何そのついで感……
「……結構です。ついていけるとも思えませんし。」
私の返事を待っていた様に凛が口を開いた。
「白羽が断るならアタシも。」
凛の言葉に教師は肩を落とす。
「友達を理由に決めるのはどうかと思……まぁ気が変わったら言いなさい。」
教師の言葉に白羽は唇を噛んだ。
これが一つ目。
週末はスーパーのレジでバイトをしていた。
レジ打ちを覚えたらあとは単純作業だ。元より愛想は良い方だ。
適当に挨拶して流すだけ。性に合っていた。
だが困ったことにストーカー被害に遭っていた。
同じレジ打ちスタッフの中年男性。
これまではオドオドしながら声をかけてきたり、あとをつけられたりするだけだった。
その日はたまたま同じ時間に終わるシフトだったらしい。
これまでもよくあったが難なく撒けた。
でも今回はそうはいかなそうだ。
自転車を押しながら男はついてきていた。自転車相手に撒くのは骨が折れる。仕方なくこちらまで来るのを待って話をすることにした。
だが距離を保ったまま男は立ち止まってしまう。
こちらから行かないといけないのかと白羽はため息を吐いた。
まさか自分から近寄ると思わなかったのか。男は後退るが自転車が邪魔となってまごついている。
「あの〜そろそろやめて頂けます?」
努めて穏やかに声をかけてみた。
男は黙り。
「いつも、いつも。後をつけられて不快です。」
笑顔で告げる。
「……あっ……だから。」
ボソボソ呟く男に少し苛立ちもするが落ち着いて「何です?」と問う。
「アモーレだから!!」
「は?」白羽は首を傾げた。
「だからぁ!石川さんにアモーレだからぁあ!」
ガシャンッ。自転車が転がる。
男は両手を握りしめてまた「アモーレだもん!」と叫ぶ。
――あっうん。気色悪い。
「まあ。申し訳ありません。貴方はタイプではありません。今後同じ様なことがあれば、通報しますので悪しからず。」
白羽は歩き出した。
ついてくる気配はない。
暫く帰路を進み後ろを振り返った。どうやら諦めた様だ。
スマホでバイト先に繋げる。
「……あっお疲れ様です。石川です。急なことで申し訳ないのですが。」
その日バイトを辞めた。
これが二つ目。
最後の一つを振り返ろう。
バイトを辞めたことで暇を持て余している白羽の元へ連絡が来た。
中学からの友人の一人だ。たまたま高校も一緒だったことでこの頃、凛と三人でよく連んでいた。
凛にも声をかけたそうだが、断られてこちらへ声をかけてきたらしい。
暇なので行くことにした。
そして軽く後悔する。
指定された集合地は見知らぬ一軒家。
表札の名前を見て察したが、仕方なくインターフォンを押す。
顔を出したのは金髪の青年だ。
「ああ、君がしらはちゃん?えっ!可愛い!入って入って!」
年は変わらないくらいだろうか。
――帰りたい……
本音を飲み込んで微笑んだ。
中へ入ると他にも三、四人いるらしい。皆高校生だろうが、知らない人間ばかりの集まりは苦手だ。髪型や服装を見るに一様に素行が悪そうだ。
あと気がかりなのは男女の距離が近い。
顔が引き攣るのを感じながら、見回すと見覚えのある天パの髪。
白羽を呼んだ友人だ。声をかけようと一歩近寄ってやめた。
目の前で唇を重ねる姿。周りはそやし立てる。
後ろから腕を回され白羽は唇を噛んだ。
「おー盛り上がってるー。今日親いないし安心して。しらはちゃんもどう?」
白羽は両手を握りしめる。
――安心?どうとは?
いろいろ思うことはあるが、まずは落ち着きたい。
「ごめんなさい。それよりお手洗いを借りたいんだけど……」
スッと距離をとる。玄関を振り返るとその近くに扉が見えた。
「あれかな?借りちゃうね〜。」
ゆっくり扉を開ける。思った通りだった。鍵を閉める。
深呼吸をした。
――あの色ボケ。また碌でもないのと付き合いだしたのかしら?巻き込まないでほしいわ。
鍵を見る。
いつまでもこうしている訳にもいかない。
――とりあえずあのお馬鹿ちゃんに一声かけて、退散ね。
トイレの洗浄ボタンを押して鍵を開けた。
それに合わせて先ほどの青年が中に押し入る。
「意外と積極的じゃん?」
青年の言葉に首を傾げた。
そのまま乱暴に肩を掴まれ唇を押しつけられた。
――えっ……きっしょ。
何度も押しつけられて不快でしかないが、抵抗するでもなく立ち尽くした。
――どうしましょ。
そのうち青年の手が動いた。胸に触れられかけて、反射的に足が動いた。
ドンッ。
衝撃に耐えられず青年は扉にぶつかり、そのまま股を抑え蹲った。
「あらごめんなさい。足癖が悪くて。」
唇を拭って青年の背を跨いで廊下へ出た。
音に気づいたのか視線がこちらへ集まっている。
白羽は笑顔で「急用思い出しちゃって〜。お邪魔しました。」と声をかけた。
外へ出るまでに友人の声が背後で聞こえた気もするが、白羽は立ち止まらなかった。
そして今に戻る。
スマホの画面を見てため息を吐いた。電車はまだ来ない。
ホームのベンチに腰掛けたまま、周りを見渡した。電車を待つ学生がチラホラ見える。服装はバラバラだ。ここいらの大学や高校、中学の学生はこぞってこの電車を使う。
学校終わりに例の友人に会うために、隣のクラスへ行って頭を引っ掴んでやった。
終始「なんで??」って叫んでいたが、最後には素直に謝ったので許すことにした。
――お馬鹿ちゃんの相手してたら電車逃しちゃった。最悪。
学校でもストレスはあるが、今ではそれすら毎日のタスクとなっている。でもあの三つはさすがに堪えた。
週明けから気分が悪い。
――早く帰りたい。
トサッ。
「……」
隣を見ると両足をだらっと伸ばして座るマスクの青年。
黒い髪の先は無造作に跳ねている。
白羽は首を傾げた。
――なんで隣に?
電車が来るアナウンスが鳴り、学生たちが列を作り始めている。
スマホの画面を思い出した。目当ての列車ではない。
隣の彼もそうなのだろうか。動く気配がない。
白羽はゆっくり立ち上がろうと荷物を抱えた。
「えっ?待って!待って!お願い!」
その様子に気づいた青年が声を上げる。
白羽は戸惑いつつも座り直した。
「ごめんね。気を遣わせて。顔見たら思わず座っちゃってた。」
明るい声に悪意は感じない。
列車は学生を乗せて走りだした。
――この人連れてってくんないかな。
白羽は小さくなっていく列車を見つめる。
「何て声かけて良いか、分かんなくて……キモかったよね。ごめん。」
白羽は青年の顔を見て「ええ。」と頷いた。
「あっ意外と辛辣。」
青年は笑う。
「いつも友達に囲まれてるのに、今日は一人で黄昏てるから気になってさ。お節介だとは思ったけど。なんかあったのかなぁて。」
他人から心配をされる程、淋しそうに見えたのだろうか。白羽は戸惑いつつも笑い返した。
「ふふっ。赤の他人なのに。ほんとお節介。」
マスクをしてるのに少し拗ねてるのが分かって可笑しくなった。
「……赤の他人の方が良くない?」
何が良いのか分からずにいると青年は続ける。
「相談事や愚痴って赤の他人に話す方が気が楽なんじゃないかなって。」
白羽は一瞬視線を逸らした。
――何を言い出すのかと思ったら……でも確かに一理あるかも?
青年はまっすぐこちらを見ている。
「何か話すべき?」
青年は腕を組む。
「そういう流れじゃない?」
白羽はため息を吐いた。
――流れとはなんだろう?
納得はしていないが、隠すことでもない。
「じゃあそうね。何を話そうかしら?あっまずはじめに。いつも一緒に帰る子たちは友達じゃないの。」
凛たちは学校から自転車で通える距離だ。だから代わりに電車通学のクラスメイトといつも帰っている。今日はお馬鹿ちゃんに説教垂れるために、先に帰ってもらったのだ。
「へっ?」
友達じゃないと聞いて素っ頓狂な声を上げる青年。その姿が面白くて目を細めた。
「でもいつも腕とか肩とか纏わりつかれてない?恋人繋ぎしてたのも見たし。えっじゃあ、あの子ら何??」
白羽は何と聞かれて手で口元を抑えて考えた。
「……タスクの一つね。」
青年は理解出来なかったようだ。
「えっタスク?あの子ら皆?そもそも何のタスク?」
白羽は笑う。
「う〜ん何て言うか。学校生活で交友関係を築いておくことは大事でしょ?何故かベタベタ触れてくる女の子が多くて面倒だけど、拒む必要もないもの。」
青年は悩みながらも「いや。嫌なら拒んで良いと思うよ?」と返す。
「う〜ん拒むのも面倒くさいのよ。それよりも愚痴を聞いてくれるのでしょう?話すから聞いて。」
青年は戸惑いながらも頷いた。
「友達が頭が良くて特進に勧められたの。凄いでしょ?それだけなら良いのに。私もついでにどうかって。ついでだなんて癪でしょ?その上バイトは"ストーカー"のせいで辞める羽目になるし。」
ゲホッ、ゴホッ、コホッ。
急に咳き込む青年の顔を覗き込む。
「大丈夫?」
青年はゆっくり頷く。
「……ごめんね。風邪で。だいぶ治ったと思ったんだけどなぁ。ははは。」
白羽はまた話しはじめる。
「暇になったし遊びに行ったら、知らない男の子にキスされちゃって。キスくらいなら別に構わないのだけど、触れてこようとしたから……ね。」
ニッコリ微笑んでみると青年が固まっていた。
「お痛が過ぎるから、ちょっと一発だけ浴びせて逃げたけど。それだけよ。ほんとに。それに昔からよく男女ともにトイレは覗かれるし、よく追いかけ回されるから慣れてるのよ。」
口をついて出る全てがあまり真面ではないと気づいてドキッとした。
――どうしよう。ひかれちゃったかな?あっでも、赤の他人だし……まあいっか。
暫く沈黙が続いて居た堪れないでいると、青年の重たい口が開いた。
「……キスくらいなら良いの?」
白羽はパチクリしながら「ええ。」と答えた。
「普通傷つかない?」
白羽は訳が分からず眉を顰める。
「何故?唇が触れるだけでしょう?」
質問の意図は分からないが白羽は続ける。
「やらしい手つきで触れられるのも、トイレを覗かれるのも、あとをつけられるのも不快だわ。私には明確なラインがあるの。……恋人繋ぎされようが腕にしがみつかれようが、好きにしたら良いわ。私の超えてはいけないラインに触れたら許さない。」
青年はゆっくり頭を垂れる。
「……んーライン、ラインか。いや駄目じゃない?うーん?」
理解も同情も求めてはいない。無理に返答する必要もない。なのに青年は悩んでいる。
その姿を眺めていると、不思議と気持ちも少し晴れていく。
――確かに気兼ねなく吐き出せるのは気持ちが良いかも。
青年が顔を上げた。
何を口にするのか期待して白羽は微笑む。
「じゃあ俺とキスできる?」
まさかの言葉だが「ええ。」と反射的に答えてた。
また電車が来るアナウンスが鳴る。
次は目当ての列車だ。
白羽は立ち上がる。
「じゃあ約束ね。」と言って青年が手を振った。
白羽は戸惑いつつも列車に向かって歩きだした。
次の日青年と会うことはなかった。
会っているのかもしれないが、いつものようにクラスメイトと一緒だから声をかけられないのかもしれない。
――きっとそのうち忘れるわ。
そんな風に思いつつ日は流れていく。
そして今、何故か壁に追いやられている。
その日は委員会もあって一人で帰る途中だった。それを急に腕を掴まれ公衆トイレの壁に叩きつけられた。
背中も腕も痛い。
下手にトイレの中に連れ込まれなくて良かったのだが、思ったより遅くなったことで周りに人の気配はない。
腕を掴まれた時。学生が通り過ぎたような気もするが、巻き込まれたくなかったのだろう。影も形もない。
「ねぇ酷くない?無視?」
目の前にはどこかで見たことのある金髪の青年。
白羽は首を傾げる。
「思わせぶりな態度とった癖に逃げてさぁ。しらはちゃん酷くない?」
その言葉にあの日のことを思い出して、白羽は肩を落とした。
――最悪。ほんとに無理。ていうか。
「勝手に勘違いして舞い上がったのは誰?確かにあまりの気持ち悪さに逃げちゃったけど……仕方ないでしょう?」
白羽が笑うと青年が拳を振り上げた。
殴られるのを覚悟して、目を瞑った。
でも拳は振り下ろされない。
「なんだよ!離せよ!」
目を開けると黒髪の青年が手首を掴んで止めていた。
「いや、完全にフラれてんじゃん。それでキレて殴るってダサくない?」
初めて聞く低い声。
「あ゙っ?んだとテメェ!てか、いい加減離せや!」
掴みかかられても青年は掴んだ手を離さない。
どころか力が入ったようだ。
金髪の青年が小さく呻く。
「白羽ちゃん。嫌がってるでしょ。いい加減にしてくんない?」
白羽は目を見開く。
――白羽ちゃん?
名前を教えた覚えはない。でも迷いのない呼び方だった。
尚も力を込めて青年は続ける。
「二度と白羽ちゃんに近づかないで。」
青年が離した途端に手を振り払って離れた。
「くっそ。」
そのまま金髪の青年はぶつくさと文句を垂れながら離れていく。
白羽は安堵しつつも、青年に近寄った。
今日はマスクをしていない。
「う〜んと、合ってるかしら?えっと駅の?」
白羽が確認すると青年は笑った。
「そうそう、この前話したっしょ。」
無邪気な笑顔に絆されそうだ。
「私名前教えたかしら?」
一瞬間をあけて青年は頷く。
「あれ?忘れちゃった。白羽ちゃんが教えてくれたじゃん。」
白羽は唇を手で押さえ少し考える。
「……確かに教えたかも?」
青年は一歩近寄って顔を寄せる。
吐息が近くて息を飲んだ。
「それより約束も忘れちゃった?」
駅での最後の会話を思い出す。
――じゃあ俺とキスできる?――
白羽の視線が青年の唇へ移る。
それはただの言葉の文。もう関わることもないと思っていた相手。白羽にとってはあってないような約束。
ゆっくり手首を掴まれた。痛くはない。
優しく包み込むような手つきだ。
そのまま引き寄せられて唇が重なった。
何が起きているのか理解できない。
ほんの数秒のことなのに時間が止まったのかと、錯覚してしまうほど長かった。
唇が離れる。
青年はまた無邪気に笑う。
「……キスしちゃった。」
白羽は戸惑いつつもその笑顔につられるように目を細めた。
「そんな約束、忘れてた。」
青年は「やっぱ忘れられてた。ひどい!」と言ってまた笑う。
一頻り笑ってから青年は白羽の手を広げて、自分の指を絡め握った。
「嫌だった?」
白羽は笑う。
「いいえ。」
白羽はその手を握り返す。
「言ったでしょう。好きにすれば良いって。」
言い切る前に唇を塞がれた。
――自分が撒いた種なんだけど、困ったなぁ。……そもそもこの人何処の誰だろう。
重ねられた唇が離れるまで、白羽はただ目を閉じて悶々と考えた。
「ねぇ。湊って私のこと好き?」
付き合っていた彼女に唐突に訊かれて、答えられずにいると平手打ちをされた。
流石に悪かったと思って連絡を取ろうとするもブロックされた後だった。
「まぁいっか。」
通っているのは進学校だ。告白をされて付き合いはしたが、勉強が最優先だ。
帰り道に駅に向かって歩く。
参考書を緑のシートで隠しながら見ているが、何も身が入らない。
彼女と一緒に帰っていた頃、隣でずっと話し続ける存在にうんざりしていた。というのに今では少し恋しくも思う。
――不思議だ。
これからは友人と帰ろうかなどと考えていると肩がぶつかった。
「あっ。」
指からシートがすり抜けた。
地面に落ちる。
それを横からしゃがみ込んで拾う女の子。
同い年くらいか。制服を見るに近くの別の高校生だろう。
真っ直ぐ伸びた黒髪が風に揺れる。
女の子が顔を上げ穏やかに微笑む。両眼の下や口元の黒子が目を惹く。ただそれだけなのに湊は目が離せなくなっていた。
「ごめんなさい。前を見てなくて。」
おっとりした話し方によく合った綺麗な声だった。すごい美人という訳ではない。でもその仕草や声に心臓が跳ねる。
「あの……」
戸惑いながらシートを差し出す姿に、慌てて受け取った。
"ありがとう"と伝えようとしてしたが、すぐさま口を閉じた。
「しらはちゃん!帰ろうよー。」
友達だろうか。白羽を囲うように群がったと思ったら、その腕や手を引いて連れて行ってしまった。
拾ってくれたことに感謝をしたかったが、伝える暇すらなかった。
「……しらは。」
他校生のことを知ってる訳もない。そうはわかっていたが、翌日友人達に尋ねることにした。
「しらはって子、知ってる?」
友人達は顔を見合わせる。
「えっお前。もう次に?」
湊は首を振った。
「いやそうじゃなくて。確かにフラれて彼女いないし、気になってるのも確かだけど。」
呆れかえる友人達の中の一人が笑い出す。
「それ石川白羽だろ?」
湊は目を輝かせる。
「それそれ!たぶんその子!知ってんの?」
友人は首を振る。
「あれはやめとけ。」
湊は訳も分からず眉を吊り上げる。
「はっ何で?」
友人は鼻で笑いながら続ける。
「石川って中学時代も取り巻き引き連れててニコニコしててさ。そういうのが鼻についたみたいで、一部の女子と男子が虐め出したんだ。」
湊は固まる。
「普通虐められたら泣くとか怒るとか、なんかあんじゃん。あいつ違うの。いじめっ子の中のリーダーに詰め寄って、何て言ったのかは知らないけどさ。石川はずっと穏やかな顔してんのに、相手の方が逆に泣いて仲間連れて逃げちゃうの。怖くない?石川はケロッとしてまた前みたいに、取り巻き引き連れてニコニコして気味悪いんだよなぁ。」
友人の話を聞きながら湊は眉間に皺を寄せた。
「虐める奴が悪いし、それに立ち向かったんだからカッコいいじゃん。気味悪いはおかしいだろ。」
友人は笑う。
「話しかけてみろよ。俺の言いたいこと分かるから。」
そうして湊は帰りに白羽を目で追うようになった。
友人から聞いた通り取り巻きが、常についていて話しかけられそうもない。でも既に帰りの日課となっていた。
ふと白羽の視線が通りの金木犀に移った。
甘い香りにふわっと微笑む顔を見たら、勝手に手が動いていた。
スマホの画面には白羽の横顔。
――いや、これはヤバい。
無意識に盗撮してた自分が恐ろしい。
すぐさま消そうと指を動かす。だがその横顔を見ると消すことができなかった。
その日の夜、スマホの待受が変わった。
そんなある日、駅のホームを見回すと白羽がベンチで一人座っていた。
日直の仕事で遅くなったので、顔は見れないだろうと諦めていたのに。
幸か不幸か今は一人。周りに取り巻きもいない。
――日直で良かった!風邪でまだ怠いし、帰りたいとか思ってたけど神様ありがとう!声かけてみる?いやいやいや、知らない奴に声かけられたら、キモくない?
湊は白羽を見る。
いつもと変わりない。でも何故だろう。今日は何処か消え入りそうだ。
宙を見続ける姿が危うく見えて湊の足が自然と伸びた。
気づいた時には隣に座っていた。
――どうしよう……えっ何してんの?俺?不審者じゃん!
そうこうしてると白羽が立ち上がりかける。
「えっ?待って!」
必死になって座るよう頼み込む。
白羽が戸惑いつつも座り直す姿に申し訳なさが込み上げた。
自分が乗るはずだった列車は目の前だ。でもここまで来たら引き返せない。
――いやでも、びっくりするぐらい俺気持ち悪くない?
そんな思いを否定して欲しくてつい口を開いた。
「何て声かけて良いか、分かんなくて……キモかったよね。ごめん。」
白羽は穏やかに「ええ。」と頷く。
「あっ意外と辛辣。」
――えっ可愛い。どうしよう。でもやっぱ、俺のこと気づいてないよな。当たり前だけど。
誰にも邪魔されることなく会話ができることが嬉しい。列車が遠ざかるのも気にせず、湊はそのまま話しかけ続けた。
会話が続くなら何でもよかった。
この時間が続けば良いのだから心配する体で、相談や愚痴を聞くと持ちかけた。
軽い気持ちだった。
でも白羽の口から出てくる言葉は全てがぶっ飛んでいた。
友人ではなくタスクだとクラスメイトを呼び、かと思えば年相応についで扱いされたと拗ねる。
湊は戸惑ったが白羽の話は続く。
「その上バイトは"ストーカー"の性で辞める羽目になるし。」
ゲホッ、ゴホッ、コホッ。
"ストーカー"の言葉に思わず反応してしまう自分が情けない。
「大丈夫?」
湊はゆっくり頷いた。
自分のスマホの待受を思い返す。
――あれを見られたら、終わる。
湊は動悸を堪えながら、白羽の話を聞くことに徹した。
「知らない男の子にキスされたの。キスくらいなら別に構わないのだけど、触れてこようとしたから……ね。」
爆弾でも落とされたのか。頭が真っ白になった。
湊の気も知らず白羽はとんでもない話を続ける。
――えっ何?俺がおかしいのかな?
湊は唇が震えるのを堪えながら口を開いた。
「……キスくらいなら良いの?」
白羽はパチクリしながら「ええ。」と答える。
――パチクリしてる。可愛い。
言ってることはすごいがその姿も愛らしい。
「普通傷つかない?」
眉を顰める姿すら胸が高鳴って仕方がない。
「何故?唇が触れるだけでしょう?」
どうやら超えてはいけないラインが違うようだ。説明はしてくれるものの何も理解できない。
理解はできないが、どうしても確認したくなってしまった。
「じゃあ俺とキスできる?」
背中に汗が伝った。
「ええ。」
周りの音が遠のく。
白羽は列車に乗るために立ち上がった。思わず手を出しかけて「じゃあ約束ね。」と手を振った。
友人の言葉をふと思い出した。
「とんでもない沼に俺ハマってる気がする。」
両手で顔を覆って項垂れた。
次の日も次の日も白羽の姿を探した。
常に取り巻きが居て話しかけることは出来ないが、あの日の約束が気掛かりで目を離せない。
そんなある日、小テストの結果を見て手が震えた。
――ヤバい。白羽ちゃんで頭いっぱいで……えっ?初めてこんな点数取った。嘘だろ?嘘だと言ってくれ。
そうして放課後、教師を捕まえて自ら補習した。
クタクタになって駅へ向かうと、何故か愛しの君が壁に追いやられていた。
華奢な腕を乱暴に掴んで公衆トイレの壁に叩きつける姿が目に飛び込んできた瞬間足が動いていた。
詰め寄る金髪の青年の背まで来ると、白羽が口を開いた。
「勝手に勘違いして舞い上がったのは誰?確かにあまりの気持ち悪さに逃げちゃったけど……仕方ないでしょう?」
逃げるどころか挑発して笑う姿に胸が締めつけられた。
青年が拳を振り上げるのを見て咄嗟に掴んだ。
「なんだよ!離せよ!」
青年は怒鳴り散らしている。
「いや、完全にフラれてんじゃん。それでキレて殴るってダサくない?」
声の低さに驚いた。思った以上に自分は怒っているらしい。
「あ゙っ?んだとテメェ!てか、いい加減離せや!」
掴みかかられても気にもならない。
――ああ、そうだ。腹が立つ。白羽ちゃんを傷つけるコイツも。傷つくことに慣れちゃってる白羽ちゃんも。全部。
苛立っているうちに青年の気が削がれたようだ。ぶつくさと文句を垂れながら離れていく。
白羽は顔を覗き込むように近寄った。
頭の中でグチャグチャになっていた全てが、その顔を見ただけで溶けていく。
――近寄りたい。触れたい。傍に居たい。
とめられない――好きだ。
湊は一歩近寄って顔を寄せた。
「それより約束も忘れちゃった?」
白羽の視線が唇へ移るのを確認してから奪った。
白羽の細い手首を引き寄せる。
――このまま時間が止まれば良い。
心臓の跳ねる音が心地良い。
「……キスしちゃった。」
湊は笑った。
白羽は目を細め戸惑っているようだ。その姿に急に不安が込み上げる。
白羽の手を広げて自分の指を絡め握った。
「嫌だった?」
――これで嫌とか言われたら……
白羽は花開くように笑った。
「いいえ。」
握り返された手が暖かい。
「言ったでしょう。好きにすれば良いって。」
その先は聞きたくなかった。
ただ唇を重ねた。何度も。
白羽にとって特別でないとしても、今この瞬間は湊にとって特別であったのだから。
次の日駅のホームで白羽の姿が見えた。
相変わらず取り巻きに囲まれている。
でも今日は白羽もこちらに気づいたようだ。
ふわっと微笑む姿に心臓が締め付けられる。
立ち尽くしていると友人に肩を譲られた。
「おい。どうした?大丈夫か?」
白羽はもうコチラを見てもいない。
湊はゆっくり息を吐いた。
「……大丈夫じゃない。死にそう。」
「はぁ?」友人の呆れ声が聞こえる。
――仕方ないだろ。今更だけど……白羽ちゃん。未だに俺の名前も知らない。それにたぶん。
認めたくはないが確信があった。
――俺の名前も連絡先もこの先きっと聞いてこない。
思わず友人の背を叩いた。
バンッ。
「いった!?えっ何?何なの?」
大きな音に周りも驚いたのだろう。視線が集まって痛い。
「ほっとけ。」
湊は端のベンチに向かって腰掛けた。
「……しんどい。」
情けなく項垂れていると、足元の影が重なった。
「どうしたの?」
顔を上げると白羽が目の前にいた。鼻先が触れそうなほどの近さに喉が鳴る。
「白羽ちゃん。キスして良い?」
白羽は首を傾げる。
「えっ人多いから、嫌。」




