隣国に留学に行った婚約者(王太子)が悪役令嬢を連れて帰ってきた【後書きにSS追加】
「シルフィア! 貴様との婚約は今日、このときをもって破棄とする!」
ウェスモント王国王立学園の大ホール。煌めくような豪奢な飾り付けのされたパーティー会場でこの国の第二王子が声高らかに叫んだ。
他国で頻発していると噂の婚約破棄。
隣国ウェスモント王国に留学をしていたブレダム王国王太子のステファンは、とうとうこの国まで……。と恐れ戦く。
虚無の表情でその様子を見つめながら、心の中では盛大なため息を吐いた。
他国のことだから勝手にしろ、としか思えないのだが──。
――『留学生を送る会』でやらんでもよいだろうが……!
ステファンはこの国での半年の短期留学を経て、明日帰国する。
婚約破棄は他者を巻き込まず、王城内の一室で両親でも交えてやってくれ。異国で過ごす最後の日にくだらない茶番に付き合わされるこちらの身にもなってほしい。
「はあ」
心の中だけで我慢していたため息は結局零れ落ちてしまった。
婚約者である公爵令嬢を鼻高々に貶める第二王子の隣ではピンク髪の男爵令嬢が王子にしな垂れかかっている。
なんだか誰かさんの好きな恋愛小説とそっくりな展開だな、と思っていると「貴様は国外追放だ!」と王子が叫んだ。
そしてステファンは彼の指差す先にいるシルフィアと呼ばれた金髪の公爵令嬢に目をやった。
――あれ……? あの子は……
◇◆◇
ミランダの心はいつも凪いでいる。
今までどんな風が吹いてもミランダの水面が揺らめくことはなかった。
「だって私、見たんですもの! 間違いないわ!」
隣国ウィスモント王国での留学から帰国後、学園内の廊下で興奮したように、はしたなく騒いでいるのは公爵家四女のマリリン。
彼女はこのブレダム王国の王太子ステファンの婚約者の座を狙っていた。
ステファンの王族らしい洗練された立ち振る舞いと、甘い顔立ち、そして穏やかな性格は多くの人を魅了する。
幼少の頃。ステファンの婚約者候補を決める集まりで、マリリンはステファンと楽しそうに話す他の令嬢に嫉妬してその令嬢を池に突き落とすという失態を犯し、彼女は早々にステファンの婚約者候補から外れた。
マリリンはあの手この手を尽くして、ステファンの婚約者の座を手に入れようとしたが、ステファンの婚約者は侯爵家の娘であるミランダに決まった。
それでも諦めきれずに彼女はステファンに付きまとい、親の権力に物を言わせ学園にお金を積んで留学先まで押しかけたらしい。
そこで見たものを彼女は楽しそうに話す。
どうやら隣国の王立学園の『留学生を送る会』で第二王子の婚約破棄騒動があったらしい。それに巻き込まれたのが、その第二王子の婚約者の公爵令嬢。彼女は王子と恋仲の男爵令嬢を虐めた罪で断罪され、婚約破棄と国外追放を言い渡されたのだとか。
そこで颯爽と現れたのが、我が国の王太子ステファン。彼は公爵令嬢の罪は冤罪だと証明した。
「それでステファン様が隣国の公爵令嬢に言ったのよ! 王子と婚約破棄され、国外に出るなら我が国に嫁ぎませんか? って!」
マリリンが大声で話す意図はミランダに聞かせるためだろう。
ステファンの婚約者に選ばれたのがマリリンではなくミランダだったことがよほど悔しかったと見える。
隣国まで行ったのに、マリリンとステファンが留学先でやり取りしたような話が出てこない様子を見ると、彼には全く相手にされなかったのだろう。
自分が振られてステファンが隣国の公爵令嬢を相手にする様子を意気揚々と話すなんて惨めではないのかな、と思うが、それ以上にマリリンはミランダを嘲ることが大事なようだ。
「えー! 求婚ってことー!?」
「ステファン殿下は隣国の公爵令嬢を王太子妃にするのかしら!?」
キャーキャーと一緒になって騒ぐのはマリリンの取り巻き。
「でも、それって……ステファン殿下は……」
皆が一様にミランダの方をちらりと盗み見るようにした。
"ミランダ様とは婚約解消するってこと……?"
音量を下げ、ぽそりと誰かが呟く声が聞こえた。
「ミ、ミランダ……! あんな話、マリリン嬢が誇張して話しているだけよ……」
ミランダの友人ソフィーがミランダの気持ちを慮ってそう言ってくれた。
「で、でも……私の婚約者のロビンも同じパーティーに出席していて、彼からは口止めされていたのだけど……彼もマリリン嬢が言うのと同じ場面を目撃したって……」
ロビンは成績優秀者としてステファンと共に隣国に留学していた。
もう一人の友人セシルが視線をうろうろさせ、ミランダとソフィーだけに聞こえる声で言いづらそうに教えてくれた。
「セシル! そんな余計なこと!」
ミランダの不安を煽るようなことを言うなと言わんばかりにソフィーがセシルの発言を制止する。
「ロビンは一部始終全部を見ていたわけではなくて、殿下の意図まではわからないから人には言うなって言ってたけど……」
彼はもし、セシルの友人であるミランダが傷つく様子が見られるなら、助けになれるようにとセシルにその話をしたらしい。セシルは「ミランダが知らずに後で辛い思いをするのも──」とそれをミランダに話したことを説明するように言ったので、ミランダは被せるように気丈に振舞う。
「二人とも、大丈夫よ」
ソフィーもセシルもミランダを心配して言ってくれているのはよくわかる。その気持ちはとてもありがたい。
「ちゃんと殿下に確認する。それでいいでしょ? さあ、授業が始まるわ。行きましょう」
気にしてないような微笑みを二人に向けると、二人は複雑な表情で教室へと向かった。
そして、渦中のステファンはというと、件の隣国の公爵令嬢をこの国に連れてくる手続きが入ったため帰国が遅れているらしい。
◇
夜。ミランダは自室の本棚から本を一冊取り出す。ミランダお気に入りの恋愛小説。
婚約破棄される悪役令嬢を救い出す隣国の王太子……
――うん、悪役令嬢モノの王道ストーリーね。
公爵家の令嬢である悪役令嬢は実は国の重要な任務を引き受けており、悪役令嬢を隣国の王太子に奪われ、彼女に冤罪を着せた王子は国王から叱責され『復讐』されるのだ。
ぱたんと本を閉じて表紙を眺める。胸キュンあり。スカッと要素あり。ミランダの大好きな展開だ。だが……
──いやいやいや……! 婚約者がいる王太子殿下がそれをやっちゃダメでしょう…………!?
この王道ストーリーは婚約者のいない王太子だから成り立つもので、婚約者がいるステファンがやっては大問題である。
──浮気……? もしかして、心変わり? まさか本当に婚約解消……?
そんなことが頭をよぎり、首を振って思考を追い出す。
皆の前ではずっとすまし顔でやり過ごしていたが、心の中は大荒れだった。
これまでの凪はどこへやら。
ステファンが隣国の公爵令嬢に求婚したとのことだったが、今のところミランダの家には何の通達もなかった。なら本人から話を聞くまで考えても仕方がない。
だが、マリリンの話は一気に広がり、たった三日でミランダは学園の生徒から遠巻きにひそひそと「王太子殿下が隣国の公爵令嬢に求婚したようだ」「王太子殿下はミランダ嬢と婚約解消するらしい」と言われるようになってしまった。
ミランダのことを心配してくれる身近な友人には、気に掛けてくれた感謝の気持ちに合わせて「今のところそのような通達は来ていないわ」と伝えるが、もし本当に婚約解消の申し出があったら、と思うと噂を完全否定、ということはできなかった。
しかも噂の隣国の公爵令嬢シルフィアは……
――めちゃくちゃ良い子なのよね……
実はミランダはシルフィアに会ったことがある。
ミランダとシルフィアの父親は二人とも国の外務大臣をしており、二年前、この国の王城の庭園で開かれた国際交流パーティーで知り合った。
庭園の石畳の隙間に靴のヒールを引っかけ、ヒールが取れて困っているところをミランダは彼女に助けてもらったのだ。
替えの靴など持っていなかったのだが、王城の賓客室に宿泊していた彼女はサイズが合うなら、と代わりの靴を用意してくれた。
困っている人にすぐに声を掛けられる優しい女性で、それから仲良くなり何度か手紙のやり取りもしている。
だから彼女の婚約者の王子が別の女性と浮気をしていたという話に憤りを感じたし、彼女がその女性を虐めるなんて卑怯な手を使うとは思えなかった。
そして、シルフィアもステファンがミランダの婚約者であることを知っているはずで、たとえステファンが彼女に求婚をしたとしてもシルフィアがステファンの手を取るとは思えないのだ。
頭では理解していても、なぜか心の中は荒れていく。ミランダの水面は凪いでくれず、鈍色に澱んでいった。
信じたいのに信じ切れない。余裕がなくなる。
以前までは噂や他人の言うことに惑わされることなんてなかったのに、自分が自分でなくなってしまう気がした。
――そもそも私と婚約したいって言い出したのは殿下の方なのに……
◇
ミランダとステファンの婚約はステファンの希望だった。
三年前、もともとただの婚約者候補でしかなかったミランダは王城から招待状が届き、当時まだ第一王子だったステファンとの二人きりのお茶会に参加した。
ステファンは国王の命で、月に一度、婚約者を決めるために候補者の中の誰かとお茶会をしなければならなかったらしいのだ。
初めてのお茶会で言われたのは「時間を作って来てもらったのにすまない」という謝罪と、「別に無理して何かしゃべらなくてもいいよ。自己アピールもいらない。終了時刻になるまで食べたいだけお菓子を食べてていいよ。本を読んでいてもいい」という実にやる気ない言葉だった。
どうやら今までの婚約者候補とのお茶会はステファンにとって、とても疲れるもので、令嬢とのお茶会にうんざりしていたようだ。
いつも穏やかな彼の投げやりな表情は初めてだった。
王太子とのお茶会に期待をしていたら、その言葉にショックを受けたり、どうにか彼の関心を引こうと話しかけたりしたかもしれない。
だが、王家からの招待状に、断れないから来ただけだったミランダは「良いのですか? 続きが気になっていた新刊があって」と侍女に荷物を持って来させて鞄の中から本を取り出す。
王城に来る直前に書店に寄って購入したばかりのシリーズ物の恋愛小説の第三巻。
そして「失礼します」と断りを入れてから黙々と本の続きを読み始めた。
それからミランダは毎月ステファンにお茶会に誘われるようになる。
毎回彼は「君の時間を奪ってごめん」と謝罪をする。
ステファンは婚約者を決めるまで、毎月候補者とお茶をしなければならなかった。だから相手をするのが楽なミランダが消去法で選ばれたのだろうが、ミランダも彼の婚約者候補である間は父親から面倒な縁談を持ち込まれることがなかったので、都合が良いと思った。
ミランダは貴族令嬢である以上、いずれどこかの貴族に嫁がねばならないとわかっていたが、現実に心震えるものが見出せずにいた。
ミランダの恋愛は小説が全てだ。現実の男性に恋をしたことはないが、小説内のヒーローには毎回恋をしていた。ヒロインに感情移入をしてヒーローに恋をする。だから現実の結婚について考えるのはどこか億劫だった。
「そういえば、母上にミランダが恋愛小説が好きでね、という話をしたら、母上も昔読んで好きだった本があったらしく、この本をミランダにあげるって」
ステファンがそう言って、本を一冊差し出した。
「え! これってもう絶版になって入手不可能の小説ですよ。良いのですか?」
「うん。母上は散々読み尽くしてもう読まないからって」
「あ、ありがとうございます! 王妃殿下にも後でお礼状を……」
貴重な本を手に、喜びに打ち震えて言えば、ステファンは「読まないものみたいだし、気にしなくても良いと思うけど」と軽く言った。
その後、ワクワクしながら王妃からもらった本を読み、ステファンとのお茶会が終わりの時刻になったので、途中読みだったが、ミランダはステファンに本の感想を告げた。
「とっても私好みの作品でした! 王妃殿下と仲良くなりたいと思いました」
つい先ほどまで読んでいた箇所は作品のクライマックスで、切なさと期待にミランダは少し興奮していた。
あわよくば、いつか王妃と作品について語り合いたい。それくらい気持ちは前のめりで、鼻息荒くそんなことを言えばステファンはミランダの言葉に目を瞠っていた。
ステファンの表情を見て我に返る。
おかしなことを口走ってしまった。王妃殿下と仲良く、など図々しい。これでは王妃と良好な嫁姑の関係を築きたいと言っているようにも聞こえる。
「えっと……あの……」
自分の失言を何とか取り繕わねば、と冷や汗をかく。
だが、上手い説明が思いつかない。ミランダがあたふたしているとステファンが少し不貞腐れたような顔をする。
「ミランダが仲良くするのは母上じゃなくて私だろう」
ステファンは「ごめん、変なことを言ったね」とすぐに立ち上がり、もう時間だからと去っていく。だがミランダが後ろから見た彼の耳は真っ赤に染まっていた。
「え……?」
それがどういうことか、ミランダはまだ理解できなかった。
その次の茶会からステファンはミランダに毎回本をプレゼントしてくれた。ほとんどがミランダが今度買いに行こうと思っていた新刊の恋愛小説。彼は本を贈る際こう付け加えた。
「本を読むのは、一人のときか、私の前だけにしてほしいのだが……」
「?」
彼の意図はよくわからなかったが、もともと本を読むのは自室のみで、最近ステファンとのお茶会で読むようになっただけだ。だからミランダは「わかりました」と答えた。そして彼はその答えに満面の笑みを浮かべて「悪いね。ありがとう!」と、なぜだかわからないが満足そうにしていた。
欲しい物をもらえてうれしいのだが、毎回毎回もらってばかりでは申し訳ないので、ミランダは押し花を栞にして、ステファンにお返しをした。お茶会でミランダが本を読んでいる間、ステファンも本を読んでいることが多いのできっと役に立つだろう。
本のお返しに栞というのはいささか安っぽい気もしたが、高価な物をお返しにするのも失礼な気がした。
栞を受け取ったステファンは思いのほか喜んでくれていたので、きっとそれで正解だった。
ステファンから「ミランダを婚約者に、と陛下に話をしたいと思っている」と言われたのは、それからしばらくしてからだった。
ステファンの発言にミランダが目を丸くすると彼は「ミランダが私を何とも思っていないのはわかってるんだ」と少し寂しそうに言った。
「だけど、私は君が好きだ。君が嫌じゃなければ、私は君と結婚したい」
たしかにミランダはステファンのことを何とも思っていなかった。会話はあまりないが、何度もお茶をしたり本を贈られたりすることで好ましいとは思っていた。ただそれだけのことで、ミランダはステファンと結婚することに不安がある。
「私……殿下とお話しするうちに、もしかしたらそういう気持ちになるかもと思っていたのですが、全然ならなくて……」
「え……そういう気持ちって……?」
ステファンが青い顔で確認してきた。
「王太子妃を目指そうという気持ちです」
ミランダは貴族令嬢としての基本はできていると思う。愛国心だってある。
だが、いかんせんそれ以上、この国をこう良くしたい、ああ改善したい、などという目標がないのだ。
それを伝えるとステファンは「なんだ」と安堵の表情を見せた。
「そんなの別に良いよ。だいたい国政について話し合ったこともないのにそんな思いを抱くのは無理だろう」
そう。ステファンとミランダは月一回のお茶会はほとんど本を読んで過ごして大した会話をしてこなかった。
「私は自分の妃にそんなことは求めていない。高い志だっていらない。そういうのは私がやる。ただ、ずっと隣にいてほしいな、と思うのがミランダだったんだ」
真剣に想いを告げられ、さすがのミランダも緊張した。
ただ、とステファンは続ける。
王太子妃となるには妃教育もあり、社交も積極的にしなければならない。
「ミランダが嫌がることは強要したくない。ミランダが嫌なら諦める。でも……もし、嫌じゃないなら、私は陛下にこの話を上げたい」
ミランダは少し考えて答えを出す。
「大丈夫です。よろしくお願いします」
どこに嫁いでも領地の勉強はあるし、社交だって疎かにはできない。それならば、彼はミランダを好いてくれているし、ミランダも彼を好ましいと思っている。きっと彼に嫁ぐのが良い。王家に嫁げば家のためにもなる。
それがミランダの出した結論だった。
「ああ、ありがとう! 嬉しいよ、ミランダ。君に好きになってもらえるように私は頑張る」
しっかりと前を向く彼の笑顔はいつも以上に輝いて美しく見えた。
それからすぐに正式な婚約の手続きが進み、ミランダとステファンは婚約した。
王太子妃になるということに現実味のなかったミランダだが、しばらくすると学園でマリリンから強く当たられるようになった。
「ミランダ嬢がステファン殿下のお相手なんて似合わないわ」
マリリンの取り巻きから陰口を叩かれる。
「たしかに身分的にもミランダさんより私の方がステファン様と釣り合っているわよね」
今度はマリリンがミランダに聞こえるように言った。
だがミランダの心は揺るがない。
ミランダとステファンの関係について誰に何を言われても、いつも心は凪だった。
「それでも……」
ミランダは一歩マリリンへと近づいて静かに口を開いた。
「殿下が選んだのは私ですので」
毅然とした態度で事実を伝えた。
「なっ……!」
面と向かって言い返されるとは思っていなかったのだろうか。彼女たちは少しの間言葉を失い、ミランダが去ってからまた何かを言っていた。
それからもマリリンから色々言われることはあったが、それでもミランダの心が揺さぶられることはなかった。そして、彼女自身の態度にも問題があり、ステファンが彼女を注意するところを何度か見かけた。それでも堪えない彼女は逞しい。好感は一切持てないが。
ステファンの半年間の留学が決まったときでも「もう少し寂しがってくれたら嬉しいんだけど」と言われるくらいミランダの心は穏やかだった。
だがそのときの彼の寂しそうな笑顔はずっと脳裏に焼き付いている。
◇
それが今になってなぜ、これほど心を乱されているのか。
しかも本人以外のたった二人が語った、どこまでが本当かわからない話に。
自分らしくない。
そう思うのだが、数多の恋愛小説を読んできた身としては、王太子が隣国の悪役令嬢と結ばれる大好きな展開と、自分が婚約解消されてしまうかもしれないという状況がぐるぐると渦のように頭の中で回っていた。
なぜか身体は勝手に、婚約解消するならもらった物を返さねば、とステファンからもらった本を本棚から引っ張り出していた。
手元には『春は俺様王子に来ませんよ! 最強令嬢の幸せな結婚』という恋愛小説。一番初めにステファンから贈られた本だ。この小説のヒロインは「早く俺を好きと言え」と言って迫ってくる俺様婚約者をグーパンチで撃退し、真ヒーローと結ばれる。
グーパンされる婚約者は自分に靡かないヒロインのことを「おもしれー女」と認定して迫ってくるのだが、もしかしたらステファンはミランダを「おもしれー女」と認定したのでは、と今さらながらに気づいた。
初めてのお茶会でやる気なくあしらわれても、ショックを受けず、自己アピールもせず、黙々と小説を読んで物語の世界に浸っていた。だから、彼はミランダを気に入ったのか……。
そしてミランダはただの面白いだけの女で、後から出会った隣国の公爵令嬢と恋に落ちた……。
なんという最悪な展開。
二番目に贈られたのは『ヤンデレ騎士の溺愛から逃げ切ります』という小説。三番目は『狂おしいほど愛おしいあなたに』という小説。
そして四番目、五番目、と並べ、もらった本を全て並び終えてハッとする。
――もらった本のタイトルの頭文字……!
――"は・や・く・お・れ・を・す・き・と・い・え"
一文字ずつ頭の中で復唱してから、ミランダは表情を失くした。
――よし。殿下をグーパンしよう。
人生で一度も人を殴ったことなどない。だが今ミランダは無性にステファンを殴りたい気持ちになった。
◇
翌朝。
「ねえ! 私、昨日見ちゃったの。夕方、学園の前をたまたま馬車で通ったのだけど、ステファン様と例の隣国の公爵令嬢が一緒にいたのよ!」
きっと公爵令嬢の学園への編入の手続きのために一緒にいた。今朝から一緒の馬車で登校してくるのではないか、とマリリンは門の前ではしゃいでいた。
そんな話が勝手に耳に入ってくる。すると王家の馬車が門の前で止まってドキリとした。
御者が馬車の扉を開けて優雅な足取りで降りてくるのはステファンだった。
――殴る。殴る。グーパンで殴ってやる。
そんな物騒な想いは初めて抱く。だが、それくらいミランダの感情は昂りおかしなことになっていた。
皆がステファンの後に続いて降りてくる相手に注目した。
「あ、あれ……?」
調子良く話していたマリリンが勢いを無くす。
ステファンの後には誰も降りてこず、御者は扉を閉めて「いってらっしゃいませ」と頭を下げていた。
「あっ、ミランダ! 久しぶり! 会いたかったよ」
ミランダを見つけて、パァァと明るく煌めくような笑みを向けるステファン。
彼の蕩けるような甘い瞳にはミランダだけが映っている。
「本当は昨夕、侯爵家の屋敷に会いに行きたかったんだけど、帰国後の手続きをしていたら遅くなってしまったから諦めたんだ」
嬉しそうに近づいてくる優しい声音からは愛おしさがはっきりと滲み出ていた。
誰が見ても、彼が誰を想っているのかは一目瞭然。
それは鈍感なミランダでもちゃんとわかった。
ここ数日悩んでいたことが馬鹿らしく思えてくる。
すぐ後にもう一台王家の馬車が門の前に止まる。
そして再び皆が馬車から降りてくる人物に注目した。
ステファンと同じ優雅な出で立ちの第二王子のデルク。ステファンの一歳下の弟だ。
彼の後に隣国の公爵令嬢シルフィアが降りてきた。
ステップに足を掛けて降りてくる彼女をデルクが手を差し伸ばしてエスコートする。
デルクがシルフィアを見つめる瞳もひどく甘いものだった。そしてシルフィアはその視線をしっかり受け止め頬を染めて、はにかむような顔をする。
誰と誰が好い仲なのか、雰囲気だけで察することができた。
マリリンが言っていた、ステファンが隣国で公爵令嬢に言った『我が国に嫁ぎませんか?』という言葉は嘘ではないことが皆の前で証明された。
その様子を見て青ざめる者が数名いた。その中にマリリンも含まれる。
だが、この場の中でただ一人、ミランダだけが顔を真っ赤に染めた。
視界が勝手に滲んで、ステファンの顔がぼやけてしまう。
「えっと……、ミランダ。授業開始までまだ時間があるから……少し場所を変えようか……」
すぐにステファンがミランダの手を引いて早足で人気のない中庭の方へと連れ出してくれる。
「昨日帰ってきたばかりで、まったく状況の把握ができてないんだけど……ミランダはいつの間にこんな感じになったの?」
「こんな感じ……? えっと……」
こんな感じが何のことかはわからなかったが、ミランダは「噂が……」と少し前から学園内で流れ始めた噂の話をした。
「また、あの公爵家の五女か……! 本当に彼女は、事実をよく曲解する」
「マリリン嬢は四女です」
「そうか。まあ、どっちでもいいや」
よほどマリリンに興味がないと見えるステファンは、公爵家と彼女の取り巻き令嬢たちの家には抗議をせねば、と憤りを見せていた。
「私はシルフィア嬢にこの国に来るよう提案する前にちゃんと言ったよ。『我が弟はあなたのことが気になっているみたいなんです』って。シルフィア嬢が以前、この国に来たときにデルクが彼女に一目惚れをしたって言っていたんだよ。だから隣国のクソ王子から婚約破棄される彼女を見て、可愛い弟のために私が一肌脱いだってだけなのに……」
帰国の馬車も別で、昨夕学園で一緒にいたのはたまたま手続きのタイミングが同じになってしまっただけだったらしい。
「たしかに提案したのは私だから、私が彼女を連れてきた、と言えばそうかもしれないが……」
言い訳するように説明していたステファンは何かに気づいたように「というか」と話を変えた。
「ミランダって、噂とかに左右されるようなタイプじゃなかったよね?」
「そ、そうなんですが……」
カッと顔に熱が溜まる。ミランダの赤かった顔はさらに赤くなって、顔から火が噴き出そうなほどだった。
「ねえ」
「っ!?」
ステファンがミランダの手を引いて、ぎゅっと腕の中に抱き込む。顔を胸に押し付けられる。
「その顔……気づいてる? ミランダ、小説読んでるときと同じ顔を私に向けてるよ」
「っ……!」
小説を読んでいるとき、ミランダは小説内のヒーローに恋している。それと同じ顔をしているということは──。
「小説を読むときのかわいい顔をいつか私に向けてくれたらって思ってたけど……破壊力がやばい。絶対にその顔、他の人には見せたくない」
独占欲の滲み出る言葉に胸がきゅうっと締め付けられる。
ステファンはミランダを「おもしれー女」として興味を持ったわけではなく、小説を読むときの顔を自分にも向けてほしいと思って好きになってくれたようだ。
少し前までステファンにグーパンチをかまそうと思っていたのに、そんな気持ちはいつの間にか霧散していた。
そもそもステファンは自分のことを「私」と言って「俺」とは言わない。贈られた小説の頭文字の言葉はただの偶然だった。
恋は盲目とはよく言ったもの。
ミランダは噂に翻弄され冷静な判断ができないほど、いつの間にか彼のことを想っていた。まっすぐにミランダだけを見つめる、想い溢れる彼の甘い瞳に恋をしたのだ。
恋をすると不安になる。恋をして初めて知った。
中庭の噴水は涼しげな水音を奏でて吹き上げる。その水飛沫は太陽に煌めき、虹色に輝く。
飛んできた雫が水面に弾けて美しく揺らめいた。
ミランダを抱きしめていたステファンが少しだけ身体を離して、片手でミランダの顎を掬って引き上げる。かわいいと言われた顔を甘くじっと見つめられた。
「私は君が好きだよ。ミランダ、はやくおれをすきといえ」
「~~~~っ! ちょっと一回グーパンさせてください!」
「なんで!?」
◇◆◇
授業開始の直前。
生徒たちが席に着いて授業開始を待っていると、噂の二人が教室に入ってきた。
ホクホクと満足げな表情の王太子ステファンと、顔を真っ赤に恥ずかしそうに彼の陰に隠れる婚約者の侯爵令嬢ミランダ。どこか甘い雰囲気の二人に、何か進展があったのだな、と生徒たちは察するのだが──。
――なんで殿下の左頬が赤く腫れているんだろう……
皆、口にはしないが、視線が彼の左頬に集まっている。
気になるが……彼は蕩けるような甘い顔でミランダを見つめている。幸せそうだし、まあいいか。と、生徒たちは二人の様子を温かく見守った。
拙い文章でしたがお読みいただきありがとうございました。
評価、感想いただけると嬉しいです。
【2026.5.24追記】
”を”から始まる本のタイトル…という感想をいただきました。"を"から始まるタイトルの本は
『ヲタクに王妃は無理です! 推しからの溺愛なんてキャパオーバー』
です!(今考えた)
【2026.5.23追記】
たくさんのブクマ、評価、リアクション、感想までありがとうございます!
本編に仕込み切れなかったネタを1,000字ほどのSSにしました。
本編とは切り離してお読みいただけたらと思うので、後書きに失礼します。
唐突に終わりますが、よろしければご覧ください。
―――――――――――――
「ミランダ、見て!」
「わ! それって今日発売の新刊ですよね!」
ステファンが一冊の本を見せてきて、ミランダは少しだけ前のめりになった。
ステファンの手にあるのは、本日発売の『嫌いじゃない、は好きってこと? ぼんやり令嬢はツンデレ義弟の地雷を踏みぬいて』というタイトルの恋愛小説。
「そう。今朝城に来た外商が今日発売だ、と言ってたからミランダにと思って」
「いただいても良いのですか?」
「もちろん。そのために手に入れたんだから」
発売日を心待ちにしていた本を渡され、ミランダは「うれしい」と頬を染めてステファンから本を受け取る。
「ありがとうございます! 今日この後買いに行かなきゃって思っていたので」
「じゃあ、買いに行かなくて済む分、今日は長く一緒に居られるね」
「っ……!」
喉が焼きつくのでは、と思うほどの甘い笑みを向けられ、ミランダは真っ赤になって言葉に詰まる。
しかし、すぐに傍で呈茶をしていた侍従が話に割り込む。
「殿下はこの後、執務があるのでお時間通り切り上げてくださいませ」
ステファンはそれを聞いてムスッとし、「空気の読めない侍従だな」と不機嫌そうに溢した。
侍従は「僕はこれが仕事ですので」と冷たくあしらう。
二人は軽口が叩き合えるくらい信頼関係があるようで、ミランダは少し羨ましく思いつつも二人のやり取りに「ふふ」と笑う。
「あっ……殿下、私からも……」
ミランダは思い出したように侍女から荷物を受け取りステファンに贈るために用意していた栞を差し出す。
「わあ! ありがとう。次の花はスミレかな、それともまたスイートピーかな」
「え? スミレにしましたが……」
ミランダは贈られた本のお返しに押し花の栞を渡している。花の種類は季節に合わせたり、庭に咲いている花を選んだり色々だ。
なぜスミレと言い当てられたのか首を傾げていると、ステファンは「ちゃんと気づいているよ」とにっこりした。
「?」
何に気づいたのかわからずにいるとステファンが「最初はスイートピーでしょ」と少し前に贈った栞の花を言う。
「次はキキョウ、その次はデージー、ときたら次は『ス』から始まる花だよね」
「っ!?」
――"す・き・で・す"
ミランダは花の名前の頭文字を一文字ずつ頭の中で復唱して、唖然とした。
「もう、こんなかわいいことしなくても、直接言ってくれていいのに」
ミランダにそんな意図はなく、完全な偶然である。
にもかかわらず、彼の整った綺麗な顔はニヨニヨと緩んでいた。
「で、殿下っ……! ちょっとグーパン──」
「だからなんで!?」
―――――――――――――
これはステファンが悪いと思う…




