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第21話 「銀の閃光 ― 灰に沈む眼」

――ヘリが、雲を“抜けた”。


いや、雲ではない。


灰の層だった。


白でも黒でもない、鈍い銀色の帯。

それが機体の外板を撫でるように流れていく。


ブレードは回っている。

エンジンも生きている。

計器も正常に動いている。


だが、音がない。


あるのは、機体の振動だけだった。


床から足裏へ。

座席から背中へ。

金属の震えだけが、かろうじて“飛んでいる”ことを教えている。


カリナが計器を覗き込む。


「高度、五百……ノイズ濃度、八十」


声は聞こえる。


だが、耳に届くというより、骨の内側で響いているようだった。


「通信、やっぱ死んでるわね」


ノアは返事をしなかった。


窓の外を見ている。


灰の向こう。

その下。


そこには、境界があった。


空気が“ある場所”と、空気が“殺されている場所”。


普通の人間には見えない。

だがノアには、その境目が分かる。


灰の落ち方が違う。


粒が流れない。

揺れない。

互いに触れ合わない。


それぞれが、ただ真下へ落ちている。


「……灰が、空気を殺してる」


ノアが低く言った。


カリナが顔を向ける。


「どういう意味?」


「落ち方が同じだ」


ノアは窓から目を離さない。


「普通なら、粒ごとにズレる。風、温度、圧力、機体の乱流。全部、少しずつ影響する」


一拍。


「でも、ここは全部同じだ。……空気が動いてない」


カリナはもう一度、外を見た。


灰色の景色。


何も変わらない。


けれど、ノアの言葉を聞いたあとでは、その無変化が逆に気味悪く見えた。


機体がわずかに沈む。


本来ならローター音が唸り、風が機体を叩くはずだった。


だが、伝わるのは衝撃だけ。


音のない落下。


それは、飛行ではなく、世界から切り離された箱が沈んでいく感覚に近かった。


『降下ポイント、あと三分!』


カインの声が無線越しに入る。


途切れ途切れだった。


聞こえる、というより、通信機が喉の奥を直接震わせているようだった。


『地上は完全に死んでる! 降りたら自分の感覚だけ信じろ!』


「了解」


カリナが返す。


ノアは黙っている。


左胸が、かすかに重い。


刻印。


蒼白の天秤。


服の下で静かに脈打っている。


ドクン。


それは警告ではない。


ただ、“傾いている”と知らせている。


ノアは窓の外の一点を見続けた。


灰の層の奥。


まだ見えないはずの場所。


そこから、誰かがこちらを見ている。


そんな感覚があった。


――


◆拠点・情報班


ゼロバレットの管制室では、いくつものホログラムが空中に浮かんでいた。


波形。

戦域地図。

空間密度。

弾道推定。

ラザロが最後に送った不完全な座標。


そのすべてが、灰色のノイズに侵食されている。


ネオンが一点を拡大した。


『ここ』


波形が映る。


本来なら、弾丸が空気を裂いた痕跡が残るはずの線。


だが、そこだけ何もない。


平坦。


完全なゼロ。


『アシュレイの射線。記録が残ってない』


ルアンが目を細める。


「ノイズで潰れているわけじゃないな」


『違う。ノイズが“発生してない”』


ネオンが別のデータを展開する。


空間密度。

分子振動。

摩擦係数。


三つの数値が、発射推定時刻の前後だけ不自然に落ちていた。


ネロが低く呟く。


「空気を抜いてるのか」


『近いけど、違う』


ネオンは首を振る。


『空気を消してるんじゃない。“抵抗を消してる”』


沈黙。


『弾が空気に触れてないの。だから摩擦音も衝撃波も発生しない。普通のセンサーは、そこに弾道があったことすら記録できない』


ソフィアが静かに言う。


「……通った事実だけが残るのね」


ルアンが続ける。


「存在して、存在していない弾道」


カサンドラが眉をひそめた。


「つまり、どう避けるの?」


ネオンは答えない。


代わりに、ラザロの最後のデータを表示する。


【PARTIAL DATA SENT】


赤い点。


不完全な射線。


乱れた灰の軌道。


ルアンが小さく息を吐く。


「避けるんじゃない」


ソフィアが画面を見る。


「読むのね」


「そうだ」


ルアンは頷いた。


「撃たれる前の弾道は見えない。だが、撃った後に残る“欠け”なら拾える可能性がある」


ネオンが言う。


『ラザロが残した座標は不完全。でもゼロじゃない』


ネロは火のついていない煙草を指で転がした。


「命で買った情報か」


誰も返さない。


ソフィアの目が、わずかに冷える。


「ノアに送って」


『通信死んでるよ』


「送れるところまででいい」


ソフィアは言った。


「届かなくても、あの子なら拾うわ」


――


◆現地 ― ヴァルミア灰域


ヘリが地面に触れた。


音はなかった。


ただ、衝撃だけが脚へ伝わる。


ハッチが開く。


灰が流れ込んでくる。


風はない。


それなのに、灰だけが機内へ入ってくる。


カリナが先に顔をしかめた。


「……嫌な入り方するわね」


ノアは答えず、外へ降りた。


足裏が地面を捉える。


灰の下に、硬いアスファルト。

そのさらに下に、古い亀裂。


感触はある。


だが、足音はない。


自分が地面に立ったという事実だけがあり、世界はそれを認めていないようだった。


カリナも降りる。


着地と同時に短剣の位置を確認し、周囲を見る。


「……来たな」


ヘリは背後にある。


ローターも回っている。


カインも操縦席にいる。


だが、存在感が遠い。


少し振り返れば見えるのに、そこに“いる”という感覚が薄い。


音がないだけで、距離が狂う。


ノアは目を閉じた。


耳を澄ます。


何もない。


銃声もない。

風もない。

機械音もない。

人の気配もない。


代わりに、別のものが浮かび上がる。


圧。


皮膚に乗る灰の重さ。

空気の密度。

呼吸のしにくさ。

足元から返る、ごく弱い振動。


「……重い」


ノアが言う。


カリナが短く笑う。


「空気が?」


「ああ」


ノアは目を開ける。


二人は歩き出した。


足を出す。

地面を踏む。

重心を移す。


その動作ひとつひとつが、いつもより遅く感じる。


実際に遅いわけではない。


音がないせいで、動作の終わりが分からない。


足を置いた音。

布が擦れる音。

装備が揺れる音。


それらがない。


だから、自分の身体の輪郭を、自分で確認し続けなければならなかった。


カリナが低く言う。


「これ、長くいたら狂うわね」


「感覚を持っていかれる」


ノアは周囲を見る。


血がない。


それが一番不自然だった。


ここでは何かが起きた。

ラザロが戦った。

ダリオもいた。


弾痕はある。

切断された鉄骨もある。

崩れた壁もある。


だが、飛び散った痕跡がない。


音で残るはずの破壊の余韻がない。


「……消されてる」


カリナが振り返る。


「何を?」


「痕跡」


一拍。


「戦場で残るはずの全部」


カリナはそれ以上聞かなかった。


代わりに、短剣を抜いた。


刃が鞘を抜ける音はしない。


ただ、手の中に冷たい重さが増えた。


その時。


ノアの視線が止まる。


灰。


視界の端で、一粒だけ落ち方が変わった。


次に、二粒。


三粒。


点ではない。


線。


(来る)


「伏せろ」


カリナは反射で動いた。


考えない。


身体が先に従う。


地面へ叩きつけるように沈む。


次の瞬間。


光が走った。


銀色。


だが、銃声はない。


地面が斜めに削れた。


アスファルトが細く消え、下の土が露出する。


遅れて、カリナの頬に細かな破片が触れた。


感触だけ。


痛みはある。


音がない。


「……は?」


カリナが顔を上げる。


「今の……銃?」


ノアは答えない。


彼は弾痕ではなく、灰を見ていた。


撃たれた後に乱れた灰。


その乱れが、どこから来たか。


どこへ抜けたか。


どこで“消えた”か。


「……観測されてる」


カリナの表情が変わる。


「もう見られてるってことか」


「最初からだ」


ノアの左胸が重くなる。


ドクン。


蒼白の天秤が、服の下でかすかに光った。


「こっちが、後手」


カリナは口角を上げた。


「いいね」


短剣を逆手に持ち替える。


「だったら、奪い返すだけだ」


ノアはヴェイルラインを構えた。


スコープは使わない。


覗けば視界が狭まる。


今は点ではなく、面で見る必要がある。


灰。

粒。

落下。

ズレ。

流れ。


灰が落ちていない場所を探す。


世界がまっすぐ落ちている中で、ひとつだけ“避けられている”空白。


そこにいる。


「……見える」


カリナが横目で見る。


「どこ?」


ノアは答えない。


答えた瞬間、意識が一点に寄る。


一点に寄れば、撃たれる。


ラザロが残した不完全な座標。


管制室から届くはずのないデータ。


だが、ノアの中で何かが重なる。


灰の乱れ。

弾道の欠け。

自分の刻印の重さ。


ドクン。


胸の奥で、天秤が傾く。


「……アシュレイ・ケイン」


ノアが呟く。


「銀弾の狩人」


その名を口にした瞬間。


世界が止まった。


灰が止まる。


空気が固まる。


距離が消える。


ドクン。


心臓の音だけが戻る。


(来る)


ノアは撃った。


同時に、何かが通った。


弾丸かどうか分からない。


ただ、空間が削れた。


ノアの弾は外れる。


いや、外された。


弾道に触れる前に、空気の“通り道”が変わっていた。


次の瞬間。


カリナの肩口が浅く裂けた。


布が切れる。


皮膚が割れる。


だが、血が吹き出す音はない。


「……っ」


カリナが歯を食いしばる。


「当たってるのに……実感が遅れてくる」


ノアは一歩前に出た。


カリナが目を見開く。


「ノア?」


「距離を詰める」


「相手、狙撃手よ」


「だから」


ノアは灰の奥を見た。


「遠いほど、あいつの世界だ」


カリナは一瞬だけ黙った。


それから笑う。


「いい判断」


肩の傷を押さえもせず、前へ出る。


「私が揺らす。あんたが読む」


ノアは頷いた。


「了解」


灰が、また落ち始める。


世界が動き出す。


だが、その上から。


確かに、見られている。


遠く。


丘の向こう。


建物の影。


灰の空白。


どこかではない。


全部だ。


アシュレイは一点にいるのではない。


この戦場そのものを、狙撃点にしている。


ノアは初めて、それを理解した。


「……そこだ」


彼の瞳が、灰の奥を捉える。


だが同時に、胸の刻印が強く沈む。


ドクン。


一人で動くな。


昨日の言葉が戻る。


ノアは銃を下ろさない。


だが、カリナの位置を意識する。


自分の呼吸。

カリナの踏み込み。

灰の流れ。

見えない射線。


全部を、ひとつの秤に乗せる。


「カリナ」


「何?」


「三歩右」


カリナは理由を聞かない。


三歩、右へ動く。


その瞬間、灰の落ち方が変わった。


アシュレイの射線が、わずかに揺れる。


ノアの目が細くなる。


「……やっぱり」


カリナが笑う。


「読めた?」


「少し」


「十分」


二人は同時に前へ出た。


一歩。


灰が止まる。


二歩。


空気が沈む。


三歩。


世界が、再び無音に沈む。


そしてその奥で。


銀の閃光が、二度目の線を引いた。



――次回更新:今日17:30公開予定


ここまで読んでいただきありがとうございます。

少しでも面白いと感じていただけたら、ブックマーク・評価・感想で応援していただけると嬉しいです。


『ゼロバレット』続編、第22話「無音の弾丸 ― 0.02秒の死」――


をお楽しみに。


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