7.引きこもり砲台は取り扱い注意
模擬戦まであと三日。
朝のギルドは騒がしかった。《三旗制圧戦》の話が広まっていて、あちこちのテーブルで「あの令嬢パーティ、勝てるわけねえだろ」「いや、ドノヴァンがわざわざ場を作ったんだ、何かあるぞ」みたいな声が飛び交っている。
ミアは入口の柱の影に張りついていた。カメレオンかと思った。
「……帰っていい?」
「駄目よ」
「人が多すぎる……」
「ギルドの中はいつもこうよ」
「いつもより多い……。模擬戦の話、してる……。わたしの名前も聞こえた……。無理……」
フードを限界まで深くかぶって、ミアの体が縮んでいく。小柄なのにさらに小さく見える。猫が段ボール箱に入ろうとしているのに似ている、と思ったけれど口には出さなかった。
ガレスが横からぼそっと言った。
「俺が隣に立ってたら、誰も見ねえんじゃねえか。デカいし」
「……それは、壁……?」
「壁でいいだろ」
「……ちょっとだけ助かる」
この二人、会話が成立しているのか微妙なときがある。でもまあ、ミアが柱から半歩だけ離れたので、効果はあったらしい。
わたしは四人用のテーブルに着いて、今日の依頼の資料を広げた。
「模擬戦では観客がかなり入るわ。ミア、あなたが人前で縮むのは知ってる。だから今日は、あなた用の戦い方を固めるわよ」
ミアがフードの隙間からこっちを見た。
「……あなた用って」
「撃つ場所と撃つ瞬間を、全部わたしが先に指定する。あなたは指示が来るまで待機。来たら撃つ。それだけ」
「……それだけ?」
「それだけよ」
ミアの体がわずかに緩んだ。わずか、だけど。
「やってみるわね。——左上の通路、三秒後に範囲」
ミアの目が動いた。見取り図上の左上を見て、三秒という時間を頭の中で測って——こくり、とうなずいた。
「中央湧きに先置き。敵が出現する前に、ここに溜めておきなさい」
わたしは見取り図のポイントを指差した。ミアが即座に「溜め時間は」と返した。
「二秒。出現直後に着弾させる」
「……わかった」
ガレスとエルトが、妙な顔をしていた。
「あの、ヴィクトリアさん。今の説明って、ミアさんにだけ通じてません?」とエルトが首をかしげる。
「僕には何のことだか……」
「俺もわからん」とガレスが正直に言った。
ミアがフードの奥で、ほんの少しだけ口元を緩めた——たぶん。暗くて確証はないけれど、声のトーンが違った。
「……わかるけど」
わかるんだ。
わたしは内心で小さくうなずいた。この子には、戦場を「画面」として渡した方が通じる。射線と範囲とタイミングだけを切り出して、それ以外の情報を全部削ぎ落とす。前世の感覚で言えばFPSの報告を出すみたいに——いや、この世界にFPSはないけれど、ミアの脳は明らかにそういう処理の方が速い。
なぜかは知らない。でも使える。
◇
《結晶蝙蝠の廃塔》。
街から馬車で一時間ほどの廃墟に残る、六層構造の石塔。内壁に魔力結晶が露出していて、これを砕くと依頼失敗。結晶蝙蝠は群れで飛び回り、超音波で結晶を共鳴させて攻撃してくる。
つまり、雑に範囲魔法を撃てば結晶を壊す。かといって撃たなければ群れに削られる。精密射撃が必要な、ミアにとっての最悪条件——のように見えて、実はそうでもない。
「ミア。この依頼、あなた向きよ」
「……どこが」
「結晶の位置は固定。蝙蝠の飛行経路も、結晶の共鳴パターンに縛られるから予測できる。つまり、撃っていい範囲と撃ってはいけない範囲が事前に全部わかるの」
ミアが少しだけ顔を上げた。
「……地図があるってこと?」
「そう。わたしが地図を作る。あなたはその上で撃つだけ」
廃塔の入口は苔に覆われていて、石段の三段目だけが妙に白く磨かれていた。誰かが最近ここを通った痕跡だけど、今は関係ない。
一層目。天井から青白い結晶が突き出していて、松明がなくてもうっすら明るい。壁際の結晶は拳大から人の頭ほどの大きさまで様々で、光の加減で内部に気泡のような模様が浮かんで見える。
結晶蝙蝠が、最初の群れを飛ばしてきた。二十匹ほど。個体は小さいが、数が多い。
「ガレス、入口を塞いで。逃がさなくていい。エルト、結晶に補助の膜を張れる?」
「やってみます!」
「薄くていい。砲撃の余波を吸収できる程度で十分。魔力は節約しなさい」
「はい!」
結晶に淡い光の膜がかかった。保険としては十分。
「ミア。右壁の結晶と結晶の間、二時の方向に隙間がある。蝙蝠が旋回で通るわ。そこに、幅を絞って一発」
「幅は?」
「拳二つ分。結晶の端から指三本あけて」
ミアの杖が上がった。
火球ではなかった。風の刃——極限まで圧縮された空気の帯が、指定された隙間をすり抜けて蝙蝠の群れを薙いだ。結晶には、かすりもしない。
五匹が落ちた。残りの群れが散開して——
「上段だけ焼いて。下段は残しなさい」
ミアの二射目が、天井近くの空間だけを焼き払った。結晶は天井から垂れ下がっているが、ミアの射線は結晶の根元より上の空白を正確に通っていた。
この精度は、普通じゃない。
でもミアの顔には、怯えがなかった。フードの奥の瞳がまっすぐ前を向いていて、呼吸が静かに整っている。
「三時方向、結晶の裏に五匹溜まってる。回り込みなさい——じゃなくて、壁に反射させられる?」
「……壁の角度は」
「入射角三十度くらい。石壁だから風は跳ねるわ」
ミアの風刃が壁に当たって跳ね返り、結晶の裏に滑り込んだ。甲高い鳴き声が束になって響いて、五匹がまとめて床に落ちた。
ガレスが振り返って、ぽかんとした顔をしていた。
「……お前ら、何語で喋ってんだ?」
「戦術よ」
「いや、俺の知ってる戦術じゃねえんだが」
三層目、四層目と上がるにつれて、結晶の密度が増して射線が狭くなった。普通なら詰むような配置だけど、わたしが隙間を指定して、ミアがそこを通す、という手順が繰り返されるたびに——ミアの反応が速くなっていった。
五層目で、ミアがわたしより先に射線を見つけた。
「……左の結晶、下から三番目の裏。隙間ある」
「見えてるわね。撃ちなさい」
もう指示を待っていなかった。答えの出し方を覚えた人間の動き方だった。
◇
六層目を片付けて、廃塔を降りた。
全ての結晶が無傷。蝙蝠は全滅。ミアの魔力消耗は想定の六割で済んでいた。無駄弾がなかったからだ。
塔の出口に腰を下ろして、水筒を回した。ガレスが石段に座って肩を回している。エルトは補助魔法で使った分の魔力回復に集中していた。
ミアがフードを少しだけ上げて——空を見た。
珍しい動作だった。この子は普段、空なんて見ない。
「……撃つ前に答えがあると、怖くない」
小さな声だった。独り言なのか、わたしに向けたのか、境界が曖昧な音量。
「雑に撃てって言われると、どこに当たるかわからなくて、怖い。でも今日は——全部、先にわかってた。ここを、この幅で、この角度で。答えがあってから撃つのは、怖くなかった」
わたしはミアの隣に座った。
「なら、わたしが先に答えを作るわ。模擬戦でも、依頼でも。あなたが撃つ前に、撃っていい場所を全部決めておく」
ミアがこっちを見た。フードの奥の瞳が、初めてちゃんと見えた。深い藍色だった。
「……約束?」
「約束じゃないわ。作戦よ」
「……それ、同じでは」
「全然違うわ。約束は破れるけど、作戦は更新できるの」
ミアは少し考えて、それから——ほんの少しだけ、口角が上がった。表情というよりは顔面の微細な地殻変動みたいだったけれど、確かに上がった。
「……変なこと言う」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
エルトが「いい話ですね……!」と横から顔を出して、ミアが反射的にフードを下ろした。元の位置に戻るのは一瞬だった。
帰り支度をしながら、わたしは廃塔の壁をもう一度見た。ここの石壁にも模様が刻まれている。古い、規則的な線。ゴブリンの巣窟の壁にあったのと似ている気がしたけれど、気のせいかもしれない。
そのとき、ミアが足を止めた。
塔の出入口、外壁の右側。苔に半分覆われた石面に、渦巻きのような文様が彫り込まれていた。風化してほとんど消えかけているけれど、線の並びに見覚えがあった——いや、わたしにはない。ミアには、あった。
「……これ」
「何?」
「ダンジョン奥の模様に似てる」
ミアの指が文様をなぞった。触れてはいない。表面の二センチ手前で止まって、線の流れだけを追っている。
「初日のダンジョン。ボス部屋の前の壁。あれと同じ形してる……と思う」
「覚えてたの?」
「模様は覚える。人の顔は覚えない」
それはそれで問題がある気がしたけれど、今はそこではない。
初日のゴブリンの巣窟と、この廃塔に、同じ文様がある。偶然にしては場所が離れすぎている。何かの繋がりがあるのか、それとも古い時代の共通意匠なのか——わたしの知識では判断がつかない。
「エルト」
「はい?」
「あなた、僧侶の修行で古代の遺構について学んだことはある?」
「えっと、少しだけ。教会の地下書庫に古い記録がありましたけど……そういえば、壁の文様の話は——」
エルトが何かを思い出しかけた顔をした。眉が寄って、視線が右上に動いて——でも言葉にならなかった。
「……すみません、うまく思い出せないです。帰ったら調べてみます」
「お願い。気になるの」
ガレスが欠伸をした。
「模様の話はわからんけど、今日のミアはすげえな。前にパーティ組んだやつら、何やってたんだ」
「……前の人たちは、とにかく撃てって言った。どこに何をとか、なかった。だから怖かった」
「それは扱い方を間違えてただけだな」
「……そう。たぶん」
ミアの声に、ほんの少しだけ——怒りに似たものが混じった。怒りというよりは、やっと名前がついた不満、みたいな。
夕陽が廃塔の壁を赤く染めていた。苔の緑と夕焼けの赤が混ざって、文様の溝だけが黒く沈んで見えた。
明日はエルトの番だ。
あの子の問題は——たぶん、火力不足でも精度不足でもない。優しすぎることだ。
それを戦場でどう使うか。
わたしはまだ、答えを持っていなかった。




