6.前衛は黙って殴りなさい
模擬戦まであと四日。
ギルドの隅にある小会議室を借りて、四人で卓を囲んでいた。テーブルの上には、ドノヴァンから渡された《三旗制圧戦》のルール用紙と、模擬迷宮の簡易見取り図。わたしが朝のうちに書き写した敵パーティの構成メモが、その横に広げてある。
ガレスが腕を組んだまま、メモに目を落としていた。
「レオン・アークライト。突撃型。レベル28。得物は片手剣と短剣の二刀流」
読み上げるまでもなく、ギルドにいれば嫌でも耳に入る名前だ。
「盾役がマーカス。弓手がフィン。魔術師がカーラ。全員レベル25以上」
ガレスの指が、テーブルの木目を無意味になぞった。
「……なあ」
「何?」
「俺みたいな脳筋がさ、あいつらの相手になるか?」
声が低かった。投げやりではなく、ちゃんと考えた上での疑問として出てきた言葉だった。ガレスにしては珍しい。
「レオンと正面切って打ち合ったら、たぶん三十秒で弾かれる。あいつは速いし、判断も速い。俺は——判断が遅い。前のパーティでも、そこが問題だった」
エルトが口を開きかけて、ミアに袖を引かれて止まった。ミアの判断は正しい。ここで慰めても意味がない。
「ガレス」
わたしは腕を組んだまま、正面からガレスを見た。
「あなたが戦闘中に考えることは三つで十分よ」
指を立てる。
「前に出る。止める。退かない。——それ以外は全部わたしが考えるわ」
ガレスがこっちを見た。何か反論しようとした気配があったけれど、言葉にはならなかった。
「考えるなとは言ってないの。考える量を減らすの。あなたの問題は頭が悪いことじゃなくて、戦闘中に処理すべき情報が多すぎたことよ。前のパーティでは、あなた一人で前衛の判断と全体の状況把握と撤退の見極めを同時にやらされていたんでしょう」
ガレスの眉が微かに動いた。図星だったらしい。
「それは前衛の仕事じゃないわ。盤面を見るのはわたしの仕事。あなたは目の前の敵だけを見なさい。指示が来たら従う、来なかったら今やっていることを続ける。それだけ」
「……ずいぶん簡単に言うな」
「簡単にするのがわたしの仕事よ」
ガレスは黙って顎を引いた。納得したのか、保留したのか。表情からはわからない。ただ、さっきまで丸まっていた背中が、少しだけ伸びた。
◇
模擬戦の準備を兼ねて、依頼を一つ受けることにした。
《角猪の坑道》。鉱山の廃坑道に角猪が巣を作り、採掘路を塞いでいるという駆除依頼。難易度B-。角猪は知性がなく、交渉は通じない。坑道は狭く、天井が低く、横幅は大人二人がすれ違えるかどうか。
つまり、前衛が一人で入口を塞いで粘る以外に戦い方がない。
「ガレスの実戦テストには丁度いいわ」
「……俺のテストかよ」
「そうよ。文句ある?」
「ねえよ」
ガレスは大剣を背負い直した。
坑道の入り口に着いたとき、最初に気づいたのは空気の湿り気だった。壁に沿って水が滲んでいて、足元の石がぬるぬると光っている。松明の火が壁に跳ね返って、奥行きがわかりにくい。
わたしはしゃがんで床を確かめた。指先で表面をなぞると、薄い苔が一枚膜のように張り付いていた。爪の先が緑色に染まる。
「足場が悪いわね。ガレス、大剣は横薙ぎだと坑道の壁に当たるわ。突きと盾当てだけで凌いで」
「了解」
「ミア、この狭さだと範囲魔法は使えない。ガレスの頭上を越えて、奥にだけ打ちなさい。角度は上向き四十五度」
「……狭い。嫌い」
「エルト。あなたはガレスの足元だけ気にして。回復より先に、滑り止めの補助を優先。転んだら角猪に踏まれて終わりよ」
「はい! 足元ですね!」
入り口で陣形を組んだ。ガレスが先頭、わたしがその斜め後ろから声が届く位置につく。
奥から、蹄の音。
地面を通して振動が伝わってくる。一頭ではない。最低でも三頭、たぶん四頭。角猪は群れで突進する習性がある。狭い坑道で四頭の突進をまともに受ければ、盾ごと押し潰される。
「来るわ。——ガレス、盾を斜めに構えなさい。角度は左に二十度。突進の衝撃を壁に逃がして」
ガレスが盾を傾けた。言われた通りの角度。迷いがない。
最初の一頭が暗闇から飛び出してきた。体長は二メートル近い。額の角が松明の光を反射して、一瞬だけ金属みたいに光った。
盾に激突する音が坑道中に反響した。ガレスの足が半歩だけ滑って——止まった。エルトの補助が足元に効いている。衝撃が盾の傾斜に沿って左壁に逃げて、ガレスの体への負荷が半分以下になっている。
「二頭目、すぐ来るわ。退かないで」
「退かねえ」
二頭目が体当たりした。今度はガレスの足が動かなかった。
「ミア、三頭目が見えたら奥に一発」
「……見えた」
ミアの火球が坑道の天井すれすれを飛んで、三頭目の鼻先で炸裂した。悲鳴のような鳴き声。突進が止まった。
「ガレス、今。一頭目を押し返して突き」
ガレスの大剣が、信じられないくらい真っ直ぐに突き出された。角猪の額の角と角の間、ちょうど骨が薄い部分に刃先が吸い込まれるように入った。
わたしは、少しだけ息を止めた。
今の動き——速い。いつもよりも、明らかに速い。
「四頭目、右壁沿い! 盾で弾いて、退路を塞ぎなさい!」
声に力を込めた。わたし自身の声が坑道の壁に反響して、妙にはっきりと響いた。
ガレスが右に半歩ずれて、盾を叩きつけた。四頭目が壁と盾の間で潰れるように止まる。踏み込みから盾当てまでの動作に、一切の余計な動きがなかった。まるで——考える工程がゼロで、声から直接体に繋がっているような。
「ミア、もう一発。同じ角度で」
「……了解」
残りの角猪を片付けるのに、五分もかからなかった。
◇
坑道を出たとき、陽の光が目に痛かった。
全員の消耗が軽かった。ガレスは盾に凹みがあるけれど、体に傷はほとんどない。ミアは魔力の消耗が想定以下だし、エルトは回復魔法を一度も使っていない。
ガレスが大剣を鞘に戻しながら、首をかしげた。
「なあ」
「何?」
「なんか今日、体が軽かった」
わたしは横目でガレスを見た。
「坑道の中は暑かったから——って、そういう意味じゃねえんだ。なんつーか、敵が来る前に体が動いてた感じっつーか。指示が来ると、考える前に足が出るっつーか」
エルトが小さくうなずいた。
「僕もです。補助魔法をかけるタイミングが——なんだろう、普段より自然に噛み合った気がします。ヴィクトリアさんの声が聞こえると、手が勝手に動くっていうか」
ミアがフードの奥からぼそりと言った。
「……気のせいじゃないと思う」
三人がわたしを見た。
「当然でしょう。前衛が迷わないだけで、戦場は半分片付くの。今日のガレスは、余計なことを何も考えなかった。だから速かった。それだけよ」
言い切った。理屈としては正しい。ガレスの判断負荷を減らしたから動きが良くなった——それは嘘じゃない。
でも、と内心で思う。
それだけか?
策略Lv10。カリスマLv7。威圧Lv5。
わたしのスキルが、指示を受けた味方に何かしている可能性を、完全に否定はできない。ステータス画面にはバフ系のスキルなんて書いていない。でも、ガレスの動きは——理屈だけでは説明がつかないくらい、今日は鋭かった。
考えすぎか。
考えすぎだと思いたいけれど、坑道の中でわたしが声を張るたびにガレスの肩甲骨が開いていた、あの感覚は——たぶん忘れない。
「まあいい。理由はどうあれ、使えるならそれでいいわ」
「何が?」
「なんでもないわ」
ガレスは腑に落ちない顔をしていたけれど、それ以上は聞いてこなかった。代わりに、ぐっと拳を握って開いてを二、三回繰り返して、自分の手を不思議そうに見ていた。
帰り道、ギルドへの報告書を頭の中で組み立てながら歩いていると、ミアが隣に並んだ。
珍しい。普段は最後尾で自分の影を踏むようにして歩いている子が、わざわざ距離を詰めてきた。
「……ヴィクトリア」
「何?」
「次は、わたし……?」
フードの奥の顔が、明確に青ざめていた。
「模擬戦、観客いるんでしょ……。人前……」
「ええ、そうね。かなり多いらしいわ」
ミアの足が止まった。
「帰りたい……」
「まだギルドにも着いてないわよ」
「帰りたい……」
エルトがおろおろしているのが背中で感じ取れた。ガレスは前を向いたまま「頑張れ」とだけ言って、それがミアの表情をさらに一段階暗くした。
わたしはミアの肩に、触れるか触れないかの距離で手を近づけて——やめた。
この子には、慰めより手順を渡す方がいい。
「明日、あなたの番よ。覚悟しておきなさい」
「……覚悟って言われて覚悟できたら苦労しない……」
ミアの声は消え入りそうだったけれど、足はちゃんと前に出ていた。
夕方の風が、坑道で付いた煤の匂いを後ろへ流していった。ガレスが何気なく右手を握ったり開いたりしているのが視界の端に映って、わたしは——その手のことだけを、もう少し考えることにした。




