5.指揮官なんて寄生だろ
《グローリークラウン》が帰還した日のギルドは、いつもと重心が違った。
普段なら依頼掲示板の前に人が溜まるのに、今日はカウンター周辺に冒険者が寄り集まっている。レオン・アークライトが報告書を出しているだけなのに、周囲がなんとなく道を開けて、なんとなく視線を集めて、なんとなく声が小さくなる。
わたしはギルドの隅のテーブルで、その光景を見ていた。
レオンの後ろに三人。盾を背負った大柄な男、短弓を腰に提げた細身の女、それから裾の長いローブの魔術師。四人とも、装備に派手さはない。けれど全員の動きに無駄がなくて、立ち位置が自然と陣形になっている。訓練されたのではなく、経験で体に染みついた配置。
——強い。
レオンがカウンターの上に何かを置いた。革袋から転がり出たのは、拳ほどの大きさの牙だった。黒ずんだ表面に深い溝が走っていて、根元が斜めに折れている。折れたのではなく、斬り落としたのだとわかるのは、断面があまりに綺麗だからだ。
「北の大渓谷、ワイバーン亜種二体。処理した」
レオンの声は大きくない。大きくする必要がないのだ。周囲が静かだから。
セシリアが牙を受け取って、少し目を見開いた。
「二体同時ですか? 通常は一体でもA難度指定ですが」
「片方を引き離せば、ただの大きいトカゲだ」
事実だけを言っている。自慢ではなく、報告。でもその報告の中身が異常だから、周囲のどよめきが勝手に自慢の効果を果たしてしまう。
ガレスが隣で腕を組んだまま、低く唸った。
「……ありゃ本物だ。ワイバーン亜種を二体同時なんて、普通は八人パーティの仕事だぞ」
ミアはフードの奥で何も言わなかったが、テーブルの下で杖を握り直したのが見えた。
◇
それが起きたのは、レオンが報告を終えてカウンターから離れた直後だった。
すれ違いざまに、誰かがレオンに声をかけた。
「レオンさん、聞きました? 昨日今日で話題の新人パーティがいるんですよ。指揮官型の令嬢が——」
「ああ、聞いた」
レオンが足を止めた。振り向いて、ギルドの隅にいるわたしたちを見た。視線がまっすぐ飛んできて、わたしの目を捉えた。
品定めの目。ただし、昨日の冒険者たちのそれとは質が違う。あれは「信じられない」だったが、これは「興味がない」に近い。計る前から答えが出ている人間の目だ。
「戦えない指揮官がダンジョンをクリアしたって話だろう」
声が通る。レオンは声を張っていないのに、ギルドの隅まで届く種類の声を持っていた。
「それは指揮官とは言わない。寄生だ」
空気が固まった。
周囲の冒険者が息を詰めるのがわかった。ガレスの腕の筋肉が盛り上がって、椅子が小さく軋む。エルトが「そんな言い方は——」と口を開きかけて、わたしが手で制した。
レオンはこちらに歩いてきた。机の前で止まって、見下ろす形になる。背が高い。座っているわたしとの身長差が、そのまま立場の差みたいに見える構図だった。
「後ろに隠れて命令するだけなら、誰にでもできる。前に出て斬れない人間が、冒険者を名乗るべきじゃない」
断定だった。悪意というよりは確信。強い者が前に立ち、弱い者を守る。それが正しい冒険者の形で、それ以外は認めない——という、鋼みたいに硬い価値観がそのまま言葉になっている。
わたしは椅子に座ったまま、レオンを見上げた。
腹の底が冷たい。怒りではなく、もっと実務的な感情。前世で、仕事のやり方を全否定された時の感覚に似ている。ムキになったら負けだ。ムキになったら、相手の土俵で戦うことになる。
「寄生、ですか」
声が勝手に令嬢口調になった。こういう時、この体の癖は便利だ。
「勝てる寄生なら、大したものですわね」
レオンの目が細くなった。怒りではない。測り直しているような、短い沈黙。
「勝てるかどうかは、相手次第だ。格下のダンジョンで二回成功したくらいで——」
「二回とも、被害は想定を大幅に下回っておりますけれど」
「それは仲間が強いだけだ」
ガレスが椅子から立ちかけた。わたしは目線だけでそれを止めた。
「ええ、仲間が強いですわ。それを否定する気はありませんの。わたしの仕事は、その強さを正しい場所に並べること。それが寄生に見えるなら——あなたの辞書には、指揮という項目がないのでしょうね」
言い過ぎた、と思った瞬間にはもう遅かった。
レオンの口元がわずかに引き結ばれた。侮辱されたから怒っている、という単純な反応ではない。自分の信念を否定されたことに対する、静かな拒絶だった。
ギルド内の空気が張り詰めた。冒険者たちが遠巻きにこちらを見ている。セシリアがカウンターの奥で、書類を持ったまま動けなくなっていた。
◇
「——そのあたりにしておけ」
低い声が割って入った。
ドノヴァンだった。ギルド長室の扉を開けて、いつの間にか廊下の端に立っていた。腕を組んで壁に背中を預けている姿勢が、最初からそこにいたのか今来たのかわからない。
「レオン。帰還報告は終わったか」
「ええ。終わりました」
「なら座れ。口論は報酬にならん」
レオンは一瞬だけ不服そうな顔をしたが、すぐに表情を戻した。ドノヴァンに対しては、反射的に従う程度の敬意があるらしい。
ドノヴァンがギルドの中央まで歩いてきた。周囲の冒険者たちに聞こえるように、いつもより少しだけ声を張る。
「ちょうどいい機会だ。公開模擬戦を一つ組む」
ギルドがざわついた。ドノヴァンは構わず続けた。
「《ノブレス・オブリージュ》と《グローリークラウン》。どちらが正しいかを言い合っても決着はつかん。なら、実戦に近い形で比べればいい」
レオンの眉が上がった。興味、というよりは当然だろうという顔。
「俺は構いませんが——公開模擬戦で新人パーティと? 相手になるんですか」
「なるかならないかは、やってみなければわからんだろう」
ドノヴァンがわたしの方を見た。
「ヴィクトリア。受けるか」
受けるしかない。公開の場で寄生と言われて、公開の場で覆さなければ、いつまでもあの言葉がついて回る。
「ルールを聞いてからお返事しますわ」
ドノヴァンの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。最初にルールを確認する——それ自体がもう戦術家の動きだと、この人にはわかっているのだ。
◇
ドノヴァンが壁にかけられた模擬迷宮の見取り図を引き下ろした。黄ばんだ羊皮紙に描かれた迷宮の構造は、実戦用ダンジョンよりずっと単純だが、それでもいくつかの交差点と広間と袋小路がある。
「《三旗制圧戦》だ。ギルドの訓練迷宮を使う」
ドノヴァンが指で三箇所を示した。
「迷宮内に三本の旗を設置する。青旗、赤旗、白旗。両パーティは別々の入口からスタートし、旗を自陣の色に塗り替えることで制圧とする。制限時間は三十分。時間終了時点で、より多くの旗を確保していた側が勝ち」
「殲滅は?」とレオンが訊いた。
「必須ではない。戦闘不能判定は入れるが、メンバーを全員倒す必要はない。旗の数で決まる。仮に四人全員が健在でも、旗を取れていなければ負けだ」
レオンの目が一瞬だけ不満そうに動いた。殲滅戦なら確実に勝てるという自信があるのだろう。旗の制圧という条件が加わることで、純粋な戦闘力の比較にならなくなる。
でも文句は言わなかった。
「いいでしょう。どんなルールでも結果は変わりません」
強者の余裕。それが本物だから厄介なのだ。
ドノヴァンがこちらを見た。
「ヴィクトリア。どうだ」
三旗制圧戦。殲滅不要。地形がある。制限時間がある。
——勝ち条件が、戦闘力の総量ではなく、盤面の制圧で決まる。
胸の奥で、何かがかちりと噛み合った。恐怖はある。レオンたちの戦闘力は、わたしたちとは比較にならない。正面からぶつかれば、三分で全滅するだろう。
でも——正面からぶつかる必要はない。
「結構ですわ。公開で否定されたのですから、公開で覆しますわ」
声は震えなかった。令嬢口調が鎧の代わりをしてくれる。本当に便利な体だ。
レオンがこちらを見た。今度の視線には、さっきまでと少し違うものが混ざっていた。侮りではない。けれど敬意でもない。自分の信念を試す機会が来た、という種類の静かな熱。
「五日後だ」
ドノヴァンが言った。
「準備期間をやる。迷宮の構造は両パーティに事前開示する。条件は対等にする」
五日。
五日で、ワイバーンを二体同時に屠るパーティに勝つ方法を作らなければならない。
◇
ギルドを出た後、四人で宿に向かった。夕暮れの石畳を歩きながら、誰もしばらく口を開かなかった。
最初に沈黙を破ったのはガレスだった。
「正面からやっても勝てねえぞ。あいつら、個人の力が違いすぎる」
「知ってるわ」
「レオンのやつ、速さも剣筋も、俺の二段は上だ。盾のやつも硬い。弓手の索敵も、魔術師の制圧も、全部こっちより上だろう」
「だから正面からはやらないわ」
ガレスが足を止めた。
「……どうやって?」
わたしも足を止めた。振り向いて、三人の顔を見た。ガレスの疑問。ミアの無表情の下にある不安。エルトの、信じたいけれど怖いという正直な目。
夕日が三人の顔を横から照らしていて、影が石畳の上に長く伸びていた。わたし自身の影だけが、三人より一回り小さい。戦えない人間の影は、こんなにも頼りない形をしている。
「旗を三本取ればいいのよ。相手を倒す必要はない」
「でも旗を取りに行けば、あいつらが来る」
「来させるわ。でも、来る場所と来る順番は、こちらが決める」
ミアがフードの奥で、小さく息を吐いた。
「……それ、作戦あるの」
「五日あるわ。今はまだ、ない」
正直に言った。格好つける余裕がなかった。
エルトが少し驚いた顔をした。それから、ゆっくりと頷いた。
「考えましょう。五日あるなら」
「あなたたちを正しい場所に立たせる。それだけはわたしの仕事よ。寄生と呼ばれようが、それだけは変わらない」
ガレスが鼻を鳴らした。笑ったのか、呆れたのか、わからない。
「まあ——お前が決めるなら、俺は腕を振るだけだ」
ミアは何も言わなかった。でもフードの奥の目が、さっきより少しだけ前を向いていた。
宿への帰り道、わたしは頭の中で迷宮の見取り図を反芻していた。三本の旗。三十分。四人対四人。正面戦闘力では勝てない。
なら——勝てる形を作るしかない。
背中に、まだレオンの視線が残っている気がした。あの目は、わたしを否定していたのではない。わたしが信じているものを、否定していたのだ。
五日後に、答えを出す。




