4.それ、再現性あるんですか
翌朝のギルドは、妙にざわついていた。
受付に着いた時点で気がついた。いつもならカウンターに並ぶ冒険者たちが、こっちをちらちら見ている。あからさまに目をそらす者、ニヤニヤ笑っている者、腕を組んで品定めするような視線を向ける者。昨日までの「公爵家のお嬢様がお遊びで来てる」という空気とは明らかに質が違う。
セシリアが受付の奥で報告書を広げたまま、三度目くらいの見直しをしていた。
「……ボス個体との交渉による撤退。被害ゼロ。ダンジョンクリア認定」
声に出して読み上げて、自分で首をかしげている。
「あの、ヴィクトリアさん。昨日の報告書、改めて確認させていただいたんですが——やはり、間違いはないんですよね?」
「結構ですわ、何度でもご確認くださいな。事実しか書いておりませんもの」
にっこり笑う。内心ではまあそうなるわよね、と思っている。オーガの変異個体に交渉を持ちかけて無血クリアなんて、書いた本人が一番信じられなかった。昨日の夜、宿のベッドで天井を睨みながら三回くらい「本当にあれで合ってた?」と自問したのは秘密だ。
壁際のテーブルから、ひそひそ声が聞こえる。
「たまたまだろ。あのボス、たまに気分で引き下がるって話もあるし」
「でも被害ゼロだぜ? 普通はありえねえよ」
「話術スキルでどうにかなるレベルか? あれ」
半信半疑。まあ、そうだろう。わたしだって同じ立場なら信じない。
◇
カウンターの奥から、低い声が響いた。
「ヴィクトリア・フォン・シュヴァルツ。少し時間をもらえるか」
ギルド長ドノヴァン。灰色の髭に覆われた顔は穏やかだけれど、目だけが妙に鋭い。大きな体を椅子に預けて、こちらを見上げるのではなく、座ったまま見下ろすような存在感がある。
ガレスとミアとエルトを連れて、ギルド長室に入った。
重い樫の机の上に、一枚の依頼書が置かれていた。ドノヴァンはそれを指先で軽くこちらへ滑らせた。
「《石喰いトカゲの水路跡》。旧市街の地下水路に棲みついた石喰いトカゲの駆除依頼だ。難易度C。通常パーティなら半日仕事だが——少し厄介な条件がある」
「厄介、というのは?」
「石喰いトカゲは知性がない。言葉は通じん。交渉も、威圧も、意味を持たない。純粋な駆除依頼だ」
ドノヴァンの視線が、一瞬だけ試すような色を帯びた。目元の皺が深くなっただけで、口調は変わらない。
「昨日の成果が偶然でないなら——こういう依頼でも、君の指揮は機能するはずだ」
検証、ということだ。会話が通じない相手に、純粋な戦術だけで勝てるか。はっきりとは言わないが、つまりそういうことを問うている。
私達の実力を試す——そういうことだろう。
——望むところだ。自分でも意識しないまま、口角が小さく吊り上がる。
同時に、頭の中でもう盤面の整理が始まっていた。感情と論理、これらが同時に来る感覚には、少しだけ慣れてきた。
「水路の幅は?」
「成人男性がひとり通れる程度の区間が多い。広い場所もあるが、基本は狭い」
「足場は?」
「古い石畳だ。水路跡だから苔が残っている。滑る」
「石喰いトカゲの外殻は?」
「硬い。正面から斬っても刃が滑る。腹側は比較的柔らかいが、地面に這いつくばっている以上、狙いにくい」
交渉不可。狭い通路。滑る足場。硬い外殻。
——つまり、力押しだと消耗戦になる。
わたしはドノヴァンの目を真っ直ぐ見た。
「結構ですわ。証明する機会が増えただけですもの」
ドノヴァンは何も言わず、小さく顎を引いた。
廊下に出ると、ガレスが首をごきごき鳴らした。
「で、今度は何殴ればいい」
「トカゲよ。ただし、殴り方はわたしが決めるわ」
「了解」
ミアがフードの奥でぼそっと呟いた。
「交渉できないの……?」
「できないわ」
「……面倒」
エルトだけが少し青い顔をしていた。それでも「行きましょう」と小さく言ったあたり、この子の善性は筋金入りだ。
◇
旧市街の地下水路は、想像以上に暗くて狭かった。
天井が低い。松明の光が湿った石壁に反射して、視界がぼやける。足元の石畳には緑がかった苔がびっしり張りついていて、踏むたびにじゅるっと嫌な音がする。エルトが一歩目で危うく滑りかけて、ガレスの背中を掴んで持ち直した。
「すみません……」
「気にすんな。俺も滑りそうだ」
水路の幅は、ガレスが大剣を横に振れない程度。通路の形が一定で、分岐は少ない。単純な一本道に近い構造だった。
わたしは天井と壁の接合部をじっと見た。苔の色が変わっている場所がある。石が微妙にずれている部分。水路が作られた時代の施工精度なのか、それとも——。
指先で壁を叩いてみた。こつん、と硬い音。少し位置をずらす。こつこつ。さらにずらす——ぼすっ。
「ここ、天井の石が脆いわ」
ミアがフードの奥からちらっと見上げた。
「……崩れるの?」
「たぶん。衝撃を与えれば」
奥から、ざりざりと何かが這う音が近づいてくる。重たい体を引きずるような、岩が擦れるような音。
「来るわ。陣形を組んで」
最初の石喰いトカゲが、松明の光の中に鼻先を覗かせた。体長は一メートル半ほど。表面が岩のような灰色の外殻に覆われていて、平たい頭に光のない目が二つ。その口が、かぱっと開いた瞬間、内側にびっしり並んだ石を砕くための奥歯が見えた。歯の表面に、細かいひびが網目状に走っている。何百回も石を噛み砕いてきた痕だった。
「ガレス。通路の幅を使いなさい。体を横にして、盾を斜めに構えて。ここなら一度に一匹しか来られない。正面は絶対に押されないで」
「おう」
ガレスが通路を塞ぐように立った。この幅なら大剣は振れないが、逆に言えば盾と体重だけで壁になれる。
「ミア。正面じゃなくて、天井を狙って。さっき叩いた場所の真上を」
「……天井?」
「脆い石を落とすの。トカゲの外殻の上に。正面から殴るより、上からの瓦礫の方が効くわ」
ミアの目がフードの奥で少し動いた。理解、というよりは計算。三秒くらい考えて、杖の先を天井に向けた。
「エルト。回復より先に、ガレスの足元に滑り止めの補助をかけて。この床で踏ん張れなくなったら全部崩れるわ」
「は、はい!」
石喰いトカゲが突進してきた。
低い姿勢で、驚くほど速い。苔の上を滑るように迫ってくる——だが、通路の幅はガレスの体でぴったり塞がっている。トカゲの頭がガレスの盾にぶつかって、がぎん、と金属が軋む音。
「うおっ——重ぇ!」
「押し返さなくていい! 止めるだけ!」
ガレスが歯を食いしばって踏みとどまった。エルトの補助魔法が足元を固めていて、苔の上でも滑らない。
「ミア、今!」
ぱん、と乾いた音。ミアの魔法が天井の脆い部分を直撃した。石の塊がばらばらと崩れ落ちて、トカゲの背中を叩く。外殻に直接攻撃するより、はるかに大きな衝撃。トカゲがびくりと体を縮めた瞬間——
「ガレス、腹!」
盾で押し上げられたトカゲの柔らかい腹側が一瞬だけ見えた。ガレスの大剣がそこに突き刺さる。
一匹目、沈黙。
二匹目が滑るように迫ってきたが、同じ通路幅では同じことが起きた。ガレスが止めて、天井を落として、隙を突く。三匹目は少し角度を変えて突っ込んできたが、苔で滑ったトカゲの体をミアが横から弾いて壁にぶつけ、落ちてきた瓦礫とガレスの追撃で仕留めた。
四匹目がエルトの側面から回り込もうとした時、ガレスの左足に歯が掠めた。鎧の隙間から血が滲む。
「エルト!」
「もう治してます!」
回復が間に合った。が、無傷とはいかなかった。
◇
最後のトカゲを片付けた後、四人で水路の入口まで戻った。
ガレスの左足には包帯が巻かれていたが、歩行に支障はない。ミアのMPは半分ほど残っている。エルトも余力がある。
想定被害より、圧倒的に少ない。
ガレスが包帯の上から足首を回して、首をひねった。
「……また、やれたな」
「何か不思議?」
「昨日が特別だったのかと思ってた。交渉でうまくいっただけで、戦闘はまた別だろうって」
「で?」
「別じゃなかった」
短い言葉だったけれど、その声の温度が昨日より少しだけ低くなっていた。驚きが抜けて、信頼に変わる手前の、静かな確認の声。
ミアがフードの中で何か呟いた。聞き取れなかったから聞き返したら、
「……二回連続は、偶然って言わない」
それだけ言って黙った。
エルトは何も言わなかったけれど、目が赤くなりかけていたので「泣かないで」と先に言っておいた。「泣いてません」と返されたが、声が裏返っていた。
◇
ギルドに戻ると、ドノヴァンがカウンターの奥から出てきた。
報告書を受け取り、ガレスの足の怪我を確認し、天井崩落を利用した戦術について二、三の質問をした。わたしが答えるたびに、隣のセシリアがものすごい速さでメモを取っているのが視界の端に映った。報告書の整理のためだろうが、その筆の走り方には少し私的な興味が混ざっている気がした。
ドノヴァンが報告書をぱたりと閉じた。
「偶然ではないらしいな」
声の調子は変わらない。けれど、昨日わたしたちを見ていた時の「面白い変種がいる」という観察者の目が、「扱い方を考える必要がある」に切り替わったのが、わずかな眉の動きでわかった。
周囲の冒険者たちの空気も変わっていた。嘲笑は消えていないが、それだけではなくなっている。何人かは真剣にこちらを見ていて、そのうちの一人が連れに「あれ、本物なのか?」と小声で訊いているのが聞こえた。
悪くない。悪くないけれど——まだ足りない。たった二回の成功で安心するほど、この世界は甘くないだろう。
そう考えていた時だった。
ギルドの正面扉が、重たく開いた。
空気が変わった。
入ってきたのは四人組のパーティだった。先頭の男は長身で、銀色の軽鎧に細身の長剣を佩いている。鎧の胸当てに刻まれた紋章——翼を広げた獅子。装備の質が、ギルドにいる他の冒険者たちとは明らかに違う。使い込まれているのに、一切の損耗がない。手入れが行き届いているというよりも、そもそも致命的な一撃をもらったことがないような消耗の仕方だった。
周囲がざわつく。というより、自然と道が開いた。
「《グローリークラウン》だ」「帰ってきたのか」「北の大渓谷の依頼、もう終わったのかよ」
先頭の男——おそらくリーダー——がギルドの中を見渡した。その視線がカウンター前の人だかりを通過し、わたしの顔の上で、ほんの一瞬だけ止まった。
眉がわずかにひそめられた。
何かに気づいたというより、目に入ったものが気に食わなかった、という種類の反応。それだけで、男は視線を外してカウンターへ向かった。
隣で、エルトが小声で教えてくれた。
「あの人、レオン・アークライトです。このギルドの上位パーティ《グローリークラウン》のリーダーで——すごく、強い人です」
強い人。
その言葉の重みが、エルトの声の震え方でわかった。
わたしはレオンの背中を見ながら、胸の奥で何かがきゅっと締まるのを感じていた。恐怖ではない。警戒でもない。もっと面倒な何か——自分がまだ証明しきれていないものを、あの背中に突きつけられたような感覚だった。




