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【連載版】悪役令嬢に転生したけど、ここ乙女ゲームじゃなくてRPGでした ~それでも、やれることをやるだけです~  作者: スナハコ


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2.落ちこぼれ三人でチュートリアルを壊します

 扉の前で、わたしは自分の呼吸を数えた。


 三回。吸って、吐いて、もう一回吸う。それだけの間に、扉の向こうの呼吸音が二回。こっちより遅い。肺がでかい。体もでかい。——嫌な想像がどんどん具体的になる。


「でかいのを殴ればいいんだろ」


 ガレスが大剣の柄を握り直した。声は軽いのに、肩甲骨のあたりがわずかに上がっている。緊張してるくせに、それを隠す気がない。この男の正直さは美点だ。戦場では特に。


「帰っていい……?」


 ミアがフードの奥から、蚊の鳴くような声を出した。


「せめて全員で無事に帰れますように……」


 エルトが両手を組んで目を閉じている。祈りの対象が神なのか運なのか、本人もよくわかっていない感じの祈り方だった。


「うるさいわね。まだ始まってもいないわ」


 声に力を乗せた。三人が黙る。——内心を言えば、わたしだって帰りたい。レベル1で、戦闘スキルゼロで、ボス部屋に突入するなんて正気の沙汰じゃない。でも悪役令嬢は、追い詰められたときに弱音を吐かない。吐いたら負けだ。前世でも、上司の前では絶対に泣かなかった。泣くのは家に帰ってからって決めてた。同じことだ。


「行くわよ」


 ガレスが扉を押し開けた。


 ◇


 広い。


 天井は松明の光が届かないほど高く、岩盤がむき出しの巨大な空洞だった。左右に石柱が四本ずつ。床には古い亀裂が蜘蛛の巣みたいに走っていて、奥の壁に——通路がもう一本ある。その手前に、いた。


 オーガ。ただし、普通のオーガじゃない。


 体長三メートルを超える変異個体。灰色の肌には黒い紋様が浮いていて、右手に持った棍棒は木じゃなく、どこかの柱を引き抜いてきたような石の塊だった。座り込んだまま、こちらを見ている。立ち上がらない。まだ来ない。——距離を測っている。


 足が竦んだ。空気が粘つくような圧を感じて、胸の底に冷たいものが落ちた。


 でも——そこから三秒もかからなかった。


 視界が整理される。


 前世でもあった、あの感覚。炎上案件の初動で、パニックの波が引いた瞬間に情報がカチカチと嵌まっていく、あれ。


 柱は遮蔽物。左側の二本目と三本目の間隔が広い——ガレスが動ける。右側の一本目は根元にひびが入っている——衝撃で折れるかもしれない。床の亀裂は奥に向かって深くなっている——足場が悪い。つまり敵も踏み込みにくい。ミアの射線は右後方から通る。エルトは柱の影に入れば安全。わたしは——最後尾で、この盤面を動かす。


 人が駒に見える、なんて言ったら嫌われるだろう。でもこの瞬間、わたしの頭の中では確かにそうなっている。ガレスは足止めの前衛。ミアは一発の切り札。エルトは生存保険。そしてわたしは——


「ガレス、左柱の二本目まで前進。正面に立って引きつけなさい。ミア、右後方、一本目の柱の裏。ファイアボルトは撃たないで。わたしが言うまで待機。エルト、左三本目の柱の影。ガレスに防護を張り続けて」


 声が出た。不思議なくらい明瞭に。


 ガレスが駆けた。石の床を蹴る音が反響して、オーガの黄色い目がそっちを追う。立ち上がった。やっぱりでかい。天井の闇に頭が半分沈むような巨体が、棍棒を振りかぶる。


「ガレス、柱の右に半歩!」


 棍棒が石柱をかすめた。破片が飛ぶ。ガレスは半歩だけ横にずれていて、風圧だけが鎧を叩いた。エルトの防護魔法が青白い膜になってガレスを包む。


「ミア、床の亀裂! 正面じゃなく、ボスの足元の亀裂に撃って!」


 一瞬の間があった。ミアが戸惑っている。——でも、指示に従った。


 ファイアボルトが床面を抉った。亀裂が弾けるように広がって、オーガの右足が沈む。体勢が崩れた。


「ガレス、今! 左脚!」


 大剣が横薙ぎに走る。オーガの膝に鋼がめり込んで、初めて咆哮が上がった。天井の岩盤が微かに震えるほどの声量だった。


「エルト、ガレスに二枚目!」


 重ねがけの防護が光る。オーガが片膝をつきながら振った棍棒を、ガレスが大剣の腹で受けた。衝撃で三歩下がる。でも、倒れない。


「考えなくていいと、強えな——」


 ガレスが笑っていた。歯を見せて、血管が浮いた首筋のまま、笑っている。


「ミア、天井! 柱の根元に近い岩棚、あそこを撃てばたぶん落ちてくる!」


「たぶんって言った……」


「たぶんよ! 撃って!」


 アイスランスが天井の岩棚を砕いた。直撃じゃない。でも落石がオーガの背中に降って、さらにバランスを崩させた。ガレスが間髪入れずに踏み込んで、もう一撃。


「撃つ場所まで決まってるの……楽……」


 ミアがフードの奥で呟いた。声に、ほんの少しだけ色がついていた。


「次に何をすればいいかわかるって、こんなに動きやすいんですね……!」


 エルトが、感動と焦りが半分ずつ混ざったような顔で回復魔法を重ねている。


 噛み合っている。ばらばらだった三人の歯車が、わたしの指示で回り始めている。前世で最高のプレゼンが通ったときよりずっと気持ちいい。怖いのに、手が震えてるのに、頭の中だけはクリアで——これがわたしの攻略条件だ。


 壁の古代模様が、戦闘の振動に反応したのか、一瞬だけ淡い光を放った。誰も気づいていなかった。わたしだけが、視界の隅でそれを捉えていた。——今は構っている余裕がない。


 ◇


 優位は、長くは続かなかった。


 片膝をついていたオーガが、不意に空気を変えた。まるでギアが切り替わるような、質の違う力の入れ方。立ち上がった瞬間、棍棒を床に叩きつけた。衝撃波が同心円状に広がって、全員が一歩後退する。


 第二波。


 動きが速くなっている。さっきまでは重さで押してきたのに、今は速さも乗っている。こういう行動パターンの切り替えは——ゲームで言えばフェーズ移行だ。HPが一定を割ったんだろう。


「ミア、もう一発いける?」


「……あと二発。それで空」


 背中が冷えた。MPが足りない。ミアの火力がなければ、地形を使った揺さぶりができない。


「ガレス、受けきれる?」


「受けられるが——」


 ガレスが大剣で棍棒を弾いた。だが反動で腕が跳ね上がり、次の一撃を避けるために大きく転がった。立ち上がる動作が、さっきより遅い。削られている。体力の残量が目に見えて減っている。


「エルト、回復——」


「やってます! でもガレスさんの受けるダメージがさっきの倍になって——追いつくのがやっとです!」


 継戦力が足りない。


 火力が落ちて、壁も薄くなって、回復が間に合わない。指揮で善戦はできた。でも、討伐は——無理だ。相手の基礎スペックが、単純にこちらのパーティを上回っている。


 レベル差。装備差。育成不足。落ちこぼれ三人と戦闘スキルゼロの令嬢で、C級ダンジョンのボスを正面から叩き潰すのは、どう計算しても成立しない。


 詰んだか。


 ——いや。


 ◇


 わたしは、オーガを見た。


 HPバーは見えない。この世界のモンスターに体力ゲージが浮いてるわけじゃない。でも——見えるものがある。


 オーガは、暴れている。でも闇雲じゃない。


 棍棒を振るたびに、こいつは自分と奥の通路の間にわたしたちが入らないように動いている。一度だけ——ほんの一瞬だけ——奥の通路を振り返った。あの暗い通路の先に、こいつにとって大事な何かがあるのか。


 足元を見た。オーガの足は、亀裂が深い場所を避けて踏んでいる。不安定な場所には自分から行かない。つまり——地形を判断できるだけの知性がある。暴走した獣じゃない。


 縄張りだ。


 こいつは、ここを守っている。わたしたちが領域を侵したから戦っている。であれば、判断軸は「排除」であって「殲滅」じゃない。


 敵のHPを見ていた。いつのまにか自然に。——違う。見るべきはそこじゃない。


 HPじゃなくて、縄張り。ダメージ量じゃなくて、退路。攻撃パターンじゃなくて、判断基準。


 これは——討伐イベントなんかじゃない。


 攻略条件を、わたしは最初から間違えていた。


 「倒す」が勝利条件じゃないとしたら。「退かせる」が成立するなら。この盤面には、まだ勝ち筋がある。力押しじゃない勝ち筋が。


「みんな、聞いて」


 声が裏返りそうになるのを、歯を食いしばって抑えた。


 ガレスが柱の影で息を整えている。ミアの杖先が微かに震えている。エルトが汗だくのまま、こちらを見た。


「……わたし、思うんだけど」


 三人の目がわたしに集まる。ボスの咆哮が壁を揺らす中で、わたしはたぶん、とても場違いなことを言った。


「これ——別に、倒す必要ありませんわよね?」


 三秒くらい、誰も何も言わなかった。


 オーガが棍棒を構え直す音だけが、やけに大きく響いていた。

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