17.古代遺跡の画面がわたしにだけ読める
依頼書の文面は簡潔だった。
朽ちた祭壇遺跡。街の北西。丘陵地帯の地下に広がる古代の祭祀施設跡。
近年、内部の魔力反応が不安定になり、周辺の魔獣が活性化。原因調査と、可能であれば魔力炉心の安定化を依頼する。ランクB。
セシリアが補足した。
「先週、別のパーティが調査に入ったんですが、内部構造が複雑で奥まで到達できなかったそうです。罠も多いようで……」
「罠迷宮系ですわね」
罠迷宮。先日グローリークラウンが詰まったのも罠迷宮だった。力押しが通じない、構造把握と判断力が求められる依頼。わたしたちの得意分野だ。
ガレスが依頼書を覗き込んだ。
「古代遺跡か。殴れんのか?」
「遺跡は殴らないで」
「モンスターの方だ」
「多分出るわ。でもそっちは本題じゃない」
ミアが受付のカウンターの端、人通りの少ない側に張り付いたまま、小さく呟いた。
「……古代、か」
その声に、わずかに引っかかるものがあった。
◇
丘陵地帯の入り口から地下へ降りる石段は、苔と蔦に覆われていた。エルトが松明を灯し、ガレスが先頭で階段を踏み固める。いつもの隊列。
地下に入った瞬間、空気が変わった。冷たいとか湿っているとか、そういう物理的な変化ではない。思い、とでも言えばいいのか。空間自体に密度がある感じ。
「ミア、魔力の流れは?」
ミアが杖を軽く持ち上げた。フードの奥で目を細めているのが、松明の光でうっすら見えた。
「……濃い。あちこちから流れてる。でも――これ」
足を止めた。
壁だった。
通路の左壁に、線が刻まれている。風化してところどころ欠けているけれど、規則的な溝。直線と曲線の組み合わせ。ゴブリンの巣窟で見たもの、結晶蝙蝠の廃塔で見たものと、同じ系統の紋様。
「またあの模様がある」
ミアの声には、確信があった。三度目だ。偶然ではないと、この子は気づいている。
「前にも見たのか?」
ガレスが聞いた。
「……二回。最初のダンジョンと、蝙蝠の塔」
「俺は覚えてねえな」
「ガレスは模様なんか見ないでしょ……」
「見ないな。壁は壁だ」
エルトが松明を壁に近づけた。光に照らされた紋様が、溝の影をくっきりと浮かび上がらせる。
「あ、これ――教会の地下書庫で見た記録に、似てるかもしれません。古代の祭祀に使われた印だったような……。でもうまく思い出せなくて」
「前にも同じこと言ったわね」
「すみません……帰ったらもう一度調べます」
わたしは壁の紋様に目を向けた。
――そして、息が止まった。
◇
見えている。
模様が、文字として読める。
正確には、文字ではない。でも意味がある。
線の一本一本が、何かを示している。方向。距離。分岐の位置。行き止まりの警告。通路の先にある空間の広さ。
頭の中で、ゴブリンの巣窟の壁模様が重なった。あのときは気にも留めなかった規則的な線。今にして主言えば、あれもこれと同じものだったのだ。ただ当時は読み方を知らなかった――いや、読めることに気づいていなかった。
これは地図だ。
この遺跡の構造をを示す、導線図。
線を目で追う。右に二本、下に一本、円弧がひとつ。これは――「右の通路に二つ進み、下の階層に降り、回廊を抜ける」。前世でゲームの攻略サイトを見ていたときの、あのフロアマップの感覚に近い。矢印があり、危険表示があり、チェックポイントがある。
――なぜ、読める。
この世界の古代語を知っているわけがない。ヴィクトリアの記憶にもない。わたしの前世の知識にも、当然ない。
なのに読める。外界観測で人が役割ごとに分類されて見えるように、この壁の模様が――情報として、整理されて見える。
ゲームのUI。
その単語が、頭の中で点滅した。
ステータス画面を初めて見たとき。敵の動きが色分けされて見えたとき。ミアに射線を指定したとき。全部、同じ感覚だった。世界の情報が、わたしにだけ「操作可能な画面」として見えている。
壁の紋様は、その延長にある。
冷や汗が出た。服の下で、背中に汗が一筋流れ落ちるのがわかった。
◇
「ヴィクトリアさん? 顔色が悪いですよ」
エルトの声で、意識が戻った。いや、意識は飛んでいなかった。ただ、壁を凝視したまま数秒間固まっていたらしい。
「……大丈夫よ。少し考え事をしていただけ」
声が上ずらなかったのは、話術Lv8のおかげだと思う。
ミアがこっちを見ていた。フードの奥の藍色の瞳が、じっとわたしの顔を観察している。
「……何か、見えた?」
この子は鋭い。
「見えた、というか――読めた。かもしれない」
「読めた?」
ガレスが眉をひそめた。
「何がだ? この模様か? ただの線じゃねえか」
「ガレスには線に見えるわよね」
「線以外に見えるのか」
わたしは壁を指さした。紋様の右端、三本の直線が扇状に広がっている部分。
「ここ。この先の通路が三方向に分岐していることを示しているわ。右が行き止まり。中央が罠のある通路。左が正規ルート」
三人が壁を見た。それからわたしを見た。また壁を見た。
「……見えねえ」とガレスが言った。率直に。
「見えねえもんは見えねえ。お前にだけ読めるってことか?」
「そうみたいね」
エルトが困った顔をした。でも、その困り方は「信じられない」ではなく「どうすれば手伝えるだろう」という種類の困り方だった。
「僕には読めません。でも――ヴィクトリアさんがそう言うなら、信じます」
「根拠なく信じるのは危険よ」
「根拠はあります。今までの指示で、外れたことがないですから」
真っ直ぐすぎる。この子のそういうところは、時々眩しくて困る。
ミアが杖をかすかに持ち上げた。壁の紋様に向けて、何かを感じ取ろうとしている。
「魔力は……感じる。この線に沿って、何かが流れてる。形は見えないけど」
「流れの方向は?」
「左。左の通路の方に向かってる――と思う。たぶん」
わたしが壁から読み取った情報と一致する。左が正規ルート。
ミアには文字としては読めない。でも魔力の流れとして、近いものを感知している。わたしとは違うチャンネルで、同じ情報の端を掴んでいる。
「よし。確認するわ。左の通路を進む」
◇
左の通路を選んだ。
五十メートルほど進むと、床の色が変わる場所があった。石の材質が微妙に違う。罠だ――と思った。正確には、壁の紋様がそう告げていた。三歩手前の壁に小さな円形の印があり、それが「ここから先、足元注意」を意味していた。
「止まって。床が変わっているところ、右端の壁際だけ安全よ。一人ずつ、壁に沿って通り抜けなさい」
ガレスが先に進んだ。壁際に体を寄せて、慎重に。大柄な体が壁にこすれて鎧が嫌な音を立てたが、床は沈まなかった。
「通れたぞ。なんでわかった?」
「壁に書いてるのよ」
「……どこに?」
「あなたには見えない方の壁に」
ガレスが首をかしげたまま、向こう側で待機した。次にエルト、次にミア。最後にわたし。
全員が通過した直後、ミアが振り返って床を見た。
「……今、魔力が動いた。踏んでたら起動してた、あれ」
「何の罠?」
「落とし穴か、射出系。魔力の残滓が下に向かってるから、たぶん落とし穴」
ガレスが「マジか」と呟いた。
次の分岐点でも、壁に紋様があった。今度は渦巻の中に点が三つ。わたしには「この先、三体の魔獣」と読めた。
「戦闘準備。この先に敵が三体いるわ」
「さっきの壁か?」
「そうよ」
「本当に見えてんだな、お前……」
ガレスの声に、疑いはなかった。理解できないことへの困惑はあったが、否定する気配はなかった。この人は自分に見えないものがあることを認められる。脳筋と侮れない美点だ。
角を曲がると、広い部屋に出た。天上が高い。朽ちた柱が何本か立っていて、奥の壁際に――確かに、三体の石像のような魔獣が蹲っていた。体表が石化した蜥蜴型。動きは鈍そうだが、鱗の硬度は厄介に見える。
「ガレス、左の柱を背にして引き付けて。ミア、右の柱の影から二時方向に射線が通る。エルト、中央で双方をカバー」
三人が動いた。迷いなく。
壁の紋様が示していた配置図と、実際の空間がぴたりと重なった。柱の位置、部屋の広さ、敵の初期配置。全部、壁に書いてあった通りだった。
戦闘は三分で終わった。紋様の指示通りに動いただけだ。
ミアが汗を拭った。
「……普通、ここまでスムーズにいかない」
「壁が教えてくれるんですもの」
「壁は教えてくれない……わたしには」
少し口を尖らせたように聞こえた。悔しいのかもしれない。魔力の流れは感じ取れるのに、情報として読み解けないことが。
その後も、壁の紋様を頼りに進んだ。罠を三つ回避し、分岐を二つ正しく選び、最短ルートで遺跡の中核部に到達した。先週のパーティが三日かけてたどり着けなかった場所に、わたしたちは半日で着いた。
◇
中核部には、大きな祭壇があった。
石造りの台座に、青白い光が脈動している。魔力炉心、依頼にあった不安定化の原因は、炉心を取り巻く回路――壁や床に刻まれた紋様の一部が損傷していることだった。少なくとも、わたしにはそう見えた。
「ミア。炉心の周りの魔力の流れ、どう?」
「……乱れてる。三箇所くらい、流れが途切れてる」
「どこ?」
ミアが指差した場所と、わたしが壁から読み取った損傷個所が一致した。三箇所中三箇所。
エルトが損傷個所を覗き込んだ。
「これ、僧侶の補修術で一時的に魔力の流れを繋げられるかもしれません。教会で習った古い祈祷に、似たようなものがありました」
「やってみて。ミアは魔力の方向を補助して。流れが正しく繋がるように」
二人が作業を始めた。ガレスは部屋の入り口に立って周囲を警戒している。やることがないと手持ち無沙汰になるこの人は、こういうとき黙って壁になるのが上手くなった。
わたしは祭壇の紋様を見つめていた。
他の壁の者より、ずっと精緻な線だった。密度が高く、情報量が多い。全てを読み解けているとは思えないが、断片的にわかることがある。
これは戦術盤だ。
配置図であり、導線図であり、危険警告であり、攻略情報。古代の誰かが、この遺跡を「運用する」ために刻んだインターフェース。
――インターフェース。
その言葉を思い浮かべた瞬間、背筋が粟立った。
ゲームのUI。ユーザーインターフェース。プレイヤーに情報を伝えるための画面表示。
これは、それと同じものだ。
古代の遺跡に刻まれる紋様が、わたしにだけ「攻略UI」として機能している。外界観測が人を駒として見るように、この紋様が世界の構造を画面として見せている。
なぜ。どうして。何の目的で。
答えは出ない。
でも――使わない理由もない。怖い。正直に言えば怖い。自分だけに見えるものを信じて行動すると言うことは、自分だけが間違っている可能性を常に抱えると言うことだ。
エルトが補習を終えた。炉心の光が安定し、青白い脈動が穏やかになっていく。
ミアが「流れが繋がった」と小さく言った。
「帰りましょう。依頼は完了よ」
来た道を戻りながら――壁の紋様が、行きとは違う情報を表示しているように見えた。
帰路用のガイド。
これ、完全に攻略UIじゃない。
内心で漏らしたその言葉を、口には出さなかった。出したら、たぶん、何かが決定的に変わってしまう気がした。
怖さと、興奮が、胃の底でぐるぐる混ざっている。
ミアが隣を歩きながら、ぽつりと言った。
「……あの紋様。ヴィクトリアが見てるとき、魔力の流れが変わる」
「変わる?」
「見てないときは静か。見てる時だけ、動く。……なんか、起動してるみたいに」
わたしは何も言えなかった。
松明の光が揺れて、壁の紋様が明滅した。わたしにだけ読める文字。ミアにだけ感じられる魔力。
二人の間に、言葉にならない何かが共有された。
出口の光が見えた。地上の空は、もう夕暮れだった。




