第9話 最後の晩餐
ガチャ――
「おかえり、ガット。」
「おう。言われたもん、買ってきたぞ。」
どさりと木のテーブルに袋を置く。焚き火の明かりが、少し疲れたガットの顔を照らした。
「ありがとう。どれどれ……」
コビーが袋の口を開け、中身を確かめる。大きなパン、根菜、調味料、そして小さな包み。
「うん、大丈夫。これで作れるよ。」
仕切りのカーテンが少し開き、セリーナが顔をのぞかせた。
「何を買ってきたんですか?」
「夕飯だよ。」コビーは台所へ運びながら続ける。
「今夜が、王女さんと過ごす最後の夕食だからね。」
小さく笑い、振り返る。
「僕がフルコースみたいなのを作るから、期待してて。」
「最後……」
「フルコースじゃないのか?」
「そこはね。でも味は保証するよ。だから王女さんも楽しみにしててね。」
「はい……」
「セリーナ。」
ガットが、部屋に戻ろうとしていたセリーナを呼び止める。扉を開き、外を指しながら。
「ちょっといいか。」
「はい……」
(今……私の名前を……)
「コビー。ちょっと出てくる。」
「うん、夕飯は用意しておくよ。」
外は茜に染まり、水平線は淡く金色を帯びていた。
寄せては返す波が光を砕き、海面はまるで溶けたガラスのようにきらめいている。
(この静けさ……消えてほしくない)
――ザァァ……ザァァ……
ガットが前を歩き、セリーナは少し後ろからその背を追う。
足もとで波がさらりと砂をさらい、風が髪を揺らすたび、潮の匂いが胸の奥に沁みた。
「今朝は……すまなかった。」
セリーナは顔を向けるが、すぐに視線を落とす。
「いえ……私もガットさんの気持ちを考えずに言ってしまいました。」
「お前は、俺たちのために提案してくれた。その気持ちを無下にしたのは俺だからな。」
セリーナはその言葉に、ゆっくりと顔を上げる。
「謝らないでください…大丈夫です。」
海風が冷たい。セリーナが身をすくめるのを見て、
ガットは自分のマントを脱ぎ、そっと肩に掛けた。
「……ありがとうございます。」
「話はそれだけだ。呼び出して悪かった。」
「いえ。」
マントの端をぎゅっと握るセリーナの手が、かすかに震えた。
けれどその頬には、かすかな笑み。
――
「おかえり。」
コビーがテーブルに布を広げていた。
「これ、クロスの代わりね。で……これ。」
彼は小さなコップを三つ並べ、それぞれに蝋燭を立てた。淡い灯が部屋を優しく染める。
「蝋燭台じゃないけど、雰囲気出るでしょ? さ、王女さん、ここ座って。」
「ガットはこっちね。」
「あ、忘れてた。お前にだ。」
ガットがナプキンに包まれた小さな包みを差し出す。
「これは?」
「開けてみればわかる。」
セリーナは慎重に布を開いた。
「あ……」
そこには、銀色に光るナイフとフォーク。
「私に?」
「ん? ああ。ちょうど良さげなのがあったからな。昨日、食べづらそうにしてたから……ついでだ。」
セリーナの唇がふっと緩んだ。
「はい……ありがとうございます。」
彼女は丁寧にナイフとフォークを並べる。
その姿にコビーが気づき、微笑む。
「ん? あれ? ナイフとフォーク?」
「あ、ガットさんが……」
「へぇ……」
「なんだよ。」
「王女さん、これは僕は頼んでないから、ガットからのプレゼントだね。ね? ガット。」
「プレゼントじゃねぇ。ただのついでだ。」
「ふふっ。そういうことにしておくよ。」
「おい、コビー!」
「図星つかれるとすぐ怒るんだガットは。覚えといてね。」
「ふふ……わかりました。」
「初めて見た。王女さんが笑ったところ。」
「え……」
「良い笑顔だよ。」
一瞬、空気がやわらぐ。
その微笑みは、夕暮れの光よりも柔らかかった。
「じゃあフルコース持ってくるから。」
コビーが奥へと消え、皿を手に戻ってくる。
「皿が人数分しかないから、まとめちゃってるけどね。」
「はい。」
「こちらが今日のフルコース。温野菜のハーブオイル和えと、子羊の香草炙り焼きです。」
木の皿の上に、湯気が立つ。香草の香りが、かすかに潮の匂いと混ざった。
「おいしそう……」
「いただきます。」
セリーナは丁寧にナイフとフォークを使って食べ始めた。
ガットとコビーは、静かにその様子を見守る。
「さすがだね。気品があるというか。」
「いつもしてることですから。」
でもどこか寂しげで……遠くを見ているような瞳だった。
ガットは気づく。
(セリーナは自由なんかじゃない……不自由なんだ……)
ガットはフォークを突き立て、豪快にかぶりつく。
「うん……うまい。さすがだな、コビー。」
「ちょっと……嬉しいけど、もう少し味わって食べてよ。」
「お前もかぶりついてみろよ。違ううまさがあるぞ。」
セリーナの手が止まる。
少し間を置いて、ナイフを置き、フォークで肉を刺す。
がぶり。
「どうだ?」
「うん。もっと美味しくなりました。」
「だろ?」
「ふふっ。」
セリーナは満面の笑みを浮かべた。
その笑顔は、焚き火よりも温かく、長い夜を照らす灯火のように静かに揺れていた。
「ふぅ……美味しく食べてくれたら僕はそれでいいや。」
「でもガット。ちゃんと味わって食べてよね?」
「ん? だから言ったじゃねぇか。うまいって。」
「うんうん。それでも嬉しいけどね。この柔らかさ! とか、このソースは! とかさ。」
「そんなもん俺に求めるな……」
「ははっ。冗談冗談。ガットの“うまい”が僕にとっての最高の褒め言葉だよ。」
――二人のやりとりを見つめながら、セリーナの頬にまた笑みがこぼれた。
(困っている人がいたら寄り添ってあげて。そして、一緒に泣いて……一緒に笑ってあげて……)
波の反射が壁を走り、セリーナの面影は――ひと呼吸だけ、プリシアに重なった。




