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第6話 私は……


(もう朝…あまり寝れなかったな…)


目張りされた窓の隙間から、細い陽光がこぼれていた。埃が光を帯びて舞い、静けさの中にかすかな温もりが満ちていく。


ザァァ……ザァァ……


耳を澄ますと、遠くで波の音。


(海…見たいな…)


やがて、奥の台所から小気味いい音が響く。


カチャ…カチャカチャ…タンタンタンタン…カポン…ジャァァー


(コビーさん……かな……)


「おはようございます。」


「おはよう、王女さん。眠れた?」


「はい。少しだけ……」


「こんな場所だからね……ごめんね。」


「いえ……」


少し湿った空気に、焼けた油の匂いが混じる。奥の椅子に腰を下ろすガットの姿が見えた。腕を組み、どこか遠くを見つめている。


「ガットさん……おはようございます。」


「ん? ああ。」


短い言葉。けれど、その声には疲れと微かな優しさが混じっていた。


「王女さん。朝ご飯、目玉焼きにパン、野菜、あと……ミルクしかないけど大丈夫かな?」


「あ、はい。ありがとうございます。」


「うん。じゃあテーブルの椅子に座ってて。」


「はい。」


セリーナは椅子に座った。木の軋む音が、妙に耳に残った。脇ではガットが目を閉じ、呼吸を整えている。


「はい。王女さんから。」


白い皿に目玉焼きとパン、サラダ。カップからは湯気が立ちのぼっている。


「あとこれ。」


小皿が二つ。中身は緑と黄色。


「これは僕オリジナルのソース。緑が野菜ブレンドので、黄色いのはスパイスが効いてる。黄色いのは刺激が強いから苦手だったらつけなくて大丈夫だから。」


セリーナが小声でつぶやいた。


「あ……好きなほうです……」


「ハハッ、そうなんだ? でも気を付けてよ? 馬もびっくりするぐらいだから。」


すかさずガットがぼそりと呟く。


「朝から馬もびっくりスパイス出すとはね……」


すぐにコビーが言い返した。


「朝だからいいんじゃないか。目が覚めるよ?」


ふっと、セリーナの唇が緩む。恐怖と緊張の夜を越えたその笑みは、ようやく人の温度を取り戻したようだった。


「いただきます。」


「うん。食べて食べて。」


食卓に流れる時間は、思いのほか穏やかだった。皿の上の卵が陽の光を反射し、窓の隙間から射す光がテーブルを照らす。


「ごちそうさまでした。」


「おいしかったです。ソースも。全部。」


「ふふっ。ありがとう。」


その一言に、コビーの表情がわずかに和らぐ。ガットは何も言わず、ただ背もたれに深く沈み込んだ。


「あ、あの……ガットさん……」


「ん? どうした?」


「外に……出てもいいですか?」


「ふぅ……」


ガットは大きく息を吐き、髭をなでた。


「だめだ……お前は人質だ。何を勝手なこと言ってんだ。」


「海が……見たくて……波の音がずっと聞こえるから。」


「ガットが見張ってればいいじゃない? 今日はすごく天気いいし。」


「お前なぁ……俺たちは誘拐犯だぞ?」


「うん。だから誰もいないこの場所選んだんじゃないか。外に出ても誰もいないよ。」


セリーナの声には恐れよりも、静かな願いがあった。その表情を見たガットが、面倒くさそうに頭をかいた。


「……ったく……わーったよ。」


ガットは立ち上がると、マントを肩にかけた。


「ほら、いくぞ。」


セリーナは振り返り、コビーへ微笑む。


「コビーさんありがとう。」


「いいよいいよ。外の空気、吸ってきな。昼飯は用意しとくから。」


「ほら。」


ガットが無言でマントを差し出す。


「?」


「海沿いの外はまだ寒いからな。」


「ありがとうございます。」


セリーナはマントを羽織り、扉を開けた。光が一気に差し込み、頬に暖かさが当たる。思わず手をかざして目を細めた。


大きく息を吸い、そして吐く。


海の方へ歩く二人。セリーナが前を、ガットが後ろを。


ザァァ……ザァァ…… 波の音が二人の足音をかき消していく。


(きれい……風が気持ちいい……)


(嫌なこと……全部洗い流してくれそう……)


潮の香りが胸の奥に染みていく。


「ここはこの大陸の一番最西端だ。」


「こんなきれいな場所があったなんて……」


短い会話のあと、静寂が戻る。風の音だけが、言葉の代わりのように吹き抜けていた。


「ガットさん……」


「ん?」


「身代金……何に使うんですか?」


「……お前は知らなくていい。」


セリーナは一歩だけ、足を止めた。海を見つめたまま、声を落とす。


「……昨日の夜……そのお金さえあれば助かるんだって……」


「聞いてたのか?」


セリーナはうなずく。


「誰かを……助けるため?」


「……」


「それなら……こんなことはやめて、私がお父様にお願いしてみます……そしたら……」


セリーナはマントの端を指でつまみ、力のない息をひとつ吐いた。


言い終わる前に、ガットが声を荒げた。


「金をくれるってのか? 見ず知らずの……どこの馬の骨かわからねぇやつに!」


波音がその怒声をのみ込む。


「王都の金を……配ってくれるって言うのか!?」


「私はガットさんとコビーさんを知りました。だから……理由を教えてもらえれば……」


「あまいな……王女さん。」


拳を握りしめる音が、風に混じって響いた。


「あまい……?」


「ああ……あんたはあまちゃんだよ。」


「……」


「私が言えば王は動く。そう思ってることがあまいって言ってんだ。」


(違う……私は……)


「俺はな……何度も何度も助けてくれって頼みに行った……だがな、全部門前払いだ……」


ザァァ……。


「王の耳になんざ届きゃしねぇんだよ……門の前で追い返されて、名前すら聞いちゃくれねぇ。」


「ぬくい場所で何一つ不自由のねぇ暮らししてる連中に、この苦しみがわかるかよ……」


「俺たちだって生きてんだ! 同じ人間なんだ……」


「それを……身分だか血筋だかしらねえがそんなもんで差別しやがる。」


「お前にその差別をなくすことができるのか?」


(私は……)


「できねぇよ……お前じゃ……」


「自分は王族、価値ある人間だって思ってるやつにはな……」


(私は……思ってない……私に……価値なんてないのに……)


セリーナの肩が震える。声を押し殺すように、唇を噛んだ。


「なんの苦労もなく……笑いながら……俺から見たら……お前も同じなんだよ。」


(もう……言わないで……お願いだから……)


セリーナの瞳から、一筋の涙が零れた。陽光がそれを照らし、海のきらめきと溶け合う。


「本当に価値ある人間ってのはコビーみたいなやつのことを言うんだ。」


「料理で人を幸せにしたい……笑顔にしたいって。」


「それを潰したのはお前らだ……。」


「金さえあれば……助けられる命もあった……」


「だから……俺たちはこの方法を選んだ……」


「……」


セリーナは泣いていた。涙の意味もわからぬまま、ただ溢れていた。


並んだ影が、波に千切れては結ばれる。


「俺は戻る……」


ザァァ……ザァァ……


風が、彼の言葉の残滓をさらっていった。

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