第5話 夕餉のあとに…
夕刻。小屋の外では、橙の光が森をやわらかく染めていた。焚き火の煙が細く立ち上り、木の壁を通して、ゆらゆらと温かい影を作っている。
「ガット。夕食、僕が作ればいいの?」
「おう……もうそんな時間か。頼む。」
ガットが薪をくべると、ぱちぱちと火が弾けた。コビーは慣れた手つきで鍋を取り出し、水を注ぐ。魚の身をほぐし、刻んだ野菜を入れると、すぐに香ばしい匂いが漂いはじめた。
「王女さん。魚のスープとパンしかないけど、大丈夫かな?」
「はい。大丈夫です。」
「よかった。口に合うかはわからないけど、魚もさっきそこで釣ってきたんだ。」
「コビーの夢は料理人なんだ。でっかい街で、でっかい料理屋をやるのが夢なんだと。味は大丈夫だ。俺が保証する。」
「やめてくれよ……もう諦めたから。」
(夢……でっかい街で……でっかい料理屋……)
「どうして……諦めたのですか?」
「うーん……田舎者はダメだって。」
「田舎者……」
「うん……」
「腕も、味も見ねぇで田舎者は雇ってないって門前払いだ。」
ガットの顔が険しくなる。火の明かりに照らされ、その横顔は怒りと悔しさで硬く見えた。
「俺はな、見た目や身分だけで判断するのはいやなんだ。中身を見ねぇで決めつけやがる……とくに王族と貴族はな……」
「……」
セリーナは何も言い返せなかった。胸の奥に、かすかな痛みが走る。
(そんな世界があるなんて……知らなかった……)
自分が生きてきた城の中は、あまりにも穏やかで、閉じられていたのだと気づく。
「さ、できたよ。王女さん。食べてみて。」
「ありがとうございます……」
器から湯気が立ちのぼる。魚と野菜の甘い香りが、狭い小屋の中をやさしく満たしていく。冷えた指先に、器の熱が心地よく染みた。
セリーナは、二人の動きをそっと観察した。手元の食器――先が少し割れた“スフォーク”。すくうのか、刺すのか、使い方がよくわからない。
(どうやって……)
二人の真似をしてみるが、うまくすくえず、スープがこぼれてしまう。コビーが気づいて、優しく笑った。
「王女さんは、これ使ったことないんだ?」
「……はい……」
セリーナはさっきの“とくに王族と貴族はな…”という言葉がよぎり、ガットの方を見られなかった。嫌な顔をされていたらどうしよう――そんな不安が胸をかすめた。
けれど、ガットは自分の皿を差し出し、「こうやってすくうんだ」とだけ言った。セリーナは小さくうなずき、もう一度、慎重にスフォークを動かした。
魚の旨味が広がり、わずかな塩気が舌を包んだ。素朴なのに、どこか温かい。忘れていた“生きている”という感覚が、胸の奥に戻ってくる。
(おいしい……たしかにお城では食べたことない……)
「どうかな?」
「すごくおいしい……」
「そう……よかった!おかわりあるから。ガットも冷めないうちに。」
「ああ。」
外では風が鳴り、遠くの梟が一声だけ鳴いた。小屋の中は、静かで穏やかな空気に包まれていた。
(身分……田舎者だから……夢を諦める……)
「ごちそうさまでした。おいしかったです。」
「よかった!」
コビーがベッドの支度をし、仕切りカーテンを掛ける。火の光がその布を透かして揺れ、薄い影がセリーナの頬に映る。
「ごめんね。こういう感じにしかできなくて。」
「いえ……大丈夫です。」
「うん。何かあったら呼んでね。」
「はい。」
「うん。じゃあお休み。」
「おやすみなさい。」
静寂が戻る。焚き火の音だけが、夜を刻んでいた。セリーナは毛布に包まりながら、まぶたを閉じる。けれど、眠りはなかなか訪れなかった。
しばらくして、深夜。外の風が木々を揺らす音が聞こえる。仕切りの向こうで、男たちの小さな声がした。
「ねぇ、ガット。」
「ん?」
「王女さんのことなんだけど……ちゃんと帰すんだよね?」
「今さらだな。当たり前だ……」
「うん。よかった。」
「俺達は金さえ手に入ればそれでいい。そしたらすぐに帰す。」
「うん。」
「その金さえあれば……助かるんだ……」
「うん……そうだね……」
「汚い金かもしれねぇが、金は金だ。」
「うん……」
セリーナは目を閉じたまま、静かにその会話を聞いていた。胸の奥に、何かがきゅっと締めつけられるような痛みが走る。
(助かる……? 一体……誰が……)
外では風が強くなり、扉がきしむ音がした。セリーナは毛布を抱きしめたまま、ただその夜をやり過ごした。




