表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/25

第4話 涙の理由


「ふぅー……」

ガットが深く息を吐いた。灯火がゆらりと揺れ、木の壁に三つの影が揺らめく。


「俺たちは……あんたを誘拐した。身代金目当てだ。」


「ことが済めばすぐに帰す。三日間……我慢してくれ。」


その声は荒くもなく、ただ淡々としていた。セリーナは膝の上で両手を固く握りしめた。木の軋む音と、心臓の鼓動だけが静けさを乱していた。


コビーが湯を注ぐ音がした。かすかな香りが、閉め切った空気にゆっくりと広がる。


「ごめんね。僕たちにはどうしてもお金が必要なんだ。」


「どうしても……」


小卓がセリーナの前に据えられ、その上に湯気の立つカップが置かれた。


「どうぞ、王女さん。」


(……紅茶?)


見上げると、コビーの瞳がそこにあった。柔らかくも、どこか影を宿した光。


「大丈夫。怪しいのは入ってないから。落ち着くよ?」


セリーナは震える手でカップを持ち上げ、


「ふぅ」


湯気が唇の前でほどける。セリーナは一口、そっと口に運んだ。


(……あたたかい。)


「これはね、ラスの村ってところで採れたハーブを使ってるんだ。あまり出回ってないから、王女さんも飲んだことないよね?」


セリーナは静かにうなずいた。


「いい香りでしょ?」


また、うなずく。


「ガットも……はい。」


「ああ。」


ふたりのやりとりは、どこか穏やかだった。けれど、その穏やかさが逆に、胸を締めつけた。


(私を誘拐しても……)


(お父様は……本当に私を取り戻すだろうか……)


(身代金……それだけの価値が……私に?)


(もし……見捨てられたら……)


セリーナの肩が小さく震えた。それは寒さではなく、心の奥に忍び寄る恐怖。ここにいることが怖いのではない。――これから先、どうなるかが、怖かった。


「大丈夫だよ、王女さん。ほんとに何もしないから。」


コビーの声が、ゆっくりと近づく。セリーナはかすかに首を横に振った。「違うの」と、声にならない唇が動く。


ひと筋の涙が、頬をすべり落ちた。


コビーはそっと膝をつき、同じ目の高さに視線を合わせた。


「ね、王女さん。僕とお話……できる?」


その顔は穏やかで、無理に笑おうとした優しさがにじんでいた。セリーナの胸の奥で、何かが静かに崩れる。


(こんな顔……初めて……)


(お父様の顔は、いつも“王”の顔だった……)


(優しさを、向けられたことなんて……)


また涙が零れた。コビーは驚かず、ただ見つめていた。


「ねぇ……ガット。」


「ん?」


「いいかな? 自己紹介しても。」


「……誘拐犯のすることじゃねぇな。」


コビーは少しだけ笑った。その笑みに、セリーナの震えた呼吸が止まる。


(その顔……)


(どこかで見たことがある……)


(――いや、違う。)


(“似てる”。誰かに……)


「でももう王女さんの前でガットって呼んじゃった。」


ハハッと笑う。


「今も呼んでんじゃねぇか……」


一瞬、セリーナの顔がほころんだ。


「はぁ……勝手にしてくれ。」


あきれ顔のガット。


「うん。ありがとう。」


(あのときの、あの子の……)


(寂しげな顔と、重なった。)


(プリシア……)


(呼んでほしかったんだ……自分の名前を。)


「王女さん。僕はコビー。あっちにいるのはガット。」


「コビー……さんに……ガットさん?」


「うん。そう。まあ名乗るのはおかしいかもしれないけど、」


「まあ……おかしいな。」


「ガット。」


コビーは一度だけ目を伏せ、そしてセリーナへ穏やかに視線を戻す。


「僕たちを、知ってほしくて名乗った。」


(“知られる”ってことが、あの子が一番欲しかったものだったから。)


セリーナは小さく息をのむ。言葉にできない何かが、胸に残る。


「……どうして……ですか?」


「どうして……うーん……どうしてだろ。わかんない。」


コビーは少し天井を仰いで、ふっと笑った。


「でもね、王女さんを見てたら、そうするべきだって思ったんだ。」


「もう一度言うね。僕たちは王女さんを絶対に傷つけない。すべてが終わったら、ちゃんと帰す。約束する。」


「……はい……」


「うん。信じてくれて、ありがとう。」


灯火の影がゆらゆらと伸び、三人の影を、まるでひとつに結ぶように重ねた。


(紅茶の香りが、涙にまじっている……)


(どうしてこんなに……あたたかいの……)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ