特別話Ⅰ 笑顔のレストラン
それから三カ月後。
一月の澄んだ空の下――ナビル王国・城下町東地区。
そこに、一軒の新しいレストランが静かに扉を開いた。
レストラン《セリーナ》
昼下がり、柔らかな陽光がガラス越しに差し込む。
木の温もりを残した店内には、花の香りと焼きたてパンの香ばしさが溶け合っていた。
「こんにちは、コビーさん。」
扉の鈴が軽やかに鳴る。
白い外套に身を包んだセリーナが、少しはにかんだ笑みを浮かべて立っていた。
「あ! 王女さん! よく来てくれたね。ありがとう。さ、こっちこっち。」
コビーは嬉しそうに手を振り、店の奥の特別室へと案内する。
壁には彼の故郷の海を描いた絵が飾られ、窓際には季節の花が揺れていた。
セリーナは店内を見渡し、ふわっと微笑んだ。
「へぇ……すごく、きれいですね。」
「ふふっ。ありがとう。僕のこだわり入ってるからね。王女さんには感謝だよ。こんな素敵な場所を……僕なんかのために。」
セリーナは頬を緩め、少し照れたように笑った。
「コビーさんの料理はほんとに美味しいんです。だから私もみんなに食べてもらいたい。みんなに笑顔になってもらいたいと思ったから。」
「ふふっ。プリシアと同じこと言うんだね。」
「プリシアさんと?」
「うん。『コビーの料理は美味しいから料理屋やりなよ』って。嬉しかった。そう言われて。王女さんが願いを叶えてくれた。だから僕はナビルの人達を料理で笑顔にしてみせるよ。」
セリーナは優しく微笑みながら頷く。
「はい。」
二人の笑顔に、一月の冷たい風が、カーテンをやさしく揺らした。
「今日はね……特別フルコース出すから楽しみにしててね。」
「はい。」
その時、奥から低い声が響いた。
「セリーナ。久しぶりだな。」
驚いて振り向くと、扉の向こうに懐かしい大柄な男の姿。 その肩には、長旅の埃がうっすらと残っていた。
「ガットさん! どうしてここに?」
「あー、あれだ。コビーに呼ばれてよ。」
「そうだったんですか……ふふふ。」
「ん? なんだ?」
「なんでもありません。」
セリーナは口元を緩めて、いたずらっぽく微笑んだ。
その笑顔につられて、ガットも「ふっ」と息を漏らすように笑った。
「こちらが本日のメニューになります。」
コビーが手渡した木製のメニューには、丁寧な筆致で料理名が並んでいた。
「温野菜……子羊のソテー……」
「料理名は《海辺のフルコース》。 あの夜みたいに、ひと皿に全部のせた“ワンプレート仕立て”だよ。」
「……あの時の。」
「小屋で食ったやつか?」
「ふふ。そう。でもあの時より味は格段に上がってるからね。」
「なつかしい……」
静かな空気に、あの日の焚き火の音がよみがえる。
「あ、それと王女さんにこれ。」
「?」
渡されたナプキンを広げると、丁寧に磨かれたフォークとナイフが包まれていた。 手にした瞬間、金属の冷たさが、懐かしい夜の記憶を呼び起こす。
「あ……これは……」
「ガットから王女さんへのプレゼントだからね。取っておいたんだ。」
「だから、プレゼントじゃねぇ!」
「怒ることないじゃん……」
セリーナがガットをちらりと見やる。 その口元が、わずかにニヤッと上がったのが見えた。
「ふふっ。ガットさんは図星だと怒るんですよね?」
「お前も!」
「ははっ。そうそう。よく覚えてたね。」
「あー、もう勝手にしてくれ……」
コビーは肩をすくめながら笑い、軽く一礼した。
「では……しばしお待ちを。」
しばらくして、香ばしい匂いが部屋を包む。 大ぶりの皿に、温野菜、焼きたてのパン、子羊のソテー──あの夜の品々がひと皿に並んで運ばれてきた。 「お待たせしました。本日はワンプレート仕立てです。温野菜は手前、子羊は中央。お好みでどうぞ。」
「おう。俺はこれだけでいい。」
ガットはフォークで肉を刺し、豪快にかぶりつく。
「いつものガットだ。」
「ん? ああ……いつもの俺だ。」
「ちゃんと野菜も食べないとダメだよ?」
「……へいへい。」
セリーナも微笑み、フォークでひと口──がぶり。
「王女さん……」
「美味しいです。」
「な?」
「……美味しく食べてくれたら、それでいいや!」
「あ! 忘れてた!」
コビーが慌てて調理場に戻り、
「これこれ……」
持ってきたのは、小瓶に詰められたスパイス。
「王女さんの好きな、“馬もびっくり”スパイス。」
コビーが笑いながらセリーナの前に置く。
「いや……いらんだろ……」
ガットがぼそり。
「私、いります。」
「このスパイス、くせになるんですよ?」
セリーナはまたニヤッと笑い、ガットを見る。
「俺はいらん……」
コビーが小声で笑う。
「実はガット……辛いのが苦手なんだ……」
「そうなんですか? 意外……」
「俺の話はいいだろ!」
「図星……。」
「図星ですね……。」
二人の言葉が重なった。
「お前ら……」
はははっ……
ふふふっ……
あの時と同じ光景。 同じ笑い声。 ただ一つ違うのは――
セリーナが、終始、笑顔だったこと。
(お母様……できました。わたしにも。)
――王妃――
(セリーナ……あなたはとても優しい子。 困っている人がいたら寄り添って……そして、 一緒に泣いて……一緒に笑ってあげなさい……)




