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犬と罠

作者: 泉田清

 道路向かいの住宅は永らく「廃墟」だった。ブロック塀と、コンクリートの基礎のみで、藪には狐狸が住み着いていた。

 夜ゴミを出しに行く時。「廃墟」の上の大きな月を眺めていると、ワオーーン!犬の遠吠えがしたものだ。


 「廃墟」で新築工事が行われるようになったのは先月からだ。あっという間に家が建つだろう。「我が家」の未来を見るようで不安を感じた。「我が家」は独りで住むには広すぎる。元は一家族が住んでいたのだ。永い月日が経ち今では私独りで住んでいる。毎日朝早く出、残業続きの毎日、近所づきあいなどあるはずも無い。無いに越したことはない。生来の性分ともいえる。

 それでも田圃の真ん中の、住人の半数が農家の小さな集落。中高年の独り者の世話を焼こうとするものがいなくもない。隣の家のオバサン(私より一回り下の!女性)が訪ねてくる。「獲れすぎちゃって、野菜いりませんか」、「アハッ、今日も暑いですね!」、「ちょっとお願いしたいんですけど、アハハッ」。日曜の午前に何かしら声をかけてくる。甲高い声で笑う女性なのだった。


 オバサンの家に回覧板を届けに行く。それは決まって平日の昼。オバサンはパートタイマー、ほとんどが留守だ。庭先に車はない。よし。灰色の番犬がイヌ小屋から出てきた。大丈夫、コイツは留守なら吠えることはない。案の定こちらの顔をジロジロ眺めるばかり。イヌもできるだけサボりたいのだ。飼い主もいないのに仕事をする必要はない。

 インターフォンを押す。反応はない。よし。回覧板をポストに突っ込んだ。母屋の隣の納屋をのぞき込む。奥には今日も洗濯ものが干されていた。その中に、ブラジャーとパンティもある。オバサンと夫と二人の息子、それがこの家の家族構成。ブラジャーとパンティはオバサンの物に間違いない。白のレース付きの、優雅な下着。それは輝いているように見えた。私はオバサンが好きだ。話しかけてくれる、笑いかけてくれる、独り者にはそれだけで充分なのだ。

 オバサンには家族がある。私には何もない。ならば、オバサンのパンティぐらい手に入ってもいいのではないか?


 若い頃。この集落で下着ドロがあった。犯人は道路向かいの「廃墟」になる前の住宅に住んでいた、独り者の中年男性である。彼の家の隣に住む、専業主婦のブラジャーを盗んだのだ。「バカなヤツ、盗んで何をするつもりなのか」当時の私は嘲笑ったものだ。しかし今なら理解できる。彼は人肌が恋しかったのだ。下着は人肌と同義である。下着ドロの犯人は、精神的な飢餓状態に陥っている、飢えを満たすために下着を盗んでしまう。

 犯人はそのあと職を失い、家を手放した。彼がどこに行ったか知る者はいない。何年かのち道路向かいの住宅は「廃墟」になった。彼は見事にかかったわけだ。目の前にぶら下がったブラジャーという罠に。

 ・・・しばらく犬と見つめあった後、家に帰った。そんなものにかかってたまるか。


 火曜の午後。駅近くのファミリーレストランに行った。年休消化のための無理矢理とらされた休みに。

 客はほとんどいない。端の席でドリンクバーを飲んで涼んでいると「アハハッ、アハアハ」聞き覚えのある笑い声がした。明らかに、隣の家のオバサンである。パートは休みらしい。衝立で仕切られた隣の隣の席で、5、6人とお喋りに興じている。「アハッ、だから気色悪いの!」、「隣のジジイ、アハアハ」、「あれは犯罪者の顔だわ」、「アッハッハッハ!」。ドクン。明らかに私の事を言っている。ドクン、ドクン!「そうか」と思い、会計を済ませ、誰にも悟られぬよう店を出た。

 「そうか!」オバサンへの思いが敵意になる。ならば犯罪者になってやろう。今こそ彼女の下着を手に入れる時だ。オバサンはあと一時間はここから動かない。善は急げ。隣の家に向かって車を走らせた。ゴロゴロ・・・、遠くの山から真っ黒い雲が立ち込めてきた。


 家に着いた頃には小雨が降ってきた。なんという好機!この空で、小さな集落で、外をぶらつく者などいるはずもない。雨が強くなってきた。隣の家に侵入する、灰色の番犬が出てきた。私を睨みつける。この空の下にいるのは我々だけである。ゴロゴロゴロ!雷鳴が空をつんざく。番犬が驚いて犬小屋に引っ込んだ。今だ!私は納屋に突入していった。

 奥にはやはり、洗濯物が干してあり、その中にブラジャーとパンティはあった。しかしもう輝いてはいない。それどころか汚らしくみえた。いつもの、白のレース付きの優雅な下着に間違いないはないのに。ならば「汚らしく」みえるのは、私の方に変化が生じたからだ。ラーメン屋に行くべきだった、ファミリーレストランに行くべきではなかったのだ。

 もう下着ドロをする必要は無くなった。外は土砂降り。土砂降りのなか歩いて帰った。この空の下にいるのは私だけ。びしょ濡れになる、何もかも洗い流されていく。帰宅してシャワーを浴びた。体温より少し熱め。すごく気持ちよかった。


 道路向かいの新築の家が完成した。間もなく、オクサン(私より二回り下の!!女性)が挨拶に来た。「これからお世話になります、ウフフ」、「犬を飼ってるんですがウフ」、「うるさかったらすみませんウフウフ」。

 上品な笑い方が素敵だった。彼女の後姿を見送る。彼女の下着姿を想像する。きっと白のレース付きで、光り輝いて・・・。まったく何という事か!この世界には実に多くの罠がかけられている。何だか元気が出てきた。年甲斐もなく。


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