第9話:侵略されていく道場
その夜、道場の本館と倉庫の間、稽古場の影になる細い通路。
普段は誰も通らない、風の抜け道。
カイザはそこで、男たち五人を前に立たせていた。
男たちは無言で並んでいた。
立ってはいるが、目は泳ぎ、全員が無意識に呼吸を浅くしている。
その中の一人リュウが声を出す。
「あの・・・カイザさん。俺達に何か用でしょうか?」
カイザが一歩、踏み出す。
「男はじっくり堕とす必要のないのでね。痛めつけて心を折ります。これは、私に従うための儀式ですよ」
その声に、誰もが頭に疑問符を浮かべる。
今、何といったのか。
だが次の瞬間――
彼の圧倒的な暴力により男たちは徹底的に痛めつけられた。
目立たないように、傷をつけないように。
痛みだけ感じるように男たちは殴打を受けた。
五人は何が起こったかもわからず地面に崩れていた。
ただ全身から鋭い痛みだけを感じていた。
悲鳴は上がらなかった。
声を発する前に、呼吸そのものが封じられた。
「楽になる方法は、ひとつだけだ」
カイザの声が、冷たくも穏やかに響いた。
「私に従うよう誓え。声に出さなくとも心でそう思うだけでいい、そうすれば君たちはこの痛みから解放される」
呼吸もできない男たちは彼の言葉に従ってしまった。
次の瞬間、男たちの目から、すべての感情が抜け落ちた。
共感支配。カイザの異能であるこの異能は彼に心から従ってしまうと、その瞬間に彼のいいなりとなってしまう。普段からこの方法を使えば楽なのだが、カイザは面白くないという理由で、どうでもいい相手にしか暴力で異能を使ったりはしない。
カイザは口元にわずかな笑みを浮かべた。
「よろしい。儀式は完了しました。あなたたちはもう私の兵隊となった。もう痛みも感じないでしょう。帰っていいですよ」
男たちは何事もなかったかの様にその場を離れて行った。
──その様子を、女門下生のユエが見ていた。
裏の木戸から水桶を取りに来ていた彼女は、偶然その場面を目撃してしまった。
(え……なに……?)
影に隠れて息を潜める。
男たちは全員、カイザの前で膝をついていた。
(これ……普通じゃない……逃げて師範に伝えないと)
理解はできない。だけど、本能が震えていた。
そしてカイザがふと、こちらを向いた。
「……出ておいで」
その声は、何の感情もなかった。
怒りでもなければ、警告でもない。
ただ事実を告げるような口調。
物陰に身を潜めていた女門下生は、背筋が凍りついた。
(気づかれてた……?)
そっと顔を上げるとカイザと目が合った。
「君は、確かユエだったね。見てしまったね」
彼は、近づいてきた。
ゆっくりと、威圧のない足取りで。
「ユウ以外の道場の男たちは片付けたところだ。」
彼の唇がわずかに弧を描き、言葉は誘うように柔らかく響いた。
「次は……女門下生の番だ。君は、ちょうどいいタイミングだ。」
声が近づくたび、呼吸が浅くなった。
彼の声は熱を持っていないのに、どこか皮膚にじんわりと染み込んでくるような感覚を伴っていた。
彼女の前に立ったカイザは、そっと手を伸ばし肩へ触れる。
その瞬間、まるで温かい湯に浸かったような感覚が、彼女の身体に広がった。
(……なに、これ)
苦しくない。
痛くない。
でも――逃げられない。
カイザは薄く笑い、囁いた。
「いい人の仮面は疲れるよ。君で、存分に発散させてもらう。」
彼の手がユエの腰に回り、軽々と抱き上げた瞬間、彼女の心は恐怖と諦めの淵に立った。身体は彼の腕の中で震え、理性の欠片が必死に抵抗を叫ぶ。
(だめ、だめ、だめ……!)
なのに、身体は彼の動きに逆らえず、まるで彼に操られる人形のようだった。先ほど目にしたカイザの異能――その光景が、彼女の心に深く突き刺さり、魂を侵食していた。彼女の内なる叫びは、虚しく響くだけだった。