第4話:異能の疑惑
翌朝。
いつもより遅れて届いた商隊の荷車が、道場前の広場で止まった。
荷を降ろしていた老人商人は、門下生たちの様子を見て、不自然に声を潜める。
「……ちょっと、あんたたちに伝えておきたいことがある」
ユウとアイリが顔を見合わせる。
老人の声は震えていた。
「三つの街で“戦える奴ら”がごっそり消えたんだ。全部、中央の異能者に連れてかれたって噂だ」
「連れて……いかれた?」
アイリが言葉を繰り返す。
「そう。強い者、異能持ち、武術の心得がある者……選ばれた奴らがそのまま馬車で連行されて、それっきり戻ってこない。家族にも理由は告げられねぇ」
「それって、どういう……」
「中央は召集って言ってるが、あれはただの人狩りだよ。誰も逆らえない」
沈黙が場を支配した。
「……ここも、いつ狙われるか分からねぇぞ。師範に伝えときな」
そう言って、商人は静かに荷車を引いて去っていった。
道場に戻ったユウたちは、緊張のなかで顔を見合わせた。
「……本当にあるんだな、“中央の招集”って」
道場に、重たい沈黙が漂っていた。
誰もが、さっきの話の続きを飲み込めずにいた。
「なあ……」
ぽつりと、ユウが声を出す。
「……ブラーナにも、イスラにも……あの辺の道場って、そんなに弱くなかったはずだよな?」
「そうだよ。ブラーナの“金剛道場”なんか、王都に次ぐって言われてたし」
「じゃあ、何で? いくら中央の異能者が強くてもそんなあっさりと負けるか?聞いた感じではそんなに抵抗した感じもない」
誰かが答えようとして、口を閉じた。
確かに――それが、一番の疑問だった。
「そもそも、“選ばれた者は黙って連れていかれた”って……おかしくない?」
「なにか、おかしい。全体が、静かすぎるんだよ」
門下生たちの目が次第に険しくなっていく。
違和感。恐怖。不可解。
それらが混じり合って、誰もがひそかに“何かを感じて”いた。
「……もしかして、“戦えなくされた”のかも」
アイリが低く呟いた。
「戦おうとしたけど、**何かの力で、抗うこともできなかったとか。**異能で心を封じられるとか……」
「心を……?」
ユウの背に、ぞわっとした悪寒が走る。
それは、あまりに現実離れしていて、でも――
中央の異能者という存在を考えたとき、絶対に“ない”とは言い切れないものだった。
そのとき、ふいにアイリが言った。
「……“戦う前に負けていた”って、ことかもしれない」
「え?」
「拳とか技じゃなくて……もっと、根っこの部分で。“立ち向かう意志”ごと、奪われていたのかも」
その言葉が落ちたとき、誰も反論できなかった。
ユウは拳を握った。
自分だったら、立ち向かえるのか?
そのとき、アイリが連れていかれるとしたら――戦えるのか?
答えが出ないまま、彼はただ、黙って立っていた。
そしてその夜。
道場の門の外に、黒い外套の男が立っていた。
旅の者を装い、静かに門を叩く。
「お忙しいところ、失礼します。私、近くの街の者でして……中央からの招集から逃げ出し、流れ流れて、こちらまで参った者です」
礼儀正しい低い声。
その男の名は、まだ誰も知らない。
だがその男こそ――
街々を“静かに壊してきた”者、カイザだった。
玄関に出てきたキサラは、目を細めた。
その視線は、決して“客”を見る目ではない。
だが、男――カイザは微笑を絶やさなかった。
「身の潔白を証明できるものは何もありません。ただ……どうか、今夜一晩だけでも、屋根のある場所を貸していただけませんか」
「名前は?」
「カイザ、と申します」
「……丁寧な対応ですね。物腰も落ちついているし、かなりの実力者とみました。力のある者ほど、むやみに語らぬものです」
キサラは数秒の沈黙ののち、軽くうなずいた。
「ならば、一晩だけです。礼を欠かさぬこと。騒ぎを起こせば即座に追いだしますので忘れぬよう」
「感謝いたします。私のような流れ者に、あたたかい言葉を……」
カイザは深々と頭を下げた。
完璧なまでに疲れた旅人を演じながら、視線の端で道場内の空気を探っていた。
木床の踏み鳴らす音、門下生たちの呼吸のリズム。
そして――視線。
「……」
その視線の主に、カイザは気づいていた。
遠巻きにこちらを見つめていたのは、一人の少女。
まだ未熟だが、芯の強さと“歪ませる価値のある精神”を持っている。そう確信した。
(おそらく、あれが“娘”だな。この女の……)
アイリもまた、カイザを見ていた。
旅人のはずなのに、その所作はどこか洗練されすぎていて違和感を覚えた。
けれど、何より気になったのは――
(この人……何か安心する。何でだろう?)
鋭さでも、異物感でもない。
むしろ信頼感すらあるように思えた。
それが、“異能による印象操作”の初期効果であることに、アイリは気づいていない。
カイザはその事にすぐ気づいた。
この娘は、想像以上に“素直な素材”でできている。
(――これは、思ったより早く仕掛けられるかもしれないな)
その夜、彼は一室を与えられた。
ユウは気に食わなさそうに様子を伺い、アイリは興味がありそうな視線をこちらに向けていた。
キサラは警戒をまだ解いていないが、すでに門下生の何人かは「親切にするべきだ」と言い始めていた。
ゆっくり、静かに、
“内からの侵食”が始まった。