第3話:命令と快楽
「またか。めんどくさいですね、ほんと……」
椅子にふんぞり返りながら、カイザは紙の命令書をヒラヒラと宙に放った。
“異能強化用の人材確保及び、周辺武装組織の再編”――
中央からの命令。それだけなら、彼にとってはただの雑務でしかない。
だが、地図の上に記された村と街の名前を見て、彼はうすら笑いを浮かべた。
「まあ、悪くないか。どうせなら……楽しませてもらおう」
カイザの異能――《共感支配》
それは、感情の揺らぎを読み取り、尊敬・畏怖・好意といった“感情の種”をじわじわと依存に変えていく、静かな侵食の力。
使い方次第では、信頼も忠誠も、恋も……奪える。
この能力は人材を集めるには正にうってつけであった。
そしてカイザには、“趣味”があった。
**「恋人のいる女を、本人の意志で堕とす」**こと。
それが、どんな戦果よりも、彼にとっては悦楽だった。
「想ってる相手がいる女は、ちょうどいいんだよな……。心の奥にある“揺らぎ”を利用するだけで、勝手に落ちてくれる」
「……あの瞬間の目、たまんねぇんだよ」
彼はすでに、三つの街で女たちを奪っていた。
婚約者のいる女、恋人と暮らしていた女、片想いを続けていた少女――
すべて、異能の力で“自分のもの”にしてきた。
そして男たちは、呆然と、怒りと絶望を顔に貼り付けたまま、カイザの前に屈していった。
「さて、次は……この“剛気館”って道場か。へぇ、強さを追求する集団ね。おもしれぇ」
カイザは地図の一角を指でなぞり、にやりと笑った。
「努力がすべてとか言ってそうな奴らは……壊しがいがある」
宿場に戻ると部屋の中で一人の女が待っていた
「……おかえりなさい、カイザ様」
黒い外套を脱ぐカイザに、しなだれかかるように一人の女が寄り添った。
街の防衛隊に所属していた女――その目に、もう“理性”の光はない。
焦点の合わない瞳、甘えた声、主人と信じきったような仕草。
その肩を軽く抱き、カイザはくすりと笑う。
「なぁ、リナ。お前、かつて誰のことが好きだったっけ?」
「……ライト。幼なじみで、婚約者で……でも、もう関係ありません」
「そう。お前はもう俺の言うことだけを聞くんだよな?」
リナは静かに頷き、カイザの手に自らの指を絡めてくる。
そのまま彼は奥の部屋へと向かう。
そこには、複数の男たちが鎖で拘束され、沈黙のまま椅子に座らされていた。
目には虚無の光、一部は泡を吹き、動かなくなっている者すらいる。
「“使えそう”だと思った奴を、こうやって集めてさ。中央が開発した異能活性薬を飲ませる。」
「ほとんどは壊れる。でもたまに面白いのができるんだよ。俺のようにな」
カイザは金属製の器具に指を滑らせながら、興奮を抑えきれずに笑う。
「俺は選ばれた者なんだよ。ただの実験体の一人にすぎなかった俺が今では支配する側の人間だ」
彼の足元には、すでに人格を喪失した男たちが何人もいた。
カイザにより“愛する者を奪われた”過去がある者達だ。
恋人、家族、親友――カイザの手によってすべてを奪われ、その絶望によって彼のいいなりとなってしまった哀れな人形たち。
カイザはリナの顎を指先で持ち上げ、ゆっくりと目を覗き込んだ。
「リナ。お前も選ばれた者だ。能力に覚醒して生き残った」
リュナは頷く。
「……なあ、次はさ。“想いを伝えてない関係”を壊してみたいんだよね。たとえば、長年隣にいて、でもまだ想いが交わってない――そんな、脆いやつ」
「情報は集めております。次の“剛気館”に条件に合う者が……」
「アイリ、だったっけ? 良い名前じゃないか」
カイザの口元が、愉悦に染まる。
「その道場に行くのが楽しみになってきたな。アイリが異能に目覚めなくとも個人的には楽しめそうだ」
部屋の灯がゆらめき、男の哄笑が闇に溶けていった。
――そして、カイザは“次の舞台”へと向かう。
まだ何も知らない、温かな日常のなかへ。