第2話:静かな夜
夜の帳が降り、道場の外には虫の声だけが響いていた。
剛気館の道場内は、静まり返っていたが、かすかに揺れる灯籠の明かりが天井をゆらゆらと照らしていた。
ユウはひとりで巻き藁に向き合い、黙々と突きを繰り返していた。
“甘い”と指摘された重心の修正を、何度も何度も反復する。
気づけば、汗が道着の背に染みていた。
「……真面目だね、ユウは」
背後から聞き慣れた声が届いた。
振り向くと、アイリが道場の入口にもたれかかるように立っていた。
風呂上がりのようで、髪はまだ少し湿っている。
その姿に、ユウの動きが一瞬止まる。
「……勝ちたいからな」
「ふふっ。そういうの、嫌いじゃないよ」
アイリはすっと中に入り、隣の巻き藁の前に立った。
何も言わず、型を取り、突きを打つ。ユウと同じリズムで。
「ねえ、ユウ。さっきの稽古、本当は悔しかった?」
「当たり前だろ。俺、ずっとお前に勝ててないし」
「……そっか。でもさ、私はユウが一番いい相棒だって思ってるよ」
「……は?」
思わずユウが言葉を失うと、アイリは肩をすくめて笑った。
「変な意味じゃなくてさ。息が合うし、技の相性もいい。私、ユウと組手するの、いちばん楽しいんだ」
「……そりゃ……ありがたいけど」
その笑顔が、眩しかった。
近いのに、届かない。
触れようとしたら、壊れてしまいそうなほど、脆くて柔らかい。
「アイリは……どうしてそんなに強くなりたいんだ?」
ユウは問いかけた。
ずっと気になっていたことを、灯りの下でようやく聞く勇気が出た。
アイリは少しだけ黙って、拳をそっと見つめた。
そして――
「私の父さん、戦争で死んだんだ。異能者に。……母様も、詳しくは話さないけど」
「……!」
「私ね、思ったんだ。強さって、誰かを守るためにあるんじゃないかって。だから……もう誰も、失いたくないの」
静かに語るその言葉に、ユウは何も言えなかった。
自分はどうだ? 何のために強くなろうとしている?
答えは一つ。
――彼女の隣にいたい。ただ、それだけだった。
「ユウは?」
「……俺は、ただ……」
好きだから、だなんて言えなかった。
でも、それ以外の言葉も見つからなかった。
「……お前が笑ってる方が、なんか落ち着くからさ。だから……そのために強くなりたい」
一拍の沈黙のあと、アイリは笑った。
「ふふ、なんだそれ。ずるいな」
「ずるくねぇよ」
「うん、でも……ありがと」
二人の間に、風が通った。
柔らかく、あたたかく、でも少し切ない夜風だった。
この夜はまだ、静かだった。
彼女の心が誰かに奪われることなど、ユウはまだ考えてもいない――