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1章7話 その親切買わせてください。いくらですか?


「うっ……うまい」


 僕は今、食というものの素晴らしさを全身全霊で感じていた。

 湯気が立ち上る器を両手で包み込むと、ほのかな温もりが指先から伝わってくる。すするたびに鼻腔をくすぐる和風の優しい出汁の香りと、喉越しの良い麺の食感が共に喉を通り抜ける感覚。

 ふわりと広がるかつお節と昆布の風味が舌の上で踊って、出汁がじんわりと体の芯まで染み渡っていくのを感じる。


 あぁ、人の身に五感というものを与えてくれた神よ、感謝します。

 そして女神様、もといのぞみ様。貴女にも最上級の感謝を。後で課金しなきゃ……あれ? 隣人に課金ってどうやればいいんでしょうか。


「……あの、喜んでくれるのも、ものすごく美味しそうに食べてくれるのも嬉しいんですけれど、空腹にそんなに一気に詰め込んだらお腹壊しますよ?」


 心のなかで物凄いテンションを上げながら、しかし黙々と食べ進んでいる僕に、くすりと微笑んでのぞみさんが言った。倒れているところをまたしても助けてもらった上にご飯まで、彼女には今日一日でどれだけの借りを作ったことだろうか。


「あはは……おんばにもあんまりせわしなく食べるんじゃないってよく怒られてました」


「……おんば?」


 そして、ぽろっと出た言葉に、のぞみさんが首を傾げた。それに僕は補足するように言う。


「ですです。僕の、えっと、育ての親みたいなものです」


「なるほど、風間さんを、育てた……?」


 のぞみさんが僕を見て、部屋を見て、また僕を見た。

 おっと? 何だかのぞみさんの中でおんばの株が急速に下がった気がするよ?


 ごめんよおんば。そう心の中で謝りながら、のぞみさんがよそってくれたにゅう麺をすすり終わって、出汁までごくごくと飲んでしまう。にゅう麺なんてすごく久しぶりに食べたけれど、本当に美味しかった。

 おんばも風邪を引いた時などによく作ってくれたものだったが、味付けは違うはずなのに、のぞみさんが作ってくれた料理からは、どこか懐かしい優しさの味がする。


「あはは……こうして温かいごはんを食べると、思い出してしまうというか。おんばには子供の頃から、ちゃんとご飯を食べなさいとか、朝は起きなさいとか、凄くたくさん怒られてばかりいたんですけど」


 僕が食べ終わって、ひと心地つくと同時に、そう言葉にすると。


「…………なるほど」


 そうのぞみさんは何かを納得したように呟いた。


 あれ、おかしいな。同じなるほど(・・・・)なのに、今度はおんばの評価が上がって僕の評価が下がった気配を感じる。

 日本語は難しくも表現力豊かなのであった。


「……でも本当にありがとうございます。のぞみさんのおかげで今日一日を生き延びられてます。まさかひとり暮らしがこんなに大変なものだったなんて」


 そうぺこりと頭を下げながらも、僕の目は今度はのぞみさんの持っているタッパーに釘付けになっていた。

 今食べたにゅう麺の和風の優しい出汁の香りとはまた別の、とても食欲をそそる匂いがそこから発せられている気がする。具体的に言うと肉の匂いだ。


「うーん、これでひとり暮らしを語るのはちょっとレアケースすぎるかもしれないですけれど…………そして、ちょっと空きっ腹には良くないよなと思いながら持ってきたんですけれど、もしかして、今すぐ食べたいですか」


「……はい、すごく」


 そんな優しい言葉に、僕は、こくこくと首を動かした。

 そして、流石に催促まではわがままがすぎるなとも頭のどこかのおんばに怒られた気がして、慌てて付け足した。


「あ、ごめんなさい。食べさせてもらって更にわがままを……」


「ふふ。いえ、凄く美味しくご飯を食べてもらえるの、何だか嬉しかったので……それに、正直親切の押し売りみたいなものですし」


「とんでもないです。買います、その親切買わせてください。いくらですか?」


 助けてくれているのに、何故か少しだけ申し訳無さそうなのぞみさんに、僕は首を傾げて答えた。僕はものすごく真面目に言ったつもりなのだが、のぞみさんは僕のその返答に一瞬ぽかんとしたあと、微笑むようにではなく、あはは、と笑う。


 笑顔はとても素敵だったけれど、なんで笑われたのかがわからなくて、僕は更に首を傾げてしまった。このままだと首が直角になってしまう。


「じゃあ、少しだけ温めますね……レンジだけは、あぁコンセントはまだなんですか、やってしまいますね……お湯を沸かすものとかも、よければついでに出しちゃいますけれど?」


「……あ、でも流石にそんなことまでは」


 その後の、のぞみさんのあまりにも親切を通り過ぎた言葉に、僕の中の普段は隠れている遠慮を覚えた僕が顔を出した。

 だけど、そんな僕を見つめながらのぞみさんは神妙な顔で言う。


「風間さん、正直私も、お隣さんっていうだけでやり過ぎだなって思ってるんです」


「はい」


「ただ、1回助けて、2回助けて。隣に住んでいる人だとわかって3回目。ここで放置するのは私の矜持的に無理です。それに、風間さん、レンジとか出せないですよね?」


「……は、はい」


「じゃあ今はもう諦めて、助けられてください」


「……その、ありがとうございます」


 どこか圧すら感じる笑顔にお礼を言うことしかできなかった僕に、満足気に頷いて、のぞみさんは立ち上がって段ボールの方へと向かう。僕はその背中を見つめながら心に深く誓うのだった。


 課金しよう。


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