4章10話 泣きそうな笑顔よりも、笑ったような泣き顔を
静かな部屋で、僕はのぞみさんと向き合っていた。
好きだと伝えて、ごめんねと、応えられないと言われた意味くらいはわかっているけれど、それ以上にどうしても聞きたいことが浮かんで、それを問うための言葉を探す。
のぞみさんもまた、僕の言葉を待っていて、不思議な静寂があった。
「……どうしてそんなに、辛そうに笑うんですか?」
僕は問いを口にする。
こんなにも泣き出してしまいそうな笑顔を見たのは、初めてだったから。
「え……?」
のぞみさんが、僕の質問に驚いた顔になって、僕の目と、のぞみさんの目が合った。
その瞳は、僕の勘違いじゃなく潤んでいて。
(こんなに泣きそうな顔にして、無理をさせた)
その事実が、僕を締め付ける。
そんなつもりじゃなかった。
僕はただ、のぞみさんと会えて、一緒にご飯を食べたり、話をしたり、そんな日々が幸せで、そんな素敵な日々を沢山もらってばかりで。返そうと思っても受け取ってもらえなくて。
もうこれ以上示せるものなんて無いから、せめて僕の心の、この凄く嬉しい部分だけでも渡そうと思ったのだ。
だから正直、大好きだという気持ちに応えてもらおうなんて、考えていなくて。
でも、それはきっと、普通はきちんと考えていないといけないことだった。
「のぞみさん……一つだけ聞いてもいいですか?」
もしかしたら、本当なら、ここでサラッと去るのがスマートというものなのかもしれない。
「直人、くん」
のぞみさんの瞳はずっと、揺れていた。
ただ、僕の心はそんなに簡単に振り払えなくて、言葉に頼る。
「あ、でも、迷惑をかけたいわけじゃなくて……だから――」
「違うの……そんなことない、私が、私がいけないの。迷惑じゃない、直人くんは、悪くないから」
僕が言い終わる前に、のぞみさんは迷惑という言葉に反応して、泣きそうな顔で首を振って言った。
「あのね……凄く嬉しかった。断るための言葉とかじゃなくて、嬉しいのは本当。応えられないのに何を言ってるんだって思われるかもしれないけど、嬉しいんだよ?」
のぞみさんがそう言って俯く。
僕は、のぞみさんが何を思って、そんな顔をしているのかがまだ、わからない。でも。
「……じゃあ、僕はまだ、のぞみさんが好きなままでも、良いですか?」
「え……?」
今度こそ、のぞみさんが呆けた顔をした。
「僕は、のぞみさんに何かを貰おうと思って好きっていったんじゃなくて……ただ、何でも無いときののぞみさんも、笑ってるのぞみさんも、怒ってるのぞみさんも。作ってくれる温かいご飯も、かけてくれる言葉も、全部好きです。ほんとに、それだけなんです」
「…………でも、私はまだ直人くんに恋を返せないよ?」
のぞみさんが、恐る恐る僕に伺うように言った。
「いいんです、僕が勝手に好きなだけで……でも迷惑じゃないようにはしたいって思うの、変ですか?」
「そんなの、私に都合が良すぎるよ。駄目だよ……直人くんの気持ちは嬉しい。うん、もしかしたらいつの日か、直人くんのことを好きに、恋ができるかもしれない」
僕の返答に、のぞみさんは、まるで子供がいやいやをするようにしてそう言って、続ける。
「だけど……怖いんだ。ほんと、情けないよね……忘れなきゃって、前に進まなきゃって、頭ではわかってるの。このまま直人くんと恋人になってさ、楽しく過ごして、あんな……うん、あんなやつに囚われてたくないって、思うし、そうだなって思うの」
「…………」
「でも、そうできない。あのね、そんな、いつになるかも私自身わからないような我儘みたいな感情に、直人くんを付き合わせられないよ」
のぞみさんが吐き出すように言った。
そこに、僕は、のぞみさんの本音を見つけた気がして――。
「良かったぁ」
そう呟いた。
「直人、くん?」
僕が心からホッとしている様子に、のぞみさんはとても不思議そうな顔をした。
笑っている顔も好きだけれど、この「何を言ってるの?」っていう、元々大きな目が零れ落ちそうになるのぞみさんの表情も、僕は好きだ。
「迷惑じゃなくて、のぞみさんが、都合が良すぎるっていうのが、本当なら。やっぱり僕は、僕の意思で、のぞみさんが大好きなままでいいですよね」
「でも、恋人になれないよ? 何も返せないよ?」
「いいんです」
「一年経っても、うだうだ引きずってるんだよ?」
「これまでみたいにしてていいなら、何年だっていけます。多分僕、ずっと好きです」
僕が、思ったことを、そのまま伝えたら、のぞみさんは「もう」と言って、笑ったように泣いた。
泣かせたいわけじゃない。でも、泣いたように笑うよりもきっと、こっちの方が良いと僕はそう、思った。
◇◆
鳥の鳴き声で、私はふと目を覚ました。
靄のかかったような意識の中で、私は自分の体と対話を始める。沢山泣いた後の頭の重さと、喉の乾きはあるけれど、熱っぽさと頭痛は無くなっていた。
飲み物を取ろうと思って身体を起こそうとして、右手が掴まれているのに気がつく。直人くんがベッドの隣にいて、端にもたれかかるようにして眠っていた。
昨晩の出来事が一気に私の頭の中に入ってきて、私は改めて直人くんの寝顔を見る。
あの後、私は涙が止まらなくなってしまって、そんな私の手を直人くんがそっと握ってくれて。
私はまるで子供のように、泣きつかれたまま寝てしまったのだった。
贅沢だな、と私は思った。
現実味のない他人事のようで、でも、右手から伝わる温もりが、私に確かな現実を感じさせてくれる。
大人の男女が部屋に二人きりで、ただ手を握って安心させてくれて。でも、何もしないで、一緒にいてくれる人なんて、世の中にどれだけいることだろうか。
意識し始めた、握られた手から感じる絆創膏の感触が、昨日のおかゆの温かさを、脳裏に思い起こさせて。
不意に、次に恋をするなら、この人がいいなと思った。
あぁ、なんて自分勝手で、わがままな言葉。
でも私は、それを許してくれるという彼に甘えることにして。
今は少しだけ、このままでもう少し眠ろうと、目を閉じた。
規則正しい寝息と共に眠気に身を委ねると、とてもいい夢が見れる気がした。
4章 指の痛みに温もりを
お読み頂きありがとうございました。
次の5章で完結となる予定ですが、あと少し、二人にお付き合いいただけると幸いです。




