4章9話 嬉しさと躊躇いの間で
望んでしまったら、また裏切られるかもしれない。
そんなことを思ってしまっている時点で、きっと私の中の心は揺れていて。
人を好きになったら、また傷つくかもしれない。
そんなことを考えてしまっている時点で、まだ恋はできないのだろう。
◇◆
真っ直ぐな直人くんの目が私を見て、その口から出た言葉が私を撃ち抜いていった。
私はそれに、きちんとしたものを返さないとと考えて。
「…………ありがとう」
結局、考えた時間に見合うのかわからない、お礼の言葉を口に出した。
一度目とは違う告白は、私を戸惑わせることはなくきちんと私に届いて、心を温かくしてくれている。
凄く見つめられて、私は自分が寝間着で、ベッドの上にいることを思い出した。
恥ずかしさと状況に少しだけ顔が熱くなる。きっと、赤くなっていることだろう。
ちゃんと、答えを、言わないと。
そう思うのに、うまく言葉が出てこなくて。
そんな私を更に見つめて、直人くんは何かを少し考えるようにして、ふと、何かを思いついたようにして言った。
「えっと、ちゃんと、恋です」
「え? ふふ……ははっ」
真面目な顔で、一体何を思いついたのかと思ったらそんな補足で、私は思わず吹き出してしまった。
(もう、まいったなぁ)
どう伝えたら良いか、考えていたのに。
全然考えていない方向から笑わされてしまった。
「その……変でしたか?」
「ううん、嬉しいよ」
直人くんの少しだけ不安そうな声に対して、するっと、当たり前のように「嬉しい」が口から出てくる。私は、その意味から少しだけ目をそらして、答えを口にする前にぽつりと言った。
「…………知っているかもしれないけれど、私ね、昔、婚約してたんだ」
「はい」
以前、私の事を聞いて怒ってくれた直人くんは、そんな事実を知っていると告げることもなく、はたまたわざと驚くこともなく、茶化すこともふざけることもなく、唐突な私の言葉にただ、そう頷いた。
「お父さんにも、お母さんにも紹介してさ。相手のご両親にも挨拶までして、本当だったら今頃は、このマンションには住んでいなかったかもしれないから、縁は不思議なものだよね」
「……僕にとっては、会えたのは嬉しいことですけど」
直人くんが、おずおずと言う。
今では私も、そう思っている。本当に、心から。
「……それが、色々あって駄目になっちゃって。元々得意な方じゃなかったけれど、男の人の事も苦手になって」
「…………」
「一年経っても、何だかずっと、自分が否定されている気がして。直人くんが倒れているのを見たのは、そんな時だったんだ」
私の顔を見ても、身体を見ても、一切のいやらしさを感じさせない不思議な人。
放っておいたら、また倒れてしまいそうだという言い訳を自分にしながら、気軽に独りから、二人と感じさせてくれる隣人。
男性とか、女性とか、友情とか、恋愛とか。
そんな発生してしまう関係から少し距離を置いた、でも距離の近い人。
(……居心地が良かった)
直人くんの前での私は、自分で評するのもなんだが、いい人だったと思う。
親切で、話をして、聞いて、ご飯を作ってくれる人だ。
(……私はきっと、ずるい)
高校生の頃だっただろうか。
人は、隙間があったら埋めたくなるものなのだと、何かで読んだ。
その時はよくわからなかったけれど、今となってはとても、よく分かる。
――だから私は、寂しいを埋めたくて。
――だから私は、悲しいを埋めたくて。
直人くんを助けるということに、世話を焼くということに、助けられていたのだ。
他愛なくて、何の変哲もない。
名前のあるイベントでもなければ、心に残る場面でもない。
そんな普通の、くだらないとすら言えてしまう時間が。
共に過ごした時間が、心に水をくれることもある。
でもそこに、恋愛という感情を入れるには、私の心の底はまだ抜けてしまっていて、私は――。
報告のような告白に戸惑いながら。
都合よく訪れた仕事の忙しさに紛れながら。
どこか、まだ、この中途半端な関係が続けられることに、ほっとしていたのだ。
直人くんが好きと言ってくれたことも。
私のことで、柄にもなく心から怒って見せてくれたことも。
大事に大事に、家に連れて帰ってきてくれたことも。
どうしようもなく嬉しくて、でも、もう逃げられないから。
「ごめんね……私は、直人くんの大好きに、応えられない」
私は目一杯の笑みを作って、直人くんに告げた。




