4章8話 僕には看病の才能がないけれど……
「ありがとう……凄く温かい……おいしい」
「……良かったぁ。リリースより緊張しました」
僕は、のぞみさんが告げてくれたその言葉を聞いてほっとする。
すると、のぞみさんはくすくすと柔らかく笑って言った。
「でも……まさか直人くんが看病してくれるとは思わなかった」
「いやぁ、実は……」
残念なことに、僕の手札には看病というカードは存在しない。家事もできないし、どうすればのぞみさんの助けになれるかもわからない。
そんな僕が、どうしてのぞみさんに笑ってもらえたかというと、当たり前のことだけど、頼れる人に頼ったからだった。
『みさきねぇさん、大変だ、僕に看病の才能がない、助けて』
『……直人、意味がわからないわ。とりあえず落ち着きなさい』
僕の突然のヘルプの電話にそう言って、理由を話すと店を開ける前の忙しさの中なのにアドバイスを沢山くれたみさきねぇさんには感謝しかない。
「ほんとは、一切料理をするな、全てレンジと説明書に従え、って言われてたんですけどね。おかゆと梅はわかったんですけど、野菜のところにネギが刻んだのがなくて……ネギそのまま買ってきました」
「……あぁ、少し別の場所だから。でも、ほんとに――――」
僕の言葉にのぞみさんはほう、っと息をついて、まっすぐに目を向けて言った。
「……たくさん、ありがとう」
「これまでの返しきれないくらいのありがとうがあるのは僕の方ですから」
「ふふ……なんだか、久しぶりな気がする」
熱のせいもあるのだろう。
どこか少し舌足らずな声で、のぞみさんはいつもより幼く見えた。
「…………僕も久しぶりな気がします」
何だかそれに少しどきりとして、僕は意味もなく同じセリフを繰り返すだけの男になる。
そんな僕を、少し不思議そうな表情でのぞみさんは見た。
潤んだ大きな瞳と、おかゆを口に入れた後の艷やかに見える唇。いつもより無防備な、めくれた布団から覗く寝間着姿。
真っ直ぐにその全部を視界にいれてしまった僕の鼓動は早鐘を打ち始めた。
一緒にご飯を食べていても、歩いていても、こんなことは無かったはずなのに、最近の僕の心臓は大忙しである。
「えっと……あ! 飲み物! 水分が大事だって言われて買ってきたのに出してなかったです。何が飲めそうですか?」
とても落ち着かなくなって、そう呟くようにして席を立って僕はのぞみさんに背を向けた。キッチンの買い物袋の中から、いくつかペットボトルを出して見せる。
「……じゃあ、そっちのスポーツドリンクを」
「はい、どうぞ」
僕がその要望に答えて手渡そうとすると、のぞみさんが少し逡巡するようにして、弱々しい声で言った。
「……ごめん、力入らなさそうだから、蓋、開けてもらってもいい?」
「あ、はい……どうぞ」
僕がそれに蓋を緩めて渡すと、のぞみさんは少し顔にかかる髪をかきあげるようにして、ペットボトルに口をつけた。
――ゴクリ。
一口飲んで、のぞみさんの喉が動く。何故か目が離せなかった。
どうしてこんなにも、のぞみさんの仕草の一つ一つが僕の心に響くのだろう。
「ふふ……買ってきておいてもらって、開けてもらっていてなんだけど、そう見られてると恥ずかしいかな?」
「わわ……ごめんなさい!」
僕は、そう照れくさそうに言ったのぞみさんにハッとして目をそらす。
「なんだか今日の直人くんは、変だね」
のぞみさんが不思議そうに告げた。
変な自覚がある僕は言葉を探すようにして。
「そういえば、プレゼン。やりきって、素敵でした!」
そう、最初に出てきたものを告げた。
「ふふ、ありがとう……まぁこんな風になっちゃったけど。お詫びと共有事項はメールしておかないとね」
すると、のぞみさんが、弱々しい声から、途端に仕事用の声になってしまって、僕は選んだ話題を悔やみながら慌てて言った。
「幸田さんがやってくれるっていってました。のぞみさんはちゃんと休まないと駄目です」
「あはは、会ったときと逆の立場だね、凄く昔に感じる。ふう…………あーぁ、もっとしっかりやり切れると思ったんだけどな」
のぞみさんが、どこか諦めたような顔で、吐息を漏らすようにして、そう呟く。
僕はその表情にいたたまれなくなって、口を開いた。
「そんなことないです! のぞみさんはちゃんと凄くて、素敵でした」
「……ありがとう。そう言ってくれると嬉しい、頑張らないとね」
のぞみさんが笑う。でもなんだか、さっきまでの笑顔と少し違う笑顔で、僕はそれに、なんだか切なくなった。
「ほんと無理しないで下さい。倒れそうになった時の僕、ほんとに心臓止まるかと思ったんですからね……今は凄く、ドキドキ動いてますけど」
僕が、お願いするようにそう告げると、のぞみさんは少し目を丸くする。
「どきどき? ……直人くんって、どきどきしたりするの?」
「そりゃしますよ! のぞみさんを見てたらずっとどきどきしてます」
「え? ……あ、私?」
のぞみさんが、僕の言葉に何かに気づいたように口ごもって、仕事用の雰囲気からまた、いつもののぞみさんに変わった気がした。
少し耳が赤くなっている気がする。
僕は、叫び出したいような、たまらなく息が詰まるような感覚に襲われて、それを吐き出すようにして、呟いた。
「……最近、全然話せてなかったんで、こうして話せるのが、嬉しいんですよ?」
「直人、くん」
のぞみさんが、僕を見ている。
もしかしたら今じゃないかもしれないのだけれど、伝えないといけないと、そう思った。僕はずっと考えていた事を頑張って言葉にする。
「あの時、浮かれた報告みたいになっちゃいましたけど……忙しくて会えないときとかも、色々考えたんです」
「…………」
何も変わっていないはずなのに、急に部屋の中が静かになった気がした。
そんなに大きな声を出していないはずなのに部屋の中に僕の声が反響して、さっきからうるさい心臓の音ものぞみさんに聞こえているんじゃないかとも、思った。
僕は、全身から溢れそうな何かを、そっと言葉に閉じ込めるようにして続ける。
「僕は、看病の才能もないけど。料理もうまく作れないし、いろんな人にズレてるって言われたりもするけれど」
「…………」
僕の言葉を聞くのぞみさんの瞳が揺れていた。
でも、目を逸らしたりしないで、耳を傾けるようにしてくれるのが伝わって。
「それでも僕は、ただ、のぞみさんが大事で、大好きです」
そして、静かな部屋の中に僕の声が小さく、でも確かに響いた。




