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4章3話 うまくやったよね


「では……デザインとしてはこちらのC案で進めさせていただきますね」


「ええ、ありがとうねぇ月野さん。少し安いからって、以前頼んだ他の会社さんは何回もやりとりしてもよくわからなかったんだけれど、やっぱり貴女みたいに一回でわかりやすく説明してくれるのは本当に助かるわぁ」


 私は、人が良さそうな母親よりは少し年若いくらいの女性の言葉に笑みを作って答える。


「いえいえとんでもない、ありがとうございます……それに、こちらの品が本当に美味しそうで、作っているこちらも力が入ってしまいました」


「あらあら、そう言ってくれると嬉しいわね。こちら試供品なのだけれど、良かったら社内の皆様でどうぞ」


 和菓子の老舗のお店の、デパートと組んでの出張店舗の販促デザインの仕事が急に入ってきたのは先週のこと。

 うまく手が空いている人員はおらず、本来は断る案件だったはずなのだが、誰も引き受け手がいない中で、押し付けられるようにして回ってきた仕事を断らなかったのは、チーム内の事情もあったものの、忙しさに紛れていたかったからであることを私は自覚していた。


「暑いわね」


 どうぞと渡された、ずっしりと重い和菓子のお土産を持って建物の外に出た私は一人、透き通るような雲一つない夏空を見上げる。


 最近社内では少し早い夏風邪が流行っているようで、本来は営業が請け負うはずの説明まで回ってきたのは担当していた人間が当日に体調不良となっていたためだったが、気分転換にはなったかもしれない。


(…………ふう)


 心の中でため息をついて、私は社に戻るために重たい足を向けた。

 和菓子で思い浮かんだ直人くんの無邪気な笑顔を、脳裏から振り払うように意識しながら。



 ◇◆



 二週間ほど前のことだった。私は直属の上司である香川かがわ課長と、そしてその更に上であり、あまり直接会話することは少ないデザイン部の進藤しんどう部長に加え、営業部の宮前みやまえ部長の三名に呼び出されていた。


 父親ほどとは言わないが、年配の、しかも上長である男性三名に対するのは圧迫感がある。


(確か香川課長と進藤部長はステラの案件自体にも乗り気じゃないって話だったけれど、プロジェクトで何かあったのかしら)


 何故私だけ? という疑問を持ちつつそう予想しながら会議室に入った私の予想は、半分は正解で、半分は間違っていた。


「――――ところで、ここからは直接は関係ない話なんだが。ステラの中村トキオさんから、やんわりと告げられたのだが、営業部とデザイン部で、不適切な発言を公用スペースでしていたということでね……我々としても非常に重く見ている」


 プロジェクトの開始とスケジュール。そして、そのデザインのメイン担当が中堅ではあるものの私になることが告げられた後、部長から付け加えるように発せられた言葉で、私は本題がそちらであることを悟る。


「……そうなんですか」


 それ以外に、私に言えることは無かった。

 だが、私に言うということは、その不適切・・・な内容はそれなりに把握しているということだろう。

 そんな私の反応を、どこか興味深げに見て、部長二人は言った。


「……いや、詮無いことを言った。本人たちにも厳重に注意済だ……君には期待している。今後とも頑張ってくれたまえ。デザイン部としての対応は、香川くんから改めて話があるだろう」


 その言葉に、課長が頷く。


「はい、ありがとうございます」


 そこで、話は終わり、部長達が退出するのを、正直、何が言いたかったのかわからないまま、私は頭を下げて見送った。

 その際にも、違和感のような、ゾワッとするような視線を感じる。

 向こうは気づかれていることには気づいていないのだろうが、どこか舐めるような視線を肌が感じ取ってしまうのは、ままあることだった。


 私は気を取り直すようにして、香川課長に向けて尋ねる。


「課長、結局最後のお話というのは?」


「うーん、まぁ君は聡いから気づいているとは思うんだけど、話題というのは君に関することで、うちのメンバーっていうのがその、川合さんでね」


「…………はい」


 厳重注意済というのは、板橋先輩はともかくとして、川合さんについてはどういう反応となるのかは不安があった。


「まぁ、川合さんは君が教えてくれているわけだけれど、流石にそこは別の人に頼もうと思う。代わりに別件をお願いするかもしれないけれどね」


「……その、正直助かります」


 コネとも噂されている香川課長は贔屓目ひいきめにも仕事をする方ではなく、更にいうと事なかれ主義のため、そのまま教育担当とでも言われそうなことも覚悟していたが、ほっとする。

 だが、その後ありがとうございますと続けようとした私に、香川課長は予想しない言葉をかけた。


「いや、それにしてもうまくやったよね、君」


「は?」


 どういう意味かわからず声をあげた私に、香川課長はニヤッと笑って告げる。


「どういう伝か知らないけれど、あの中村トキオに随分と個別に気にしてもらっている上に、あっちのエースプログラマとも親しいみたいじゃない……いや、デザインだけじゃなく、営業もできる(・・・・・・)とは思ってなかった。まぁ、その調子で頼むよ」


 その言葉の意味が示している事、そして、先程の部長たちの視線の意味が、その課長の湿り気のある口調と共に伝わって、私は固まった。

 そんな私の様子には気づかずに香川課長は出ていく。

 私はぐっと、寒いわけでもないのに震える手を握りしめるようにして、歯を食いしばっていた。



 ◇◆



(…………あ)


 自社のビルに戻ってきた私は、遠目に、先ほど脳裏に思い浮かんだ笑みの主を見つけて、自然な様子を装って女子トイレへと入った。

 直人くんは、どこからでも私を見つけてしまう。

 それが嬉しい気持ちもあるが、それでも、今は顔を合わせたい気分ではなかった。


 個室に入って、狭く一人が保証される空間でほっと息を吐くと、複数の足音が入ってくる音がして、続く言葉に私は息を潜める。


『ねぇ聞いた? デザイン部の月野さん、あのステラの中村トキオと親しくて今回の案件を任されたらしいよ』

『へぇ、意外……彼女、あんなことがあったのにねぇ。やっぱり美人は得ね』

『あれ? 私はステラから来てるあのイケメンの人と仲が良いみたいって聞いたけれど』

『あはは、まぁどっちでも羨ましいけどねぇ』


(……はぁ)


 どこから出たのかもわからない社内の噂話が一部で出ているらしいことは知っていた。仲の良い同期や、香菜のような後輩はそれに怒ってくれているものの、よく知らない人の昼食の話のネタに上がるのは止められないとも諦めている。


 人の気配がなくなったことを確認して、私はそっと個室から出た。疲れた表情を浮かべた、見慣れた顔が鏡に写っている。

 

「…………よし」


 言葉に出して、まだ空っぽの元気を奮い起こせることに、私は頷いた。


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