4章1話 あれ、もしかして避けられてる?
風もないのに、まるで空気の振動が身体に伝わってくるかのような蝉の合唱が響き渡る夜。
僕は、玄関の鍵を開けながら隣の部屋の窓の暗さに目を向けた。
(やっぱり、今日も遅いなぁ)
最近、この部屋の明かりが灯っているのを見ることは無い。僕が見ていないだけで帰っては来ているはずだから、僕よりも早く出て、そして遅くまで仕事をしているんだろう。
奇しくも、のぞみさんの過去を聞かされて怒ったあの日は、トキオさんやのぞみさんの会社の上層部によって粗かったスケジュールが本格的に精査され、プロジェクトが動き始めた。
結果として、急激に忙しくなったのぞみさんと僕は、その日から一緒にご飯を食べられていない。
『のぞみ:プロジェクトの稼働と、あと別件の巻き取りが重なってしまって、落ち着くまでご飯を作れないかもです』
『直人:わかりました、作戦はいのちだいじにです!』
『直人:えっと、あまり直接口頭でやり取りして終わらせるなって言われてるんですけれど、でも何かあれば言って下さいね』
『のぞみ:はい、ありがとうございます』
そんなやりとりはして、僕としても仕方ないよねの仮面を被っている。嘘です、物凄く寂しいが漏れているかもしれない。僕がうさぎだったらまずいことになっているところである。
「でも少し、心配だなぁ」
一緒にご飯を食べられていないとはいえ、週に二日程は同じビルで同じように仕事をしているなら、顔を合わせることもあれば挨拶もできている。
でも、時折打ち合わせで見るのぞみさんの横顔はどこか張り詰めている気がして、笑顔が硬い気がしていた。
そして、それについて大丈夫か声をかけようにもうまく会えるタイミングが無くて。いや、気のせいかもしれないけれど、忙しさの問題だけじゃなくて、何だか少し、避けられている気もした。
(気のせいかな……ううん、気のせいの方が嬉しいけれど――)
僕は、これまでの人生で、誰かに避けられる経験というもの意識したことがない。
それは純粋に、避けられたことがないわけではなく、他人と仲良くなろうとしたことがあまりなかったからで。最初話しかけて来られるのにいつの間にかいなくなっていた人はいた。
でも、のぞみさんとはそういう風に、離れてしまうのはとてもとても嫌で。
この間の一件で、過去にしんどいことがあったことも知ってしまったけれど、余計に尊敬こそすれ、何も気持ちは変わらない。
ただ――――。
「なんで避けられてるのか、全然わかんないんだよね……僕、失礼なことしたかな? いっぱいしてるかも……」
しかし、ある意味これまででは思い当たりすぎて、どうして今? がわからない。
ふう、とため息をこぼして、マンションの通路から見上げた月は、当たり前のように何も答えてはくれず、考えても答えが出ないまま、その夜は眠りについたのだった。
◇◆
翌日の昼、わからない場合は、調べるか人に聞くということで僕は、まずは手軽な困った時の検索をしてみていた。
『隣人の女性ととても仲良く、時には夕食をともにしていましたが最近避けられています。心当たりがないのですが、何が原因と考えられますか?』
カタカタと打ってみて、そこに自分が男性であることも付け加えると、同じような質問をしている人が有名質問板にいて、僕は回答をふむふむと読む。
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突然の態度の変化には、彼女自身の何か事情があるかもしれません。普段と異なる環境でコミュニケーションをすると、いつもより感情が揺れ動きやすいこともあります。
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普段と異なる環境でのコミュニケーション。
(もしかして、のぞみさんの会社で話しかけに行き過ぎたのが良くなかったんじゃ……)
ちょっと不安を覚えつつ、次に、検索だけではなく、期待はあまりしないで生成AIに対しても質問をしてみることにした。
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考えられる理由:
・彼女の生活環境(仕事や人間関係など)に変化があったのかもしれません
・あなたの行動や言動で彼女が不快に感じたことがあったかもしれません(自覚がなくても)
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検索と一緒で、そうかもしれないとも思いつつ、しっくりこない。
ただ、最後のカッコ書きの自覚がないについてはどきりとした。
そして、こちらはアドバイスも出力されてきて。
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正直さで彼女に伝えるという方法もありますが、具体的には「最近、顔を合わせるたびに避けられているような気がする。もし何か僕の態度でなにか困ったことがあったら、教えてほしい。」といった具体的で具体的なコミュニケーションを試みてみてはいかがでしょうか?
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「……うーん?」
それを読んだ僕の口から、再びそんな疑問の声が漏れる。
直接のぞみさんに聞くのは、何だかとても違う気がした。
「風間先輩、さっきからウンウンとうなって気持ち悪いんですけれど、なんかあったんですか?」
そんな風に椅子の背もたれに深く体重をかけていると、背後から有栖に怪訝そうな声をかけられる。
「え? 僕、そんなに変だった?」
それに、僕がそう返すと。
「はい、変ですね」
『志乃:さっきから30分くらい首を傾げては唸ってと、いつもより5割増くらい変です』
有栖の言葉と、志乃からのチャットが同時に僕を変だと決めつけてきた。
そして、それに抗議しようと振り向いて。ふと考えて、うんと頷いた。
せっかくならと次の手である『誰かに聞く』の手札を使うことにしよう。
二人共女子だし、僕にはそれはとてもいい考えのように思えて、そして数分後――――。
「いや、なんですかその気持ちの伝え方。駄目に決まってるじゃないですか」
『志乃:これはドン引き案件。しかもその後仕事で関わるとか相手に同情を禁じえない』
二人の後輩に説教され始める僕がいた。