3章8話 働いてるのぞみさんも素敵です
のぞみさんが働いている会社は、大きなビルの20階と21階に位置していた。
僕は、失くさないで下さいねとちょっと厳しそうな女の人に注意されて渡された、胸元から下げたカードをかざして執務室に入る。
「少しは慣れたか?」
それを見て僕に告げるトキオさんは来客用のカードで、進捗の共有と、問題が無いかの様子見を兼ねての二度目の来訪だった。
「うん、まぁ二週間も経てばね。とは言っても週の半分しかここには来てないけど」
モチベーションにムラも多いと言われることが多い僕だが、最近は好調をキープしていると思う。
それは他から見ても明らかであるようで。
「元々家から出たがらないお前が随分とご機嫌だな……まぁ理由は明白だが」
「いやー、デザインを見た時に仲良くなれそうだなって思ったのは間違いじゃなかったね、うん」
トキオさんの感心したような言葉に、僕は頷いた。
提携を決めたほとんどの理由は、僕にはわからないトキオさんと加賀美さんが決めたものだ。もっとも、二人は説明をしただろうと怒るだろうが。
ただ、僕が目を通した中で、丁寧さと真摯さが際立っていたデザイン――それが、のぞみさんの仕事だった。
(さすがはのぞみさん)
僕がふふふと笑っていると、トキオさんがふう、とため息をついて言った。
「……彼女には、私生活含め随分と迷惑をかけていそうな気がするが。それに前回の時も、上司から話も通っていなかったようで、寝耳に水といった様子だったが大丈夫なのか?」
「うーん、流石にそのへんの事情はわからないけど、ラフで上がってきた案は良さそうだったよ? それに、これだけ大きな会社なんだし調整は大丈夫なもんなんじゃないの?」
トキオさんの言葉に、僕はそう答えながら、辺りを見渡す。
一フロアで二百人くらいは居るだろうか、整然と並んだPCとその前でスーツを着て座って仕事をしている人々が居た。
こちらをちらちらと見たり、ひそひそと話しているのは少し居心地が悪いけれど、それも仕事の一つだからピシッとしていろと言われている。
トキオさんに拾われてからは、そこでしか働いていない僕にとっては、こうしてまるで会社員かのように――そう呟いたらトキオさんには呆れられたが――会社に出社して仕事をするというのは少し新鮮だった。
◇◆
トキオさんが打ち合わせに行ってしまったので、僕はふらりとのぞみさんの席に足を向ける。担当間のコミュニケーションは大事だと偉い人も言っていたし、決してさぼっているわけじゃないのだ。
「あれ? 風間さんまたいらしたんですか? 先輩ならちょっと離席中です。すぐ戻っては来ると思いますけれどね」
最初の方は、少し物珍しい感じで見られていたけれど、のぞみさんと会話をしたい欲のためにちょっとしたことでもデザイン部に顔を出しているためか、部の人とも顔見知りにはなってきていた。
「あ、そうなんだ。待っててもいいですか?」
僕がそういうと、大きな瞳を細くして、にかっと笑って頷く彼女は幸田さん。のぞみさんが、仕事もできるいい子として紹介してくれて、更に言うとこっそりのぞみさんがこれまでにやった仕事も見せてくれたりするいい人だ。
小柄なのぞみさんよりも更に小柄なので、何だか遠目から見ると背が高い風ののぞみさんが見れてちょっといいなと思っていたりする。
『流石に驚きましたけれど、先輩には、風間さんみたいな人は、意外とありだと思うので応援してます』
最初の挨拶の後で、何かを察したように僕にこっそりとそう告げてくれたので、僕は幸田さんと仲良しであった。
「あ、風間さーん、ここよくわからなくって、教えてもらえませんか?」
待っていると、のぞみさんの隣席の、少し茶色かかった髪の、切れ長の目の女の子――名前不明――が声を掛けてきた。割とよく話しかけてくる子である。
香水が少し強めだから、多分お店に出たらみさきねぇさんに怒られるだろうなと、新人はどこも同じなんだなぁと思ったりしていた。
トキオさんに言われた、潤滑に仕事をこなすためのその一。
基本的にのぞみさん以外でも、求められたことでできることはしてあげること。
「えっと……これは何のためにやってることで、どうしたいの?」
「うーん、いまいち月野さんに言われたとおりにしてるんですけどよくわからなくてぇ」
はて、あののぞみさんがそんなわかりにくい説明をするだろうかなぁと思いながら、意味を見出だせないモニターの内容を見ていると。
「あ……なお。じゃなくて、えっと、風間さん。どうされました?」
後ろから、目的の人の声がして、僕は振り向いた。
のぞみさんが少し疲れた表情でこちらを見ている。
「えっと、昨日送ってもらった案で少し確認しておきたいことがあって……」
「……わかりました。そして川合さん。風間さんは他社の方なので、基本的な設定などでは手を煩わせないようにしてね。質問のときにすぐいなかったのは申し訳ないけれど私もすぐ戻るから」
「…………はーい」
そして、のぞみさんが川合さん――いつも名前を忘れてしまう――に向けて注意をした。そのまま僕は、のぞみさんに促されて共用の仕切られた会議卓に座る。
「……はぁ、直人くん、絶対チャットでも良かったのに来たでしょ」
「あはは……バレました? 確認したいのは嘘じゃないですよ。それに最近遅いみたいだから心配でもありましたし。疲れてそうですし」
「…………もう」
どこか諦めたように、もう、というのぞみさんは可憐であった。その後、切り替えるようにモニターを見て僕の質問に答えてくれる様子は凛々しくもあり。
「直人くん、聞いてますか?」
そして、モニターじゃなくのぞみさんをまじまじと見ていたのがバレて、そう疑わしげに聞くのぞみさんも。
「はい、一言一句漏らさず聞いてます」
それに僕がピシッと手を敬礼にして言うと、くすり、と仕方がないなぁと笑ってくれる様子もまた、素敵なのだった。