1章3話 調子に乗った代償
「……あの、何でまた倒れてるんですか?」と私は言った。
「いやー、偶然ですね、ははは」と彼は答えた。
ひとまず大事ではなさそうな様子に、少し安心しながら私は状況を把握しようとして観察する。彼が倒れているのを見るのは、二回目。
初対面が仕事からの帰り道のあれだったから、一日に二度も倒れているのを見てしまったことになる。随分レアな体験だった。
そんな事情だから、私がどこか呆れてしまうような口調になったのはやむを得ないと思う。
だけど、ふとあることに思い至って私はハッとして聞いた。
「えっと、治療って……?」
「あ、ご紹介ありがとうございました。月野先生にいい感じにしてもらえて!」
一回目の出会いの時からとぼけた印象のある彼だが、私の聞きたいことを読み取って、明るくそう答えてくれる。まぁ、体勢は階段途中で痛みに蹲ってるままなわけだけど。声が明るいということはそれだけで悲壮感が無くていいのかもしれない。
(えっと……月野先生にってことはお父さんが担当したんだよね。もしかしてお父さんの施術がなにか悪かった? 腕は確かだと思うからそんな変なことはしないはず、いやでも流石にこれで月野鍼灸院のせいだってなると――――)
見たところ、本人に恨みらしきものが全く感じられないのはいいとしても、紹介した先、しかも自分の実家の仕事が悪い結果、目の前の彼の状態かもしれないというのは非常に後味が悪かった。
「……あの? えっと…………月野さん、どうかされました?」
そうおずおずと問うてくる彼に、私は気を取り直して階段の下を見る。コンビニの袋と、体勢を崩した結果であろうものが散乱していた。
「とりあえず、また腰が痛むんだと思うので掴まりながらで立てますか? あ、下に散らばっちゃってるのは私が拾いますね」
元々郵便を取りに行こうと降りてきただけで時間はある。父親の施術の問題でなかったとしても、急いでいる訳でもないし近所の誼だろう。
そう思って私はしゃがんで色々拾っていく。
コーラのペットボトルが一つ。
衝撃で吹き出す未来が見えそうなそれに、家では蓋を開けたくないなぁと思いながら拾うと、その先にはお茶と水もあった。
更に、カップ麺が店の棚にあったのをそのまま取ってきましたという感じで何種類も落ちている。
(……ふ、不健康そうだなぁ)
全く知らない人に対して余計なお世話でしかないのだけれど、私は心の中でそう思ってしまった。
まぁ、腰痛にしても何にしても、調子を崩すのは身体からのサインだともいう。
若い男性で自炊をしない人もそれなりにいるのだろうが、目の前の彼が不摂生であるのは間違いなさそうだった。
私が拾い集めると、階段の上から相変わらず軽めの、でも申し訳無さの色も乗った声がかかる。
「えっと、ほんとうにごめんなさい。重たいですよね? ありがとうございます」
時々訳わからないことを言葉にするものの、同時に謝罪と謝意を素直に口に出す人なんだなぁと思う。
以前のこともあって、あまり男性と関わるのは得意ではないものの、何だかあまりにもな毒気のなさに警戒心が薄まってしまった。この人の笑顔は不思議と緊張が訪れない。
「いえいえ、それにしても結構買い込みましたね……もしかしてこの重さで?」
施術後に変な力がかかったのであれば、まぁ父親の診療結果のせいではないかなと思いながらそう尋ねると、彼ははにかむようにして、あはは、と笑いながら言った。
「いやーわかります? お父さんの方の月野さんにびしって魔法みたいに治療してもらったら、ピキピキってなっていたのが、ピキくらいになってびっくりするくらい歩けるようになったので」
「お父さんの方の月野さん? ふふ……」
独特な表現にちょっとだけ笑ってしまった私に笑みを作って、頭をかくようにして彼は続ける。
「それで調子に乗りました。いけるだろうって買い込んじゃて、そして階段で少し袋がずしってなるのを踏ん張ろうとしたら、またこの状態に……」
「調子に乗っちゃいましたかぁ……」
どこか柔らかい彼の口調につられてそう返しながら、私はよいしょ、と荷物を持ち上げた。確かに、腕にかかる重さは中々で、これは階段だと確かにきついだろうなと思ってしまう。
そして、なんとかよろけるように立ち上がった彼と並んで、初めて顔をしっかりと見た。階段の一段上であることも考えると、男性の割には小柄な方だろうか。
ただ、それよりも私が感じたのは――――。
(顔ちっさ! まつ毛長? 肌のツルツル具合は何?)
そんな素の反応だった。
夕暮れ時でそんなにまじまじと見ていなかったものの整った顔立ちなのは最初に思っていたけれど、それ以上にこの明らかに不健康そうな食生活で、ケアしている自分よりもプルプルしていそうな事に世の不条理を感じる。
普段は人の外見などはあまり気にしないタイプなのに、何故か無駄にじっと見てしまった。見惚れるとかではない、なんだろう、この敗北感は。
「おおー、立てました! ふははは、これで勝てる」
そんな私に気づかないように、彼は恐る恐るというように腰に手を当てた後にそう言った。なんとも一つ一つの所作が楽しそうである。
「じゃあ、このまま荷物はお持ちしますね……多分ですけれど、三階の角部屋に引っ越してこられた方ですよね?」
住んでいる部屋の隣室が、先月から空き家だったところに今朝荷物が運び込まれていたのは知っていた。
だがその私の言葉に、彼は今になって気づいたように呟く。
「あれ? そういえば今更ですけれど、何でここに?」
本当に今更だなぁ、と私は彼の雰囲気につられて気が抜けたように笑ってしまう。
そして、何も考えずに喋って気が抜けたように笑うのも久しぶりだなと、そんなことを思ったのだった。