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3章6話 のぞみさん聞いて下さい!


 玄関の扉を開けると、建物と建物の間からの風が顔に吹き付ける。私はなびく髪を目にかからないように耳に通して外に出た。


(今日は、随分と空が青く見える)


 マンションの廊下から見える空は随分と青く、暑さと共に夏が来たという感覚を私に目からも肌からも感じさせる。


 昨晩作った春巻きが入った袋を持ち直して、鍵をかける。

 おそらく入れ違いくらいで帰ってくるであろう直人くんへのお裾分けをドアノブに掛けておこうと思っていた。


(やっぱり食べてくれる人がいると、少し品数のバリエーションが増えるよね)


 そんなことを思う。

 料理は好きだが、自分のために作る分には面倒な時もあるし買う時もあれば作り溜めておくとかもある。それが、被りすぎないようにとか、冷めても美味しいものとか、少し考える事が多くなったのは明らかにこの数週間の変化だった。


 男性とは認識しているけれど、不思議と手のかかる弟のようにも感じられる不思議な関係性の人。これまでに無いタイプの人だったが、共にいて緊張することもなく落ち着くのもまた居心地が良かった。


 タタタ――。


 そんな事を考えながら玄関前に袋をかけようとしているところに、階段を駆け上がる音がする。もしかしてと思って私が振り向くと。


「あ、のぞみさん! おはようございます!」


 今脳裏に描いていた隣人が、満面の笑みで手を振って挨拶をしてくれるところだった。リリースの夜勤明けのはずだが、元気なものである。


「おかえり、お疲れ様。随分と元気ですね」


「それがですね、のぞみさん、聞いてくださいよ!」


 語尾からも、全身からも、何か良いことがあったんですを発していて、私はくすりと笑ってしまった。

 抜けているところもふざけているところもあるけれど、その純真さと元気を失わない明るさは、ふとしたきっかけで通常よりも距離が縮まった隣人としても好ましいものだった。


「ふふ、電車まで少し余裕はありますけど、そんなに良いことがあったんですか? あ、先にこれ、春巻き作ったんで、今日のお昼かお夜食にでもどうぞ」


 直人くんは、私が差し出した袋を受け取って、そして目をきらきらとさせながら答えてくれる。


「わぁ、ありがとうございます! そしてそうなんです、今日同僚と話してた時にのぞみさんの話題になったんですけど」


「私の?」


「はい、昨日お弁当を持たせてくれたじゃないですか? あ、めちゃくちゃ美味しかったです!」


「そう、それは良かったです」


 直人くんの感想に、私の口元が自然と緩む。

 飾り気のある言葉ではない分、全く嘘の感じられないその言葉は、作り手のこちらも嬉しくさせてくれた。


「はい、それで毎日のぞみさんには感謝してるって話をしてたんです。女神と思うくらいに素敵で優しいってことも」


 職場という、日常とは別の空間で話題にでているのは少しむず痒くもあったが。

 私は少し照れながら答える。


「ええ? ハードル上がり過ぎじゃないですか? でもまぁ、私としても食費も貰ってるし、一人よりも助かってるので…………それが良いことですか?」


(こんなに喜んでもらえるなら、また作ってあげよう)


 そんな事を考えていたからだろうか。その後のセリフの何気なさに反応が遅れてしまったのは。


「いえいえ! 嬉しいことはその後で、同僚に言わせるとするとね、それはだっていうんですよ!」


(――――ん?)


 少しだけ、私の時が止まった。

 でも止まったのは私だけで、目の前の直人くんは止まらない。


「恋ですよ恋。あの物語とかでしか見たことのない恋! 僕、考えてみたんですけど。恋ってしたことなくて、つまりこれは初恋ってやつじゃないですか?!」


(――――んん?)


「えっと、それは私の事が好きっていう……こと?」


 とてもあっさりと告げられた事に私の脳は混乱状態におちいった。

 そしてその状態でも口は開き、そんな、変な確認みたいなことを私は口にして――。


「はい、大好きです! いやー、まさか僕が恋ができるなんて。ホントのぞみさんのおかげです! いつもありがとうございます! では(・・)! いってらっしゃいです!」


 そして、彼は満面の笑みでそう報告・・して、私から受け取った袋とともに扉を開いて部屋に帰っていった。


 バタン、という音がして、朝の光と、爽やかな風が吹く中で私は一人になる。


「…………え?」


 人はぽかんとすると、自分の声さえ遠くに聞こえるのだと、私は知った。

 そして同時に、脳が停止しても、不思議なことに身体は会社に行かないとという意思だけで動き、習慣というものは間違うことなく私をいつものルートでいつもの場所に連れて行ってくれる。


 ようやく、私が告白されたということに気がついたのは、会社にたどり着いて、ロッカーを開いて着替えたときのことだった。


「…………え?」


 出てくる言葉は、他にはなかった。


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― 新着の感想 ―
善は急げというか、思い立ったが吉日というか、あるいは何も考えてないんだなというかw
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