3章4話 それぞれの午後
「わかりました」「了解です」
会議室を取っての仕事の説明に対して、それぞれ返事が返ってくるのに私は頷いた。
新人で配属になったばかりとはいえ、もう研修というわけにもいかないので、それぞれに作業を割り振ることになる。とはいえ、中堅商社のデザイン課は意外と業務範囲が広いのだった。
顧客からの月々の保守メンテナンス業務の中での依頼や、日々変わっていくブラウザやOSのアップデートに対する調査。または自社のサイトのニュースリリースであったり、案件の提案デザインが回ってくることもある。
その中で、ミスがあったとしても対外に影響が出ないものから割り振るのだったが、今回配属となった二人である川合さんと橋本くんの二人はメモを取りながら内容を聞いてくれていた。
(ふう、とりあえず大丈夫かな?)
画面を操作しながら、補足なども入れてくれていた香菜と目配せをして、私は頷く。
最初は環境を整えたり、手順書に従うことも多いので大丈夫だとは思うが、香菜ちゃんからの事前情報もあるので、少し丁寧目に説明をしたつもりだったが、それぞれ素直に聞いてくれて、少しほっとしていた。
「じゃあ、こちらからも声かけるけれど、わからなかったら聞いてね。それこそ、こんなことも聞いて良いのかな? って思ったらその時点で聞いてくれちゃっていいから」
最後に私がそう声を掛けると、橋本くんが「了解ッス!」と親指を立て、川合さんは小さく頷いて、「これからよろしくね」ということで打ち合わせは終わった。
そうして、二人がそれぞれの作業のために出ていくのを、香菜と共にふうと息を吐きながら見送る。
「思ったより、普通でしたね?」
「ええ、デザインが志望だったみたいだから、モチベーションはあるのかもしれないわね」
「モチベーションでころころ変わる仕事をされちゃ、こっちはたまったもんじゃないですけれど」
「あはは、まぁ、その辺りは大目に見ましょう。とりあえず分担としては決めた通りで」
「すみません、大事な時期なのに時々お休みを頂いて」
香菜が改めて頭を下げるように言うのに、私はひらひらと手を振った。
「いいのよ、大事な時期だし……それに新居を決めたら結婚式の準備もあるんでしょう? 改めておめでとう、香菜ちゃん」
最後の顔合わせも済んだ後、記念日だという六月に無事入籍したことに、私はそう祝いの言葉を告げると、香菜は照れたように笑う。
毒舌を言うことも多いが、小さくて、こうして素直にはにかむのは幸せそうで、とても可愛らしい後輩だった。
「ありがとうございます」
「それに、まぁそこまで新しい案件も回っては来ないはずだしね」
「……あ、でもそういえば、噂で聞いたんですけれど」
私の言葉に、香菜はふと思い出したように言う。
「ん?」
「なんか、ちょっと大きめの案件取れて動くかもって話があるみたいですよ? 稟議まで回ってるみたいですけど、先輩聞いてます?」
「え? 聞いてないし見積もりも来てないけどなぁ……課長も何も言ってなかったし」
少しだけ、嫌な予感がするも、香菜の表情が物憂げになりそうだったので、私は努めて笑った。
「ま……なるようになるでしょう。ひとまずは新人を戦力になるようにしつつ、私達も日々頑張りましょう」
「はーい」
◇◆
「御社は“商品の顔”を作れる。私共は“顔を動かす”コードを書ける。更にクロノス・サーガとのコラボにも展開していけるとなれば、お互いにメリットがあるでしょう」
くるりと卓が回転する、中華料理特有の丸いテーブルを挟んだ向かい側で、僕の倍以上の歳を重ねた人に向けてトキオさんがそう告げるのを僕は聞いていた。
いつもながら、言葉に力がこもった喋り方が得意な人である。性格が真面目じゃなければ詐欺師に向いてるだろうぜ、とは昔からの付き合いの加賀美さんの言葉だ。
一方の僕は、黙々と料理を食べたり、時に技術的な部分でトキオさんが確認のようにこちらに投げかけてくる質問に頷いたりしている。
可能な限り喋るな。
それが上司命令だった。
服装だけは、トキオさんが指定するお店に行って採寸されて作られたオーダーメイドスーツなので、ビジネスマン風だと満足気に言われるが。
しかし、ネクタイにスーツ姿では、食べにくいのだ。甘辛い蒸し鶏のタレがスーツの袖に危うくつきそうで、心ゆくまで食べられない。
(そろそろ終わりかなー。それにしても、なんでこんな堅苦しい格好で、わざわざこぼしたら染みになるような料理食べて話するんだか)
僕が心の中で終われ終われと念じているからではないだろうが、思ったよりも早く、つまらない会は終わってくれた。
そして、先におじさん達を見送ると、ふう、とトキオさんはいつも通りの空気に戻って、シュボっと音を立てながら煙草に火をつける。
「お疲れ様、で? 結局どうなったの? おじさん達は満足そうだったけど」
「お前……いや、まぁいい」
ふう、と白煙を吐き出しながら、トキオさんは呆れたように呟いた。
いやだって、権利だとか打ち出し方だとか、よくわからないもの。技術と納期の話ならわかるけれど。
「とりあえず、こちらにとってもあちらにとっても落とし所は決まった」
「ふうん、でも珍しいよね、トキオさんが組むのって。別に資金繰りが苦しいわけじゃないんでしょ?」
クロノスサーガは、僕は詳しくないが、業務委託やグッズが好調とは聞く。
それに、トキオさんは気怠げに頷くと。
「あぁ、金というよりは歴史の信用を買ったんだ。あっちには、ここまで堅実にやってきた俺達には無い歴史ってやつがある。それに、これまでにも堅実な仕事が多い」
人数と、知名度、後は技術力。
いいバランスで、飲み込まれるようなこともない。
そう言って、トキオさんはまた黙った。
この人は、基本的には必要なこと以外は口を開かない。
メディアでは明るくて、商談の時もその仮面を被っているけれど、僕や加賀美さんの前だと、ぶっきらぼうで、口も悪い。
そして、資料の中で、僕は気づいたことを一言だけ言った。
「そういえば、このデザインした人、きっとちゃんと仕事する人だと思う」
僕が指さしたのを見て、トキオさんも頷く。
「あぁ、そうだな。俺もそう思う。センスも悪くないが、それ以上に、どう見せるか、相手がどう見せたいか、の折り合いが非常に良い」
「なんとなく、仲良くなれる気がする」
本当に、なんとなくだけれど、僕はそう思った。
それに、トキオさんは意外そうな顔をする。
「ほう……お前がそういうのは珍しいな」
「ちゃんと仕事する人、嫌いじゃないから」
僕はそう呟くのに、ふっとトキオさんは笑って、煙草を灰皿に潰して、言った。
「そうか。さて、そろそろ俺達も帰るか……明日のリリースは俺は対談があって行けんが、加賀美とお前がいれば大丈夫だろう、任せたぞ」
「うん、明日の僕は無敵だから」
「は?」
トキオさんはわけがわからないという顔をしていたけれど、なにせ明日はのぞみさんの手作り弁当の日である。
いつもの二倍増しくらいで仕事の効率があがるはずだった。