3章2話 穏やかな月曜日
何気なく、二人分の食材を手にとって計算していく。
月曜日がいつもセール品が多いことから、週の初めの仕事帰りにまとまった買い物をする私にとって、隣人を考慮する買い物は三度目だった。
ちょっとした親切からの特別が、二週目になり。三週目となると日常とは言わないまでも慣れたものになる。
そして、それは不快ではなかった。
(七月か、早いものね)
六月も終わり、じめじめとしていた空気から、比較的からっとした暑さになってきている中で、私はレジに並びながらそんな事を内心で呟く。
夏休みやお盆とか、そういうイベントごとよりもよほど、私にとっては区切りとなる時期だった。
今朝の職場での会話を思い出す。
◇◆
私の勤めている会社は営業支援から開発、デザインまで請け負っている中堅どころで、新卒採用も毎年やっている。
そして、この時期、三ヶ月の研修を終えた新人たちが各部署に配属となるのだ。
「今期は、二人ほど新人が来るからよろしくね」
出社してすぐの朝の週次定例で、課長がそう言って名前を告げて。
それを聞いた香菜が、隣で小さく「げっ」とこぼすのを聞いた。
「香菜ちゃん、何か知ってるの? どっち?」
打ち合わせが終わって、会議室から自分の席に戻るまでの間に、ちょっと自動販売機に向かいながら私はそう問いかける。
どっちとは勿論、新人についてだ。香菜の代からは少し入社人数が増えた時期で、性格もあって同期も多い。さらには新人の研修にも携わっていたから、私よりも情報が多いのだった。
「片方は特に聞いてないんですけれど、その、もう一人、川合さんって女の子がですね」
香菜は少しだけ何気なく辺りを見渡すと、小さな声で告げる。
「その、あまりにも話が通じないんだそうです」
「言葉が不自由とかそういう話ではなく?」
つられて私も小声になった。
こうしてヒソヒソと人の評価の噂話をするのは良くないことではあるのだろうが、事前に知っておくかどうかは、共に働く人間に取っては重要である。
「研修っていっても、まぁ色んな人間がいろんなことをさせるじゃないですか? 営業の基本だったり、デザインだったり、開発だったり。その上で希望の部署ややりたいことを見て配置しますよね」
「ええ、そうね」
「そこで、一人だけじゃなくて、何人もが名指しで、川合さんはちょっとしんどいなって言ってるんですよね……しかも」
「……しかも?」
香菜が溜めて言うものだから、私は顔を近づけて身構えてしまった。
「結構可愛いんです」
「しんどいって言ってきてるのは?」
可愛い。香菜の言わんとすることがわかって、私はそう尋ねる。
「男も女も、です。私の同期も担当してて、同期会の流れでちょっと詳しく聞いたんですけど…………指示と全然違うことするらしいんですよね。それも、何度かの確認をしても、手順書があっても、基本的に挨拶以外は全部“自分流”で押し通す感じでして」
「あぁ、そういう……」
受け答えはできるのに話が通じない人間というのはいる。
それで、何人かメンタルをやられていく上司や先輩も見たことがあった。
「専門卒の二〇歳。可愛いと言われる容姿なのに、ちょっと無理って言われるってことは相当だと思うんですよね……」
香菜がそう言って、ふう、とため息をつく。
「……まぁ、配属は決まってしまったことだし。まずは受け入れてみてからね。私がそっちの子の教育は受け持つから、香菜ちゃんはもう一人をよろしく」
「先輩ならそう言ってくれちゃうんじゃないかって思ってはいましたけど、なるべく二人タッグでいきましょう」
私の言葉に、香菜がむん、と気合を入れる素振りを見せて、私はくすりと笑った。
「いいのよ、結婚も決まったんでしょう? 式の準備に色々と、まずは自分の都合も優先しなさいな」
「先輩は優しすぎます、好きです、結婚して下さい」
「ふふ、ずっと付き合ってた彼とするんでしょ? 全く羨ましいんだから」
「あ……ねぇ先輩、一つ聞いていいですか?」
会話を楽しんでいたいが、そろそろ仕事に戻らないといけないというところで、香菜が何かを気にしたように言った。
「え? 何かしら?」
「その……笑い方が柔らかくなって、いいこと、ありました?」
かつての私のちょっとした事情を知っている中で、態度を変えずにいてくれる可愛い後輩は言葉を探すようにしておずおずと聞く。
それに、私は内心で感謝をしながら答えた。
「そうね……そう言われて思い当たるフシは無くはないわね」
「おお! じゃあ今度ぜひ詳しく!」
「残念ながら浮いた話じゃないけれどね、最近は何だか穏やかに過ごせてる気がするわ」
◇◆
買い物をしながら、私はいつも通り連絡をする。
『のぞみ:今日は柵が安かったのでお刺身にしようかなと思います。今週の予定は決まりましたか? 一応食材は冷凍もできるもので買ったので大丈夫です』
月曜日の夜は一緒にご飯が食べられそうだということで話していたが、私の方も状況次第だということと、直人くんもいよいよ完全に復帰ということでわからないらしいと日曜日は言っていた。
『直人:刺し身好きです!』
『直人:そして、現実が厳しかったです(泣)』
すぐに二通返ってきて、私は首を傾げる。
(一通目はわかるが、二通目はなんだろう? 仕事が忙しくなるってことかな?)
そう思いながらも、まぁとりあえず夕食時に聞けばいいかと、くすりと微笑んだ。慣れてきたものだと自分でも思う。
最近変わった『良いこと』の心当たりで私の脳裏に出てくるのは、隣人の泣き顔と笑い顔だった。そういう空気感は全く無いけれど、それがまた、良い距離感となっている気がしていた。




